きっと貴女は、僕のものにはならない

遠堂瑠璃

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4. 独占欲

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 決して捕まえられない、貴女の心を追いかける。
 けどどんなに追いかけても、貴女の居る場所には辿り着けない。


「私、学生時代は小説家になりたかったんだ」

 貴女は不意に、思い出したように語り出した。

「どうして諦めたの?」
 僕の声と、波の音が重なる。

「私は自分の描きたい事しか紡げない。求められる事は描けない人間だって気づいたから。それからずっと、読む側の人間」

 語尾にわざとおどけた感じを含ませ、貴女が云う。

「どんな物語書いてたの?」
「色々。恋愛からSF、ファンタジーめいたものも書いた」

「読んでみたい」
「絶対ダメ!」
 
 貴女が子供みたいに舌を出す。とんびの鳴き声が、真上から降り注ぐ。

「中学生からの夢だったから、その夢を手離してすぐはちょっと空っぽになって、けど今はその空っぽだった部分を埋めるのもだいぶ上手になって……そんな風に生きてる感じ」

 空っぽだった部分。貴女は過去系で云ったけど、その部分は今でも完全には埋まっていないのだと僕は気づいた。何故なのか、そう感じた。

「大人になると、不器用だった事も段々と上手くできるようになる。けど同時に、ちょっとずつ何かを失っていくんだと思う」

 海から流れてくる風が、潮の匂いを含ませゆっくり通り過ぎていく。
 僕は、綺麗な形をした貴女の横顔を見詰める。

「私にとって物語を、文章を描く事は、自身の心の保管でもあった」
「保管?」

「そう。その方法が日記じゃなくて、物語だっただけ」

 貴女の横顔が、緩やかにたゆむ。

「ますます読んでみたくなった」
「だからダメなんでしょ!」

 貴女が19歳の頃に紡いだ物語を読んでみたい。そこに、19歳だった頃の貴女が居るのなら。
 僕と同じ歳の貴女に会ってみたい。心を辿ってみたい。
 19歳の頃の貴女になら、僕は追いつく事ができただろうか。
 二人を隔てる時間は、何も教えてはくれないけれど。


「ねえ、砂浜の方へ行こう」

 貴女は云って、岩場から腰を上げた。僕も立ち上がると、貴女に続き砂の上を歩き出す。
 砂に足を呑まれながら、貴女と並んで誰も居ない浜辺を歩いた。踏み締める砂の感触。繰り返す波の音が、僕たちを遠い場所へいざなっていくような錯覚を覚えた。
 日常とは違う何処かへ。もう戻れない何処かへ。

 ねえ、二人で行ってしまおうよ。
 僕は貴女の手を握る。貴女の指が、それに応じる。

 ここが、世界の果てだったらいい。誰も辿り着けない場所だったらいい。
 貴女と二人だけ。他の何も、誰も要らない。
 貴女だけ居ればいい。貴女だけに居て欲しい。
 何も要らない。何も要らないから。
 
 貴女だけが欲しい。貴女の全てが欲しい。
 誰にも渡したくない。誰かの元になんて帰したくない。

 ここに居て欲しい。ずっと、ずっと……。
 他には何も欲張らないから、貴女だけが傍に居ればいい。

 僕の隣で笑って。僕だけに笑いかけて。
 貴女を独り占めにしたい。
 貴女を僕のものにしてしまいたい。
 貴女の肌に触れたい。貴女の重みを、僕の全身で感じたい。

 胸の鼓動が、僕を内側から壊していく。
 貴女の体温を想像して、僕の中心が熱くなる。

 気が触れるとしたら、貴女のせいだよ。

 貴女は、優しくて意地悪だ。
 僕の欲望にきっと気づいている筈なのに、決して隙を与えようとしない。いつもいつも、差し障りのない会話、綺麗な笑顔で交わしていく。

 貴女は成人で、僕がまだ未成年だから?
 貴女が既婚者で、僕が大学生だから?
 関係を持つ事は、世間一般ではタブーだから?

 貴女が僕のものになるのなら、そんな罪くらい構わない。
 貴女は僕よりも、今の生活の方が大切なの?
 僕とこの先へ進んで、今手の中にあるものを失うのか恐いの?

 ならどうして、図書館以外の場所で会おうと云った、僕の最初の誘いに応じたの?
 繋いだ僕の手を拒まないの?
 僕を本気にさせたの?

 僕は、もう戻れないよ……。


 貴女は急に立ち止まって、繋いだ僕の手を引いた。
 僕は驚いて貴女を見る。

「これ以上先へ行ったら、戻れなくなる」

 心を見透かしたような貴女の言葉に、僕は動揺した。そしてすぐに、それが物理的な距離の事だと理解する。
 僕は動揺を悟られないように、強張った頬を弛めて笑った。

「なら、もうしばらくここに居よう」

 上着を脱いで砂浜に敷き、その上に座るように貴女を促す。貴女は上着が汚れるのを気にして遠慮したけど、僕が先に腰を下ろすと観念したように
「全く」
と呟いて隣に座った。

 鳶が二羽、風を切り僕たちの上空を旋回していた。
 波の音と、鳶の高い鳴き声。そして潮の匂い。風が運んでくるものは、それだけ。
 そして、貴女と僕が居る。
 そこに、余計なものは何もない。

 この時間を、永遠に繰り返しても構わない。
 そんな事を不意に思う。
 こんな気持ちを他人に告げれば、お前は馬鹿だと笑う奴も居るだろう。そして僕は、その笑う他人を憐れみながら見詰めるだろう。

 誰かを心底想い、恋をした事のある人間ならば、僕の事を笑ったりはしない。 

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