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第五話:俺の考えたブルース・シスターズ(下の下の下)
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(前回までのあらすじ)
石があれば投げる。爪がなければ仕込んだ鉄鋼鉤で相手を引き裂く。
ぬいぐるみの戦いは生存第一! 何でもありである!
六度目だ。互いに距離を取り、一撃必殺の超スピードが空中で交わる。エルザの石を握り込み重量化した拳が深々とレヴの腹にめり込む。
この戦法はぬいぐるみCQCだ。爪も牙もない、リーチも体の防御力もない彼らは暗器を使う、あるいは拳をひたすら強化して、素早く相手の懐に入り必殺の一撃を叩きこむ。
腹を抱えてレヴは辛うじてダウンを免れ、ふらつきながら地に下りた。
「ここまで互角にやるとは。まだまだ!」
この自信満々の発言はともかく、彼はまだ一度もエルザに槍をかすらせてすらいない。
レヴは自分のホームグラウンドで戦っているにかかわらず、岩山をすでに超えられて、林の中にまで侵入を許していた。そのうえ、片手間で相手しているエルザにいいように殴られ、顔はすでに何か所か腫れている。
それもそのはず、レヴは槍の扱いが下手糞で一回も獲物に当たったことがない。格闘術と身のこなしは島の中でも高い水準にあるのだが、なぜか槍にこだわる。
今の状況は割とへなちょこなのである。タックルでもかませば良いのだが、ただ猛スピードで殴られに来ているだけだった。
そして今、夢中でエルザと仲良く同じ方向に進んでいる。悪手に悪手を重ねていた。
エルザもエルザで激しく息切れをしていた。何より、喉が渇いた。
林の中でもひときわ低い木にひときわ目を引く黄色い実が成っているのを見にする。
甘夏だ。それも一つだけ。
素早くその木を横切り、実をむしり取った。
「やめろ下種! それに触るな!!」
レヴは怒声と共に槍を放ったが、エルザを大きくそれて地面に刺さった。
「やなこった!」
エルザは実にかぶりつこうとする。
瞬間、体は大きくはじかれ木にぶつかった。
レヴがありったけの速度でエルザと距離を詰めて、拳を叩きこんだからだ。甘夏は元あった木の方に転がった。
「許さんぞ!」
レヴはエルザに突撃してさらに何発も拳を食らわせた。
殴られながらエルザは走馬灯のように過去をさかのぼっていた。
右耳にやかましく入る古臭いチャイムの音。
戸で蓋された夕方の教室。中は特濃の浣腸液で満たされていた。
「ざまあねえぜ! お前を虐めてたやつら、もれなく浣腸液まみれだ。生き残りたきゃあ、ボラみたいに水面から顔出して息を吸うんだな!」
「姉御、これ、やりすぎだって」
「姉御じゃねえ! あとはどいつだよ。陰でお前のことミクラスって言ってたの」
「それぐらい、かまわねえって。姉御も1組の谷間のこと、ディルドマンって言ってたじゃん」
「関係ない。アタシが飯食ってクソする学校で陰湿な奴ら、見たくもねえ。それなら浣腸液まみれの学校にしてやろうぜ」
レヴの口の中には特大のディルドが差し込まれていた。
「目障りな奴らは全員溺れて、〇ね!」
これもウィークエンドの私物をくすねてきたものだ。リモコンをONにして顎が外れそうになるまでに振動させる。
大きく後退するレヴの腹に鉄拳を一発。腹を抱え下がった顔面に連打、連打、連打。
ついにディルドをくわえたままレヴはダウンした。ありがとうディルドマン……。
エルザはふらふらと、転がった甘夏まで歩いた。
実を再び手に取る。今度は大事そうに……。
「あんたの態度で分かったよ。こんなのが、知恵の実とはね……」
今度は丁寧に皮をむく。中身も甘夏だ。だが、視覚では分からない魔力に満ち溢れていた。
衝動に駆られる。
今すぐ、皮を含めてすべてかじりつくさないといられないくらい、欲望を掻き立てられて、ひたすら自分の世界に浸ることになる。
何て美味しそうなのだろう。かつて楽園を追放されたメスにはオスがついていた。私にはそんな奴いないし、もう出会えるとも思わない。だが、せめてジェインは……。食べたいと言うのなら一緒に食うことにするか……。
……。発砲音だ。こいつに夢中で聞き逃すところだった。何の騒ぎだろう……。
私は今、この実を見ることで忙しいのだ。ジェインを待てない。早く、食っちまおう。
……。体が動かない……。
エルザの胸には焼け焦げた穴が開いていた。
視界が何度も何度も回る。あんなに背が低いと思っていた木が見上げると今はこんなに高い……。
シャーディは硝煙の上がるピストルをゆっくり下げた。褐色の肌が今は青い。
「最っ悪だ。お前ひとり仕留めるために……」
彼女の腹にも穴が開いていた。槍が貫通していて、先端からは血が滴る。だが、止まらない。千鳥足になりながら、倒れたエルザに近づく。今度は頭をぶち抜くために。
一歩、とどめまであと一歩。
だが、シャーディの目の前に男が立ちふさがった。
レヴは外れた顎を無理やりはめて、無言でシャーディを見下ろす。
「なんだ。その汚い猫をかばう気か? どけ……」
「これは俺の獲物だ」
シャーディはため息をついてレヴを睨みつけた。
「どいつもこいつも。畜生!」
銃を向けたが、レヴの蹴りの方が早かった。前蹴りで銃は宙を舞い、もう一発、後ろ回し蹴りであっと言う間にのされた。辺りはあっというまに静かになった。
どうしようもない虚しさからレヴは足元に転がるエルザを見下ろした。
だが、先ほどまで転がっていた位置に彼女がいない。息も絶え絶えのはずだった。
エルザは執念でついに果実を手にしていた。情けなのか、レヴはその様子を少し見守ることにした。いや、動けなかったという方が正しい。
エルザが果実の半分ほどををむさぼり終わった。恐ろしく長い余韻がその場を支配する。
次の瞬間、球状の闇がその体を包む。闇に飲まれたぬいぐるみのシルエットが反転した。
変容《へんよう》ではなく反転だ。認識もしていなかった裏側から、想像もしていなかった彼女の本来の、人間としての姿が現れた。何度も言うが、本来の姿だ。それを一番認識できているのは、全てを見ていたレヴだ。
その姿は初めて見るものだが、あまりに寂寞を掻き立てられるものがあった。気付いた時、レヴはエルザを抱きかかえていた。
「セマ……。いや、どうしたんだ俺は……」
それは親友の姉の名前であり恋人であった者の名前。言わずにいられなかった理由はエルザの顔がそのときのように穏やかだったからだろう。
エルザの胸の穴はふさがっていない。むしろ赤い血が腹から、口から、止めどなく噴き出してぬいぐるみの時よりも生々しい。それでも穏やかにレヴに手を差し伸べる様は美しい。
差し出した手の中には知恵の実の半分が……。
レヴは叙情感に支配され、彼女の手ごと、身に触れた。
すると、一瞬にしてレヴの体を先ほどのエルザを取り込んだ闇が包んだ。レヴも同じように反転して、日本人としての己を取り戻した。実に触れただけであるのに……。
その姿は網走でエルザに別れを告げた時の姿、新堂琴ノ花としての姿だった。
記憶は統合されている。後悔だの怒りなどはない。かつて愛した者の今際の際を見ているのだから。
「ああ、そこにいたのね。コト……」
「エルザ……」
「何、よ。今更来てもらって悪いけど、私、ちょっと、眠い、のよね。後に、し、て……」
「……、……。ああ。また後で……」
楽園の内と外でそれぞれ女を愛して、その死を二度も見届けた。この男に渇望について問うたとしても、もはや愚問だった。
日光がかげる。新堂いや、レヴは今闇の中にいた。
闇の中で無数の無機質な眼が木々の間からのぞいていて、瞬きをすることなく、レヴをにらみ、囲んでいた。
レヴはエルザを腕からおろして立ち上がった。どこか居丈高である。
「友たちよ。いるのだな……」
……、……。
「ここだわ。木の皮がえぐれてるし、枝が折れてる」
「待てよ……。ぜえ。先走るなって……」
「え……」
ジェインはちっこい木が一つだけの物寂しい場所で人が二人倒れている様を見て体が凍り付いた。木の下には全裸で色白の人間が二人倒れていた。日本人だ。
躊躇しかけたが、慌てて駆け寄った。
一人は自分の良く知る男、新堂である。心臓の位置に大きな穴が開いて絶命していた。そして新堂と手をつないでこと切れている女を見た。
「新堂ちゃん……。どういうことだよ」振居はいつの間にか追いついていた。彼にとっても新堂は知り合い以上の仲だ。見るに堪えない状況である
「わけわかんねえよ。冗談きついぜ。おい……。新堂ちゃん」
「姉御? 姉御、アンタなの。アンタなわけないよね……」
ジェインの錯乱を見て振居はかえって得心してしまった。何も言えず、口に強く手を当てて呻きをこらえた。今にも倒れてしまいそうだった。
知恵の木の上はすでに太陽が雲に隠れ、空はゴロゴロと雷鳴が轟こうとしていた。
「行こうぜ、ジェイン」
「Wha、え? や、ダメ、ダメな気が、する、の。何で」
「エルザを探さねえと。とりあえずここを離れよう」
「けど、新堂が、何で? この女は誰だって、誰だっていうのよ」
「知らねえ。だけど。そいつはエルザじゃねえだろ。離れた方がいい。原住民に……」
言った先から振居は後悔した。気付けなかったが、明らかに見られている。木々の隙間に原住民がかすかに見えて、無機質な瞳でこちらをのぞいている。左右にも存在を感じる。
囲まれているのではないか。
のぞいていたうちの数人がこちらに歩み寄ってきた。武器は手にない。なにか人型のぐにゃぐにゃしたものを両手で抱いている。
「アゲ、アゲ!」
「アゲゲ! アホ!」
一人と一匹は計4体の人型の何かを押し付けられた。
「等身大の人形だな……、これ何でできてるんだ?」
「あ、これ、股間に〇ンポつっこめるようになってるわよ」
「うえ。もしかしてこれダッチワイフかよ……」
「よかったじゃん。アンタ」
「他人の使ったもんなんて、使えるわけねえだろ」
「けど何であなたたち、私らにこれを渡すのよ」
問いの答えは到底帰ってくるわけがない。だが、少し気持ちは癒えた。
姉御、探さなきゃ……。
そう思った矢先、ジェインの意識は暗転する……。
……、……。
目覚めるとジェインは船内だった。粘液につつまれ大男共に囲まれていた。
「ジェニファーから犬が生まれてきやがった!」
「ワッツア、アメイジング!」
「いやこれ、参加者じゃねえか。バイクで出てたの見たぞ」
「おい。やつらに捕まってたのか? 怪我はねえかよ」
どうも、自分は原住民からもらったダッチワイフの膣内から出てきたようだ。今はそのダッチワイフはボランティアたちに大事に抱えられている。気持ち悪い光景だ。
寝ぼけながら、ジェインは周りを見渡した。騒ぎを聞きつけて、何人も寄ってくる。
「生きとったか! ワンコの姉ちゃん」
バイクレースを共にしたジジイが駆け寄ってきた。
「ここは? 何でアタシ……」
「オヌシ、何があったか、覚えとらんのか?」
「アッ! 姉御! フリーも! ねえ、アンタ、アタシの連れを見なかった?」
ジジイは固く首を振った。残念ながら誰も、ランの最中行方不明になったエルザについて知る者はいなかった。だが……。
「お前の仲間の男については知っている。……。もう戻ってこないぞ」
「What? どうして、そんなことが分かるのよ」
「生命の実とやらを食べたんだ」
ウィークエンド・アイスホッケーは静かに答えた。
「は、はあ! うそでしょ! ありえない。何であいつが、あのと……」
言いかけて口をつぐんだ。違反を犯して森に入ったこと。ダッチワイフを受け取ったことがばれてしまう。しかしだ……。
「あのダッチワイフたちはどこで……?」
「ああ。参加者の中で間抜け面の男がいたが、そいつから押収したんだ」
続けて色々聞く。奴は森に入り、環境を散々に荒らした。そして……。
その後の言葉は衝撃だった。
振居はダッチワイフを原住民から受け取った後で、ボランティア達と出くわし、即刻射殺されることになった。しかし、一人の原住民がそれに割って入った。銀色に輝く梨のような果実を片手に。
振居はそれを食べて原住民へと変貌して森の中へ消えて行ったという。
何もかもが信じられないが、誰も嘘を言っている様子はない。
ボランティアも参加者たちも黙りこくり、必要以上の会話はなかった。彼らの司令塔だったシャーディーも同様に行方が分からなくなり、船へもベースへも戻ることがなかったからだ。
「来年、探しに行くぞ……」参加者の一人がふと漏らした。誰のことだとろうか分からないが、その言葉に賛同するものは多かった。
「来年だ。シャーディちゃんは生きている!」
「俺も相棒を探す!」
ジェインはその様子を静かに遠目で見ながら戸惑いを隠せなかった。
「お前さん。いまは休んでおくといい」
ジジイの言う通り、ぶっ倒れちまいたかった。
ジェインは訴えかける目で、すでに見えなくなった理不尽な島の方角をにらんでいた……。
(エピローグへ)
石があれば投げる。爪がなければ仕込んだ鉄鋼鉤で相手を引き裂く。
ぬいぐるみの戦いは生存第一! 何でもありである!
六度目だ。互いに距離を取り、一撃必殺の超スピードが空中で交わる。エルザの石を握り込み重量化した拳が深々とレヴの腹にめり込む。
この戦法はぬいぐるみCQCだ。爪も牙もない、リーチも体の防御力もない彼らは暗器を使う、あるいは拳をひたすら強化して、素早く相手の懐に入り必殺の一撃を叩きこむ。
腹を抱えてレヴは辛うじてダウンを免れ、ふらつきながら地に下りた。
「ここまで互角にやるとは。まだまだ!」
この自信満々の発言はともかく、彼はまだ一度もエルザに槍をかすらせてすらいない。
レヴは自分のホームグラウンドで戦っているにかかわらず、岩山をすでに超えられて、林の中にまで侵入を許していた。そのうえ、片手間で相手しているエルザにいいように殴られ、顔はすでに何か所か腫れている。
それもそのはず、レヴは槍の扱いが下手糞で一回も獲物に当たったことがない。格闘術と身のこなしは島の中でも高い水準にあるのだが、なぜか槍にこだわる。
今の状況は割とへなちょこなのである。タックルでもかませば良いのだが、ただ猛スピードで殴られに来ているだけだった。
そして今、夢中でエルザと仲良く同じ方向に進んでいる。悪手に悪手を重ねていた。
エルザもエルザで激しく息切れをしていた。何より、喉が渇いた。
林の中でもひときわ低い木にひときわ目を引く黄色い実が成っているのを見にする。
甘夏だ。それも一つだけ。
素早くその木を横切り、実をむしり取った。
「やめろ下種! それに触るな!!」
レヴは怒声と共に槍を放ったが、エルザを大きくそれて地面に刺さった。
「やなこった!」
エルザは実にかぶりつこうとする。
瞬間、体は大きくはじかれ木にぶつかった。
レヴがありったけの速度でエルザと距離を詰めて、拳を叩きこんだからだ。甘夏は元あった木の方に転がった。
「許さんぞ!」
レヴはエルザに突撃してさらに何発も拳を食らわせた。
殴られながらエルザは走馬灯のように過去をさかのぼっていた。
右耳にやかましく入る古臭いチャイムの音。
戸で蓋された夕方の教室。中は特濃の浣腸液で満たされていた。
「ざまあねえぜ! お前を虐めてたやつら、もれなく浣腸液まみれだ。生き残りたきゃあ、ボラみたいに水面から顔出して息を吸うんだな!」
「姉御、これ、やりすぎだって」
「姉御じゃねえ! あとはどいつだよ。陰でお前のことミクラスって言ってたの」
「それぐらい、かまわねえって。姉御も1組の谷間のこと、ディルドマンって言ってたじゃん」
「関係ない。アタシが飯食ってクソする学校で陰湿な奴ら、見たくもねえ。それなら浣腸液まみれの学校にしてやろうぜ」
レヴの口の中には特大のディルドが差し込まれていた。
「目障りな奴らは全員溺れて、〇ね!」
これもウィークエンドの私物をくすねてきたものだ。リモコンをONにして顎が外れそうになるまでに振動させる。
大きく後退するレヴの腹に鉄拳を一発。腹を抱え下がった顔面に連打、連打、連打。
ついにディルドをくわえたままレヴはダウンした。ありがとうディルドマン……。
エルザはふらふらと、転がった甘夏まで歩いた。
実を再び手に取る。今度は大事そうに……。
「あんたの態度で分かったよ。こんなのが、知恵の実とはね……」
今度は丁寧に皮をむく。中身も甘夏だ。だが、視覚では分からない魔力に満ち溢れていた。
衝動に駆られる。
今すぐ、皮を含めてすべてかじりつくさないといられないくらい、欲望を掻き立てられて、ひたすら自分の世界に浸ることになる。
何て美味しそうなのだろう。かつて楽園を追放されたメスにはオスがついていた。私にはそんな奴いないし、もう出会えるとも思わない。だが、せめてジェインは……。食べたいと言うのなら一緒に食うことにするか……。
……。発砲音だ。こいつに夢中で聞き逃すところだった。何の騒ぎだろう……。
私は今、この実を見ることで忙しいのだ。ジェインを待てない。早く、食っちまおう。
……。体が動かない……。
エルザの胸には焼け焦げた穴が開いていた。
視界が何度も何度も回る。あんなに背が低いと思っていた木が見上げると今はこんなに高い……。
シャーディは硝煙の上がるピストルをゆっくり下げた。褐色の肌が今は青い。
「最っ悪だ。お前ひとり仕留めるために……」
彼女の腹にも穴が開いていた。槍が貫通していて、先端からは血が滴る。だが、止まらない。千鳥足になりながら、倒れたエルザに近づく。今度は頭をぶち抜くために。
一歩、とどめまであと一歩。
だが、シャーディの目の前に男が立ちふさがった。
レヴは外れた顎を無理やりはめて、無言でシャーディを見下ろす。
「なんだ。その汚い猫をかばう気か? どけ……」
「これは俺の獲物だ」
シャーディはため息をついてレヴを睨みつけた。
「どいつもこいつも。畜生!」
銃を向けたが、レヴの蹴りの方が早かった。前蹴りで銃は宙を舞い、もう一発、後ろ回し蹴りであっと言う間にのされた。辺りはあっというまに静かになった。
どうしようもない虚しさからレヴは足元に転がるエルザを見下ろした。
だが、先ほどまで転がっていた位置に彼女がいない。息も絶え絶えのはずだった。
エルザは執念でついに果実を手にしていた。情けなのか、レヴはその様子を少し見守ることにした。いや、動けなかったという方が正しい。
エルザが果実の半分ほどををむさぼり終わった。恐ろしく長い余韻がその場を支配する。
次の瞬間、球状の闇がその体を包む。闇に飲まれたぬいぐるみのシルエットが反転した。
変容《へんよう》ではなく反転だ。認識もしていなかった裏側から、想像もしていなかった彼女の本来の、人間としての姿が現れた。何度も言うが、本来の姿だ。それを一番認識できているのは、全てを見ていたレヴだ。
その姿は初めて見るものだが、あまりに寂寞を掻き立てられるものがあった。気付いた時、レヴはエルザを抱きかかえていた。
「セマ……。いや、どうしたんだ俺は……」
それは親友の姉の名前であり恋人であった者の名前。言わずにいられなかった理由はエルザの顔がそのときのように穏やかだったからだろう。
エルザの胸の穴はふさがっていない。むしろ赤い血が腹から、口から、止めどなく噴き出してぬいぐるみの時よりも生々しい。それでも穏やかにレヴに手を差し伸べる様は美しい。
差し出した手の中には知恵の実の半分が……。
レヴは叙情感に支配され、彼女の手ごと、身に触れた。
すると、一瞬にしてレヴの体を先ほどのエルザを取り込んだ闇が包んだ。レヴも同じように反転して、日本人としての己を取り戻した。実に触れただけであるのに……。
その姿は網走でエルザに別れを告げた時の姿、新堂琴ノ花としての姿だった。
記憶は統合されている。後悔だの怒りなどはない。かつて愛した者の今際の際を見ているのだから。
「ああ、そこにいたのね。コト……」
「エルザ……」
「何、よ。今更来てもらって悪いけど、私、ちょっと、眠い、のよね。後に、し、て……」
「……、……。ああ。また後で……」
楽園の内と外でそれぞれ女を愛して、その死を二度も見届けた。この男に渇望について問うたとしても、もはや愚問だった。
日光がかげる。新堂いや、レヴは今闇の中にいた。
闇の中で無数の無機質な眼が木々の間からのぞいていて、瞬きをすることなく、レヴをにらみ、囲んでいた。
レヴはエルザを腕からおろして立ち上がった。どこか居丈高である。
「友たちよ。いるのだな……」
……、……。
「ここだわ。木の皮がえぐれてるし、枝が折れてる」
「待てよ……。ぜえ。先走るなって……」
「え……」
ジェインはちっこい木が一つだけの物寂しい場所で人が二人倒れている様を見て体が凍り付いた。木の下には全裸で色白の人間が二人倒れていた。日本人だ。
躊躇しかけたが、慌てて駆け寄った。
一人は自分の良く知る男、新堂である。心臓の位置に大きな穴が開いて絶命していた。そして新堂と手をつないでこと切れている女を見た。
「新堂ちゃん……。どういうことだよ」振居はいつの間にか追いついていた。彼にとっても新堂は知り合い以上の仲だ。見るに堪えない状況である
「わけわかんねえよ。冗談きついぜ。おい……。新堂ちゃん」
「姉御? 姉御、アンタなの。アンタなわけないよね……」
ジェインの錯乱を見て振居はかえって得心してしまった。何も言えず、口に強く手を当てて呻きをこらえた。今にも倒れてしまいそうだった。
知恵の木の上はすでに太陽が雲に隠れ、空はゴロゴロと雷鳴が轟こうとしていた。
「行こうぜ、ジェイン」
「Wha、え? や、ダメ、ダメな気が、する、の。何で」
「エルザを探さねえと。とりあえずここを離れよう」
「けど、新堂が、何で? この女は誰だって、誰だっていうのよ」
「知らねえ。だけど。そいつはエルザじゃねえだろ。離れた方がいい。原住民に……」
言った先から振居は後悔した。気付けなかったが、明らかに見られている。木々の隙間に原住民がかすかに見えて、無機質な瞳でこちらをのぞいている。左右にも存在を感じる。
囲まれているのではないか。
のぞいていたうちの数人がこちらに歩み寄ってきた。武器は手にない。なにか人型のぐにゃぐにゃしたものを両手で抱いている。
「アゲ、アゲ!」
「アゲゲ! アホ!」
一人と一匹は計4体の人型の何かを押し付けられた。
「等身大の人形だな……、これ何でできてるんだ?」
「あ、これ、股間に〇ンポつっこめるようになってるわよ」
「うえ。もしかしてこれダッチワイフかよ……」
「よかったじゃん。アンタ」
「他人の使ったもんなんて、使えるわけねえだろ」
「けど何であなたたち、私らにこれを渡すのよ」
問いの答えは到底帰ってくるわけがない。だが、少し気持ちは癒えた。
姉御、探さなきゃ……。
そう思った矢先、ジェインの意識は暗転する……。
……、……。
目覚めるとジェインは船内だった。粘液につつまれ大男共に囲まれていた。
「ジェニファーから犬が生まれてきやがった!」
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「いやこれ、参加者じゃねえか。バイクで出てたの見たぞ」
「おい。やつらに捕まってたのか? 怪我はねえかよ」
どうも、自分は原住民からもらったダッチワイフの膣内から出てきたようだ。今はそのダッチワイフはボランティアたちに大事に抱えられている。気持ち悪い光景だ。
寝ぼけながら、ジェインは周りを見渡した。騒ぎを聞きつけて、何人も寄ってくる。
「生きとったか! ワンコの姉ちゃん」
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「ここは? 何でアタシ……」
「オヌシ、何があったか、覚えとらんのか?」
「アッ! 姉御! フリーも! ねえ、アンタ、アタシの連れを見なかった?」
ジジイは固く首を振った。残念ながら誰も、ランの最中行方不明になったエルザについて知る者はいなかった。だが……。
「お前の仲間の男については知っている。……。もう戻ってこないぞ」
「What? どうして、そんなことが分かるのよ」
「生命の実とやらを食べたんだ」
ウィークエンド・アイスホッケーは静かに答えた。
「は、はあ! うそでしょ! ありえない。何であいつが、あのと……」
言いかけて口をつぐんだ。違反を犯して森に入ったこと。ダッチワイフを受け取ったことがばれてしまう。しかしだ……。
「あのダッチワイフたちはどこで……?」
「ああ。参加者の中で間抜け面の男がいたが、そいつから押収したんだ」
続けて色々聞く。奴は森に入り、環境を散々に荒らした。そして……。
その後の言葉は衝撃だった。
振居はダッチワイフを原住民から受け取った後で、ボランティア達と出くわし、即刻射殺されることになった。しかし、一人の原住民がそれに割って入った。銀色に輝く梨のような果実を片手に。
振居はそれを食べて原住民へと変貌して森の中へ消えて行ったという。
何もかもが信じられないが、誰も嘘を言っている様子はない。
ボランティアも参加者たちも黙りこくり、必要以上の会話はなかった。彼らの司令塔だったシャーディーも同様に行方が分からなくなり、船へもベースへも戻ることがなかったからだ。
「来年、探しに行くぞ……」参加者の一人がふと漏らした。誰のことだとろうか分からないが、その言葉に賛同するものは多かった。
「来年だ。シャーディちゃんは生きている!」
「俺も相棒を探す!」
ジェインはその様子を静かに遠目で見ながら戸惑いを隠せなかった。
「お前さん。いまは休んでおくといい」
ジジイの言う通り、ぶっ倒れちまいたかった。
ジェインは訴えかける目で、すでに見えなくなった理不尽な島の方角をにらんでいた……。
(エピローグへ)
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