1 / 1
Chapter 1「アンダースカイ」
Prologue「麗」
しおりを挟む
「未確認の反現実性生物反応を察知! 排除に向かうね!」
およそ人間とは思えない、常人離れした速度で夜の住宅街を駆ける少女が一人。
『データ更新したで。そいつは――レベル3の反現実や! くれぐれも先走らんで――』
随時通信を行っている、それ。裏世界と現実を繋いでくれるその機械は、すっぽりと耳に収まって情報を共有する。
耳を抑える少女。
情報を得た彼女は仲間の注意も問わず、勇ましく笑って。
「Verstanden――理解したわ。つまり雑魚ってことね!」
月明かりに照らされた両の拳が、激しく衝突した。
◇
「はあっ、はあっ、はあっ、はっ!」
真冬の真夜中を、僕は走った。
心臓が高鳴って、耳が赤く凍えて、汗が吹き出す。
それでも僕は、永遠とも思える夜を駆けた。
こんなにも必死になって走るのは、すぐ背後にまで迫ってきているそれが原因だった。
その女を見たまんまに言うならば、全長3メートルをゆうに超えた、全裸で四足歩行の変態女。
「貴女、綺レイ!」
おぞましく、それでいて美しい、女の声が僕を讃える。
「綺レイ! 美レイ! 端レイ!」
お洒落した洋服を穴だらけにしながら路地を抜けるも、どうやってか大女は僕の背後から離れてくれない。
服はボロボロ、汗と涙と鼻水でメイクもぐちゃぐちゃ。
人生最悪の気分。
「はあっ、はあっ!」
「艶レイ! 瑰レイ! 華レイ!」
「そりゃっ、はっ、どーっ、もっ!」
この大女は何者なのか、大女が僕を襲う理由はなんなのか。何もかもが意味不明だ。
これが現実であること。それとあと一つ。僕が彼女に捕まれば、間違いなくただじゃ済まないだろう、ということだけは明白だけどね。
だから僕は逃げて逃げて逃げ続けた!
「貴女ノ顔、欲シイ! 私ガ貴女ニ、ナルノ! ネエ! オ顔、頂戴!」
こんなところで、わけもわからず死んでたまるものか!
「嫌にっ! 決まってっ! んっ! だろっ!」
「何デ! 何デ? 何デ!?」
「変態女にっ! 顔やるやつなんかっ! いねえっ!」
「ナァァァアアンンンンンデェェェエエ!」
「ぶべ!」
狂気で塗れた大女が、ひときわ激しく叫んだ。
その瞬間、僕はコケた。
じわりじわりと足が熱くなっていくのを感じる。
足を見ると――いや、足なんて無かった。
足が、千切れて、遠くの宙に浮かんでいくのが見えた。
そこでようやく、あの大女に足をふっ飛ばされたんだと気付く。
「私ノ! 私ノ! 顔!」
大女が、太く長い、まるで一本の木のような腕を顔目掛けて伸ばしてくる。
僕はぎゅっと目を瞑った。
(もう駄目……死ぬ!)
お洒落が好きだった。
お出掛けが好きだった。
今日は母さんが居なかったから、隠していたバイト代を持って、隠していた洋服を着て、隠していたメイク道具でお洒落して!
やっと、やっと! 普通の男の子みたいに空の下を歩けたんだ! 母さんの支配から抜け出せたんだ!
どこまでも青く晴れ渡った空が、まるで宝石みたいに輝いて見えたのに!
こんなクソみたいな展開で、わけが分からないまま、クソみたいに死ぬなんて!
そんなの絶対に嫌だ! 嫌すぎる!
「イイ加減、ソノ顔――」
だから、死ぬまで足掻くし、死んでなんかやらないし、顔だってあげない!
勇気を拾い上げ、僕は瞼を開いた。
「――寄越セ!」
長い首を近付けて、大女の顔が迫る。
キスでもしようかという寸前、両手で精一杯に押し返してやる。
視界を埋め付くす大女の顔面は、白く、恐ろしく、哀れなほどに醜かった。
「コノ手ヲ、退ケロ!」
大女は剥き出した歯をガチガチと鳴らし、防御する僕の腕を、指先から齧っていく。
足が千切られた時の比じゃないくらいの痛みが、噛まれる毎に伝わる。
「ああぁぁぁぁぁぁああッ!」
「寄越セ寄越セ寄越セ! 頂戴頂戴頂戴!」
ガチン。
ガチン。
ガチン!
ひと噛みするごとに、指が、手が、腕が、短くなっていく。
それでもまだ、死にたくない! その一心で、耐え抜かんとする。
腕が無くなったなら、脚で。
足が無くなったなら、腰で。
腰が無くなったなら、胴で。
大女がひと噛みひと噛みするたびに、僕の体が短く小さくなっていく。
遂には血も吐けなくなった頃。
このままじゃ、僕はもう助からないと嘆く。
だが全てを察しても尚、僕は諦められないでいた。
腕も脚も、お洒落した洋服だって、何一つ残ってない。
頭と胸が辛うじて存在しているが、原型はない。
生きているのが不思議な状況で、ただひたすらに生き続けた。
「容姿端レイ、眉目秀レイ――嗚呼! 綺レイデ美シイ、私ノ顔……!」
「お、前の……顔、じゃ、ない……」
「私ノ顔、守ッテクレテ、有難ウ!」
「お前の顔じゃない! 僕のッ! 僕の顔――」
「私ノ! 顔ッテ! 言ッテルデショ!!!」
大女がその大顔に似合う大口を開けて、怒りのままに僕を飲もうと、迫る。
口内の生温かい空気が嫌と言うほど僕を覆って、いざ丸呑み――
遂に死を覚悟した。
――その瞬間だった。声が聞こえたのは。
大女ほど恐ろしくなく、僕ほど低くない女声。
女子って感じの高音で、誰よりも勇ましく高らかだった。
「パンツァー――」
弾けるような爆風が、頬を滑って。
「――フィストォォォオッ!!!」
何かもを飲み込んでしまいそうな轟音が、ワンテンポ遅れて夜の住宅街に轟いた。
ビリビリと鼓膜が震える。というか破れる。もはや声で大地を揺るがす勢いだ。
思わず、失いかけた意識が戻ってしまうくらい、激しい衝撃に身を包まれる。
徹頭徹尾わけのわからない夜だったけど、間違いなく今この瞬間がピークだ。
「少年! 対象は5秒前に排除した、一撃パンチでね! 3秒後に私が君を助けるまで、精一杯生きて! ガンバ! ファイト! kämpfen!」
助けが来たんだ!
僕は助かるんだ!
彼女の言葉で、溜め込んでいた不安と恐怖が胸からぐっと押し寄せてくる。
胸、半分くらい食べられちゃったけど。
もはや涙を流せるほどの気力すら残っていなかった僕は、疲労感と安心感と、その他もろもろに埋もれるように、3秒すら保たず、ぱたりと意識を失った。
およそ人間とは思えない、常人離れした速度で夜の住宅街を駆ける少女が一人。
『データ更新したで。そいつは――レベル3の反現実や! くれぐれも先走らんで――』
随時通信を行っている、それ。裏世界と現実を繋いでくれるその機械は、すっぽりと耳に収まって情報を共有する。
耳を抑える少女。
情報を得た彼女は仲間の注意も問わず、勇ましく笑って。
「Verstanden――理解したわ。つまり雑魚ってことね!」
月明かりに照らされた両の拳が、激しく衝突した。
◇
「はあっ、はあっ、はあっ、はっ!」
真冬の真夜中を、僕は走った。
心臓が高鳴って、耳が赤く凍えて、汗が吹き出す。
それでも僕は、永遠とも思える夜を駆けた。
こんなにも必死になって走るのは、すぐ背後にまで迫ってきているそれが原因だった。
その女を見たまんまに言うならば、全長3メートルをゆうに超えた、全裸で四足歩行の変態女。
「貴女、綺レイ!」
おぞましく、それでいて美しい、女の声が僕を讃える。
「綺レイ! 美レイ! 端レイ!」
お洒落した洋服を穴だらけにしながら路地を抜けるも、どうやってか大女は僕の背後から離れてくれない。
服はボロボロ、汗と涙と鼻水でメイクもぐちゃぐちゃ。
人生最悪の気分。
「はあっ、はあっ!」
「艶レイ! 瑰レイ! 華レイ!」
「そりゃっ、はっ、どーっ、もっ!」
この大女は何者なのか、大女が僕を襲う理由はなんなのか。何もかもが意味不明だ。
これが現実であること。それとあと一つ。僕が彼女に捕まれば、間違いなくただじゃ済まないだろう、ということだけは明白だけどね。
だから僕は逃げて逃げて逃げ続けた!
「貴女ノ顔、欲シイ! 私ガ貴女ニ、ナルノ! ネエ! オ顔、頂戴!」
こんなところで、わけもわからず死んでたまるものか!
「嫌にっ! 決まってっ! んっ! だろっ!」
「何デ! 何デ? 何デ!?」
「変態女にっ! 顔やるやつなんかっ! いねえっ!」
「ナァァァアアンンンンンデェェェエエ!」
「ぶべ!」
狂気で塗れた大女が、ひときわ激しく叫んだ。
その瞬間、僕はコケた。
じわりじわりと足が熱くなっていくのを感じる。
足を見ると――いや、足なんて無かった。
足が、千切れて、遠くの宙に浮かんでいくのが見えた。
そこでようやく、あの大女に足をふっ飛ばされたんだと気付く。
「私ノ! 私ノ! 顔!」
大女が、太く長い、まるで一本の木のような腕を顔目掛けて伸ばしてくる。
僕はぎゅっと目を瞑った。
(もう駄目……死ぬ!)
お洒落が好きだった。
お出掛けが好きだった。
今日は母さんが居なかったから、隠していたバイト代を持って、隠していた洋服を着て、隠していたメイク道具でお洒落して!
やっと、やっと! 普通の男の子みたいに空の下を歩けたんだ! 母さんの支配から抜け出せたんだ!
どこまでも青く晴れ渡った空が、まるで宝石みたいに輝いて見えたのに!
こんなクソみたいな展開で、わけが分からないまま、クソみたいに死ぬなんて!
そんなの絶対に嫌だ! 嫌すぎる!
「イイ加減、ソノ顔――」
だから、死ぬまで足掻くし、死んでなんかやらないし、顔だってあげない!
勇気を拾い上げ、僕は瞼を開いた。
「――寄越セ!」
長い首を近付けて、大女の顔が迫る。
キスでもしようかという寸前、両手で精一杯に押し返してやる。
視界を埋め付くす大女の顔面は、白く、恐ろしく、哀れなほどに醜かった。
「コノ手ヲ、退ケロ!」
大女は剥き出した歯をガチガチと鳴らし、防御する僕の腕を、指先から齧っていく。
足が千切られた時の比じゃないくらいの痛みが、噛まれる毎に伝わる。
「ああぁぁぁぁぁぁああッ!」
「寄越セ寄越セ寄越セ! 頂戴頂戴頂戴!」
ガチン。
ガチン。
ガチン!
ひと噛みするごとに、指が、手が、腕が、短くなっていく。
それでもまだ、死にたくない! その一心で、耐え抜かんとする。
腕が無くなったなら、脚で。
足が無くなったなら、腰で。
腰が無くなったなら、胴で。
大女がひと噛みひと噛みするたびに、僕の体が短く小さくなっていく。
遂には血も吐けなくなった頃。
このままじゃ、僕はもう助からないと嘆く。
だが全てを察しても尚、僕は諦められないでいた。
腕も脚も、お洒落した洋服だって、何一つ残ってない。
頭と胸が辛うじて存在しているが、原型はない。
生きているのが不思議な状況で、ただひたすらに生き続けた。
「容姿端レイ、眉目秀レイ――嗚呼! 綺レイデ美シイ、私ノ顔……!」
「お、前の……顔、じゃ、ない……」
「私ノ顔、守ッテクレテ、有難ウ!」
「お前の顔じゃない! 僕のッ! 僕の顔――」
「私ノ! 顔ッテ! 言ッテルデショ!!!」
大女がその大顔に似合う大口を開けて、怒りのままに僕を飲もうと、迫る。
口内の生温かい空気が嫌と言うほど僕を覆って、いざ丸呑み――
遂に死を覚悟した。
――その瞬間だった。声が聞こえたのは。
大女ほど恐ろしくなく、僕ほど低くない女声。
女子って感じの高音で、誰よりも勇ましく高らかだった。
「パンツァー――」
弾けるような爆風が、頬を滑って。
「――フィストォォォオッ!!!」
何かもを飲み込んでしまいそうな轟音が、ワンテンポ遅れて夜の住宅街に轟いた。
ビリビリと鼓膜が震える。というか破れる。もはや声で大地を揺るがす勢いだ。
思わず、失いかけた意識が戻ってしまうくらい、激しい衝撃に身を包まれる。
徹頭徹尾わけのわからない夜だったけど、間違いなく今この瞬間がピークだ。
「少年! 対象は5秒前に排除した、一撃パンチでね! 3秒後に私が君を助けるまで、精一杯生きて! ガンバ! ファイト! kämpfen!」
助けが来たんだ!
僕は助かるんだ!
彼女の言葉で、溜め込んでいた不安と恐怖が胸からぐっと押し寄せてくる。
胸、半分くらい食べられちゃったけど。
もはや涙を流せるほどの気力すら残っていなかった僕は、疲労感と安心感と、その他もろもろに埋もれるように、3秒すら保たず、ぱたりと意識を失った。
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
No One's Glory -もうひとりの物語-
はっくまん2XL
SF
異世界転生も転移もしない異世界物語……(. . `)
よろしくお願い申し上げます
男は過眠症で日々の生活に空白を持っていた。
医師の診断では、睡眠無呼吸から来る睡眠障害とのことであったが、男には疑いがあった。
男は常に、同じ世界、同じ人物の夢を見ていたのだ。それも、非常に生々しく……
手触り感すらあるその世界で、男は別人格として、「採掘師」という仕事を生業としていた。
採掘師とは、遺跡に眠るストレージから、マップや暗号鍵、設計図などの有用な情報を発掘し、マーケットに流す仕事である。
各地に点在する遺跡を巡り、時折マーケットのある都市、集落に訪れる生活の中で、時折感じる自身の中の他者の魂が幻でないと気づいた時、彼らの旅は混迷を増した……
申し訳ございませんm(_ _)m
不定期投稿になります。
本業多忙のため、しばらく連載休止します。
海を見ていたソランジュ
夢織人
SF
アンジーは火星のパラダイス・シティーが運営するエリート養成学校の生徒。修業カリキュラムの一環で地球に来ていた。その頃、太陽系の星を統治していたのは、人間ではなく、人間の知能を遙かに越えたAIアンドロイドたちだった。

【VRMMO】イースターエッグ・オンライン【RPG】
一樹
SF
ちょっと色々あって、オンラインゲームを始めることとなった主人公。
しかし、オンラインゲームのことなんてほとんど知らない主人公は、スレ立てをしてオススメのオンラインゲームを、スレ民に聞くのだった。
ゲーム初心者の活字中毒高校生が、オンラインゲームをする話です。
以前投稿した短編
【緩募】ゲーム初心者にもオススメのオンラインゲーム教えて
の連載版です。
連載するにあたり、短編は削除しました。

Night Sky
九十九光
SF
20XX年、世界人口の96%が超能力ユニゾンを持っている世界。この物語は、一人の少年が、笑顔、幸せを追求する物語。すべてのボカロPに感謝。モバスペBOOKとの二重投稿。
【本格ハードSF】人類は孤独ではなかった――タイタン探査が明らかにした新たな知性との邂逅
シャーロット
SF
土星の謎めいた衛星タイタン。その氷と液体メタンに覆われた湖の底で、独自の知性体「エリディアン」が進化を遂げていた。透き通った体を持つ彼らは、精緻な振動を通じてコミュニケーションを取り、環境を形作ることで「共鳴」という文化を育んできた。しかし、その平穏な世界に、人類の探査機が到着したことで大きな転機が訪れる。
探査機が発するリズミカルな振動はエリディアンたちの関心を引き、慎重なやり取りが始まる。これが、異なる文明同士の架け橋となる最初の一歩だった。「エンデュランスII号」の探査チームはエリディアンの振動信号を解読し、応答を送り返すことで対話を試みる。エリディアンたちは興味を抱きつつも警戒を続けながら、人類との画期的な知識交換を進める。
その後、人類は振動を光のパターンに変換できる「光の道具」をエリディアンに提供する。この装置は、彼らのコミュニケーション方法を再定義し、文化の可能性を飛躍的に拡大させるものだった。エリディアンたちはこの道具を受け入れ、新たな形でネットワークを調和させながら、光と振動の新しい次元を発見していく。
エリディアンがこうした革新を適応し、統合していく中で、人類はその変化を見守り、知識の共有がもたらす可能性の大きさに驚嘆する。同時に、彼らが自然現象を調和させる能力、たとえばタイタン地震を振動によって抑える力は、人類の理解を超えた生物学的・文化的な深みを示している。
この「ファーストコンタクト」の物語は、共存や進化、そして異なる知性体がもたらす無限の可能性を探るものだ。光と振動の共鳴が、2つの文明が未知へ挑む新たな時代の幕開けを象徴し、互いの好奇心と尊敬、希望に満ちた未来を切り開いていく。
--
プロモーション用の動画を作成しました。
オリジナルの画像をオリジナルの音楽で紹介しています。
https://www.youtube.com/watch?v=G_FW_nUXZiQ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる