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兄様とわたし
21 兄様のために出来ることは
しおりを挟むわたしとレザニード兄様の二人きりの生活が始まって、三か月が経過していた。
兄様は宣言通り、わたしにキスをしなくなった。だからといって、わたしに触れなかったわけではない。むしろそれをしないかわりに、ことあるごとにわたしを抱きしめようとしてくる。
兄様のなかで、どうやら『キス=唇を重ねる』という定義があるらしく、首筋を舐めるくらいなら違反にならないらしい。……また屁理屈っぽいな、と思う。
兄様に対して恐怖がないかといえば、正直、まだある。
わたしは普段、仕事をしている兄様のかわりに家の掃除や三食分の料理を作っている。そのとき、兄様がどういうものが好きか、どういう料理なら喜んでくれるか、そんな事を考えるときは全然平気だった。
兄様が近づいてきて、わたしに触れようとする時だけは、身体が硬直してしまう。監禁されて犯されたあの日と同じように、誕生日に薄暗い部屋の中で兄様に犯されたのがトラウマっぽくなっているのだろう。
暗い表情を浮かべてわたしを閉じ込めようとする怖い兄様と、わたしを守ってくれる優しい兄様が、浮かんでは消えて、また浮かぶ。
「わたし、どうしたらいいんだろう……」
兄様から愛情を受けるたびに、また、あの言葉を思い出すようになってしまった。
『あなたは雄を惑わし狂わせる』
兄様がわたしを欲しいと思うようになったのも、どんどん狂気に染まっていったのも、きっとわたしのせい。わたしが昔、かっこよくて素敵な兄様を、“欲しい”と思ってしまったから、優しい兄様が応えてくれた。
まだエーベルト様と婚約関係にあったときは、エーベルト様と結婚することで兄様から離れ、兄様を狂気から解放しようと思っていた。
でも今は、エーベルト様と結婚することは出来ない。婚約を破棄してしまったし、あのまま結婚に踏み込めば、兄様の狂気がもっと増して、エーベルト様が危険に晒される可能性もあった。
婚約破棄したこと自体は後悔してないのだけれど、兄様に外堀を埋められてしまった感が強くて、このままだと兄様から離れることが出来ない。
「兄様…………」
わたしはきっと穢れた存在だ。
穢れたわたしが兄様の近くにいるのは、兄様のためにならない。
でも、踏み出せない……。
兄様を元に戻したい思いがあるのに、傍を離れたくない思いもある。怖い兄様がいるのも分かっている。でもそれ以上に、兄様がとても優しい人だという事を知っている。
「泣きそう……」
感情がぐちゃぐちゃになってきた。
もう少しだけ、悩もうと思う。
*
それからまた一週間が経った時のこと。
レザニード兄様に相談があるといって、領内でそこそこの土地を所有している50代の男性が家を訪れた。
背筋がピンッと伸びていて、きっちりとしたスーツを着ている。
いかにもやり手という雰囲気があって、おっかなびっくりしながら応接室に案内した。
兄はもうすぐ参りますのでお待ちください、そう言って離れようとしたとき、声をかけられた。
「お噂は本当だったのですね」
「噂……?」
「ええ。伯爵が婚約者との婚約を破棄し、両親すら家から追い出して妹君と二人で暮らしをしているという話ですよ」
「!!」
わたしは今まで、自分の事だけで精一杯だったから考えていなかったけれど、言われてみればこの状況は中々に異常だ。伯爵位を継いだ兄様が家政婦の一人すら雇わず、結婚もせず、妹のわたしと二人きりで暮らしている。
これから婚約者を見つける予定があるわけでもない。おそらく兄様は、生涯独身を貫くのではないだろうか。
わたしと一緒に暮らすために。
「色々な噂が飛び交っておりますよ。例えば……そうですね、レザニード伯が男色家で女性に興味がないとか、子を作れない体になっているとか。真実はどうあれ、実に残念なことです」
「残念、というのはどういうことでしょうか」
「他家との結婚がそれだけ重要ということですよ。繋がりも何も持てない、子を作っていないので他から養子を取る以外に伯爵家の存亡はないのです。結婚していない人間として、あまり良いようには見られないでしょうね」
「そんなに、重要ですかね。……結婚って」
「ええ、むろんです。特に、今のレザニード伯はパートナーがいない状態。誰かと婚約できる状態であるにも関わらず、他の貴族令嬢からの婚約の申し入れを断り続けているという話も聞きました。……レザニード伯はとても優秀な方なのに、この姿勢を続ける事で伯爵の箔に傷がつかないものかと、そこだけが気がかりですよ」
いつも、いつも……兄様は自分を犠牲にしていた。
わたしが産まれたその瞬間から、仕事で家にいない両親からわたしの面倒を見るように言われていた。わたしの相手をするようになって、伯爵となるための勉強時間が足りなくなると、今度は睡眠時間を削るようになった。
流行り病にかかって高熱を出したのも、わたしが公園に行きたいと言ったのが主な原因だけど、慢性的な睡眠不足で体が万全ではなかったんじゃないか、という話を、後でお医者様から聞いた。
監禁部屋から帰ってきて、父に殴られた件もそう。
兄様は口癖のように「俺が悪いから」と言って、わたしを守ろうとする。
わたしはあまりにも、レザニード兄様の優しさに甘え過ぎていた。
このままわたしが兄様の傍にいると。
もっと兄様が不幸になるかもしれない。
それは。
それだけは絶対にいやだ。
わたしはどれだけ不幸になってもいい。
レザニード兄様だけは、幸せに生きてほしい。
「だから、どうか妹であるルディカサブランカ様にも伝えておいてほしいのですね。それとなくでよろしいので、レザニード伯に良い家柄の子女と結婚するようにと……」
わたしの背後に、兄様が立っていたのはその時だった。
「俺は結婚しません。婚約者もいりませんよ」
兄様に肩をぐいっと掴まれ、背に隠された。
「接待してくれるのは助けるけど、長いこと他の男を視界に入れないでくれるかい。嫉妬するから」
兄様が部屋から出るように促してくる。
わたしの心は、もう、決まっていた。
もう揺らがない。
この胸の痛みを無視して、兄様のために行動を開始した。
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