2 / 27
本編
1-1 花喰らいの乙女
しおりを挟む最近、養母のヒステリーが如実に回数を増した。
いつもなら小言を言われるだけで済むはずの部屋の掃除も、小さな埃を一つ見つけただけで大騒ぎし、呼び出しをくらう。騒がしく物音を立てて彼女の横を通り過ぎようものなら、目を吊り上げられて肩を小突かれる。虫の居所が悪ければ、目が合ったという理由だけで不愉快そうな顔をされ、口答えしたらビンタが飛んでくる。掃除の仕事を増やされる事もしばしばだ。
「養ってもらってる分際で、私を睨みつけるなんて。ほんと、本当に気に入らないわ」
──睨むほどあなたに興味なんてないのに。
アザリアはいつもそう思っていた。
アザリアの生みの親は、魔法──とりわけ魔法植物と呼ばれる植物分野に精通した研究者だった。
住んでいた場所は小高い丘の上に建てられた一軒家だ。腕のいい庭師がいて、掃除や洗濯はもちろん体の手入れまでもがメイドたちの仕事。そんな裕福な家に生まれたアザリアは、箒一つ持ったことのない正真正銘のお嬢様だった。
言葉を覚え、読み書きを覚え、一人で身の回りの事が出来るようになった頃に、両親が病で亡くなった。
病の名は《花喰らい》──
非常に珍しい病である。
体のどこかに《花弁》のような痣が出来るのが特徴で、発症するとありとあらゆる“花”を食べ続ける。珍しい花や野に咲く小さな花、雑草など、花弁があれば花の種類は問わない。発症した者は、虚ろな様子で花を手で引きちぎり、大口を開けてむしゃむしゃと食べてしまうのだ。
症状が進むと、肉や魚などの食べ物に魅力を感じなくなり、花だけを食べるようになる。体のどこかからか茎が伸び、大きな花を咲かせる。そして、人間はまるで花に命を吸い取られるかのように絶命するのだ。
根本的な治療方法が見つかっていない。
当時幼かったアザリアも、両親が花を咲かせて干からびていく様子を呆然と眺めているだけに終わった。
研究者として多くの功績を残していた両親は、莫大な財産を所有していた。一等地の土地に、別荘が一棟、さらに有名な製薬会社の株主権。母親が趣味としていた絵画やアンティーク系の装飾品は、オークションに出せば高値がつく一品ばかりで、父親が仕事の合間にふかしていたパイプ式のタバコ類は、有名ブランドの限定商品で、マニアが見れば喉から手が出るほど欲しい品々。
たった一人の愛娘にも、将来の為にと多くの貯金が残されている。
アザリアの親権は莫大な遺産を手に入れるおまけ品となり、莫大な遺産を狙って親戚間の争いが発生した。嘘や方便なんてあたりまえ。誰が愛娘のご機嫌をとれるか、そんな薄っぺらいやり取りが何度も続いた。最終的に親権を勝ち取ったのは、子どもがおらず親戚間のなかで若い部類に入る、アザリアの母方の親戚夫妻だった。
夫妻──以後、アザリアの養父母となった彼らには、アザリアの生前の父と因縁があった。
時はアザリアが生まれるよりも前のこと。
養母はまだ独身だった父を見初め、一方的に懸想していた。だが養母の実家は、典型的な研究者嫌いの集まりだった。交際どころか告白すら反対するような家に生まれた養母は、父を遠巻きに眺めるだけに終わった。
養母の強い想いとは裏腹に、父は当時研究者の卵だった母と出会い、無事に添い遂げた。いわゆる恋愛結婚である。
それが、養母にとって屈辱だった。
養父と結婚した後も養母は母を一方的に恨み、母の死後、積もった怨恨の情がアザリアに向いている。
「──花を食べるなんて気持ち悪い。あの女と同じ、美しいものにたかる害虫だわ」
あぁ、今日もだ。
今日もまた、恨み節のような声をかけられて、アザリアは手をとめた。
「あぁ気持ち悪い気持ち悪い。この病が他人様に感染しないって、誰が保証してくれるのかね」
《花喰らい》は、何もかもが未知の病だ。
発生原因も治療方法も不明。
もともと《花喰らい》の治療方法を研究していたのが、アザリアの両親だった。
この世で最も《花喰らい》に詳しかったはずの二人ですら、病を発症して死んでしまった。
親が《花喰らい》だった場合、子にもほぼ確実に遺伝することが分かっている。
患者が死ぬ間際に咲かせた花粉を吸い込んだからだとか、遺伝的に《花喰らい》を発症しやすいだとか、そんな噂がまことしやかに囁かれているが、真相は不明だ。
現にいま──
アザリアは、養父母に引き取られて今に至るまでの間に《花喰らい》の初期症状──花を食べたくなる体質に変化している。
不快な女の娘が花をむしゃむしゃと食べているのは嫌だろうから、アザリアは気を利かせて、人が寝静まった時間帯を狙って裏庭に訪れていた。いつもなら雑草を食べるのだけれど、今日はお腹が空いて、ついつい目の前にある赤く細長い花弁を一つ、食べてしまった。
養母が花好きでなくてよかった。
もし花が好きだったら、はり倒されてビンタされている頃だろう。
小言なら、聞き流せばいいだけのこと。
どれだけ怒りっぽい人間でも、相手がしおらしくしていれば気が収まる。それまで耐えればいい。今日はどれだけ小言が出るだろうかと、気落ちした表情を取り繕いながら目線を下げる。
(嫌いな女の娘なんて、見るだけで嫌だろうに……)
よくここまで粘着できるな、と他人事のようにアザリアが思っていたときだった。
裏庭に養父がやってきたのである。
「こんな時間まで起きていたら、ママの美容にかかわるんじゃないか?」
養母と同じく四十をすぎており、見た目に覇気がない。養母の行いを見てみぬフリしかできず、軟弱な性格の持ち主。優し気な雰囲気を纏って、“良い人”だと認めてもらおうとする節がある。
養父の機転で、養母の小言からは解放された。
だが困ってしまった。
最近、養母のヒステリーの回数が増えたのは、実は養父のせいでもあるのだ。
「アレの性格にはほとほと困ってしまうよ」
養母を気遣いながら寝室に戻った養父が、アザリアのいる裏庭に戻ってきた。ため息をつきながら、アザリアの華奢な肩に手を置いている。そのまま背中を伝い、腰辺りをさわさわと撫で始める。アザリアはピクリとも動かなかった。
「アレと結婚したのは本当に良くなかった。子は孕まないし、気が強くて男を立てるということをしない。親の言いつけがなければ、すぐにでも離婚してやったのに……」
養母がいないとき、養父はいつもこんな調子だった。体中を撫で回す感覚に悪寒に似た何かを感じながら、アザリアは養父に連れられて書斎に入った。
養父は同じような愚痴を何度もこぼし、アザリアはそれにコクコクと頷くだけ。気をよくした養父が、思ってもみない事を口にしはじめた。
「アレじゃなく、おまえの母親と結婚したかったんだ」
12
あなたにおすすめの小説
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
専属秘書は極上CEOに囚われる
有允ひろみ
恋愛
手痛い失恋をきっかけに勤めていた会社を辞めた佳乃。彼女は、すべてをリセットするために訪れた南国の島で、名も知らぬ相手と熱く濃密な一夜を経験する。しかし、どれほど強く惹かれ合っていても、行きずりの恋に未来などない――。佳乃は翌朝、黙って彼の前から姿を消した。それから五年、新たな会社で社長秘書として働く佳乃の前に、代表取締役CEOとしてあの夜の彼・敦彦が現れて!? 「今度こそ、絶対に逃さない」戸惑い距離を取ろうとする佳乃を色気たっぷりに追い詰め、彼は忘れたはずの恋心を強引に暴き出し……。執着系イケメンと生真面目OLの、過去からはじまる怒涛の溺愛ラブストーリー!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる