遊び人の王女に転生した処女の私が、無理やり結婚した英雄の旦那様と結ばれるまで

夏八木アオ

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44. 真実

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国王の寝室を出ると、待機していたマリアと目が合った。

「マリア、お兄様がどっちに行ったか分かる?!」
「ユリウス殿下ですか?あちらの角を左に行きました。追いかけます?」
「うん」
「ブチギレられると思いますが、急ぎなら魔力探知で探します」
「……お願いしていい?もう嫌われてるから大丈夫」

マリアは軽く笑ってから返事をした。

「言いますね。承知しました」

一度立ち止まって、マリアが目を瞑る。

「……こっちです」

マリアに手を引かれて、渡り廊下を越えて古い石造りの塔の足元に出た。もうほとんど使われていない、昔の見張り用の塔だ。

「あ、切られた。流石早いな……でももう遅いですよ。ここは一本道です」

扉を開けると、ギィ、と鈍い音がする。螺旋状の階段がずっと上まで続いていた。

階段を登って屋外に出ると、空が開け、王都を一望できるのが分かる。ユリウスの背中がぴくりと反応した。

「……お前は、私に不愉快な思いをさせるために生きてるのか?魔力探知で許可なく人の居場所を探るのは犯罪者だけだ」
「ごめんなさい」
「思ってもいない謝罪ほど気に触るものはない。早く消えろ」

淡々とした拒絶の言葉は、私の心を傷つけなかった。それよりも今ユリウスを一人にしない方がいいという強い直感が働いている。

「マリア、あの、お兄様と二人で話していい?」
「……分かりました。すぐそこにいますから、何かあったら呼んでください」

私は小さく頷いた。ユリウスから少し離れた場所まで近付く。
一人にしない方が良さそうだとは思ったものの、私を嫌っているユリウスになんと声をかけたらいいか分からない。

テオドールやマリアが相手だったら、落ち込んでいるなら近くで手を握って、話を聞くことができる。ユリウスは私が触ったりしたら激昂して話どころじゃなくなるだろう。
ただ無言で時間が過ぎていく。

「……あの男の血が、私に流れているのが耐え難い」

ユリウスが小さな声で呟いた。このまま自分の気持ちを吐露してくれるなら、聞くことくらいは私にもできることだ。

ユリウスの言葉を待ったが、それ以上続くことはなかった。

「……」
「……そこにいるなら何か発言したらどうだ。私は発言のない人間は同じ会議には二度と呼ばない」

落ち込んでいるらしい背中を見て心配していたのに、今の発言で苛立ってしまった。

(もう、なんでそんな言い方しかできないのかな。後ろから突き飛ばしたくなっちゃう)

ユリウスと共にいると、自分の中に隠れた攻撃的な性格に驚く。私は大股でユリウスまで近付いて、ただ、背中を突き飛ばすことはせず壁の凸凹の背が低くなっている方から外を見た。
街と、ずっと遠くまで平野や森が広がり、その間に川が見える。豊かな土地だ。

「すごい、遠くまで見えるね」
「……」

ユリウスは私のことを無視した。

ユリウスは表に出てくる感情と、浮かべている表情に大きな差がある。常に笑顔で朗らかで、器が大きく人の上に立つにふさわしい人間として振る舞おうとする傍ら、元々の性格は多分几帳面で潔癖症で慎重だ。理想通りではない自他を許せない完璧主義なところもある。

ユリウスの発言は国王を非難するものだったけれど、何度も国王の意向を確認しようとする姿は、父親の承認を得たがっている小さな子どもの振る舞いだった。国王のことを試すような素振りもあって、理想通りじゃないからと言って見限って切り捨てることもできない様子だ。

「……お兄様は、お父様を尊敬したいの?それが出来ないことに罪悪感を感じてるの?」
「勝手に人の心境を推し測ろうとするな。不愉快だ。なぜ私の方が罪悪感を感じなければならないんだ」
「……だって、そういうふうに見えたんだよ。本当はお父様に従順な良い子でいたいんじゃないのかなって」

ちょっと違うけど、少しだけ前世の私が考えていたことに共通点があると思う。お母さんや周りの人に怒られたくなくて、良い子だと思われたくて、本当のことが言えなくなっているうちに、自分で自分の気持ちが分からなくなってしまう感じだ。

ユリウスは怒られたくないなんて思ってはいないだろうけど、自分の本当の気持ちが分からなくなっているところはありそうだ。ユリウスは不愉快そうに眉を顰めた。

「私は従順な息子でいたいなどとは思ってない」
「じゃあお父様に厳格な父親でいて欲しいから怒ってるの?国王はそうあるべきだから?でも、お兄様は、さっき言ったこと後悔してるみたいに見える」
「……」

ユリウスは否定も肯定もしなかった。彼が女性に従順さを求める姿勢や、身近に優秀な人間を集めたがるところは、本当にそれが欲しいと言うより国王がそうあるべきという理想に縛られている感じがする。
その理想通りではない現国王にも怒りの矛先を向けている。

「お兄様は、本当は何が欲しいの?なんだかいつも無理してるみたい。いつも笑ってるけど全然楽しそうじゃなくて、本当は欲しくもないものを、そうしなきゃいけないから追いかけてるみたいだよ」
「……うるさいな。お前に分かったような口を聞かれると虫唾が走る。人を勝手に追いかけてきた上に妄言を吐くな。本当に不愉快な女だ」

私は小さくため息をついた。
ユリウスは文句を言うわりに、もう消えろとは言わない。本当はものすごい寂しがり屋なのかもしれない。

「悪口と文句だけは本音で言えるみたいでよかった。私でよければいつでも聞いてあげる」
「……」

傷付いている心を開示してもらうには信頼関係が必要で、私とユリウスにはそれがない。動揺や不安を取り除いて、安心させてあげることも難しい。

(お兄様には、寄り添って安心させてくれる人っているのかな。このまま公務に戻らせていいの?そんなこと言ったら余計なお世話ってまた怒られそうだけど……)

ユリウスは、壁の向こうに見える風景にじっと目を向けている。そして、静かな声で呟いた。

「私が心から欲しているのは、この国の平和と繁栄だ。ここから見える風景を愛している。私自身も民衆にとって誇れる存在でありたい。それが私の願いだよ」
「……」

それは王太子として模範的な美しい回答で、私にはユリウスの発言の真偽を判断することはできなかった。
遠くを見つめる横顔には表情がない。

ギィ、と扉が開く音がして、入ってきた人物が沈黙を破った。

「あ、殿下いた!こっちくるとき一言声かけてくださいって言いましたよね?!ヨークに陛下のとこにいるって嘘吐いたでしょ!泣きつかれたんですけど?!おれ今くそほど忙しいんで手間かけさせないでもらっていいですか、マジで」

赤茶の髪に、そばかすのある男性が大股で近付いてきた。エリーナとして関わったことがある人で、ぼんやり顔に覚えがある。ユリウスがエリーナのせいで辞めたと言っていたミケのはずだ。

エリーナの記憶ではもう少し暗くて卑屈なイメージだったけれど、随分とフランクだ。

じっと見ていたらばちりと目が合って、気まずい気持ちになる。ミケが目を丸くした。

「あれ?!エリーナ様、いらっしゃったんですか。お話中大変失礼いたしました」
「話などしてない。この女が勝手に付いてきただけだ」
「またそんなこと言って……話が終わったなら早く戻って承認のサイン片付けてもらっていいですか?北門が今回のとは別で老朽化してやばいことが分かったんで改修の見積もりだしてますからそれも承認してください。サジェとヨルシリアの会談って陛下じゃなくて殿下でいいですよね?もう予定組んだので予習をお願いします。あとサイモン騎士団長から上がってる第二騎士団と第三騎士団の混合編成の話、午後から時間とってるんでその前に資料見といてください。確認事項あったらおれじゃなくてキースに直接お願いします。最優先がここまでで、あと今日中に治癒師の育成と認定基準について……」
「待て、いくら私の記憶力が良いと言っても一度に話し過ぎだ。残りは後で聞く」
「分かりました。じゃあのんびり休憩してないで執務室戻ってもらっていいですか?」

ユリウスは乾いた笑いを漏らした。

「ははは……休憩していたわけじゃない。舐めた口を利きすぎじゃないか?また田舎に戻るか?」
「申し訳ございません。忙しすぎてイライラしてるんで許してください」
「この程度で根を上げるとは情けないやつだ」

ミケはすかさず謝罪したが、全く気持ちが篭っていなかった。ユリウスはそれは気にした様子がなく、ふん、と鼻で笑って古い扉の方へと向かう。階段を降りて消えていく後ろ姿が私の方を振り返ることはなかった。
ミケと二人で置いてきぼりにされ、私はユリウスの背中をぽかんとしたまま見送った。

「エリーナ様」
「っはい」

いきなり声をかけられて身体が跳ねてしまった。

「殿下におれのこと話してくれたのってエリーナ様ですよね?ありがとうございました」
「え……?いえ……」
「ほんとですか?殿下が自分からおれのとこに来るなんて有り得ないし、最近エリーナ様の話が多いから絶対そうだと思ったのにな」

ユリウスがミケの前で私の名前を出しているのは意外だった。

「あの……ミケ、は……一度退任してるんだよね?お兄様のところに戻ることにしたの?」
「はい。辞めたら結構すぐ殿下が留学しちゃってタイミング逃してまして、もう戻れないかと思ってました。……直感ですけど、やっぱりエリーナ様のおかげだと思います。ありがとうございました」
「ううん。二人ともすごく忙しいみたいだね。身体に気を付けて」
「……」

ミケは目を丸くして私の顔を見ていた。また本人かどうか疑われているのかもしれない。
それからふっと笑った。

「殿下は暇になるとしょうもないことで悩み出すので、今くらいがちょうどいいんです。ここに来る時はいつもそうです。まだ余計なこと考える余裕があるなんて、ほんと尊敬しますよ」
「しょうもない……?」

ミケはユリウスが消えた方向にチラッと目を向けた。

「殿下が気にしてるのって、王としての素質とか生まれ持った才能とか、そういう考えてもしょうもないことばっかりじゃないですか。鏡見てねぇのかよって思いますけど天賦の才みたいなものにコンプレックスあるみたいだし。それで不定期に落ちるんですよ」
「……」

私はユリウスのことをそこまで詳しく知らない。同意も否定もできなかった。

「くだらないですよ。昔っから国民思いの有能な王太子のフリしてて、それで結果を出してるんだから、もうそっちが真実で良くないですか?そういう仕事してるって割り切ればいいのに、潔癖症でめんどくせぇ人。自分で歴史には言葉と行動しか残らないって言ってるくせに矛盾してます」

私は常に自分の心が本当に望むものに向き合うことが気持ちを楽にすると思っていた。仕事の役割としての自分とそうじゃない自分を切り分けるというミケの考え方は青天の霹靂だ。

(お兄様に余計なこと言っちゃったかな……)

ミケは困ったように笑った。

「ここで吐き出せば持ち直すみたいなので、また呼ばれたら話だけ聞いてくださると助かります」
「えっ、あの……私、勝手に追いかけてきただけで、お兄様は私になんか話したくないと思うよ」
「そんなことないですよ。ここは普段認識阻害されてて普通の人は気付きもしないし、殿下の魔法のせいで呼ばれてないと上まで上がってこれないんです。おれなんか、喧嘩した時、朝から日が落ちるまで延々と登らされたことありますよ」
「そう、なの……?」

にわかには信じられない話で、反応に困ってしまった。

「エリーナ!!」

階段の下の方からユリウスの怒鳴り声が聞こえてきた。

「……!」
「反省してないのか?次は殺すぞ」
「何もしてないよ!」
「おれが話しかけただけです!今降りますって。……ほんと物騒だな」

ミケは呆れたようにため息をついた。

「失礼いたします」

最後に、ミケはフランクな態度から想像もつかない、お手本のように美しいお辞儀をして走って階段の方に向かった。

あたりが静かになると、またギィと音がしてマリアが入ってきた。

「今のセドニア公爵家の三男ですよね。アナスタシア様の前と全然態度が違うから驚きました」
「そうなの?」
「ええ。背が低めで顔も幼いので、ユリウス様が連れてた人間の中ではぎりぎりアナスタシア様が会話可能でそばにいたんですけど、全然違いますよ。大人しくて引っ込み思案な子犬みたいに振る舞ってました」
「……そういう仕事だったんだろうね。マリアも、私の前だと普段とちょっと違うけど、無理してない?」
「私ですか?全然。どちらも私ですし、場に合わせて無意識にやってます。殿下がお好きならもう少しフランクにもできますし、畏まることもできますが……お好みはありますか?」

マリアが私の顔を覗き込んで尋ねた。急に距離が縮んでどきっとしてしまう。

「マリアが一番楽な話し方でいいよ。ねぇ……こういうのは、わざとやってるの?」
「こういうの?……話す時の距離の話ですか?だいたい無意識ですが、たまに楽しんでます。今日は後者です」

マリアは楽しそうに笑った。



石造りの塔を降りて、一度国王の寝室へと向かった。また入れてもらえるかは分からないけれど最後に見た顔の生気のなさが心配だ。

長い廊下を歩いて行くと、部屋の扉の前に王妃とルビーが立っているのが分かった。マリアがすかさず二人から私を隠すように立ち塞がる。

「マリア、大丈夫だよ。ご挨拶するよ」

後ろからヒソ、と声をかけるとマリアは私に背中越しに視線を向け、少し考える素振りを見せてから脇に避けた。

「王妃殿下にご挨拶申し上げます」

私がお辞儀すると、ルビーが頭を下げた。王妃は黙って私の顔を見ている。

「聖ルーカ教会のことは聞いたわ。皆を助けてくれてありがとう」
「……!恐れ入ります」
「……戻るわ。やっぱり拝謁許可もいただいてないのにお顔は見れない」

王妃が踵を返そうとすると、ルビーが引き止めた。

「お休みされているのですから、許可など出せませんよ。ご存命でいらっしゃることだけ確認させていただきましょう?もうずっと寝れてないじゃないですか。王妃様が倒れてしまいます」
「……大丈夫よ。ちゃんと横になってるわ」
「もう……」

王妃とルビーの背中に向かって、私は声をかけた。

「あの!」
「なんですか?」

ルビーが振り返る。

「お父様でしたら、少し前に一度目を覚まされました。お兄様と私が少しお話しして、ちょっと気落ちされてますけど、お話ができるくらい回復されてます」
「……!」

王妃が床にへたりと座り込んだ。ルビーがすかさず駆け寄る。

「王妃様っ!大丈夫ですか?」
「……よかった。陛下……」

王妃の目から涙が溢れて、ドレスにシミを作っていく。両手で溢れ出てくる涙を拭おうとする様子を目にして、急に王妃が幼く見えた。私は国王の寝室の前にいる衛兵二人に声をかけた。

「あの、王妃殿下は中に入ってもいいですよね?」

二人は私に話しかけられたことに驚いていたが、ゆっくり頷いて、少しだけ扉を開いた。王妃が顔をあげ、ぼんやりと扉を見ている。ルビーに助けられてゆっくり立ち上がった。

扉の向こうに見える国王は、身体を起こしてベッドの背に寄り掛かり座っていた。王妃が室内に入ると目を見開いて、怪訝そうな顔をする。
私は王妃が国王に駆け寄って、国王の手を握って寝台のところに跪くところを見送って、扉から目を逸らした。

「お話ししなくてよろしいんですか?」
「……うん。邪魔そうだから、……今度お手紙を出そうかな」
「承知しました」

私はマリアと共に騎士団が主に使用している建物に立ち寄って、テオドールの姿を探したけれど見つからない。首元に緑の差し色のある人たちに尋ねると、テオドールは今日は城にはおらず、城壁の防衛強化のために外に出ているという。

「すれ違っちゃった」
「外に探しに行きます?こうなってくると意地でも顔くらいは見てやろうという気分になりますね」

マリアの言葉に少し笑ってしまった。私も早く顔を見たいけれど、その気持ちは抑えて首を横に振った。

「ううん。流石に邪魔になっちゃうと思うし、今日はもう帰ろう。お屋敷にいたらそのうち会えるはずだし」
「そうですか。そうだ、じゃあ、東門のところにあるジェラート屋が開いてるか見に行きませんか?せっかく認識阻害魔法をかけてるので、外で買い食いはどうですか」
「え?こんな時に、いいのかな……」
「いいんですよ。ギルベルト様だったら、みんなが喪服着てめそめそしてるより、普段通りに過ごしてる方が喜んでくれそうじゃないですか」
「……確かに、そうだね。私もそう思う」
「では決まりです」

マリアがにこりと笑う。気遣いをありがたく受け取って、私も微笑みを返した。何かのついでに外で買い食いをする、というのが前世の経験を踏まえてもほとんど初めてで、外で食べ歩きをするのがこんなに楽しいことだとはじめて知った。
テオドールとこの気持ちを分かち合いたいと思ったのに、今日も帰ってこなかった。
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