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第4章 ハーフヴァンパイア
35 我慢できなくて*
しおりを挟むわたしの身体が発情するようになってから、十日が経過した。
アゼル様は仕事の合間をぬって、マザルク先生と一緒に新しい薬の開発に勤しんでいる。
また、借家に知らない男性が来るようになった。どうやら、薬の材料を外部の人に依頼しているみたいだ。
その男性が来ると、アゼル様かマザルク先生が品物を受け取る。二人が外に買い出しに出かけていて、頼みの綱であるヨル君が「今日はムリ。陽の光が強すぎ。起きらんない」ってソファで撃沈していたりしたときは、わたしが受け取っている。
こんな体になってから、知らない男性とできるだけ会いたくなかったので、ソッコーで受け取って、ソッコーで帰ってもらう事にしている。……たぶんその人からしたら、わたしの挙動って怪しすぎるよね……。ほんとごめんなさい……あなたが悪いわけじゃないんです……。
過保護なアゼル様から外出禁止令と男性との接触禁止令が出たけれど、こればかりは賛成。
とにかく精神的疲労が大きい。
男性の姿が気になってしまうし、無意識に相手の視界から外れようと動いてしまう。
買い出しに行けないのは寂しいけれど、今はヨル君とマザルク先生がいて四人暮らしだから、家の中でもやることはたくさんある。
「掃除をします──!」
「ユフィはしなくてもいいよ。そこの男二人にやらせればいい」
家の中でもやることは──
「洗濯をします──!」
「ユフィ、顔色悪いよ。そこで暇そうにしているボンクラ魔女にやらせるから、部屋で休んでおきな」
家の中でもやることは──
「料理は得意分野です! ここはわたしが──」
「途中で眩暈が起きて怪我したらどうするの? ダメ、俺がやるから」
やることが…………なくなった。
「アゼル様の過保護がひどくなってる気がします……」
テーブルの上でお行儀悪く、ぐでーんと上体を投げ出す。
おかしいなぁ。
こんなはずじゃなかったんだけどなぁ。
「前まではどんな感じだったんだ?」
ヨル君とトランプゲームをしていたマザルク先生が、そんなことを聞いてくる。
「えと……、わたしが倒れたら仕事を放り出して様子を見に来てくれたりとか、転びそうになったら絶対に手を伸ばして助けてくれたりとか、初めて出かけるような場所に一人で行くときに事前にそこへ出かけて、危ない場所がないかチェックしてくれたりとか」
「あー坊ちゃんならやりかねねェな」
「あと、わたしの体を触ろうとした男性に全治三週間の怪我を負わせたとか……ですかね」
「……………ランブルトの坊ちゃんは、よく殺されなかったな……」
「え? 何か言いましたか?」
「なんでもねェよ」
マザルク先生が「よっこらせ」と立ち上がって、身支度を整え始めた。
「え、今からお出かけですか? もう夜中ですよ?」
「夜中だからこそ出かけるのに最適なんじゃねェか。今日はアゼルの坊ちゃんも夜勤でいねェし、外でこっそり愉しむなら今しかねェよ」
確かに、最近はアゼル様と一緒にずっと新薬開発で缶詰め状態だ。アゼル様は真面目だから休むことをしないけれど、それはアゼル様がすごすぎるだけ。普通の人がアゼル様に合わせると、すぐに疲れて体調を崩してしまうだろう。
マザルク先生も毎日頑張っているし、ここで外出を止めるのはおかしい。
それにハーフだし、カンカン照りの昼よりも暗く静かな夜に出かけたくなるのは当然だ。
「分かりました、楽しんできてください。でも、こんな時間に開いてるお店なんてありましたっけ?」
「そりゃ、男が夜な夜な行く店なんてコレしかねェだろ?」
「コレ……?」
マザルク先生が左手の指でわっかを作って、そのわっかに右手の人差し指を入れたり出したり…………って、え、そのジェスチャーって!?
「せ、せ、先生……っ!?」
「万が一、いや億が一でも手ェ出さないようにする発散策だと思ってくれたらありがたいねェ、俺は。まっ、俺のシュミはもっと年上でボンッキュッボンの姉ちゃんなんだが」
「わ、わ、分かりました……ど、どどどうぞ、行ってきてくださいっ!」
「嬢ちゃんは相変わらずわっかりやすいな。そこが嬢ちゃんの可愛いとこなんだが、アゼルの坊ちゃんもこれくらい分かりやすくて可愛げがあれば、イイんだが」
愉快そうに笑いながら外へ出ていく。
そういえば生活にだらしのない人だったな……マザルク先生って。
すごく腕のいい治癒師だから、すっかり忘れてたけど。
でも……わたしのために外で発散させているわけだから……ある意味、優しい、のかな……???
*
それからしばらくして、わたしは台所に立って“ある作業”をしていた。
「こんなものかな」
「何やってんの?」
「プレッツェと花の蜜を合わせたジュースを作ってるの。アゼル様すぐに食べるのを放棄するから、ちょっとでもお腹を満たしてもらおうと思って」
まるで葡萄のような見た目をしている丸い果物・プレッツェ。血の味と呼ばれるほど味が血に似ていて、アゼル様が昔から好んで食べていた果物だ。どうやらプレッツェは、血に似ているせいか、少しだけ味を感じるらしい。
それでも、そこまで美味しいとは思わないらしいけれど。
プレッツェは人間の血ほど栄養があるわけじゃないけれど、花の蜜と混ぜてジュースにして飲めば、少しはお腹が満たされる……はず。
「やせ我慢しまくってるからねぇご主人は。うんまぁ、見た目もなんか血っぽいし、イイ感じじゃん」
「でしょ?」
「で、味は……」
漉したジュースを指ですくって、チロチロと舐めるヨル君。
「まっず……っ」
「わたしもこの味ちょっと苦手……血みたいだよね。蜜を多くしたらちょっとは美味しくなるかもしれないけど、吸血鬼が飲む花の蜜って夜月花っていう珍しい花だし、あんまり量を取れないみたいだから、贅沢に使えないんだよね」
夜月花の蜜は、アゼル様の部屋に置いてあるものを事前に許可をもらってから頂戴した。
「そういえばヨル君って、アゼル様以外の吸血鬼に仕えたことあるの?」
「そりゃねぇ、いちおーそれなりに生きてるし?」
ヨル君は、若くて綺麗な女の子……じゃない、男の子に見えるのに、もう八十年生きてるらしい。吸血鬼みたいに不老長寿なのかなって思ったけど、長寿なだけでしっかり老けるらしい。ただ、その速度が人間よりもとんでもなく遅いのだとか。
たとえば寿命が百五十年あったとして、そのうち若い姿を保っていられるのは百四十年とか、そんなレベルらしい。
「でも半端者に仕えるのは今回が初めてだねぇ」
「吸血鬼って、どれくらいの血を飲むものなのかな」
「吸血鬼によるね。一日一回とか一週間に一回とか飲んだら終わっちゃうのもいるし、短期間にたらふく吸血してそのあと一か月なにも飲まないのもいた。あー、そういえば前のご主人はすごかったねぇ。一晩で二十人近くの人間を吸血してた。男女関係なく」
一晩で……二十人も……。
「…………死んじゃうよね、それって」
「そりゃそうでしょ。だって吸血鬼だし? 夜の住人の頂点、覇王みたいな。……人間の敵とか言われてるよねぇ吸血鬼って。吸血されたら最後、血の一滴も残さず吸いつくされるし」
「手加減とか、ちょっと飲んだら終わりってないのかな」
「僕が見てきた吸血鬼にそんなやつはいなかったな。人間の血が極上の味って表現してるくらいだし、一回吸い始めたら止められないんじゃない? ほら、人間だってお腹空いてるときにごはんを食べるのやめないでしょ?」
「そう、だね……」
ずいぶん前にアゼル様に噛まれた首筋を、わたしは無意識にさすっていた。
……アゼル様は、我慢、してくれたのかな……。
『責任取って、最後まで付き合って』
当時の記憶──荒い息遣い、粘性のある水音、なにより艶っぽくも熱いテノールボイスが蘇った瞬間、お腹の下からぶわっと熱が広がった。とっさのことで危うく膝から力が抜けてしまいそうになったけれど、なんとか台所の端に掴まる。
大丈夫、ジュースはこぼれていない。
とりあえず瓶に詰めてしまおう。
「…………思い出しちゃいけないのに」
思考を振り払うように頭を振りながら作業を進める。ジュースを瓶に注ぎ終え、蓋をしめて床下の冷暗所にしまう。ガツンッ、と、瓶同士がぶつかって大きな音が鳴った。
すでにヨル君はソファに戻っているけれど、今の音でわたしの異変に気付いたかもしれない。ちらりと視線を向ける。……大丈夫そう、ヨル君はソファで寝転がって目を瞑っている。
震える足に鞭を打って、急いで、食卓に置いてある薬を飲む。
五分後……十分後……一向に身体の疼きが収まらない。
効かなかったら、追加で薬を飲んでもいいとアゼル様に言われているから、素直に従う。
まずい……薬がなくなりそう……。
普段なら、一日に五回ほど薬を服用する。今まで、薬を一度も切らしたことがないのは、アゼル様がマメに薬を調合して補充していてくれたからなのだけれど、発情するようになってしまってから、薬の服用回数が急激に増えてしまった。
材料の関係上、次に薬を調合できるのは明後日だという。ざっと今ある薬の量を数えてみたところ、あと五回分しかない。
……大丈夫だよ……ね? さすがに五回もあれば、今日と明日は乗り越えられるよね?
結果的に、その予想は甘かった。
どうしてか分からないけれど、体の疼きが収まらない。薬を飲んでも一時的にマシになるだけで、またすぐに体が火照り始める。
自室に戻ったわたしは、ベッドのシーツを掴んで歯を食いしばっていた。無意識に腰が揺れる。太ももを擦り合わせてしまう。
体全体が何かを欲している。ソレが何であるのか、わたしも、わたしの体もよく知っている。その熱さも、心地よさも、快感も、すべて覚えてしまっている。
どうにかなってしまいそうで、必死に奥歯を噛みしめて、枕に顔を押し付けた。奥底が、何もない空間を切なげにきゅうきゅうしている。
浅ましい欲望がさざ波のように押し寄せ、どんどん大きくなっていく。
切なくて、ツラくて、苦しい。
ふと、思った。
吸血を我慢するのも、これくらいツラいものなのだろうか、と。
わたしには薬があるから、ツラくなったらそれを飲めばいい。
でもアゼル様の吸血衝動は、そうはいかない。吸血鬼が吸血すると、確実に人が死ぬ。でも吸血鬼が生きていくためには、必要なことだ。
わたしは夢遊魔のせいで魔力が欲しくなっているけれど、アゼル様の吸血衝動は元々の本能だ。ハーフだからって、吸血衝動がないわけじゃない。アゼル様は長年ずっと我慢してきたのだから、そのツラさは……想像を絶するものだろう。
それに今のアゼル様は、昔に比べて吸血鬼の力が強くなっているから、吸血衝動だって強くなっているんじゃないだろうか。
それを思うと、胸が強く締め付けられる。
「……っ」
疼きが強くなっていく。
目頭が熱くて、涙がこぼれていた。
無意識に、手が下半身に伸びていた。
ダメ……と頭の隅で思いながら、これは仕方のない事だ、と言い訳を始める自分がいる。伸縮性に富んだ寝間着に手を差し入れて、布地に触れる。触れなくても結果は分かっていた。発情するといつもこうなるのだから当然といえば当然なのだけれど、あまりにぬるぬるなので、羞恥の感情が一気に体に駆け上っていく。
心臓の鼓動がやけにうるさい。
自分が気持ちいいと思う場所に、指を動かしていく。
達する瞬間、ガチャっ……と扉が開いた。
「何度かノックしたのだけど、聞こえてなかったみたいだね」
「え、なん、で……?」
「ヨルには一度様子を見に帰るって伝えたよ」
青い瞳と視線が交錯して。
心臓が、死ぬんじゃないかってくらい早鐘を打ち始める。
──アゼル様に、シてるとこ……見られた……?
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