彼女は6月の雨に沈む

遠堂瑠璃

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捨てられた猫

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 みおを思い出す時、記憶の中の彼女はいつでも制服姿だった。
 灰色のブレザーに赤いネクタイ、膝が隠れる丈のプリーツスカートにふくらはぎまで覆う真っ白な靴下。何処か病弱なイメージがつきまとうのは、華奢な身体と白過ぎる肌の為だろうか。黒く長い髪が、そのはかなさに拍車をかけていた。
 顔の造りも控えめだったが、その眼は酷く印象的に映った。
 黒目勝ちの濡れたひとみ。捕食者に怯える小動物のように。いつでも何かの気配をうかがい、息を殺していた。
 きっと彼女は、生きる事に不器用だった。

 貴彦が澪と初めて出会ったのは、小さな公園だった。
 まだ11歳だった貴彦は、その公園で二匹の子猫を見つけた。茂みの陰で、弱々しい声を上げて鳴いていた。母猫の姿はない。
 人の手で捨てられたのか、それとも母猫に産み捨てられたのか判らない。最初から二匹だったのか、それとも他の子猫とはぐれてしまったのか。どちらにしろ、この子猫を見捨てて公園を離れる事が貴彦にはできなかった。
 家には小鳥が居る。猫は鳥を捕食する。今は大丈夫でも、成長すればいつかその本能は目覚める。貴彦は小鳥をとても大切に可愛がっていた。だから、家では飼えない。
 けれどこのまま放っておけば、この子猫たちも死んでしまうかもしれない。だから貴彦は、そこから動く事ができなかった。立ち尽くしていたところで、どうにもならない事など判っているのに。偽善のような良心の呵責かしゃくが、貴彦をその場に止まらせていた。


「子猫?」

 背後からかけられた声に、貴彦は振り向いた。
 自分の代わりに、この声の人が子猫たちを救ってくれるかもしれない。咄嗟とっさにそう思った貴彦は、弾かれたように声のする方を見た。

 制服姿の少女が立っていた。中学……いや、高校生か。
 どちらにしろ、小学生の貴彦の眼には制服を着たその少女は自分よりもずっと大人に映った。
 この人ならば、きっと助けてくれる。自分の事も、この子猫の事も。
 安易なくらい、そう思えた。

「まだこんなに小さいのに……」

 その少女は貴彦が助けを求める前に、自分から手を差し伸べてくれた。白く滑らそうな手が、鳴き続ける子猫の毛並みをいとおしげに撫でる。
 その細い指を、貴彦は何故だか不思議な心地で見ていた。撫でられているのは子猫なのに、どうしてか自分が少女の指で触れられているかのようで、そわそわと落ち着かなかった。下腹部の辺りから、不可解な疼きがみぞおちの辺りまで押し上がってくるのを感じた。くすぐったいような、痛いような感覚。
 その少女に対して自分が酷くいけない事を考えているようで、貴彦はいたたまれなくなった。少女の手で自分が触れられる事を無意識の内に望んでいるように、貴彦は少女の指から眼が離せなかった。

「連れて帰ってあげたいけど、私のマンションは猫が飼えないの」

 二匹の子猫を交互に撫でながら、少女は苦しいような声で云った。子猫に云い聞かせているのか、貴彦に云っているのか。もしくは、そのどちらにもなのか。

「僕の家も小鳥が居るんだ」

 少女は振り向いた。しゃがみ込んだまま、貴彦を覗き込むように見詰める。黒く濡れた眸が、酷く哀しげに。まるで、自分が捨てられた生き物のように。

 この人を救わなければ。
 唐突にそんな思いが、貴彦の心を小波さざなみのように行き過ぎていく。さっきまでは、自分の方が救ってもらう事を望んでいた筈なのに。

「お腹空かせてるみたいだから、何か買ってこようか」

 少女は立ち上がった。
 気休めにしかならないが、今はそれくらいの事しか思いつかなかった。家には連れて帰ってあげられないけれど、せめて腹だけは満たしてやりたい。

 貴彦と少女は、公園の裏のコンビニで牛乳を買った。そのついでに段ボールを貰う。土の上に直で居るよりもだいぶ違う筈だ。
 買ってきた牛乳を、これも適当に貰ってきたブラスチックの器に注いで子猫の前に置く。
 けれど子猫たちはか細い声で鳴くばかりで、牛乳を飲もうともしない。子猫の扱い方など知らない二人は、ただ困り果てるだけでどうしたらいいのか判らなかった。

 子猫のうちは腹を壊してしまうので、牛乳を与えてはいけないのだそうだ。のちに貴彦はその事を知った。本当は子猫用のミルクをスポイトなどで与えるべきだったのだろう。
 
 困り果てるうちに陽はすっかり暮れ、二人は仕方なく子猫を段ボールに入れてやり、帰宅する事にした。
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