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兄様とわたし

24 2年後

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「ルディちゃーん!!」
「はーいっ!」
 
 わたしを呼ぶ声が聞こえて、大きな返事をする。掃除する手を止めて、慌てて走った。

 いま、わたしを呼んだのはシスヴェルさんという女性だ。年齢は怒られるから聞いたことないけど、たぶん50くらい。

 わたしが産まれる時、母の助産師をしていた人。

 まだ乳母が退職する前、だいたいわたしが5歳くらいまでは、乳母とシスヴェルさんが仲良しだった関係で、わたしもシスヴェルさんと遊んでもらったことがある。

 乳母が退職したあと、シスヴェルさんとの交流はなくなった。でもある日、シスヴェルさんがテルテットという街で診療所を開いていることを、母が教えてくれた。

 わたしが家から飛び出して、シスヴェルさんを真っ先に訪ねた理由も、コレだった。

 父は失踪、母を頼るのは兄様にすぐ連れ戻される可能性があったから、シスヴェルさんを頼るのが一番安心だと思った。

 シスヴェルさんならわたしのことを知っているし、なによりテルテットという街に住んでいることを兄様に知られていない。

 わたしは家から出て、馬車を乗り継いで真っすぐシスヴェルさんの住むテルテットという街に向かった。移動資金は、持ってきていたドレスと宝石を売り払った。

 最初は子どもだからマトモに取り持ってくれないのではと心配したけれど、わたし名義の宝石で、ちゃんと権利書を持参していたから、訝しげな顔をされながらも何とか現金を手に入れた。

 手に入れたお金を使って、乗合馬車を十回以上乗り継いでテルテットに着いた。田舎かと思っていたテルテットは、かなり大きな街だった。

 名前と性別、診療所という手がかりをもとにシスヴェルさんを探したけれど、シスヴェルさんに辿り着くのに丸2日もかかった。

 シスヴェルさんの診療所は、いわゆるメインストリートと呼ばれる繁華街ではなく、街の外れにひっそりと建っていた。食べるものに困っている人向けに、格安で医療を提供しているそうだ。だからシスヴェルさんは信頼され、街の人に慕われている。

 この身一つで家を飛び出したわたしには、シスヴェルさんしか頼る相手がいなかった。


『わたしを雇ってください』


 シスヴェルさんにすぐそう言った。

 最初は断られた。家出だと思われ、すぐに帰るように諭された。でも引き下がらなかった。雇うと言われるまで、診療所の前で粘るつもりだった。

 普通なら、常識のない子どもだと呆れられ、街の自警団に突き出されていただろう。でもシスヴェルさんは、診療所の明かりをつけて、様子を見に来てくれた。

『ルディちゃんみたいな可愛い女の子が外にいるのは危ないよ。ここは治安が悪いからね、早く入りな』

 翌日からシスヴェルさんのもとで働き始めた。診療で忙しいシスヴェルさんの代わりに、掃除や炊事、洗濯を行う。包帯を巻くくらいの手伝いもやったりした。

 シスヴェルさんとわたしは診療所で寝泊まりしている。シスヴェルさんは、本当は家族と暮らしている家があって、最初はそこで暮らさないかという話になったのだけど、男性が多いのがちょっとキツくて丁重に断った。シスヴェルさんも診療所に寝泊まりしてくれているのは、若い娘を一人で診療所に泊まらせるわけにはいかない、と、わたしを心配してくれての事だった。本当にシスヴェルさんには頭が上がらない。

「おお、来たね」

 ふくよかな体型をしたシスヴェルさんが、走ってきたわたしを見てニコリと笑った。

「はい、これ」
「え……? なんですか、これ?」

 小さな巾着を渡される。
 持ってみると、ジャランっと音がして、少し重かった。

「今日、ルディちゃんの誕生日だろう? これで好きなもの買ってきな」
「いただけません!!」

 診療所で仕事がもらえて、雨風をしのげる家があるだけで嬉しい。
 お給金だっていただいているのだ。
 格安で医療を提供しているから、わたしを雇うことだってギリギリなのに。
 
 とてもじゃないけれど、貰えない。
 巾着を押し返すと、シスヴェルさんにまた押し返された。
 意外と力が強い……!

「忘れてたとはいえ、去年の誕生日は何もしてあげられなかったからね。今年は去年の分と合わせてるんだよ」
「だからってお金をいただくわけには……!」
「おばちゃんはねえ、最近の若い子の好みがてんで分からないんだわ。ルディちゃんがここに来てすぐの頃に、自分の孫に靴を買ってあげたら、全然好みじゃない、ルディちゃんが履いてる靴みたいに可愛くておしゃれなやつがいい! って怒鳴られたもんだよ」

 わたしがいま履いてる靴は、16歳の時にもらった誕生日プレゼントだ。
 お出かけ用のお洒落靴にする予定が、毎日履きつぶしているため、今ではかなりボロボロになっている。まだ使えるし、新しい靴を買う余裕もなかったため、そのままにしていた。

「ルディちゃんは今日で18歳になるんだから、このお金で、何か新しい物を買うといいさ。靴でも服でもアクセサリーでも」

 わたしが家から出て、もう2年近くも経っている。
 時が過ぎるのが早くて、本当に驚く。

 ……レザニード兄様は、今ごろどうしているんだろう。
 
 また兄様のことを考えそうになって、頭を振った。今のわたしはオルソーニ家とは全く関係のない、ただのルディだ。貴族でも何でもない。一介の従業員であり、どこにでもいる平凡な女の子。

 それに兄様ならきっと大丈夫。立派にオルソーニ伯爵としてやっているだろうし、もしかしたら……もう誰かと結婚しているかもしれない。

「……いるんだろう?」
「え?」

 話、全然聞いてなかった。

「だから、意中の男性さ。その人のために、お洒落しないと」
「あぁいや、あんまりそういうのには……興味なくて……」
「そうかい。まぁ、早々イイ男なんて現れないからね。でもルディちゃんは綺麗な金髪だし、目も大きくて、お人形さんみたいな顔してべっぴんさんだから、すぐに彼氏の一人でも連れてくると思ったんだけどねぇ」
「あはは……」

 そこそこの数の男性には……声を掛けられている。
 今のところ連れて行かれそうになったことはないけれど、怖いものは怖い。今のわたしには守ってくれる人がいないから、人目がない場所に一人で行かないようにしたり、夜に出歩かないようにしていた。

 わたしって、そんな誘拐しやすそうな顔をしてるのかな。
 確かに、18歳になっても童顔だし、身長なんてほとんど伸びなかったけれど……。

「あ、そうそう。金髪っていえば、うちの孫が今朝、街でとんでもなくかっこいい、まるで王子様みたいな背の高い男性を見かけたって、あんな人が彼氏に欲しいってきゃあきゃあ騒いでたねぇ」
「王子、様……?」
「ルディちゃんと同じ金髪らしいよ。そんなに男前なら一度くらい見てみたいものだねぇ」

 王子様、か。
 わたしも、そんな言葉が似合う男性を一人だけ知っている。

 ちょっとしんみりした気分になる。
 きっと天気が悪いせいだろう。

「せっかくの誕生日がこんな曇り空だと気分も盛り下がるだろうけど、家にいるより、このお金でショッピングを楽しんだほうがよっぽど有意義だよ。人に見せなくてもいいから、可愛い服を買ってきな」

 シスヴェルさんがわたしの背中を押す。まだ掃除が残っていると言えば「早く行ってきな」と、思い切り背中を押された。

 お言葉に、甘えよう。
 わたしはシスヴェルさんに頭を下げてから、傘を持って、街に出かけた。


 どんよりとした分厚い雲が、街を覆っている。

 シスヴェルさんには雨が降る前に帰ってくればいいと言っていたけれど、出かけて30分ほどで降ってきた。

 わたしは雨が嫌いだ。
 理由は、思い出してしまうから。

 エーベルト様に純潔を捧げ、レザニード兄様を狂わせてしまった。
 あの土砂降りの雨が降っていたあの日を、イヤでも思い出す。


「自分への誕生日プレゼント……」


 せっかくシスヴェルさんにお金をいただいたのだから、何か新しいものを買って帰ろう。まさかシスヴェルさんからの初めての誕生日プレゼントが、貨幣になるとは思わなかったけれど。

 傘をくるくると回しながら、たくさんいる人の波に紛れて、大通りを歩いていた。
 有名な服飾店や帽子屋さんがのきを連ねている。
 ここは本当にお洒落で、大きな街だ。

 わたしの知り合いなんて一人もいない。
 誰もわたしがオルソーニ伯爵家の娘だという事を知らない、そんな街。
 
 何かわたしが一人でも入れそうなところはないか。

 そうやってキョロキョロしていると、数十メートル先に靴屋さんの看板を見つけた。
 わたしが履いてる靴と同じブランドの店。
 もしかしたら新作が出ているかもしれない。
 
 見に行こう、かな。たぶん貰ったお金を全部出しても足りないくらい高いだろうけれど、ショウケースを見るだけならタダだ。うん、見るだけなら人に迷惑かけない。
 
 お店の中から誰かが出てきて、傘をさした。
 傘に隠れて顔は見えないけれど、質の良い服を着ていて、すらっとしている。身長も高くて、おそらく男性。手には紙袋を持っている。紳士の靴を買ったのかもしれない。あるいは、誰かのプレゼント用に靴を買ったのかも……。

 その人の傘が動いて、鼻と口もとが見えた。

 シャープな顎に、綺麗な鼻先。
 それだけでも、その人の容姿が整っていることが分かる。

 

 …………わたしは、そこで立ち止まった。



 彼が、わたしの方に向かって歩いてきた。
 傘が動いて、顔を見ることが出来た。

 
 サラサラの金色の髪。
 ハッとするほど綺麗な紫水晶アメジストの瞳。
 すっと通った鼻梁。
 ふっくらとした厚めの唇。

 わたしの近くを歩いていた女性が、かっこいい、まるで王子様みたい! と、その人を見て黄色い悲鳴をあげた。
 わたしも、同じことを思った。

 かなり離れた場所にいるはずなのに、“王子様”と目が合った気がした。

 唇が、微かに動く。

 声は聞こえなかった。
 雨音がうるさいし、なによりこの距離だ。
 でも何と言ったのか、わたしには分かってしまった。





 ────やっと見つけた。





 その瞬間、わたしは逃げるように走り出していた。





 雨が、本降りになってきた。




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