#アンダースカイへようこそ

蒼乃夜空

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Chapter 1「アンダースカイ」

Prologue「麗」

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「未確認の反現実性生物バイオファンタジー反応を察知! 排除に向かうね!」

 およそ人間とは思えない、常人離れした速度で夜の住宅街を駆ける少女が一人。

『データ更新したで。そいつは――レベル3の反現実ファンタジーや! くれぐれも先走らんで――』

 随時通信を行っている、それ。裏世界アンダーグラウンド現実こちらを繋いでくれるその機械は、すっぽりと耳に収まって情報を共有する。
 耳を抑える少女。
 情報を得た彼女は仲間の注意も問わず、勇ましく笑って。

Verstandenフェアシュテーエン――理解したわ。つまり雑魚ってことね!」

 月明かりに照らされた両の拳が、激しく衝突した。







「はあっ、はあっ、はあっ、はっ!」

 真冬の真夜中を、僕は走った。
 心臓が高鳴って、耳が赤く凍えて、汗が吹き出す。
 それでも僕は、永遠とも思える夜を駆けた。

 こんなにも必死になって走るのは、すぐ背後にまで迫ってきているが原因だった。
 その女を見たまんまに言うならば、全長3メートルをゆうに超えた、全裸で四足歩行の変態女。

貴女アナタレイ!」

 おぞましく、それでいて美しい、女の声が僕を讃える。

レイ! レイ! タンレイ!」

 お洒落した洋服を穴だらけにしながら路地を抜けるも、どうやってか大女は僕の背後から離れてくれない。
 服はボロボロ、汗と涙と鼻水でメイクもぐちゃぐちゃ。
 人生最悪の気分。

「はあっ、はあっ!」

エンレイ! カイレイ! レイ!」

「そりゃっ、はっ、どーっ、もっ!」

 この大女は何者なのか、大女が僕を襲う理由はなんなのか。何もかもが意味不明だ。
 これが現実であること。それとあと一つ。僕が彼女に捕まれば、間違いなくただじゃ済まないだろう、ということだけは明白だけどね。
 だから僕は逃げて逃げて逃げ続けた!

貴女アナタカオシイ! ワタシ貴女アナタニ、ナルノ! ネエ! オカオ頂戴チョウダイ!」

 こんなところで、わけもわからず死んでたまるものか!

「嫌にっ! 決まってっ! んっ! だろっ!」

ナンデ! ナンデ? ナンデ!?」

「変態女にっ! 顔やるやつなんかっ! いねえっ!」

ナァァァアアンンンンンデェェェエエナァァァアアンンンンンデェェェエエ!」
「ぶべ!」

 狂気で塗れた大女が、ひときわ激しく叫んだ。
 その瞬間、僕はコケた。

 じわりじわりと足が熱くなっていくのを感じる。
 足を見ると――いや、足なんて無かった。
 足が、千切れて、遠くの宙に浮かんでいくのが見えた。
 そこでようやく、あの大女に足をふっ飛ばされたんだと気付く。

ワタシノ! ワタシノ! カオ!」

 大女が、太く長い、まるで一本の木のような腕を顔目掛けて伸ばしてくる。
 僕はぎゅっと目を瞑った。

(もう駄目……死ぬ!)

  


 お洒落が好きだった。
 お出掛けが好きだった。

 今日は母さんが居なかったから、隠していたバイト代を持って、隠していた洋服を着て、隠していたメイク道具でお洒落して!
 やっと、やっと! 普通の男の子みたいに空の下を歩けたんだ! 母さんの支配から抜け出せたんだ!
 どこまでも青く晴れ渡った空が、まるで宝石みたいに輝いて見えたのに!

 こんなクソみたいな展開で、わけが分からないまま、クソみたいに死ぬなんて!
 そんなの絶対に嫌だ! 嫌すぎる!

「イイ加減カゲン、ソノカオ――」

 だから、死ぬまで足掻くし、死んでなんかやらないし、顔だってあげない!
 勇気を拾い上げ、僕は瞼を開いた。

「――寄越ヨコセ!」 

 長い首を近付けて、大女の顔が迫る。
 キスでもしようかという寸前、両手で精一杯に押し返してやる。
 視界を埋め付くす大女の顔面は、白く、恐ろしく、哀れなほどに醜かった。

「コノヲ、退ケロ!」

 大女は剥き出した歯をガチガチと鳴らし、防御する僕の腕を、指先から齧っていく。
 足が千切られた時の比じゃないくらいの痛みが、噛まれる毎に伝わる。

「ああぁぁぁぁぁぁああッ!」

寄越ヨコ寄越ヨコ寄越ヨコセ! 頂戴チョウダイ頂戴チョウダイ頂戴チョウダイ!」

 ガチン。
 ガチン。
 ガチン!

 ひと噛みするごとに、指が、手が、腕が、短くなっていく。
 それでもまだ、死にたくない! その一心で、耐え抜かんとする。

 腕が無くなったなら、脚で。
 足が無くなったなら、腰で。
 腰が無くなったなら、胴で。

 大女がひと噛みひと噛みするたびに、僕の体が短く小さくなっていく。

 

 遂には血も吐けなくなった頃。
 このままじゃ、僕はもう助からないと嘆く。
 だが全てを察しても尚、僕は諦められないでいた。

 腕も脚も、お洒落した洋服だって、何一つ残ってない。
 頭と胸が辛うじて存在しているが、原型はない。
 生きているのが不思議な状況で、ただひたすらに生き続けた。
 
容姿端ヨウシタンレイ、眉目秀ビモクシュウレイ――嗚呼アア! レイデウツクシイ、ワタシカオ……!」

「お、前の……顔、じゃ、ない……」

ワタシカオマモッテクレテ、有難アリガトウ!」

「お前の顔じゃない! 僕のッ! 僕の顔――」
ワタシノ! カオッテ! ッテルデショ!!!」

 大女がその大顔に似合う大口を開けて、怒りのままに僕を飲もうと、迫る。
 口内の生温かい空気が嫌と言うほど僕を覆って、いざ丸呑み――
 遂に死を覚悟した。


――その瞬間だった。声が聞こえたのは。


 大女ほど恐ろしくなく、僕ほど低くない女声。
 女子って感じの高音で、誰よりも勇ましく高らかだった。


「パンツァー――」

  弾けるような爆風が、頬を滑って。

「――フィストォォォオッ!!!」


 何かもを飲み込んでしまいそうな轟音が、ワンテンポ遅れて夜の住宅街に轟いた。
 ビリビリと鼓膜が震える。というか破れる。もはや声で大地を揺るがす勢いだ。

 思わず、失いかけた意識が戻ってしまうくらい、激しい衝撃に身を包まれる。
 徹頭徹尾わけのわからない夜だったけど、間違いなく今この瞬間がピークだ。

「少年! 対象は5秒前に排除した、一撃パンチでね! 3秒後に私が君を助けるまで、精一杯生きて! ガンバ! ファイト! kämpfenケンプフェン!」

 助けが来たんだ! 
 僕は助かるんだ!

 彼女の言葉で、溜め込んでいた不安と恐怖が胸からぐっと押し寄せてくる。
 胸、半分くらい食べられちゃったけど。


 もはや涙を流せるほどの気力すら残っていなかった僕は、疲労感と安心感と、その他もろもろに埋もれるように、3秒すら保たず、ぱたりと意識を失った。
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