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本編
2-3 吸血鬼の古城
しおりを挟む古城の敷地面積はとても広く、中庭はとても立派なものだった。
手入れする人間がいないため、庭一面が茶色い雑草で埋め尽くされている。生えている植物は花をつけない蔦や蔓ばかりで、ようやく見つけたと思っても、小さなシロツメ草の白い花だったりする。
(…………ん。やっぱりあんまり美味しくない)
何年も手入れされていない中庭の花なんて、ろくなものなんてないだろうと思っていたけが、予想は的中。土はやせこけパラパラで、枯れた土地に強い植物だけが生き残っている状況だ。アザリアの経験上、痩せた土地で育った雑草の花は不味い。それでも花弁を食べる手が止まらないのだから、《花喰らい》という病は本当に不思議なものだ。
(いっそのこと、なんでも美味しく食べられたらよかったのに……)
小さな花を見つけては摘み、美味しくないなぁと呟きながら、あてもなく中庭をさ迷う。
(あの家の花、持って来ればよかったかな……)
もう過ぎた話だが、あの家には多くの花が咲き誇っていた。全部は無理でも、いくつか持ってくれば腹の足しになっただろう。
「あれ……」
目の前に現れたものを見て、アザリアは足を止める。
「もしかして、温室……?」
ガラス張りの天井や壁はほとんど割れて、骨組みがむき出しになっているものの、その見た目は両親が研究用の魔法植物を育てていた施設と同じ。かつて古城に住んでいた貴族か誰かの所有施設だったのだろう。室内も荒れ果てていたが、ここだけ他の場所とは明らかに異なる点があった。
「花が……咲いてる……」
クチナシ、アネモネ、チューリップ、スイートピー……。雑草だってたくさん生えていたが、それに負けないくらいの勢いで花々が咲き誇っている。ほとんどが白色だったが、中にはアザリアが好きな赤い花もあった。
「アマリリス……」
近づいて、観察してみる。
一枚一枚の花弁がとても大きいアマリリスは、両親が好きだった花で、家にもよく飾られていた。アマリリスは花弁のかたちや咲き方から、乙女たちが談笑しているみたいだと表現される。アザリアの母も生前「アザリアがアマリリスを持っていると、本当にお話しているみたいね」と、笑っていた。幼少期の頃、実際にアマリリスに話しかけた事もある。当時のメイド達に写真に収められて、いっときの話題になったほどだ。
「これ、もしかして光ってる……?」
花弁や茎がほんのり色づいている気がした。
もっと暗い時間に来ればよかった。
(このあたりは寒い。周りは霧だし、陽の当たりも悪い……)
ここに咲いている花々は、そこまで寒さに強い品種ではない。
何十年も放置されてきた中庭で、雑草にも負けずに咲き続けるなんて、ほとんど不可能だろう。
それでも、これほどまで見事に咲き誇っているということは──
「ここにある花……、ぜんぶ魔法植物………?」
魔法植物というのは、魔法をかけて人工的に作り出した植物の総称である。作り出した、といってもゼロから生み出すわけではない。元となる植物に少しずつ魔法をかけ、花自体の細胞組織を変化させていくのである。魔法植物の優れている所はたくさんあるが、分かりやすい例は難病を治す薬の材料であることだ。
もちろん、アザリアが目にしているアマリリスのように、花自体をほんのり光らせて、観賞用に特化させることも可能である。
(もしかしてこの花たちは……枯れないように改良されてるって、こと……?)
だから何十年も放置されていた古城なのに、枯れていない花があった。
他にも気になることはたくさんあったが、それもアザリアは、空いた腹をなんとかしたくてたまらなくなっていた。
「あ…………綺麗だな…………」
アザリアはその赤い花──アマリリスの茎にそっと指をそえる。
それだけで分かった。この花は、大量の花蜜をたくわえている。《花喰らい》にとって、花蜜は極上の味だ。
最近雑草の花弁しか”食べて”いなかったアザリアは、その花の茎を手で掴み、口をあけて花弁を迎え入れていた。
花弁を葉ですりつぶし、花粉を唾液でないまぜにする。少しだけ口をすぼめて、奥にある蜜をちゅぅっと吸い出してやれば、ほのかな苦みと一緒に甘い香りが鼻へ突き抜けた。甘美だ、と思わず天を仰ぎ見る。
「……………おいし」
極上のデザートとはこのことで、つい夢中になって魔法の花を食べ続けていた。この調子だと、二、三日の間にアマリリスを全てたいらげてしまうだろう。残念ながらアザリアには、魔法植物をゼロから生成する技術は持ち合わせていない。だが両親の持っていた魔法植物の本や論文は、親の目を盗んでよく読み漁っていたため、それなりに魔法植物に関する知識を持っている。
(どうにか、減らさないようにしたいな……)
アマリリスをどうやって増やすか、その計画を考えながら古城の中を歩いているとき、食料を両手に抱え込んだお兄様とばったり出会った。買った食材の中にニンニクがあったので、ことさらにびっくりしてしまう。
伝承によると、吸血鬼は匂いの強い香草などを嫌うという話だ。とある大衆小説のなかでは、お腹を空かせた吸血鬼が街を徘徊していたが、煙突から香る強烈なガーリックの匂いに、鼻水と涙が止まらなくなり、そのままぽっくりと死んでしまったらしい。
さすがに……今まで何人ものヒトを食らってきたお兄様が、たかだか人間の作るガーリック料理程度でやられるとは思っていないけれども、どんな屈強な大男でも急所があるのは万人の知るところであるし、完璧に見えそうな吸血鬼でもそういうのが弱点なのかと、アザリアはそんなことを考えてしまう。
だがそれは杞憂に終わった。
お兄様曰く「ニンニクの匂いを嗅いだだけで吸血鬼が死ぬんだったら、私はとっくの昔に死んでいる」だそうだ。確かにそうだ。吸血鬼をやっかむ人間がいれば、ニンニク武器を使わないわけがない、と妙に納得してしまった。
食材を買ってくれたのはいいものの、お兄様は料理ができない。
あの家で仕込まれた料理のテクニックを振るい、食事を摂った。美味しい花を食べた後に、美味しい肉料理を食べるなんて、とても贅沢である。念のために「お兄様はどうですか」と聞いてみたが、お兄様は料理に興味を示さなかった。
ただ、ニンニクの利いた肉料理を頬張っていると、しっかりと彼に観察された。どうやらお兄様にとって、人間の食事シーンは珍しいらしい。目を輝かせている……まではいかないものの、興味深そうな顔だった。お兄様は人間観察が好きなのだろうか。蛇が兎を捕食する前に、兎の食事シーンを眺める……みたいなことなのだろうか。
そんなことを思いながら、アザリアはステーキの最後の一切れにフォークを突きさす。
(私からすると、吸血鬼が吸血しているところのほうが珍しいけどな……)
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