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因縁編
10 冷たい唇
しおりを挟むわたしとレザニード兄様は、リリーさんのいるベルザ子爵家の別荘へ向かっていた。
兄様から婚約解消を一方的に言い渡され、ショックで寝込んでしまったらしく、その静養のために別荘で暮らしているという。……婚約を解消したって言ってたから、てっきり合意があったのかと思っていたけれど、違ったみたい。この話は、二人の個人的なやり取りの中で発生したから、公にはなっておらず、形式上は兄様とリリーさんの婚姻関係は続いているという。
兄様がリリーさんのところへ行くのは、誠意を見せるためだ。家同士が決めた婚姻を、個人間のやりとりとはいえ解消したいという話にもつれこませたのだから、子爵家が怒るのは当たり前だろう。それでも大きな話になっていないのは、ひとえにリリーさんが話し合いたい姿勢を見せたからだ。リリーさんがどれだけ兄様のことが好きか、よく分かる。
「…………」
「…………」
当然といえば当然なのだけれど、馬車のなかはわたしとレザニード兄様の二人きり。
家では何だかんだ言ってミレッタさんがいたから、そんなに意識はしなかったのだけれど、今は狭い密室だから妙に意識してしまう。
長い足を組み、わたしの対角線上に座るレザニード兄様は、さっきからずっと手元にある紙束を眺めていた。領地内で発生した事件や事故、作物の実り具合など領主として読み込まなければならない資料は多岐にわたる。移動時間も仕事なんて……と、兄様の真剣な横顔を眺めていると、いきなり兄様が顔をあげた。
「誘ってるのかい」
「さ、誘ってなんていません……」
「そう? ずいぶん熱心な視線を感じたけど?」
クスクスと笑う兄様が、わたしと目線を合わせた。
わたしを閉じ込めていた時に何度も見た表情だ。
今はちっとも怖くない、と思っていたけれど。
兄様が仄暗い感情を目に宿している時だけは、最初に犯された記憶が蘇ってくることもあって、やっぱり恐怖があった。
媚薬を飲んだあの時のような、優しい兄様に戻ってほしい……。
『────好きだよ』
そう言われて抱かれた時のことを思い出し、顔が赤らみそうになる。
兄様には気付かれたくない思いで、無理やり話題を作った。
「に、兄様は……」
「うん?」
「どうして、自ら父様に殴られるようなことを? いくらでも誤魔化せたはずですよね」
ミレッタさんがいるところでは、聞けなかった質問。
なぜ兄様は、わたしを監禁し襲ったことを誤魔化さなかったのか。
いくらでもやり様はあったはずだ。たとえばあの手枷の痕だって、兄様ではなく他の人間がやったことにすればいい。強姦魔からわたしを救ったという筋書きにすれば、父に殴られることも、母に奇怪な視線を浴びせられることもなかっただろう。
「確認したかった、からだね」
「確認って何を……?」
「ルディを手に入れようとして、そのときに二人がどんな反応をするのか。予想通りの結末だったけどね」
……予想、通り……。
兄妹間の痴情なんぞ醜聞すぎる、と父は言っていた。そう言われるだろうと思っていたし、だからわたしは兄様への恋心を忘れようとした。兄離れしようと思ったのだ。
血の繋がっている者同士の恋愛は、そんなにダメなのだろうか……。わたしには分からない。でも、それで家族がギスギスするのは耐えられない。みんな仲良くしてほしい。
いつの間にか、兄様の手がわたしの真後ろに置かれていた。
「こんなことじゃ止まらないさ。別に認めてほしくてやっているわけじゃない。親からの承認よりもルディが欲しい。ルディ以外に欲しいものなんてないよ」
「……っ」
わたしを閉じ込めるような兄様の動きに、体が硬直してしまう。
「そんなに怖がらなくても、ここでは何もしないよ。今の俺はルディの『兄様』だ。兄様でいる限り手は出さない」
兄様はわたしの頬に触れ、ぐいっと引き寄せた。
わたしの耳に、冷たい唇が軽く当たる。
声を、注ぎ込まれた。
「でも俺は嫉妬深いから、間違っても別の男の名前を出したり目で追ったりしないでね」
監禁部屋から出て。
兄様は、正気に戻ったと思っていた。
わたしのことはすっぱり諦めて、ただの兄として、オルソーニ伯爵として生きていく道を選んだのだと思っていた。
でも、違った。
兄様はまだ、わたしを諦めていない──
*
ベルザ子爵家の別荘に到着して、わたしと兄様は広々とした中庭に通された。
たくさんの薔薇が咲いている、とても綺麗な庭だった。
真ん中に大きなテーブルがあって、たくさんの焼き菓子が並んでいる。見覚えのあるアップルパイまであった。そうだ、前にリリーさんが作って食べさせてくれたものだ。もしかしたら、わたしがまた食べたいと言っていたのを覚えてくれたのかもしれない。わたしもいま、リリーさんから貰ったハンカチを持参している。
リリーさんがやってきた。
蜂蜜色の長い髪は相変わらずサラサラで、派手になりすぎないアイメイク。頬に乗せられたチークも柔らかで、わたしと違って大人っぽくて、理想の淑女という感じ。
学校に通っていた期間があったから、リリーさんを見たのはかなり久しぶり。もう2年ぶりくらいかな。
リリーさんは、わたしと兄様の姿を見てにっこりと微笑んだ。
「ようこそいらっしゃいました。レザニード様、ルディちゃん。大したおもてなしは出来ませんが、どうぞ掛けてください」
真ん中にいるリリーさんを挟んで、左がわたし、右がレザニード兄様という並び。
さきほどわたしに見せた暗い笑みが白昼夢だと思うほど、兄様は王子様のような完璧な笑みを浮かべている。リリーさんはそんな兄様を見て顔を赤らめているし、何だか気まずくなった。
リリーさんは本当に兄様のことが好きなんだ……。
それを思うと、兄様のためと思って拒みつつも、結局何度も体を重ねてしまっている自分の体がとても汚いもののように思えた。自然と視線が下がり、リリーさんの顔を見れなくなる。
「うちのポアロが淹れる紅茶は格別なの。ぜひお二人に味わってほしいのよ」
「ありがとう。いただくよ」
「…………ありがとう、ございます」
別人かと思うほど完璧な受け答えをする兄様。
わたしは蚊の鳴くような声でしか礼を言えない。
その時に、わたしの目の前に紅茶が差し出された。「どうぞ」という低いテノールボイスに、わたしは視線をあげる。そこにいたのは、高級そうな燕尾服を着た黒髪の男性。兄様ほどじゃないけど目鼻の整った顔立ちで、雰囲気がどことなく兄様に似ている気がする。
ポアロさんという執事は、わたしと目が合うとニコリと笑った。
わたしも、ぎこちないながらも微笑みを返す。
すぐに、しまった、と思った。
兄様がじっとこっちを見ている。微笑んでいるように見えるけれど、とんでもなく目が冷たい。慌てて紅茶を飲んで誤魔化し、兄様から目を背けた。
「ルディちゃんどうしたの? 紅茶美味しくなかった?」
わたしは大げさに手を振りながら「美味しいです!」とアピールした。兄様とリリーさんの話を遮っちゃった。正直何を話していたのかほとんど聞こえなかったけれど、申し訳なくなった。
そうだわ! と、大きく手を叩いたリリーさんは、ポアロさんを呼び寄せた。耳打ちされたポアロさんは、中央にあるアップルパイを一口サイズに切り分けて、わたしと兄様に渡した。
「アップルパイ、食べて。まえに作った時よりも美味しく作れたと思うの!」
なんとか笑みを作って、フォークでアップルパイを口に運ぶ。緊張のせいか、あまり味を感じなかったけれど、美味しいですと伝えた。リリーさんはとっても嬉しそうに微笑んでいる。
三人がアップルパイを食べ終わった頃、リリーさんが立ち上がった。
「レザニード様」
「なんだい」
「大事なお話があります。私と一緒に来ていただけませんか」
「分かった。ルディ」
そう言ってレザニード兄様はわたしも連れて行こうとしたけれど、リリーさんが止めた。
「これは婚約者同士の大事なお話です。いくらルディちゃんでも、同席は認められません」
リリーさんはとても真剣な顔をしていた。
おそらく婚約解消に関する話だろう。確かにわたしが同席していい話じゃない。兄様はわたしのことをちらりと見た。わたしが頷くと、複雑な表情をする兄様。
「ルディちゃんのことは心配しなくても大丈夫ですわ。ポアロがいますもの」
「………………。分かった」
兄様がポアロさんを見た。笑顔だけれど、全然目が笑っていない。ポアロさんは「お任せを」と軽い会釈を返していた。
兄様とリリーさんが中庭から離れていく。
………………気まずい。
兄様に早く帰ってきてほしい気持ちもあるけど、さっき馬車で言われた言葉もあって、帰ってきてほしくない思いもある。
……なんだか、お腹痛くなってきた……。
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