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因縁編

09 怒号

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 レザニード兄様は、いつも両親から期待されていた。
 見目麗しい容姿。
 抜群の運動神経。
 家庭教師を唸らせるような頭の回転の速さ。
 
 王宮で仕官として忙しい毎日を過ごしていた両親は、貧乏ながらもそれなりの資金を投じて兄様を『完璧』に育てようとした。

 実際、兄様は両親の期待通りに『完璧』な男性に育った。
 
 物腰が柔らかく品性のある所作と豊富な知識量で、兄様はたちまち社交場の華となった。多くの貴族令嬢がレザニード兄様のお嫁さんになるために綺麗に着飾った。なかでも、王宮の宰相──両親からすれば上司にあたるベルザ侯爵──の、弟君であるベルザ子爵家の娘リリーさんが、兄様のことを大層気に入った。一目惚れだったそうだ。

 そのことを知った両親は大喜びだった。ベルザ子爵家からの熱い要望を受けて、二人は出会って一ヶ月も経たない内に婚約が決まった。両親は自慢の息子だと褒め称え、レザニード兄様も「大袈裟ですよ」とにこやかに笑っていた。

 わたしは女で頭もよくなかったから、兄様ほど期待されていなかった。別に悲しいと思ったことはない。仕事で忙しいながらも両親はわたしに目をかけてくれたし、なにより兄様がわたしの遊び相手をしてくれたから、毎日が楽しかった。

 ……わたしは、おめでたい人間だ。

 兄様が幼少期から、オルソーニ次期伯爵としてどれほどの重圧を受けていたのか、まったく知らないまま、育ってきたのだから。



「おまえは、オルソーニ伯爵家の恥さらしだッ!!」



 鬼のように怖い顔をして、父がレザニード兄様に詰め寄っていた。
 わたしはとっさに兄様を助けに行こうとしたけれど、母に止められた。「あなたは悪くない。庇わなくてもいいのよ」と優しく抱きしめられる。

 父が怒号を飛ばした。

「勝手にリリー嬢に婚約解消を申し付けただけじゃなく、実の妹ルディに手を出しただとッ!? ふざけるな!! おまえはオルソーニ伯爵家を潰す気か!!」

 父の激昂はしばらく続いていた。

「失望したぞレザニード。私の期待を裏切りよってッ!」
「……………………」

 兄様は何も言わず、抵抗もしていなかった。

 わたしは──
 何も出来ず、ただ肩を震わせて見守る事しか出来なかった。

 

 *

 
 監禁部屋で兄様に抱かれて眠りに落ちたわたしが、次に目を覚ました場所は、オルソーニ伯爵家の自室だった。
 兄様に捕まって一週間ぐらいしか経っていないはずなのに、ずいぶん懐かしく感じる。近くには母がいて、わたしが目を覚ましたことに気付いて涙を浮かべていた。

 どうして母が泣いているのか、どうして抱きしめられているのか、全然分からなかった。いつも屋敷の掃除をしてくれている家政婦のミレッタさんも、わたしを見て涙を浮かべている。

 え??? どういうこと????

 話を聞いていくと、わたしは一週間前から忽然と姿を消し、行方不明として認識されていたらしい。兄様はわたしを閉じ込めているあいだ、両親には「ルディを探す」という体裁にしていたらしい。
 昨夜、兄様は眠るわたしを横抱きにして家に帰ってきた。家政婦のミレッタさんにわたしを預け、何も言わず、さっさと自室に戻ったという。

 ミレッタさんは、わたしの様子がおかしいことにすぐに気付いたらしい。手首には手枷の痕、首や鎖骨や足などいたるところに兄様につけられた歯形や鬱血があって、しかもわたしの体は、一週間にわたる監禁生活のせいで痩せてしまっていたからだ。

 ミレッタさんは、このことをすぐに両親に話した。
 そして、わたしがこうなったのはレザニード兄様のせいではないかと疑ったのだ。

 母はわたしの頭を撫でた。

「あなたは何も悪くないのよ。今は安心してお眠り」
「え…………兄様、は?」
「いいの。あの人の事はもう忘れなさい。辛かったでしょう? 今日は一日中ここにいてあげますからね、今はとにかくゆっくり休みなさい」

 母は、レザニード兄様からわたしを守ろうとしてくれた。

 どうして、こうなってしまったのか。

 全部わたしが悪いことにしようと思っていたのに。
 父にぶたれる覚悟があったのに。

 なのにいつの間にか、レザニード兄様が全部悪いことになっている。
 兄様は悪くない、わたしから迫ったと訴えても「あの人のことは庇わなくてもいいのよ」と言われた。母とミレッタさんの兄様へのイメージは、わたしが何か言えば言うほど悪くなるばかりだった。

 今日ほど、監禁部屋から出てしまったことを後悔した日はなかった。






「本来なら勘当ものの仕打ちを受けるべきだぞ馬鹿息子レザニード



 父が、レザニード兄様に吐き捨てた。

「だがおまえは間違っても長男だ。オルソーニ伯爵家を守っていく義務がある。兄妹間の痴情なんぞ醜聞過ぎて外に出せんわ、このことは絶対に外に洩らすなよ」
「…………」
「それと、リリー嬢に会いに行け。おまえから婚約解消を言い渡されて、臥せっているそうだ。すでにベルザ子爵に私から謝罪の文を送っている。おまえも誠意を見せてこい」
「…………」

 兄様の顔は、ここからだと父の背中に隠れて見えない。

「オルソーニ家が取り潰しになるかどうかは、おまえの誠意にかかっている。間違っても、妙なことを口走ってくれるなよ」

 父はそう言い、その場を離れた。
 わたしも、母に連れられてその場を離れた。
 
 部屋から出るときに、気になって振り返る。
 立ち上がった兄様は、父に殴られた頬を手で押さえている。
その顔に、何一つとして感情が浮かんでいなかった。





「辛かっただろうルディ」

 自室に戻るなり、父はとても優しい表情を浮かべて、わたしを抱き締めようとした。母が「自重してください!」と全力でガードしたから、叶わなかったけれど。

「ルディの心が休まるまで、母さんには仕事を休んでもらうことにした」
「え、ほんと……?」
「娘がこんな状態なんですもの。仕事なんていけないわ」

 どうやら父と母は、わたしが兄様に無理やり襲われて心を病んでいると思っているらしい。……襲われたのは本当だし、怖かったのは事実だけど、今はちっとも怖くないのに。それを言っても、哀れむような悲しい顔をされる。きっと兄様を庇っていると思われているのだろう。

「そういえばルディ」
「なんですか?」
「エーベルト君がね、三日前にここに来たよ」

 エーベルト様が……?
 わたしがまだ兄様に監禁されていたときに、エーベルト様がやってきた?

「手紙があっただろう。今度いつ会えそうかっていう手紙。その返事が一向に来ないから、心配していた」

 わたしは頻繁にエーベルト様と文通をしていた。早ければ一週間に一度、遅くとも一ヶ月に一度は手紙を出していたのに、最後にエーベルト様に手紙を出したのは二ヶ月も前のことだ。

「エーベルト君はルディが行方不明であることを知ってショックを受けていたよ。きっと今も心配しているだろうね。無事であることを手紙で伝えなさい」

 兄様のことは誤魔化せ、という無言の圧力を父から感じた。
 もとより、そのつもりだ。


 そのあと。
 わたしはエーベルト様に手紙を出した。父からの助言通り、森で遭難したところを兄様に助けてもらった、という筋書きにした。

 あれ以降、兄様はいつも通りに過ごしているような気がする。それこそ、わたしが監禁される前に戻ったような態度だ。

 母はわたしが兄様と話そうとするのを嫌がるけど、わたしは気にせず兄様に話しかけた。少しでも兄様が悪くないということを示すためだ。兄様は微笑みながらわたしの話を聞いてくれた。

 たまに兄様から射すような視線を感じることがあったけれど、気にしないようにした。


 一ヶ月ほど経ったある日のこと。


 兄様がわたしに何もしてこないこと、わたしの体調がすこぶるよくなったおかげで、母は仕事を再開した。ただ、わたしと兄様を二人きりにさせるのはまだ不安らしく、わたしのことはミレッタさんが見てくれた。といっても、ミレッタさんも仕事があるから、ずっとじゃなくて定期的に、だけれど。

「兄様宛の手紙がいっぱいある」

 ポストの中から手紙を取り出して、一枚ずつ差出人をチェック。
 そのなかに、リリーさんからの手紙があった。

 すぐに兄様に手渡すと、兄様はその場で読み始める。
 兄様はリリーさんと会う約束をしていたから、その返事だろう。手紙を読み終えた兄様は、怪訝な顔をしてわたしを見つめた。

「ルディも一緒に来てくれって書いてある」
「わたしも……?」

 どういうこと……?
 

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