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9.脈拍と、誘惑と……

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 少し客で混み始めた酒場『ファザリオン』を出て、俺とラオンは夜の街を並んで歩いた。

 ファザリオンのマスターお手製の夕飯を平らげたラオンは、ご満悦気味に浮かれ調子で、ステップを踏むように足を進めている。
 ジュピターの人間は、とんでもなく辛い味を好むらしい。ラオンのご機嫌度合いから、マスターの味付けが満点だった事が伺える。ジュピターの姫君の舌まで満足させちまうんだから、ほんとすげえ。さすがは、多種多様な人種の行き交うここマーズで店を構えてうん十年のマスターだよな。

 陽があるうちは賑やかな商店だらけの街も、夜になると全く違う顔を見せる。軒並み連ねる商店はシャッターが降ろされて、人の声ひとつ聞こえない。
 道の端に点々と灯された街灯だけが、俺とラオンの影を長く照らし出していた。歩くラオンと俺の影が、街灯の具合でたまに重なったり、交差したりする。それが何だか、こそばゆくもあり、もどかしくもあり……。

 誰も居ない、夜の街を二人っきりで歩く。
 なんか、こういうのって、いいよな……。

「やっぱり街の中だと、星があんまり見えないね」

 ラオンは夜空を見上げながら、スキップするように俺の前を進んだ。
 後ろに結んだワインレッドの長い髪が、ラオンの動きに合わせて揺れていた。半袖の服から伸びた腕の形が綺麗で、俺の眼は必然的に釘付けになっていた。

 柔らかなラインを描く後ろ姿とか。
 本能的な感じで、完全に意識を持っていかれていた。

 また、俺の心臓が騒がしくなっていく。

 やべえ……、惹き込まれてく……。


「ソモルの家、こっち真っ直ぐだよね?」

 不意に振り返ったラオンの眼と、俺の眼が宙でぶつかった。
 ほんのちょっとのやましさもあったせいで、俺は慌てて眼を逸らす。

「あっ、ああ。街抜けるまで、真っ直ぐな」

 取り繕うように、応える。一気上がった熱のせいで、顔や頭から汗が吹き出した。
 せっかくシャワー浴びたのに、今夜はすでに汗まみれだ。まあ、最高に嬉しいイレギュラーのせいなら、それも全然構わなねえんだけど。

「ソモルの家からなら、あんなにたくさん星が見えるのにね」

 ラオンは云いながら、もう一度視線を空に向けた。

 俺の棲む小屋は、街から少し行った小高い丘の上にある。
 ターサが世話になってるとこのじいさんが、昔何かの作業に使ってた小屋を俺に貸してくれた。この街に来てから、俺はずっと一人でその小屋に暮らしている。
 街みたいに光がたくさんないから、良く星が見える。

 一年半前、俺とラオンはその丘の上から星を見上げて、そして色んな事を話した。

 ラオン、あん時の事、覚えてくれてんだな。
 そう思うと、なんか胸ん中があったかくなる。

 俺にとって、ほんとに大切な大切な記憶。
 できればラオンにとっても、そうであって欲しい……なんて思う。

 俺、欲張りだ。会えただけでも、すんげぇ嬉しい筈なのにな。

 俺はもう一度、ラオンの後ろ姿を見詰めた。
 俺の記憶の中よりも、成長した綺麗な形。視線で、それを必死に追いかけた。
 くっきりと、その形を焼きつけるように。

 記憶の中の、あの頃のラオンの形に重ね合わせて、そして上塗りする。
 今のラオンを。
 俺のすぐ傍に居る、今の現実のラオンを。

 夢みたいだってのは、きっとこういう事を云うんだろうな。


 感情が高ぶっていた。信じられないくらいに、ドキドキしてた。
 こんな変な感覚、初めてだった。おかしなくらい、俺じゃない感じ……。

 どうすりゃいいのか、判んねえ……。

 強く、強く……、ラオンに触れたいと思った。

 今すぐにでも、後ろから捕まえたい。
 捕まえて……。

 けど、そんな事したら、絶対ブレーキ効かなくなる。
 要らねえ事まで、きっと云っちまう。

 云っちまったら、どうなるんだ……?


 俺は、ぐっと息を呑んで、気持ちを抑えつけた。

 俺とラオンの今の感じが、壊れちまうのが、酷く怖かった。
 だから、これ以上、動けねえ……。


「家に着いたら、また一緒に星、見ようね」


 くるりと振り返ったラオンが、無邪気に笑いながら云った。


 たまんねえな、全く……。

 俺の欲望は、おとなしく舌を巻くしかなかった。


 手なんて、出せるわけねえじゃん。
 だってさ、ラオンにとって俺は、

『大切な友達』なんだから……。



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