おいしいふたり暮らし 今日もかたよりご飯をいただきます

小谷杏子

文字の大きさ
表紙へ
上 下
17 / 25
番外編:思いやりのミニトマトジュレ

しおりを挟む
 それは、あたしがしゅうくんのことを「真殿まどのさん」と呼んでいたころのこと──

 ◆ ◆ ◆

「──え? また味陽あじようですか?」
 思わず口をついて出た言葉に、編集長、矢神やがみ智里ちさとの眉がつり上がった。
垣内かきうちさん」
 すぐさまたしなめられ、あたしは笑顔をつくった。
「あーはははっ、すいません、やりまーす」
 矢神編集長のお小言を食らうのは面倒だったので、即座に笑ってごまかし、差し出された資料を奪う。
 味陽フードマネジメントへの取材はここ毎年やってるし、ぶっちゃけて言えば、つまらないんだよね……って思ったら、向こうの会社に失礼だ。反省、反省。
 渡された資料をもとに、今号の「リドル」のページ割などを大まかに伝えられる。これをデスクまで戻って目を通す。
 そして、横で美顔ローラーをコロコロ転がしている黒髪清楚系後輩女子に言った。
「よし……それじゃあ、取材に行こうか、ユッコちゃん」
 後輩の大石おおいし由紀子ゆきこちゃん、通称ユッコちゃんは「えぇーっ?」と不満たっぷりな声を上げた。
「えーじゃないの。行くの。ほら、電話して。日程とスケジュール組まなきゃ」
「お外に出るのイヤだーっ! 頼子よりこさん、勘弁してください! 私、外に出ると溶けるのでぇ!」
「えぇい、うるさい! この仕事、早く一人でもできるようになってくれなきゃ困るの!」
 一つ年下のユッコちゃんは、年々態度がデカくなってきた。しかし、仕事はまだまだ半人前なので、最近の悩みの種でもある。まったく、誰に似たんだか。
 嫌がるユッコちゃんにあれこれと指示を出し、なんとか味陽フードマネジメントの担当者にアポを取る。
 来週の水曜日、午後から顔合わせとスケジュール確認をして、そこから取材開始という目処が立った。

 今号の「リドル」で特集するのは、味陽フードマネジメント若手社員の密着取材。
 二号に渡って掲載するので、まぁまぁ大掛かりな仕事になりそう。と言っても、個別の取材自体は四回に分けて行い、それ以外は現場で働く姿を撮影するだけ。あとは編集に時間を使うので、そこから先は会社に引きこもるばかりだ。
 五月二十四日、あたしはユッコちゃんを連れて、味陽に来ていた。
「毎年、この時期になるとここに来てる気がします」
 日傘の下から、溶けそうな目でビルを見上げながら、ユッコちゃんが言った。
「それ、あたしも編集長に言いかけたわ……でも、バックナンバー見てたら、去年は特集してなかった。毎年来てる感じするのに、不思議だねぇ」
 あたしもユッコちゃんと同じく、明るいとは言えないトーンで言った。
 大通りに面したこのビルは、一階がカフェになっている。休憩中の社員が多く利用しているが、今日は打ち合わせのために使わせてもらう。
 毎度おなじみ、カフェ「トリコロール」の奥にあるソファ席に、味陽の広報部、筒井つついひじりさんがいた。スラッとして、まるでモデルさんのように小顔な女性で、気の強そうな目とボーイッシュなショートカットが印象的。年齢はあたしより一つ年上。
「あ、どうもー! 垣内さん、お待ちしてましたー」
 そう言って彼女は、大きく手を振った。あたしたちも手を振り返し、ドリンクカウンターでコーヒーを買ってソファまで向かう。ユッコちゃんはストロベリークリームフラッペを頼んでいた。真っ赤ないちごが、ものすごく甘そう。
「お待たせしました。今回もよろしくお願いします」
 ようやく腰を落ち着けて、あたしたちはしばらくお互いの近況報告をしあった。
 その間、ユッコちゃんはフラッペを飲みながら、のんびりと涼む。機嫌が治ったようで何よりだ。
「……それで、今回の取材は、企画営業部の佐藤と食品開発部の真殿でいきたいと思ってます。手が空き次第、こっちに来るよう伝えています。どちらも、今、外出中でして」
 筒井さんが申し訳なさそうに言った。
「いいえ、大丈夫ですよ。しばらくここで涼みたいですし、外暑いし、会社帰るの面倒ですし」
 横から突然、ユッコちゃんが割り込んで言う。
「めいっぱい涼んでください」
 ふざけた発言にも、筒井さんはクスクス笑ってくれるので、あたしたちはさらに調子に乗って、編集長への愚痴や不満をオブラートに包んで話した。
 そんなころだった。
 バタバタと慌ててカフェに入ってきた人物がいた。
「すみません! 遅くなりました!」
 社員証をぶら下げ、額からこめかみに向かって汗を垂れ流したまま、真面目に言う男性。
 名前は、真殿修。
「あぁ、大丈夫大丈夫。全然、待ってないから。おかえりなさい。お疲れさまー」
 筒井さんが笑い飛ばして言う。すると、真殿さんは「はぁ、そうでしたか。すみません」とこれまた真面目に謝った。
「それより、汗拭いたら? ちょっと、部署に戻って顔洗っておいでよ」
「あぁ、はい……分かりました。行ってきます」
 彼はぎこちなく笑い、あたしたちに小さく会釈してから、急ぎ足でエレベーターまで向かった。
 愛想はいいけど、愛嬌が足りない。そんな印象を抱いた。
「真殿さん、ですか。真面目そうな方ですね。でも、なんか、バタバタしてる」
 あたしが言う。すると、筒井さんは呆れたように、彼の後ろ姿を見た。
「彼、中途採用なんですよ。だから、今回の取材はどうかなーって思ってたんですけどねぇ。まぁ、新人らしさで言えばダントツなんですが」
「何かあったんですか?」
「いえ、もうひとりの佐藤だけじゃ、ちょっと……まぁ、見れば分かります」
 何やら含むように言われ、あたしたちは首をかしげるしかなかった。

 顔合わせは滞りなく終わった。
 あれから、佐藤さんも合流したけど、こちらはかなりのんびりした態度で現れた。
 一方の真殿さんは、あたしの話を聞いてくれるも、たまに時計を見ていて、上の空のようだった。
 企画営業部の佐藤映司えいじさんと食品開発部の真殿修さん。似ているようで正反対な彼らは一応、同期らしい。去年の四月入社で、すでに二年目を迎えている。
 味陽では一年目はほぼ上司と同行して営業の仕事をこなすらしく、食品開発部も基本は部署内での仕事が主だけど、お客さんと直接会って打ち合わせをすることもある。そこで、やはり上司や先輩につきっきりの指導をしてもらうのだそうだ。
 そんな感じで、ようやくひとりで外回りをするようになった彼らをピックアップし、仕事内容や日々感じていることを赤裸々に語ってもらう。まぁ、使えない内容はあたしたちの胸に留めておくんだけども。
 会社に帰ってから、あたしとユッコちゃんは、がらんとした編集部でこの取材対象者ふたりについて話し合った。
「佐藤さん……真面目で神経質そうな印象だったね」
「うーん。私的にはあのひとは……ほら、あれです。意識高い系」
「あー、なるほど。なんかこう『俺の話を聞け!』的な圧をビシバシ感じた」
「筒井さんが言ってたのって、これですかねー。第一印象からすでに、やりづらい雰囲気ありますけどぉ」
「そうねぇ……まぁ、真殿さんがいてくれて正解だよ。こっちはすんなり素直に終わりそうだし。ただ、ちょっと地味かなー」
「あのふたり、正反対なんだけど若干キャラ被りしてる……大丈夫ですか? この仕事、いつもよりめんどくさそう。なんか、ふたり揃って似たり寄ったりな記事になりそうですよー?」
「ユッコちゃんも、この仕事長いもんねー。さすが、言うようになってきた」
 あたしたちは揃って深いため息をつき、彼らに合わせたスケジュールを組んだ。
 ようやく一段落ついたころには、とっぷりが暮れていた。
「やっば! もう九時じゃん。ユッコちゃん、帰りな! あとはあたしがやっとくから!」
「ほんとですかぁ~! んじゃ、お言葉に甘えて、お先に失礼しまーす」
 彼女はまるで「その言葉を待っていた」とでも言うように顔を輝かせ、俊敏な動きで編集部を出ていった。
 さて。それじゃあ、あたしは残っていた雑務を片付けようかな……
 夕飯のことなんて頭にはない。お腹すいたけど、今からコンビニへ行ってご飯を買うよりも、目の前の仕事を片付けたほうが早いと思っちゃう。
 そうして、パソコンを閉じたのは、二十二時ごろだった。

 帰り道、麹野こうじの神社の前を通り過ぎる。この神社に最近、はぐれ子猫が住み着いている。この子猫と遊ぶのが日課になっていた。
 独身が猫を飼うと婚期を逃す──などというちまたの迷信を信じているわけではないけど、実際に矢神編集長が猫を飼ってからというもの、男性との出会いにまったく縁がなくなった。猫は福を招くが、縁を招くことはないようだ。
「よしよし、今日も元気ねー」
 茶色のフワフワな毛並みの中に、最近は焦げ茶色が混ざってきているこの子猫は、あたしが買った猫缶を猛スピードで爆食していく。
 生まれて三ヶ月くらいかな。たくましく生きているこの子を見るたびに、家に連れ帰りたい衝動に駆られる。
「本当は餌付けしちゃダメなんだけどねー……まぁ、ほっとけないよねぇ」
「のぉぉぉん」
「君はまた、そんなブサイクな鳴き声で答えるんだから……はぁ、連れて帰ろうかな」
 そんなことを考えるのももう何度目か。
 婚期……──別に、結婚したいわけじゃないけど、最近はちょびっとだけ、ひとりきりの生活に少しだけ怖気づいたりするのだ。
 子猫は、缶詰をペロリとたいらげると、クルンときびすを返して、真っ暗な社殿の下へ消えていった。
 お礼が言えない無愛想な子。だけど、かわいいから許す!
「……んじゃ、帰ろっかな」
 あたしは空っぽの缶詰をビニール袋に入れて、神社を後にした。
 自分の腹のことはお構いなし。今日はもうお風呂に入って寝よう。そう決めて、家路へ向かった。
しおりを挟む
表紙へ
感想 3

あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

裏切りの代償

中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。 尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。 取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。 自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

私のドレスを奪った異母妹に、もう大事なものは奪わせない

文野多咲
恋愛
優月(ゆづき)が自宅屋敷に帰ると、異母妹が優月のウェディングドレスを試着していた。その日縫い上がったばかりで、優月もまだ袖を通していなかった。 使用人たちが「まるで、異母妹のためにあつらえたドレスのよう」と褒め称えており、優月の婚約者まで「異母妹の方が似合う」と褒めている。 優月が異母妹に「どうして勝手に着たの?」と訊けば「ちょっと着てみただけよ」と言う。 婚約者は「異母妹なんだから、ちょっとくらいいじゃないか」と言う。 「ちょっとじゃないわ。私はドレスを盗られたも同じよ!」と言えば、父の後妻は「悪気があったわけじゃないのに、心が狭い」と優月の頬をぶった。 優月は父親に婚約解消を願い出た。婚約者は父親が決めた相手で、優月にはもう彼を信頼できない。 父親に事情を説明すると、「大げさだなあ」と取り合わず、「優月は異母妹に嫉妬しているだけだ、婚約者には異母妹を褒めないように言っておく」と言われる。 嫉妬じゃないのに、どうしてわかってくれないの? 優月は父親をも信頼できなくなる。 婚約者は優月を手に入れるために、優月を襲おうとした。絶体絶命の優月の前に現れたのは、叔父だった。

あなたが選んだのは私ではありませんでした 裏切られた私、ひっそり姿を消します

矢野りと
恋愛
旧題:贖罪〜あなたが選んだのは私ではありませんでした〜 言葉にして結婚を約束していたわけではないけれど、そうなると思っていた。 お互いに気持ちは同じだと信じていたから。 それなのに恋人は別れの言葉を私に告げてくる。 『すまない、別れて欲しい。これからは俺がサーシャを守っていこうと思っているんだ…』 サーシャとは、彼の亡くなった同僚騎士の婚約者だった人。 愛している人から捨てられる形となった私は、誰にも告げずに彼らの前から姿を消すことを選んだ。

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

命を狙われたお飾り妃の最後の願い

幌あきら
恋愛
【異世界恋愛・ざまぁ系・ハピエン】 重要な式典の真っ最中、いきなりシャンデリアが落ちた――。狙われたのは王妃イベリナ。 イベリナ妃の命を狙ったのは、国王の愛人ジャスミンだった。 短め連載・完結まで予約済みです。設定ゆるいです。 『ベビ待ち』の女性の心情がでてきます。『逆マタハラ』などの表現もあります。苦手な方はお控えください、すみません。

側妃は捨てられましたので

なか
恋愛
「この国に側妃など要らないのではないか?」 現王、ランドルフが呟いた言葉。 周囲の人間は内心に怒りを抱きつつ、聞き耳を立てる。 ランドルフは、彼のために人生を捧げて王妃となったクリスティーナ妃を側妃に変え。 別の女性を正妃として迎え入れた。 裏切りに近い行為は彼女の心を確かに傷付け、癒えてもいない内に廃妃にすると宣言したのだ。 あまりの横暴、人道を無視した非道な行い。 だが、彼を止める事は誰にも出来ず。 廃妃となった事実を知らされたクリスティーナは、涙で瞳を潤ませながら「分かりました」とだけ答えた。 王妃として教育を受けて、側妃にされ 廃妃となった彼女。 その半生をランドルフのために捧げ、彼のために献身した事実さえも軽んじられる。 実の両親さえ……彼女を慰めてくれずに『捨てられた女性に価値はない』と非難した。 それらの行為に……彼女の心が吹っ切れた。 屋敷を飛び出し、一人で生きていく事を選択した。 ただコソコソと身を隠すつまりはない。 私を軽んじて。 捨てた彼らに自身の価値を示すため。 捨てられたのは、どちらか……。 後悔するのはどちらかを示すために。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。