おいしいふたり暮らし 今日もかたよりご飯をいただきます

小谷杏子

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番外編:しっとり甘々ハロウィン・ナイト

番外編:しっとり甘々ハロウィン・ナイト

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 画面の中で、頼子よりこが手を合わせて『ごちそうさまでした!』と言った。相変わらず音は拾えていないが、口の動きだけですぐに読み取れる。
 今日の昼食はシリアル。牛乳が嫌いなくせに、コーヒーと混ぜたら飲めるというこれまた謎満載の偏り具合であり、シリアルもコーヒー牛乳でなら食べられるらしい。初めてそれを見た時は衝撃的だった──という話はさておき。
 僕はカメラアプリを切ろうと画面に指を触れた。その時だった。頼子が画面に近づき、話しかけてきた。
「え? なんて?」
 思わず返事をしてしまう。ここが会社だったということにすぐ気が付き、咳払いでごまかした。
 頼子はしばらくパクパクと口を動かし、何が面白かったのか噴き出して笑い、スマートフォンを手にしてメッセージを打ち込もうとしている。「そっか、聞こえないんだった」とかなんとか言ってケラケラ笑っているのだろう。
 僕はその様子をしばらく眺めた。画面の上部に頼子からのメッセージを知らせる通知が出てくる。トークアプリの画面に切り替え、メッセージを読んだ。
【子どもたちと一緒に作れる簡単なお菓子、教えてー!】
 お菓子? どうしてまた急に。昨日の夜、そんな話をした覚えがないし、子どもたちと触れ合う機会なんてめったにない。しかも誰の子どもなんだよ。
 頼子の交友関係をいろいろ探ってみるも、いくつもの顔が浮かぶので見当がつかなかった。とにかく、話を聞いてみる。
 頼子の返事を待ちながら急いで野菜スープを飲んだ。
倉橋くらはしちゃん家にお呼ばれしたの。でね、ハロウィンパーティーしよっかーって話になって】
 なるほど。僕は合点しながらスープを飲み干した。
 確かに、十月のこの時期は世間がハロウィン仕様となっており、うちの会社のカフェもかぼちゃを使ったメニューを置いている。
 しばらく、僕らは無言のやり取りをした。一時間しかない昼休みが、頼子との会話で終了してしまった。昼寝したかったのに。でもまぁ、彼女に頼られて嬉しい。
 昼休みが終了しても一歩も動かず、そのまま業務に戻るも頭の中はお菓子のことでいっぱいだ。手持ちの仕事がひとつ終わるたびにお菓子のレシピを考えている。
「お菓子かぁ……」
 腕を組んで考える。日頃、朝食にパンケーキやホットケーキを焼くことはあるけど、お菓子作りをしようとは思うことがない。主に夕飯担当なので、お菓子を作る機会がないのだ。
 でも、専門学校に通ってた頃はよく作っていた。それこそ友達とハロウィンやクリスマスパーティーする時はお菓子を持ち寄るのが定番で、みんなオリジナリティにこだわりすぎてひねくれたものを生み出していたのを思い出す。最終的に、ロシアンルーレット的なケーキだのパイだの、絶対に混ぜてはいけない組み合わせの甘いのか辛いのかよくわからないピザを作っていたので、おいしい記憶というより悲惨な記憶になりつつある。とてもじゃないが、子どもと一緒に作る代物ではない。僕は天井を見上げて唸った。
「うーん」
「仕事、詰まってるんですかー?」
 横から湯崎ゆざきさんが、のっそりと訊いてきた。
「いや、仕事じゃないんです」
「仕事じゃない? 仕事してくださいよ。何やってんですか、暇なんですか?」
 鋭いツッコミが3コンボ。僕は組んでいた腕を解いた。
「すみません……ちょっと、頼子から頼まれたので」
「頼まれごと? お菓子の?」
 湯崎さんは首をかしげた。珍しく、その目に動揺が走る。
「ただのプライベートな話です」
「なんだ。びっくりした。無意識に依頼してたかと思った」
 大方、頼子に何か依頼しただろうかと思ったんだろう。
 湯崎さんは、この味陽あじようフードが抱える顧客(主にマネジメント契約している飲食店)のPRを頼子に依頼している。その場合、律儀に僕へ「依頼してもいいですかね」と訊いてくる。そんな感じで、今は頼子との話を共有し合える奇妙な関係になっていた。
「なんか、お菓子を作りたいそうで。簡単なレシピを教えてほしいと」
「簡単なお菓子のレシピ……ふうん……」
 何やら神妙に唸る湯崎さんの目元を見ると、かなり濃いクマができていた。今、彼は会社の一大イベントである年に一度の「味の祭典、あじよう祭り」に出すための新事業計画案を作っていた。「あじよう祭り」とは、各部署が企画や新メニュー開発など得意分野を生かしたコンペのようなもので、うちの部署も全員が企画書を提出し、湯崎さんの案が採用されたところだった。彼を中心に動かすので、チームリーダーになった湯崎さんはかなり疲れていた。のんきな僕はたちまち申し訳なくなる。
「いいですよ。気晴らしに、なんか考えよう」
 湯崎さんが聞く体勢になる。いっときでもいいから仕事から離れたい──そんな感情が顔に出ている。僕は苦笑しながら切り出した。
「小さな子どもたちと一緒に作って楽しいお菓子ってなんだと思います?」
「子どもたち……」
 僕の質問に、湯崎さんはキョトンと目を丸くした。そして、眉をひそめ、ぎこちなく言った。
「えっと……あれ? 真殿まどのさん、いつの間に子どもできたんですか」
「湯崎さん、疲れすぎですよ。僕には子どもはいませんし、まだ結婚してませんし、話を飛躍させないでください」
 冗談なのか本気なのかイマイチよく分からないノリなので、僕も真剣にツッコミを入れた。
「あぁ、なんだ。まだだったか」
 どうやら真剣な疑問だったらしい。やっぱり疲れてるんだろうな……あくびしてるし。
 咳払いして話を元に戻す。
「僕の同級生、あのダイコクで働いてる人がいて、そこの子どもたちと一緒に土曜日、ハロウィンパーティーをするらしいんです。それで、お菓子を作りたいと」
「そんなのネットで調べりゃ一発じゃないですか」
 湯崎さんの冷めた声に、僕は苦笑いした。身も蓋もないことを言わないでほしい。
「うーん。ハロウィンねぇ……だったら、もう食紅でエグい色にしてしまえばいいじゃん……子どもも好きでしょ、そういうの。知らんけど」
「まぁ、そうなんですけどねぇ……小さい子が簡単に作れて楽しめるもの、なんかいいものないですか」
「ちなみに、真殿さんはどんなのがいいと?」
 湯崎さんが訊く。僕は腕を組み直し「うーん」と天井を仰いだ。
「今、パッと思いつくのはドーナツですね……ほら、駅前のドーナツショップがハロウィンのデコレーションしてるから……ああいう感じかなぁって。大人がドーナツ揚げて、それにデコレーションすれば楽しそう」
垣内かきうちさんたちはドーナツ揚げられんの?」
「………」
 鋭い指摘に、僕はすぐ言葉に詰まった。倉橋さんもそうだが、頼子がドーナツを揚げる様子が想像つかない……いや、出来ると思うよ。やればなんでも出来る人だから。やる気さえあればね。
 でも、パニックに陥るキッチンを想像すると、眉間にシワが寄った。そんな僕に対し、湯崎さんは「まぁまぁ」と慰めた。
「デコレーションはいい線いってると思います。俺もそう考えるし。でも、子どもがいるんでしょ。ただでさえ手がかかるのに足元うろちょろしてる中で揚げ物は無理だと思う」
「確かに……おっしゃるとおり……」
 僕は肩を落とした。言われてみれば危険だと思う。
「とりあえず、デコレーションの方向で固めましょーよ」
 そう言って、湯崎さんはパソコンに向かった。覗き見ると、白紙の提案書に「ハロウィンお菓子」と文字を打ち込んでいる。思ったより真面目なプロジェクトになってきた。単純に現実逃避しているだけではあるんだけど、仕事じゃないものの方がかえって捗るものだ。
 しばらくふたりでコソコソと意見を言い合う。
「湯崎さんは何がいいと思います?」
「うーん……まぁ、ケーキ系ですかねぇ。パイも冷凍のを使えば包むだけでいいし……色で言えば、オレンジとか紫か」
「じゃあ、無難にかぼちゃとさつまいも使います? タルトも良さそう。ほら、市販のタルト生地使えばデコレーションするだけだし」
「うーん。でも、無難すぎてつまらないっす。食紅使いましょ、食紅。こいつを活かす何かがないかなー」
 僕の意見を一蹴する湯崎さんは、提案書に「食紅」と入力した。
「カラフルだし派手だし、あれ、色を混ぜたらすげー楽しいと思う。絵の具みたいで」
 そう言って、彼はインターネットをつないだ。食紅で検索する。すぐに通販ページに食用色素の粉末タイプと液体タイプの写真が躍り出る。また、派手で精巧なアイシングクッキーの画像も出てくる。本当に絵の具みたいに色を作り出せる。外国のお菓子みたいな強いビビッドカラーに仕上げられそうだ。
「じゃあ、食紅でデコレーション作りますか。ベースはホワイトチョコにします? それともゼリー系?」
 訊いてみると、湯崎さんは「ふっ」と企みの笑みを浮かべた。
「いいっすねぇ。ホワイトチョコに赤混ぜよう。血みどろのシフォンケーキとか、目玉っぽいタルト作ろう」
「それ、大丈夫ですか!? 相手は子どもですよ! トラウマになりませんか!?」
 声を潜めつつ思わず口調を強めると、湯崎さんは「えー」とつまんなそうな顔になった。
「ダメっすかねぇ」
「ダメです。先輩、わざと言ってますよね」
 そう言ってみると、湯崎さんはますます不満そうな顔をした。
「その『先輩』っての、やめてっていつも言ってるのに……」
 僕も最近は、湯崎さんを茶化すくらいの余裕がある。たまにわざと「先輩」と言うと、彼はものすごく嫌がる。それが意外と楽しいので、僕はしつこく「先輩」と呼ぶ。
「とにかく、もっとかわいい方向にしましょう。上は男の子だけど、下の子は女の子だから。まだ三歳くらいですし」
「えー、男ならやっぱり血みどろのやつがいいって……ほら、ゾンビっぽい色にしましょーよ。ゾンビがいい。ゾンビ」
 なんなんだろう……病んでるのかもしれない。しっかり寝て休んでほしい。こんなところでストレス発散しないでくれ。
 僕は湯崎さんのパソコンに「かわいい」と入れるようにしつこく迫った。すると、湯崎さんは渋々ながらも「かわいい」と入力する。
「かわいいやつねぇ……だったらもう、おばけモチーフ……この前、料理教室で蒸しパン作ってたな……ハロウィンモチーフのやつ」
 唐突に色々と呟く湯崎さん。僕も先日の仕事を思い出した。あれは、事業の一環である料理教室の手伝いに行った時のことで、料理教室の先生が子どもと一緒に作る蒸しパンを教えていた。
「でも、蒸しパンじゃ、いつ食紅を使うんですか? 生地に混ぜるんですか?」
「うーん、インパクトねぇな。やっぱドロドロにしたい……ケーキ……最近、動画で見たやつ……切ったらお菓子がザクザク出てくるやつ」
 名前が思いだせないのか、湯崎さんはしきりに「なんだっけな」と繰り返した。僕も一緒になって考える。仕掛けがあるケーキだ。かくれんぼ、じゃなくて……
「ギミックケーキ?」
「そう! ギミックケーキ!」
 湯崎さんの目に活力がみなぎる。そんな彼には申し訳ないが、僕は苦笑いしながら言った。
「ドーナツ揚げるのも心配な人たちに教えるのは大変ですよ」
「……あぁ、うん。そうかも」
 すぐさま瞳から輝きが失われていった。それを僕は切なく見つめる。どうにも考えがいろんな方向へ散ってしまってまとまらない。また、僕らは仕事抜きでレシピを考えると凝ってしまう傾向にある。
「ねぇ、さっきから聞いてたけどさぁ」
 唐突に後ろから安原さんの呆れた声がし、僕らは同時に振り返った。今日はオフィスで引きこもっているから、ほぼすっぴんに近いメイクで、前髪をちょんまげみたいに結んでいる。
「子ども相手にギミックケーキだの、トラウマ植え付けるお菓子だの、食紅だの、何をグダグダ言ってるのよ、あんたたちは。もうちょっとシンプルに考えたら?」
「じゃあ、安原さんはどんなのがいいんですか」
 湯崎さんがムッとして言い返す。すると、彼女はため息をついた。ややあって、答えを紡ぎ出す。
「チョコレート使おうよ。固めるだけでいいし、さっき言ってた食紅も使ってさ。アラザンとかトッピングシュガーを大量にぶち込もうよ。子どもの夢じゃない、あの銀色の丸いやつ、みんな好きでしょ」
 その助言に、僕と湯崎さんは揃って「あぁ~」と納得した。
「さすが女子」
「さすが女子ですね」
「何よ、その雑な褒め方」
 僕らの失礼な褒めように、安原さんは笑いのツボにはまったらしく噴き出した。その声が思ったよりも響いてしまい、彼女はすぐに口をつぐんだ。すかさず、戸高部長ののんびりとした高い声が降り注ぐ。
「ねぇ、みんな、仕事してるのー?」
 絶対にこちらの様子が見えているのに、パソコンの裏から顔を出さずに訊いてくる。全員が顔を見合わせ、すぐさま自分のデスクへ戻っていき、ハロウィン企画チームはあえなく解散となった。
 結局、答えは出ていないが、ヒントはたくさんもらった。これを元に考えてみればいいんだ。
 チョコレート……確かに、固めるだけだから簡単。でも食感も楽しいものがいい。アラザンやトッピングシュガーは、アイシングクッキーでも使われるし、色とりどりで華やかだ。でも、頼子は絵が苦手だ。それこそ、湯崎さんが期待するゾンビが出来上がり、子どもたちにトラウマを植え付けかねない。血とか目玉も却下だ。僕が子どもの立場だったら泣く。
 ハロウィンと言えば、おばけとかぼちゃ、あとはクモ、コウモリかなぁ……黒いイメージだな。チョコレートを型抜きして、ハロウィンモチーフのお菓子にするか? シンプルに考えるならそうかなぁ。ギミックケーキ、クッキー、ザクザク。ザクザク……
「──あぁ!」
 僕は思わず椅子から立ち上がった。湯崎さんと安原さん、戸高部長が一斉に顔を上げる。ピリッと鎮まっていた空気がたちまち緩んでいった。
「んもう! 今度は何?」
 戸高部長の困惑の声。僕は「すみません」と慌てて平謝りした。そして、怪訝そうなふたりに目配せした。
 ありがとうございます。おかげで面白いものを思いつきました。そんな意味を込めるも、伝わったどうか分からなかった。
 とりあえず、仕事を片付けながらレシピを考えよう。

 ***

 土曜日は僕が休みじゃないので、頼子はひとりで意気揚々と倉橋家へ出かけていった。僕が教えたハロウィンスイーツのレシピを携えて。
 パーティーはお昼に開き、お菓子を作りながらつまんで食べる。ハロウィンの趣旨からかなりズレているし、なんならただのお菓子パーティーだし、仮装もしないし、いろいろとツッコミどころはあるのだが。
 僕は久しぶりにデスクでひとり飯だった。頼子が家をあけている時は、モニターをつける意味がないし、ジンジャーを見ながら食べるのもいいけど、ちょうどよくカメラの前にジンジャーがいるはずもないので無意味だ。
 ひとり寂しくかぼちゃのそぼろ煮を食べる。秋はやっぱり、かぼちゃがうまい。ほこほこのかぼちゃを昨夜食べたが、冷めたかぼちゃはより味がしっかり沁みてていい。翌日の弁当に最適なおかずだった。
 このかぼちゃ、まだ残ってるから、夕飯でかぼちゃのミートパイにアレンジしてみようかな。ハロウィンだし。それなら、ワインも買っていこう。赤がいいなーなんて考えながら、今日の業務もスムーズに終わらせ、定時退社する。
 湯崎さんも帰り支度をしていたので、なんとなく安心する。
「お疲れさまでした。今日は早く帰れそうですね」
 声をかけてみると、彼は「うん」と機嫌よく頷いた。
「ようやくまとまりましたからねー。やっぱ食紅使って正解だった。おかげで仕事が片付きましてね」
「食紅……」
 先日、やけに食紅を推していたのは自分の仕事が行き詰まっていたからなのか。湯崎さんは涼しい顔をしていた。
「やっぱり雑談からひらめくもんがありますね。企画通ったんで、月曜から忙しくなりますよ。じゃ、おつかれっしたー」
 そう言って彼はさっさと部署を出ていった。僕もその後ろを追いかけたが、彼の姿はすでになかった。相変わらず退社する時だけは人一倍素早い。

 ***

 月曜から忙しくなるという嫌な予言をされても、僕は楽観的に考えていた。どういう役目を負わされるのか不安はあるも、まぁなんとかなるだろう。考えるのは月曜からでいい。
 とにかく今日はハロウィンだ。夕飯のことを考えながら買い物を済ませて帰宅する。
「あ、おかえりぃー」
 頼子がソファでくつろいで待っていた。
「ただいま。ハロウィン、どうだった?」
 さっそく訊くと、頼子は親指を突き上げて笑った。
「すごく楽しかったー! もうね、じゅんくんとみっこちゃんが可愛くて可愛くて」
 ひっきりなしに喋る頼子。彼女の言葉から、僕もハロウィンパーティーの様子を想像する。なんだかそれだけでほっこりした。
「そっかぁ。楽しかったなら良かった」
「うん。修くんのレシピ、助かったよ。シリアルチョコレートバー、おいしかった。本当にありがとね」
 そう言って、頼子は両腕を広げて構えた。
「おいでー」
 大型犬を呼ぶように満面の笑みで言う頼子。僕は素直にその中へ飛び込むことにした。荷物を置いて、ジャケットのまま頼子の前に座ると抱きしめられた。
しゅうくん、今日もお疲れ様でした」
「うん、ありがとう……なんか、今日はすごく優しい……子どもたちに癒やしてもらったから?」
 深緑のニットからチョコレートの甘いにおいがする。
「そうだねー。可愛かったもん。みっこちゃんがね『よりこちゃん好きー!』って言ってくれるの。もう、ほんと可愛いよねぇ。ぎゅーってしてくれるから、私もぎゅーってしたくなる」
 頼子は僕をきつく絞めながら言った。首が、首が締まる……
 ギブアップを示そうと頼子の腕をペチペチ叩くと、頼子はようやく力を緩めてくれた。また絞められたら怖いので、すぐに離れる。
 それからも頼子はハロウィンパーティーの話をしていた。キッチンで夕飯を作っている最中も話が止まらない。どうやら、純希じゅんきくんと美衣胡みいこちゃんはシリアルチョコレートバーを気に入ってくれたようで、今回一番自信があったシリアルのザクザク感はかなりウケが良かったという。
 シリアルとくるみ、ナッツ、ドライフルーツを砕き、チョコレートで固めて、その上からまた食紅でカラフルなチョコレートをお好みでかける。ディップにしてもいい。アラザンやトッピングシュガーも好評で、純希くんはいっぱい使いすぎて倉橋ママに怒られたり、美衣胡ちゃんはチョコレートをつまみ食いしたり、ハプニングはあったものの楽しくお菓子を作って食べたそうだ。
「あとは食紅ね。あれが良かったのよ」
 頼子は撮った写真を見せてきた。
 オレンジ、緑、紫、青、赤、ショッキングピンクなどなど、ハロウィンらしく奇抜で彩度の高いチョコレートバーが並んでいる。バーは百円ショップで購入したシリコンの型を使って作っている。美衣胡ちゃんはクッキーのくまさん型がお気に入りだったようで、チョコレートバーというよりくまさんチョコになっていた。そう考えると、クッキーの型抜きでチョコを固めるのも楽しくていいな。
 僕は写真を見ながら、同僚たちの顔を思い浮かべた。今度、ふたりにお礼をしよう。
「ねー、かわいくできたでしょ」
「うん。やっぱりかわいい路線で良かったね」
「そうよ! 湯崎さんの案じゃトラウマものよ! そりゃあ、修くんの意見が正しかったよ!」
 あの即興企画のくだりもすでに話してある。それを思い出したのか、頼子は愉快そうに大爆笑した。
 僕は冷凍パイシートでかぼちゃのそぼろ煮を包み、オーブンで焼く。その間に他のおかずを作ってしまう。ちょっと手が空いたから、なんとなく冷蔵庫を見ていると、ラッピング用のビニール袋に包まれたチョコレートバーに目が留まった。
「あ、それね、あたしから修くんに」
 僕が見ているものをダイニングから察知した頼子が言う。不器用だけど可愛いオレンジと緑のチョコレートバーが全部で四本。
「おいしそうだなぁ。じゃあ、夕飯と一緒にいただくよ」
 そう言っているうちに、オーブンが「調理完了しました」と教えてくれた。

 赤ワイン、かぼちゃのミートパイ、ペンネとトマトのスープ、エビとレッドオニオンのマリネ、シリアルチョコレートバーを夕飯のテーブルに並べると、頼子は目を輝かせた。
「もしかしてこれ、ハロウィンディナー?」
「うん。かぼちゃのミートパイ、絶対作ろうと思ってたんだ。昨日作ったものをリメイクした感じだけど」
「全然いいよー! むしろ、リメイク万歳だよー! これ、絶対おいしいよ!」
 食べる前なのにこのはしゃぎっぷりである。僕は得意になり、照れくさく笑いながらテーブルについた。頼子もテーブルにつき、メガネを外して準備万端。ふたりで声をそろえて「いただきます」と手を合わせ、ふたり同時にミートパイへ手を伸ばした。
 今回は皿にパイを詰めるのではなく、パイシートで一枚ずつ包むようにしている。食べやすい大きさに切ると、中から大ぶりなかぼちゃとそぼろがごろっと出てきた。
 頼子もパイを切り分け、フォークを突き刺してパクっと一口食べる。瞬間、頼子の口が「ほわぁぁぁ」ととろけるように震えた。
「ほくほくしてておいしい~! パイがサクサクしてておいしい~! かぼちゃが甘い! 全部合う!」
「ほんと? 良かった。ペンネとトマトのスープも熱いうちに飲んで」
「待って待って、先にこのかぼちゃ食べちゃいたい」
 頼子はもごもごしながら、かぼちゃのミートパイを堪能した。僕も一口食べる。パイ生地がサクサクで、かぼちゃの甘さとしっかりと弾力のあるそぼろが本当に合う。パイ生地、いいなぁ。クリスマスにも使えそう。冷凍パイシート、常備しておきたい。
 湯崎さんの言う通り、雑談からひらめくものが良い方向に化けるのだと改めて思った。
「そして、この赤ワインよ。修くん、いつの間にこんなの買ったのよ~。ハロウィンだからって気合い入れちゃって」
 ぐいっとワイングラスを傾け、頼子は満足そうに笑う。またワインを飲んで顔をすぼめて笑う。
「まぁ、いいじゃん。たまにはさ。ちょっと浮かれたくなったんだよ」
 僕もつられてワインをこくりと飲んだ。重量感のある渋い飲み口で、また度数が高めだ。濃厚な葡萄ぶどうの味が酸味と一緒に口の中へ広がる。彼女と同じように顔をすぼめてしまった。
 そんな僕に、頼子がクスクス笑う。
「ほんと浮かれすぎだよ。ハロウィンは明日なのに」
「……え?」
 僕は目をしばたたかせた。それからすぐに、テレビの横にあるカレンダーへ目をやる。
 今日は十月三十日……で、ハロウィンは月末。ということは、ハロウィンは今日ではなく明日だ。
「あわてんぼう」
 頼子がニヤリとし、僕は頭を抱えた。
「だって、今日、ハロウィンパーティーするって言うから……!」
「そりゃ、土曜日の方がみんなの都合が良かったんだもん」
 澄まして言う頼子。それからまた冷やかすように「ふふふっ」と甲高く笑う。
 はぁ……思い切り勘違いしてた。そもそもハロウィンなんて、あまり意識したことないし。学生が楽しむイベントって感じがあるし……いや、食に携わる仕事をしていてイベントに疎いのは良くないのでは。
 そんな考えを巡らし、なんとか羞恥に耐えてみるけどダメだった。頼子が魔女さながらの高笑いをする。
 悔しくなった僕は赤ワインを一気に飲んだ。
 明日は休みだから、今日は飲もう。
 渋い赤ワインを喉に流し込むと、脇に置いたチョコレートバーが気になった。口の中が酸っぱいので、緑色のチョコレートを一口かじる。ザクザクとした食感のシリアルとくるみが、赤ワインの酸味と混ざっていき、カカオ感のないまろやかな甘さを感じてホッと落ち着く。
「おいしー?」
 頼子がニコニコしながら僕の顔を窺ってくる。
「うん……おいしい」
 若干、拗ねたような言い方になってしまった。それを頼子はからかうように笑い、かぼちゃとトマトスープを言ったり来たりしながら、子どもたちの話に戻していった。

 そんな話も、夕飯が終える頃にはすでに落ち着き、風呂から上がったら頼子は満足そうにソファでうたた寝していた。
 僕も酔いが回って気怠けだるいので、後片付けを放置していた。最近買った食洗機に全部任せておく。
 頼子が眠るその下で、スマートフォンを眺めていると、ジンジャーがソファの肘置きにぴょんと飛び乗り、そこで香箱座こうばこずわりして目を閉じた。
 つけっぱなしのテレビを切ってしまうと、しんと静かになって寂しくなる。
 僕は首をソファにもたれさせ、頼子を見た。
「おーい、頼子ー」
 呼んでも返事はなく、彼女は気持ちよく眠っている。いっぱい楽しんで疲れたんだろうな。
 そんな寝顔にイタズラしたくなる。くるっと身を翻して、頼子の寝顔を見ながら脇腹をつついてみた。どこをつつけば起きるのか、あらゆるところを探ってみたが、一向に起きる気配はなかった。
「頼子さーん。何、ほんとに熟睡? ちょっと、寂しいんですけどー」
 耳元にふうっと息を吹きかけても起きてくれない。まぁ、これをやって起きることは今まで一度もないんだけども。
「はー、ひどいな。ひどい。ひどすぎる。ジンジャー、そう思わない?」
 右側にいるジンジャーを見たら、こちらも目を閉じてじっとしている。まったく、揃いも揃ってかまってくれないな。
 じゃあ、僕も寝てしまおうかな。いや、ここで寝たらダメだ。ベッドで寝たほうが百倍いい。
「今、何時だ」
 スマートフォンを右手でつまんで画面を触る。ちょうど〇時。
 ハロウィンがきた。正真正銘、今日がハロウィンである。日付が変わったんだからハロウィンだ。
 お菓子はもらったけど、まだ物足りない僕は「ふーん」と誰にともなく呟き、再び頼子を見た。イタズラするなら今がチャンス。さっきからかわれた仕返しもしたい。
 その唇にそっと触れてみる。チョコレートの甘い味がする。僕が残しておいたチョコレートを食べたのが分かった。そんなしっとりと柔らかい感触を確かめていると、なんとなく視線を感じた。ジンジャーが薄目で見ている。やっぱり寝たフリしてたな、おまえ。
「しーっ」
 僕は口に人差し指を押し当てた。すると、ジンジャーはまた静かに目を閉じた。

番外編:しっとり甘々ハロウィン・ナイト おわり
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