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第1章 わたしが知らない義兄の一面
02 変化の兆し
しおりを挟む「ああ、どうしよう……っ」
わたし──ユフィ・ハッシュフィードは、一枚の手紙を握り締めて、わなわなと震えていた。
差出人は、ランブルト・ホイットニー様。
手紙には、結婚を前提に交際したい旨が簡潔に記されていた。
ホイットニー家といえば、いま住んでいるミレスシティを治めている貴族のお家柄。会社をいくつも保有していて、街の東側にある高級住宅街に大きな邸宅を構えている。間違いなくこの辺りで一番のお金持ちだ。
ランブルト様は、そんなホイットニー家を継いでいく貴族令息。
いかにもデキる紳士風な見た目をしていて、たぶんまだ二十代。眉目秀麗のため、別名・白王子ともてはやされ、性格も明るく社交的だから、年齢層問わず幅広い女性にモテる。
正直、どうしてこんな話になったのか分からない。
ランブルト様に会ったのは、たった一度だけ。
大家さんからは『一目惚れじゃない?』と冗談半分にからかわれたけれど、本当にそうなのだろうか……?
分かんない。
でも、せっかくのお誘いだから、話だけでも聞いてみるのはありかも……? だってランブルト様は、お金持ちだしイイ人そうだし。
「あ…………まずい、くらくらしてきた……」
わたしは昔から体調を崩しやすい。
運動はもちろんのこと、外に出て日光に当たったり、ちょっと興奮するようなことがあるとすぐに体調を悪くしてしまう。
たいていは眩暈だけで終わるのだけれど、意識を失って頭を打ったことがあって、周りの人にとても心配をかけた経験があるから、倒れそうになったらムリせずに椅子に座ることにしている。
食事用のテーブルの上には、虚弱体質のわたし専用に調合された粉末状の薬だ。あとは、事前に作っておいた煎じ薬をマグカップに注ぐ。
粉末状の薬を口に含んで──
「にが……っ」
何度飲んでも慣れない味に顔をしかめつつ、煎じ薬を呷って飲み込む。ふう。この薬はすごい効果で、とんでもなく即効性。飲めばたちどころに元気になるから、とても感謝している。
「やっぱアゼル様の作った薬はすごいや……」
わたし専用の薬を調合してくれているアゼル様の顔を思い浮かべる。
「アゼル様……いつ帰ってくるのかな……」
「後ろにいるよ」
背後から聞こえたのは、甘いテノールボイス。
びっくりしすぎて上体がふらつく。倒れそうになったところで、意外とたくましい腕に抱き留められる。わたしの真上に、見惚れてしまいそうなほどの美しいお顔があった。
かたちよく整えられた眉に、高い鼻。
ふっくらとした厚めの唇。
鴉を思わせるような、しっとりと濡れた黒羽色の髪。
とりわけ吸い寄せられてしまうのは、彼の綺麗すぎる瞳だろう。
深い海の色を閉じ込めたような、憂い帯びた気高き青宝玉。
わたしみたいな濁った水のような緑色じゃない。
物静かな彼らしい濃厚な色を宿した瞳。何度見ても羨ましいと思う。憧れるなぁ、青眼。わたしも青眼に生まれたかった。
「大丈夫?」
「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしてます……」
「無理してはいけないよ。体が弱いのだから」
「はい…………ところで、アゼル様」
「なんだい」
「もう、離れても大丈夫ですよ……?」
「ああ、そのようだね」
物憂げな表情を浮かべてわたしを離したのは、アゼル・ハッシュフィード様。年齢は、五つ上の二十四歳。わたしの、義理の兄だ。
わたしとアゼル様が並んで兄妹ですと紹介するといつも驚かれる。顔も容姿も雰囲気も何もかも似ていない。アゼル様は黒髪青眼だけれど、こっちは金髪緑眼。血が繋がっていないから当然だ。兄妹は兄妹でも、義理の兄妹なのだから。
わたしが十歳のとき、男児に恵まれなかったハッシュフィード家に、養子としてやってきたのがアゼル様だった。
没落してしまったけれど、もともとハッシュフィード家は、魔物狩りを家業としてやってきた由緒ある貴族の家柄だ。
魔物──正式には<夜の住人>と呼ばれる。人間や犬猫などの動物に被害を与える生命体の総称だ。名前通り、彼らが活動できるのは陽が沈んだ夜の時間帯だけ。なんでも、陽の光には彼らの力を抑制する作用があるとかで、日中は陽の当らない場所に身を隠しているらしい。
恥ずかしい話、わたしは生まれながら魔力の少ない人間だった。<夜の住人>を狩るには魔法が必要で、魔法を使うにはたくさんの魔力が必要になる。
魔力の少ないわたしは両親と姉達からよく見られていなくて……あんまり思い出したくないけれど、物を投げられたり陰湿な嫌がらせを受けていた。家の恥さらしだー、なんて言われて、普通の部屋は与えられず、物置部屋で暮らすように強要されていた。
そんなとき、わたしの味方になってくれたのがアゼル様だった。
アゼル様は、ハッシュフィード家で孤立していたわたしを、まっとうな貴族子女として生活できるように両親に取り合ってくれた。わたしには怖くて出来なかったことを、当時十五歳だったアゼル様がやってくれた。
わたしを物置部屋から出してくれたのは、アゼル様。わたしが笑えるようになったのも、アゼル様のおかげ。誰も味方のいなかったハッシュフィード家で、救いの手を差し伸べてくれた唯一の人物。
わたしが十五歳の時に両親が亡くなり、ハッシュフィード家が没落したあと、責任感の強いアゼル様がわたしの後見人になってくれた。一緒に暮らさないかと言ってくれて、このミレスシティで家を借りて、アゼル様と二人きりで生活をしている。
薬の件もあって、アゼル様にはとっても恩を感じている。
体がもっと丈夫で健康だったら、アゼル様がラクできるように外でバリバリ働くのに……。
あ、そうだ。
「アゼル様」
「なんだい」
「ランブルト・ホイットニー様って知ってますか?」
「もちろん。街一番の有力者だからね」
「その彼から、結婚を前提にしたお付き合いの打診を受けたんですが……」
ハッシュフィード家で受け継いだ技術を使って、アゼル様は街を<夜の住人>から守る特別な警護の仕事をしている。給料はいいけれど、<夜の住人>が活発になるのが夜だから、仕事は夜勤がほとんど。わたしが無駄に不健康なせいで、きっと無理して夜勤の仕事をしているんだろう。夜勤はシフト制で、どうしても不規則な生活になってしまう。今日は顔色がよさそうだけれど、この間のアゼル様はわたしより青白い顔をしていた。
きっと夜勤のせいで体調を崩しているけど、より体調を崩しがちな人間がいるから、元気なフリをしているんだろう。
申し訳なかった。
ランブルト様と結婚して、お金の援助……までは望みすぎだけど、わたしがいないぶん生活費用が浮いて、アゼル様がラクできればいい。心だって軽くなるだろう。
そう思って、相談をしたのだけれど。
「ダメだ」
アゼル様は、冷たくそう言った。
「え? あの、まだ結婚するとかは考えてなくて、ひとまず会って話を聞いてから判断しようかなと。それにランブルト様のお家ってお金持ちじゃないですか」
「結婚も付き合うのもダメだ。俺は認めないよ」
「でも、会う前からそんなこと言うのは……」
「ユフィ、君の体は他人とは違うんだ。ランブルトという男と付き合って、結婚するって話になれば、きっと貴族夫人として多忙を極めることになる。一日三時間の針子職で悲鳴をあげてるのに、耐えられると思うの?」
「そ、それはそうですけど……」
アゼル様の言い方は少しきついけれど、わたしの体をとっても心配してくれている。
わたしたちが住んでいる借家の大家さんのもとで、わたしは針子として働いている。それもぶっ続けではなく、休憩を挟みながら。大家さんがとてもいい人だからこんな働き方が出来ているけれど、これでも中々の体力を消耗するのだ。
もし貴族夫人になれば、色々な社交場に出て挨拶回りもしないといけないだろう。上流階級のダンスや会話術だって身につけないといけない。
過労で倒れる未来が視えちゃうなぁ……。
「俺は君の保護者兼後見人だ。君の意見は出来る限り尊重したいけど、体の事もあるし……それに、前に男に襲われそうになったの忘れたの?」
「そ、それは……そうですけど」
去年の話だ。
とある男性から交際を申し込まれたことがある。
わたしはアゼル様に相談も何もせずに、いいヒトそうだからと二人きりで食事をしたのだけれど、会食中に体調を崩してしまった。介抱してくれた男性が、わたしの体調がよくなったところで、急に眼の色を体に触ってきたのだ。
そのときは何とか逃げ出した。
泣いてアゼル様に抱き着いてしまうくらい、怖かったのを覚えている。
「わたしだってもう十九歳ですし……いちおう成人済ですよ……?」
「危機感も自衛力を足りないから、それが身につくまで男との交際はNG。危なっかしくて見てられないよ。ダメって言ったらダメ。はい、この話はこれでおしまい。断りの手紙を送っておきな」
「……はーい」
ぴしゃりと言われて、しょんぼりしてしまう。
アゼル様が近づいてきて、わたしの顎を掴んで、じろじろと見られた。
「今日の顔色は……うん、いつもより良いみたいだね」
わたしの体調を気にしたアゼル様がよくする行動だ。
顔が近くて、最初は緊張したり恥ずかしくなったりしたけれど、今では慣れたもの。……ううん、ちょっとウソ。アゼル様はとっても綺麗な顔立ちをしているから、今でも少しドキドキする。
アゼル様って、彼女とか……好きな人とかいないのかな? 貴族ならお家のしがらみで政略結婚させられるけど、もう平民落ちしてるから、パートナーは自由に選べる。もし、いたら紹介してほしい。アゼル様の恋は全力で応援したい。
アゼル様は、わたしの顔を心ゆくまで眺めると、軽く頷いた。あ、いま笑った。アゼル様は落ち着いた男性で、あまり表情を表に出さないことが多いから、たまに見せる微笑にキュンとしてしまう。
「あんまり無理したらいけないよ。じゃあ俺は部屋に戻るから」
「あ、待ってください。もう一ついいですか?」
「ん?」
わたしは背中を向ける。
肩より上で切り揃えられた髪を払い、うなじを見せる。
「いつからあったのか分かんないんですけど、一昨日の朝に触って気付いたんです。ここに何かに噛まれた痕があるんですよ。もう治りかけてるんで、分かりにくいと思うんですけど」
「…………」
「虫……にしては大きいですよね。これ、なんだと思いますか?」
「…………」
うなじよりもやや側面側に、まるで鋭い犬歯で噛まれたような痕が二つもあるのだ。
ただの虫刺されだと、ここまで大きな穴にはならないだろう。
大家さんに見せた時は「犬に噛まれたの!?」ってとってもびっくりされた。アゼル様なら、何に噛まれたのか分かると思った。
アゼル様が、わたしの首筋をじっと見つめている。
アゼル様の顔がゆっくりと近づいてきて……。
え? 近づいてきて?
「アゼル様?」
ハッとした顔で離れていくアゼル様。
自意識過剰だろうか。
言わなかったら、アゼル様の唇がわたしの首筋に触れていたような気がした。さっきの驚いた顔を見る限りだと、顔を近づけていたことすら意識していなかった、という感じだ。
「……さあ、なんだろうね」
アゼル様は口もとの手をあてながらボソッと呟くと、わたしの横を通り抜けてさっさと自室に引っ込んでしまった。
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