彼女は6月の雨に沈む

遠堂瑠璃

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ひしゃげたカタチ

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翌日学校を終えた貴彦は急ぎ足でペットショップへ向かい、子猫用の粉ミルクとスポイトを購入した。店員のお姉さんから丁寧に粉ミルクの作り方を教わり、自宅でその通りに溶かしたミルクを冷めないようにポットに移し、駆け足で公園に向かった。
 昨日の少女が来る前に子猫にミルクをやって、お腹いっぱいに元気になった姿を見せてあげたい。約束したわけではないけれど、きっと少女は来る。そう思っていたから。

 公園に着き、貴彦は子猫の居る植え込みの中を覗いた。
 段ボールが見えた。昨日、少女と二人でこの中に子猫を入れた。その横に、ブラスチックの容器が転がっていた。昨日牛乳を入れたもので、結局子猫たちは全く飲まなかったけれど。
 昨日はあれだけ鳴いていた子猫たちの声がしない。腹を空かせ過ぎて弱ってしまったのだろうか。早くミルクをやらないと、あんなに小さいのだから、放っておけば死んでしまう。


 まず、尻尾が見えた。萎びたように段ボールに落ちた、小さい尻尾。そして同じように萎びて落ちた、細い手足。だらりと伸びきった、二つの胴体。
 ブチと茶とらの子猫の兄弟。
 その双方とも、頭の半分程が潰れて無くなっていた。べっとりと、段ボールに血糊ごと張りついていた。

 貴彦は声も出さずに、呆気にとられたままそれを見ていた。どうしてこんな有り様になっているのか、理解ができなかった。ぼんやりとした脳が、次第に子猫たちの死を受け止めていく。

 けれど、どうして。
 見る限り、尋常な死ではない。
 何者かに、故意に奪いとられた命。死の形。少なくとも、衰弱による死などではない。

 手の中の、もう必要のなくなってしまったミルクとスポイト。貴彦はそれを、ぎゅっと握り締めた。手の内側に、汗が滲んでくる。
 犬の仕業か。そう思いたかった。けれど見るからに、人の手による可能性の方が高い。貴彦の胸の中心が、ゾッと冷たくなった。
 犬ならばそれは本能によるものだが、人ならば、それは別の感情が伴っての事。
 そんな歪んだ人間がこの公園に立ち入ったなど、考えるのも嫌だった。

 貴彦は子猫たちの潰された頭部をじっと見詰めた。こんな事をした人間を拒絶し軽蔑しながらも、子猫たちの凄惨な死に釘付けになっていた。
 顔はひしゃげ口は半開き、二匹とも笑っているようにすら見えた。その潰れた赤い肉の部分に、幾匹もの蟻がたかっていた。蟻は小さくちぎった子猫たちの断片を運んでいた。忙しく、列を成して。
 それを見つけた瞬間、貴彦は体の内側に叩きつけられるような衝撃を覚えた。子猫たちの凄惨な死を目の当たりしてもあまり動揺しなかった貴彦だが、その蟻の群れに受け入れ難い恐ろしさを感じた。蟻たちの本能が、極めて不気味に映った。
 生きているのならば何もしないが、死んでしまえば只の食料だ。そう云わんばかりの蟻たちの行動。
 自分も死んでしまえば、その肉を蟻たちは情け容赦なく食い千切り運んでいくのだろうか。

 嫌だ、嫌だ。
 貴彦は身震いした。そして、蟻の群れを踏み潰したい衝動に駆られた。
 そして同時にはっとする。
 こんな酷い有り様を、あの少女に見せてはならない。

 そう思い振り向いた貴彦の真後ろに、すでに少女は居た。
 声もなく、立ち尽くしていた。顔色は白く、固まった眼差しは只一点を凝視していた。
  
 少女の姿を認めた瞬間、貴彦の両眼から涙が零れた。
 正直なところ、子猫を酷い形で失った事をそれ程悲しいとは感じていなかった。なのに、涙が止まらなかった。何がそんなに悲しいのかも判らぬまま、貴彦は泣いていた。
 心の糸が切れてしまったように。その糸を切ったのは、目の前の少女だ。

 少女も、静かに泣いていた。
 言葉もなく、二人は向かい合わせのまま泣いた。
 泣きながら、貴彦は少女が自分に触れてくれるのを待った。死んでしまった子猫にしたように、その手と指で優しく撫でてくれるのを待った。
 けれど結局、少女は貴彦に触れてはくれなかった。子猫の酷い死に方を受け入れる事だけで必死で、心にそんな余裕などなかったのだろう。
 貴彦から見れば大人でも、少女はまだ子供だったのだから。


 この出来事がきっかけで、二人はその後も交流を重ねるようになった。心の傷となるような子猫の死の記憶を、二人で薄め癒し合っていくように。
 少女の澪という名前も、通っている高校の場所も住んでいるマンションも、仲良くなってから知った。
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