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因縁編
12 愛と憎しみ・前編
しおりを挟む「ルディ様、いかがなされましたか?」
わたしがお腹を押さえていると、ポアロさんが心配してくれた。「大丈夫です」と伝える。でも痛い……。胃の辺りがキリキリした。
「よかったら横になられますか?」
「あぁいえ、兄がすぐに帰って来ると思いますので、お気遣いなく……」
レザニード兄様はいま、婚約者であるリリーさんと大事な話をしている。父は「誠意を持って接するように」と強く言っていて、兄様もそれに同調していた。だからわたしは、リリーさんに謝罪して婚姻関係を続けるものだと思っていた。
『親からの承認よりもルディが欲しい。ルディ以外に欲しいものなんてないよ』
馬車でこの言葉を聞くまでは。
兄様は……わたしを諦めていなかった。リリーさんとの婚約を今度こそ解消するのかもしれない。リリーさん、とっても兄様のこと好きだったのに……。
「遠慮なさらずとも良いのですよ」
「でもここにいないと、兄が心配するので……」
わたしがここからいなくなったら、かなりマズイ状況になりそうな気がする。死に物狂いで探して、わたしをまたどこかに閉じ込めようとするかもしれない。監禁されるのは嫌だし、怖い。手枷をつけられるのも、ずっと快楽を与えられ続けるのも耐えられない。
ポアロさんはニコリと微笑んだ。
「確かにレザニード様はルディ様を溺愛されていますよね」
「は、はぁ……」
溺愛……。
確かに、そうなのかもしれないけれど。
今の兄様のソレは、狂気じみている。
「でもそのせいで、リリーお嬢様が涙を流していらっしゃるのですがね」
なんかポアロさんの雰囲気が、変わった──?
ポアロさんがわたしに近づいてくる。本能的に恐怖を覚えて、イスを引いて逃げようと思ったのだけれど、ちょうどそのとき、視界がぐにゃりと歪んだ。
あ、れ……?
平衡感覚がなくなって、わたしの体が地面に倒れる。
視界が暗転した。
*
重い瞼を開けてみると、目の前に大きな枕があった。どうやらわたしは、うつ伏せで寝ていたらしい。頭痛がひどくて、気持ち悪い。体もすごく怠い。
「起きましたか」
聞き覚えのある声に視線を向けてみると、ベッドの端にポアロさんが座っていた。ハーフグローブをつけた手には、金色の懐中時計がある。どうやら時間を確認していたようだ。
「え……?」
辺りを見渡して、気付いた。
なんでいま、わたしは見知らぬ部屋の、見知らぬベッドの上に寝転がっているのか。
「どこ……ですか。ここ……」
「邸の中ですよ。覚えていらっしゃらないのですか。ルディ様が倒れたので、私が運びました」
ポアロさんがわたしを、ここまで運んでくれた……?
にしても、なんかこの部屋おかしくない……?
窓は締め切られて、厚いカーテンで陽光が遮られている。おかげで部屋は薄暗く、なんだか不気味に感じた。
「あ、りがとうございます。ご迷惑をおかけいたしました」
「…………」
「も、戻りますね」
立ち上がろうとしたけれど、うまく体に力が入らない。これ……胃痛とかそんなレベルじゃない気がする……。どうしよう……早く戻らないと、もし先に兄様が中庭に戻っていて、わたしがいないことに気付いたら……怒った兄様に何をされるか、想像しただけで悪寒が走った。
「リリーお嬢様は、本当にレザニード様がお好きでいらっしゃいました」
ぽつりと、ポアロさんがそう言う。
「リリーお嬢様はレザニード様と過ごした事を、いつも楽し気に話していらっしゃいました。アップルパイを作ったら美味しいと褒めてくれたと、新しく買った服を来て一緒に出掛けたら可愛いと言ってくれたと。いつも、レザニード様がレザニード様がと」
……うん、知ってる。
リリーさんはいつも兄様を見ていて、目が合ったり微笑まれたりするだけで、顔を赤らめて嬉しそうに笑う。兄様の瞳の色であるラベンダーカラーのドレスを好んで着ていて、香水もラベンダー。全部兄様の好みに合わせたチョイスだ。
あんなに、好きになってくれる人はいない。
「私の顔、誰かに似ていると思いませんか?」
何を急に言い始めるのかと思ったけれど、ポアロさんの声に切なさが混じっているような気がして、茶化す気にはなれなかった。
「ちょっと、兄様に似ているかなと思いました」
ポアロさんは黒髪黒目だから、金髪紫瞳の兄様とは特徴が全然違うのだけれど。
目元は、似ている気がする。
「執事に選ばれたのはそういう理由だそうです。代わりなんですよ、私」
そういうポアロさんは、何かを諦めたかのように自嘲気味に笑った。
もしかしてポアロさんは……リリーさんのことが好きなのかな。何となくだけど、そう思う。でもリリーさんは兄様が好きだから、好きだって言い出せなかったのかもしれない。
何だかわたしまで切なくなってきて、ちょっとしんみりする。
ポアロさんが、急に立ち上がった。着ていた黒い上着を放り投げると、ベッドの上に乗り、じりじりとわたしに近づいてくる。
え……なんでこっちに来るの??
とっさに逃げようと思った。でも体が全然言う事聞いてくれなくて、わたしが気付いた時には──
「え………………」
ポアロさんに、押し倒されていた。
わたしの腕は頭の上に移動され、ポアロさんの片手で封じ込められている。わたしに馬乗りになったポアロさんは、ぞっとするほど冷たい顔をしていた。
「どうしてと言いたげな顔ですね」
「な、んで……っ?」
「一つはリリー様が想い人と結ばれるため、もう一つは、単純な私の個人的感情によるものです」
頭が追い付かない。
何の話をしているんだろう。
「体のだるさと気持ち悪さがあるでしょう」
「どう、してそれを……」
「紅茶に痺れ薬を入れましたので。ほんの数時間ほど体が麻痺して動かしづらくなるだけ、気持ち悪さは副作用でしょうね。今後の生活に支障が出るほどのものではありませんよ。明日には伯爵家に戻っていただきますので、ご安心ください」
じゃあ、アップルパイの味が感じにくかったのも、お腹が痛くなったのも、その薬の前触れだったということ……?
待って。
紅茶を飲んだのはわたしだけじゃない。
「もしかして兄様も……?」
「はい。ルディ様はすぐ体に症状として出たようですが、あの様子を見た限りだとレザニード様は効くのが遅そうですね。あれからもう15分経ちましたので、さすがにそろそろかとは思いますが」
だから懐中時計を見ていたの? どのタイミングで兄様に薬の効果が表れるか確認するために?
「なんのために、ですか」
「リリー様が幸せになるためです。リリー様は、本当にレザニード様のことを好いておられますから。多少無理をしてでも、想い人と結ばれていただきたいのです」
痺れ薬……想い人と結ばれる……。
そして、わたしをここに連れて来たポアロさん。
邪魔されたくなかったから?
兄様とリリーさんを、二人きりにさせたかったから?
「もしかしてリリーさんは兄様の……」
「お気づきになられましたか」
始めから婚約解消を言い渡されると分かっていて、でもリリーさんは兄様を諦められなかった。
「そうです。レザニード様は今日、リリー様を抱いていただきます。リリー様が子をもうけられるように」
「まさか、本当に……っ?」
「ええ」
兄様に薬を飲ませて、動けなくなった状態で体を重ねて。
そうすれば、妊娠する可能性がぐっと高くなる。
婚約前に夫婦の営みをすることは勧められていないけれども、それでも愛ゆえにやってしまうこともある。でも普通は中には出さない。子どもが出来てしまえば、絶対に婚約解消できないからだ。何らかの不都合な理由で相手と婚約を解消したくても、子どもが出来たら責任を取らないといけない。それが名門とされる貴族ならなおさらだ。
オルソーニ次期伯爵である兄様がそういう状況になってしまえば、もう結婚するしかない。
「…………っ」
いつの間にかポアロさんの手が、わたしの脇腹を服の上から撫でていた。
腕を動かそうとして、いつのまにかネクタイで固定されていることに気付く。動かしても全然解ける気配がない。
「や、やめてください! こんなことしても意味なんてないはずです!」
「先ほど言ったでしょう。これは個人的な感情だと」
つまり、紅茶に薬を仕込んでわたしをここに隔離したのはリリーさんの指示だけど、いま行っていることはポアロさんの独断ということ……?
「私は、正直レザニード様よりもあなたの方が憎くて仕方ない」
「どうして……」
「あなたがいたせいで、レザニード様がリリーお嬢様に振り向いてくれなかった。リリーお嬢様はずっと悩んでおられて、ずっと悲しい思いをされていたのです。あなたのせいで」
アナタノ、セイデ……。
「ちが……」
「あなたという存在が」
「違う……わたしはっ」
「レザニード様の心を捕らえて離さかった。あなたが狂わせたのですよ。あなたさえいなければ、リリーお嬢様があそこまで恥ずかしい思いをすることにはならなかったのですから」
気付いた時には。
わたしのブラウスが、ポアロさんの手によって引き裂かれていた。ボタンが弾け飛んで、冷たい空気が服の中に入り込んでくる。
「なぜそこまでレザニード様があなたに固執したのか、その探求。そしてなにより、リリーお嬢様を追い詰めた復讐の意味を込めて、ルディ様にはしばらく、私の相手になっていただきます」
冷たい手が、無遠慮にわたしの鎖骨に触れた。
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