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42. 説得
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俺が早朝に王都に到着した時、王都の城壁は閉まっていて静かだった。
(何も起きてない、よな……?良かった)
陽が沈みきるギリギリまで移動して、空が白む前にまた出発した。久しぶりに馬を乗り換えながらの無理な移動をして身体が痛い。
赤い閃光を上げなくていい状況にほっとした。
(まだ開門の時間じゃないな。開くまで外を見回って待ってればいいか)
「グレイソン副騎士団長?」
騎乗したまま周囲を見ていると、門番が俺の名前を呟いた。馬を降りて近付くと、第二騎士団所属のコニーとレイが敬礼した。
「おはようございます!王都を離れていらっしゃったのでは?」
「よく知ってるな。ちょっと急用で戻ってきたんだ。朝からお疲れ様。そういえば地図は見たか?手伝ってくれて助かったよ」
「いえ、自分達も勉強になりました。まだ完成品は目に入れてませんが刷り上がってるんですか?」
「いや……そうか、本刷りはまだだったな。明日か明後日かな」
二人の所属は第二騎士団だが、王都に詳しく過去に地図改定の業務に関わっていたため実務を手伝ってもらった。他にも何人か第二騎士団から手を貸してもらって作業を終えている。
俺は待機用のブースに近付いて、興味を持ってもらえるように声をひそめた。
「なぁ、実は王女殿下に怪文書が届いてるんだ。何か変わったこと起きてないか?些細なことでもいいから気付いたら教えてくれると助かる」
「え?エリーナ殿下にですか?!特に怪しい人物は見ておりませんが……」
「そうだよな。あのさ、門の出入り記録って見てもいいかな。サイモン騎士団長になにか言われたら、俺が殿下のことが心配で懇願してたからしょうがなく、と言っといてくれ。愛妻家だから気持ちを分かってくれると思うんだ」
二人は顔を見合わせると、おずおずと通行記録を差し出した。
「ありがとう」
中に目を通すと、特に変わったことは起きていないように見える。
「怪しいやつじゃなくても、いつもより多いとか少ないとか、ちょっとでも変わったことなかったか?」
「変わったことですか……今日はグレイソン副騎士団長がいらっしゃる以外はいつも通りです」
「はは、確かに俺がいるのは怪しいな。昨日とか、数日前は?」
「昨日……昨日は、そういえば荷台の出入りが多かったような?」
「荷台?」
「中央広場のマーケットもないのに橋が渋滞してたんですよ。足が遅い牛がいたからかもしれませんが。中身は普通に食べ物とか、酒や工芸品や植物などで、特に検閲にひっかかるものもありませんでした。ただいつもより多かった気がします」
「そうか」
昨日と一昨日、それから先週の同時刻の検閲記録を見ると、確かに2倍ほど開きがあった。ただ中身に関しては全て問題なく、そのまま通過となっている。
「ありがとう。他にも気付いたことがあったら第三騎士団に連絡くれると助かるよ。開門まではまだ少し時間があるよな?」
「はい。門はまだ開けられませんが、東門は通用口がありますよ。どうぞ、ここにお名前をお願いします。馬は通れないので預かりますがよろしいですか」
「ありがとう。助かる」
名簿の名前にも特に不審な点はない。第三騎士団の見慣れた名前と他に所属している見慣れない名前が数名だけ並んでいる。トーマスのように今外に出ているはずの人間が中にいる、なんてこともなさそうだった。
「グレイソン副団長」
「ん?」
「あと、今ふと思ったんですが、その荷台車があまり王都を出てないのが気になります。普段外から来るとほとんどその日には帰りますから。中に家族や友人がいるとか、旅行で残ることもあるので、気のせいかもしれませんが……一応」
「へぇ……いい観察眼だな。気に留めておくよ、ありがとう」
コニーとレイにお礼を言って、騎士団の関係者専用の狭くてかび臭い通路を通っていく。城下町に出ても特に怪しいものはなく、違和感も感じない。パン屋や飲食店が店を開ける準備をしているか、子どもたちが走り回っているだけだ。
(無駄足に終わりそうで良かった)
ふぁ、と小さくあくびが出た。
(念のため騎士団長と、第二騎士団にも共有しておかないと……)
中途半端に早い時間で、騎士団長はすでに出仕している可能性がある。城に向かうか自宅に向かうか少し迷って、用事が一度で済む城の方に向かうことにした。
(歩きながら一応街の様子見て、さっきの話に出た荷台を探してみるか)
荷台があれば軽く中を覗いてみるが、なにも特別なことはない。むしろ覗き込んでいる俺が一番怪しい。
(まだ結構距離あるな。どこかで馬車か馬……)
何もなさすぎて歩くのが面倒になってきた。早く報告を済ませ、ちゃんと人を使って調査に出る方が有意義だ。移動手段を確保するために辺りを見回していると、後ろで爆発音がした。
「……?!なんだ!」
早朝の人が少ない街でも悲鳴が上がる。走って煙が上がっている方向を見に行くと、橋が爆破されていた。
「大丈夫ですか?!怪我人は?」
近くにいた人々に話しかけると全員ショックを受けているが怪我はなさそうだった。
ほっとしたのも束の間、別の場所でも爆発音が鳴り響く。
「!」
また悲鳴と、瓦礫が崩れるような音がする。近くの住民に橋に近付かないようにすることと、自宅に避難して窓や扉を閉めた状態で待機するように伝えた。
爆破された橋の近くには小さな木箱の破片が散らばっている。
(荷台で運んでたってのはこれなのか……?こんな不審なもの、検閲か見回りで気付かないのか?)
また爆発音が聞こえた。城に近い方だ。
「……!」
最短距離で走って向かおうとすると道が塞がれている。橋以外にも城下町から城へと向かう主要な道路や近道が潰されているようだった。
(場所が的確すぎる。王都の人間が関わってるな)
のんびり正規の通路を走っている時間が惜しくなり、屋根の上に登って状況を確認する。第二騎士団所属の憲兵が爆発に対応しているのが見えた。衛兵が城壁の通路から内外を警戒しているが誰もいないというサインを出しているだけだ。どこにも帝国軍や怪しい動きをしている人間はおらず、ただ慌てふためく住民がいるだけだ。
(姿を消す魔法?いや、気配もない……。誰だ。何が目的なんだ?城下町から城に近づけなくしたって、元々騎士団の主軸は城にいるし、外から入れなくして何の意味があるんだ)
爆破された瓦礫のそばに子どもが倒れているのが見えた。屋根から飛び降りて近付く。
「おい!大丈夫か?」
手を抑えてうずくまっているのは聖イリーネ孤児院で顔を見たことがある子どもだった。ここは孤児院から結構距離があるのに、こんな時に一人で歩き回っているなんて危険すぎる。起き上がるのを助けると、子どもは呆然と俺の顔を見ていた。何が起きたのか分かっていないという顔だ。
「テオ……?」
「そうだよ。火傷したのか?怖かったな。大丈夫だ。一人でこんなとこにいたら危ないよ。早く教会に戻って治療してもらえ」
近くにいた憲兵に声をかけて子どもを保護してもらい、不安げな背中を見送った。
子どもが立ち去った後に足元に薄い布が落ちている。拾い上げると中身は王都の地図だった。
所々、文字が間違っていて手作り感がある。子どもたちが勝手に作ったものだと思っていたが、じっと見ていると違和感を感じた。
「……」
自分の手元にある試作用の地図を広げて並べると、地形がほとんどそのまま一致する。地図上には赤いばつ印が付いていて、俺が王都に入ってから爆破された橋がその中に含まれる。
「なんだ、これ……」
どん、と地響きが聞こえた。聞こえた方向はやはり布地図にばつ印が書いてある場所と一致している。
(子どもたちに街を破壊させてる……?なんのために?)
また爆発音だ。それから鐘の音が鳴り響いて、開門の時間を告げた。門番にはこの状況で門を開けるべきか閉じるべきか判断はできない。軽い爆発が3回程度では門を封鎖する条件に入らないから、通常通り開けるはずだ。
(どうする?何からするべきだ?外から仲間を引き入れたかったら、城までの道を閉じたりするか……?)
外から攻めてくるならむしろ最短距離で城を抑えたいはずで、わざわざ味方が誰もいない状態で通路を封鎖するのは理に適っていない。
地図にあるばつ印のうち、まだ何も起きていない箇所に向かって遠方から一気に結界を張った。生き物は通すが中は真空で魔法の効力も無効化できるもので、爆発が物理的なものでも魔法でも被害を防げるはずだ。
街をうろちょろしている子どもたちの影がまだいくつか見えた。手元に持っている小さな箱が魔法具か火薬か分からないが、それだけ狙うには距離がありすぎて手を出せない。下手なことをすると子ども達ごと吹き飛ばす可能性がある。
目標物の近くに設置しても爆発しない状況だが、それが何かわからない以上手元に持っていたら危ない。
「……くそ、遠い」
「副騎士団長!」
「……!」
遠くから騎乗した男がやってきて俺の近くで止まった。俺の顔を見て肩の力を抜く。第三騎士団のジェームズだった。
「戻っていらっしゃったんですね!上にいるのを見てまさかと……」
「ああ。今どうなってる?騎士団長は城にいるか?」
「今……今は、第二騎士団のローガン副騎士団長の指揮下で爆発の後処理と住民の避難の誘導を行なっております。首謀者と目的が分からず対症療法的ですが、城下町から城に向かう通路を閉じているようだと分かりました。城内には現時点で不審物はおりません。騎士団長は……」
ジェームズはそこで口をつぐんだ。
「騎士団長は、アーノルド騎士団長もサイモン騎士団長も昨晩何者かに刺され、昏睡状態でいらっしゃいます。聖ルーカ教会の治療院で対応中ですが、今は一級治癒師が出払っていて……なんとも……」
「……は?」
一瞬足元がぐらつくような錯覚に襲われた。なんとか持ち直して、ジェームズに近付いて背中を叩く。
「分かった。騎士団長と俺がいない中で最善の選択をしてるよ。王都のことは第二の方が詳しいからそのままローガン副騎士団長に従おう。俺たちが何ができるか知らないだろうから、ただの作業員にならないように声をかけて差し上げろよ」
「……!」
ジェームズが頷いた。俺は自分の手元にあった地図と、子どもが落とした布地図をジェームズに渡した。
「首謀者と目的は分からないが、爆破予定だった場所は分かる」
「これは……?」
「地図のばつ印のところがターゲットのはずだ。爆発物を置いてるのは孤児院の子どもたちで、多分自分が何をしてるか分かってない。保護してやってくれ。ばつ印の場所は全部結界を張って火薬と魔法は無効化してあるけど、他の手段だったら防げない。現地の確認はしてほしい」
「承知いたしました」
「あと、外に……」
「テオ!」
「……!」
後ろから名前を呼ばれて振り向くと、馬上にいるエリーナとマリアの姿が見えた。
目の前のことに気を取られて、二人が王都に近付かないように警告するのをすっかり忘れていたことに気付いて、自分のやらかしに心臓が止まるような気持ちになる。
「テオ、これ」
マリアが布に包まれたなにかを投げてきた。中身を開くと切り取ってからあまり時間が経っていない人間の小指だった。特徴的な入れ墨が入っている。
帝国配下にいるテュクル人の男が、成人する時に入れる入れ墨のはずだ。
「これは?」
「第三騎士団を名乗ってるやつが他にもいて、それが指揮を出してた人間だよ。全員大人しくさせてきたけど、目的は王都の北門としか分からなかった」
「……ジェームズ」
「はい」
俺はマリアから受け取った布ごとジェームズに手渡した。
「これもローガン副騎士団長に渡してくれ。それから全門に閉門信号を送って正規の騎士団の人間も入れないようにしたいと伝えろ。帝国軍が第三騎士団の名前を使って中に入ろうとする可能性がある」
「……!」
「少なくとも東門と北門を目標にした二部隊を確認して、始末はしてある。第三騎士団の隊服を着てるが魔法師じゃない可能性が高い」
「承知いたしました。副騎士団長は……?」
「俺は別件に当たる。そっちは頼んだ」
ジェームズの背中を見送って、エリーナとマリアに向き合った。エリーナがマリアの手を借りて馬から降りる。俺に駆け寄って頬に手を添えた。
「テオ、大丈夫?怪我してない?」
魔力が流れ込んできて、身体の重さがとれていくのが分かる。治癒術のレベルは俺が最後に受けた時よりずっと上がっているのが分かった。
今すぐ安全な場所に避難させるべきだと分かっているのに、俺は正反対のことを口にしていた。
「……エリーナ、聖ルーカ教会の治療院に行ってくれるか」
「え?」
「騎士団長が昏睡状態で、治癒師が手配できてないらしい。詳しくは俺も分からないんだ」
「……!分かった。すぐに行くよ。絶対なんとかするから心配しないで。テオはどうするの?」
「俺は」
マリアと目が合った。
「マリア、馬を借りたい。騎士団長より優先したいことがある」
「……!」
マリアは黙って手綱を引き渡した。
「一人でいいのか?」
「一人の方がいい。数がいても足手まといだ」
爆発音と、ガラスが砕け散る音がした。礼拝堂のステンドグラスが粉々になって崩れていくのが見える。
「お母様……!」
エリーナが悲鳴を上げた。
「マリア、エリーナを頼んだ」
「ああ」
心配そうに礼拝堂を見ているエリーナに近付いて、肩に触れた。
「エリーナ、安全なところにいさせてやれなくてごめん。騎士団長のこと頼む。礼拝堂も見てくるよ」
「私が勝手に来たのに謝らないで。騎士団長は大丈夫だよ。……気を付けて、いってらっしゃい」
離れるのが名残惜しいと思えたら良いのに、自分の関心が城の方に向かっているのが分かる。騎士団長やエリーナのことでひどく動揺している事実と、やるべきことに対処しようとする心がちぐはぐで、自分のことが自分ではないように感じる。俺はエリーナに小さく頷きを返し、勢いをつけて騎乗した。
後ろの方でまた爆発音と悲鳴が聞こえる。城壁の衛兵が壁の外を指差して叫んでいるのと、門を閉めようと動いているのが視界の傍に見えた。
*
城の敷地内に足を踏み入れると、普段溢れている人の姿がない。文官や使用人どころか見張りの兵士さえいなくて、異様なほど静かだった。
(見張りの人間は全員どこへ行ったんだ?血も流れてないのはおかしい)
アーノルド騎士団長は深く酔っ払って後ろを向いていたとしても、人に刺されるようなヘマはしない。一対一で顔を合わせ、騎士団長を油断させた上昏睡状態にできる人間には限りがある。
その上これだけ多くの人間を一瞬で消し去れるなんて魔法は聞いたことがない。首謀者の正体も目的も得体が知れず気味が悪いはずなのに、一人だけ脳裏に浮かぶ姿があって、その予想が間違っていてほしいと思う。
礼拝堂からまたガラスが砕ける音がした。
「……!」
音のした方へと急ぎ、礼拝堂に向かった。中央のガラスが砕け散って、床一面を覆っている。左右の翼に目を向けると、エレノア前王妃の墓の辺りに一人立っている男の姿があった。
俺の姿を見て、目を丸くした。
「テオじゃないか!数日は戻らないと聞いていたんだけど、早かったね。おかえり」
「ギルベルト様」
ギルベルト様の足元に、砕けたガラスが散っていて、その上に血まみれの人が倒れている。ギルベルト様の手元には長剣が握られていて、ぽたぽたとしたたる血が床の血溜まりに加わっていく。
「陛下……?陛下!」
倒れているのは国王陛下だと気付いて駆け寄ろうとすると、ギルベルト様は人差し指を俺に向け、ぴっと横に引いた。嫌な予感がして急停止して避けると、床に黒く焦げ付いた後が付く。ギルベルト様は優しく微笑んだ。
「陛下が窓のガラスを砕いてしまってね……あまり近付くと危ないよ。陛下は助からないから諦めなさい」
「ギルベルト様が、陛下を……?王座に興味がないから城下町に降ってたんじゃないんですか」
子ども達を使ってテロを起こすのも、アーノルド騎士団長を攻撃するのも、ギルベルト様はできるだろうがやる理由がないと思っていた。目の前で剣を携えているのを見ても、まだ心から信じられていない。
ギルベルト様が王位を継ぐには、現国王、ユリウス王太子、アルフォンス殿下、その弟のルイ殿下も始末しなければならない。
(陛下だけ死んでも意味ない。全員殺したのか?)
国王陛下はうつ伏せで、生きているか死んでいるか分からない。指も身体もぴくりとも動かず、ただ血の中に横たわっている。
「もちろん。王座に興味などないよ。あんな椅子はさっさと溶かして売ってしまおうかな。テオの魔法で金の部分だけ金塊にできたりするのかい?」
「……そんな魔法ありません」
「そうか。なんでも出来るわけではないんだね。そういえば、エリーナは一緒に戻らなかったのかな」
ギルベルト様は、剣の血を服で拭い、鞘に戻した。俺の方へゆっくり歩いてくる。
「エリーナは安全なところに置いてきました」
「おや、せっかくだし顔を見たかったが仕方ないね。また今度ニーフェ公領に挨拶に行かせてもらうよ」
国王が血だらけで床に転がっていること以外、あまりにもいつもと態度が変わらない。ギルベルト様は俺に対して警戒も殺意も向けていない。それが不気味だ。
「貴方は、謀反を起こしに来たんですか……?国王陛下の統治が気に入らなくて?」
民衆に寄り添って生きるギルベルト様が、古典的な考え方の国王の考えに合わないのは納得できることだ。だからといって国王一人殺したところで、簡単に国の統治体制が変わることはない。宰相や教会や様々な貴族の利権が絡み合っていて、実際のところ国全体の様々な施策に対しての影響は、国王だけよりも貴族の力の方が強いくらいだ。陛下が死んでもユリウス王太子が次の席に着くだけで、何かが大きく変わることはない。
「私は王制そのものがあまり好きではなくてね。自分が王室の人間として中身を見たからかもしれないが……私たちは実のところただの人間なんだ。テオとたいして変わらないよ。違うところは、ファミリーネームがないところくらいかな」
「……」
「君は帝国軍と戦ったことがあるだろう?あそこはね、皇帝はいるけど色んな民族が互いを受け入れあって生きているんだ。平民も議会に入る権利があるし、実力主義で平等だ」
「それは表向きの話で、実際はチェレジア人だけが優遇されてます」
「そうだね。でもこの国の貴族と平民ほどの差はない」
「……!」
「それに、純粋なチェレジア人は減ってきてるよ。改宗すればほとんどチェレジア人と同じ待遇を受けることができる」
ギルベルト様の考えが読めてきた。この国を帝国の配下に入れようという考えだ。
「ギルベルト様、俺は、帝国軍と戦っていました。彼らは、異民族を人間だと思っていませんよ。この国の貴族は平民を見下してますけど、人間だとは認識しているでしょう」
「うーん、どうかな。私は同じ人だと思ってなかったよ」
「……」
ギルベルト様は子どもに何か言い聞かせる時のように微笑んだ。
「テオ、大丈夫だ。抵抗せずに引き渡せば第一等級国にしてもらう約束をしてる。そのためにできるだけの兵を裏の山に避難させたんだ。自治性はちゃんと保たれるよ。君はそのままニーフェ公領で平和に生活できるし、エリーナも平民の家に降ったとして、王族としての責任からは免除すると約束する。もちろん君は能力もあるし、興味があるなら首都のシンシアに来ても活躍の場はあるだろう。私に任せて、君も一度王都の外に出てくれるかな。本当は君の留守中に終わらせるつもりだったんだ。争いは嫌いなんだろう?」
ギルベルト様は親切な口調で提案し、俺に同情するような目を向けた。
この人は城下町がどんな状態になっているか知っているのだろうか。ギルベルト様の思いつきで、やっと戦争が終わって、平和を享受できるはずだったこの国の人間がどんな目に会うか想像もできないのだろうか。
俺が最後に見た衛兵の姿を考えると、今頃城下町が爆破されただけじゃなく、第三騎士団に扮した帝国の属国の人間が攻め入ってきているかもしれない。
「……俺が、見てきたのは、第一等級国のシニヤ国の人間がゴミみたいに扱われるところだよっ!」
城内に広域魔法陣を展開して、氷柱を呼び出した。そのうちの一つがギルベルトの頬を擦るがあとは軽い身のこなしで避けられてしまう。
「はは……私一人にそれはやりすぎじゃないかい?」
「あんた一人じゃない。抵抗せずの引き渡しはもう叶いませんよ。ここの外にいる見慣れない魔力の人間も今全員殺したし、城壁の外にいたうちの部隊を騙る中隊は昨日処理しました」
「……!」
ギルベルト様は悲しそうな顔をした。
「なんてことを……」
「王都の外にいたのはこの国の人間と、全然関係ないアジリア人だ。自分の手も汚さないで侵略しようとしてるチェレジア人の配下になんか入ったら、どうなるか想像もできないんですか?」
「テオ……目的地に近い場所の人間を使うのは当然のことだよ。君も指揮を取る立場だ。分かるだろう?」
ギルベルト様が入り口に目を向けた。逃がすつもりはない。動線を塞ぐように場所を移動して睨むが、ギルベルト様は俺の視線を意に介した様子はなかった。
「分かりますよ。結局、俺たちを使う人間が、この国の貴族になるかチュレジア人になるかって違いだけだ。城下町でも抵抗できる戦力は応戦してる。そっちが先に手ぇ出してきたんだ。無抵抗で引き渡すわけないだろ。せっかく戦争が終わったのに、あんたが町を壊すなよ!子どもたちを巻き込んだのも絶対許さない」
「誤解だ。城下町は陛下が逃げた時のためにちょっと道を塞いだだけだし、子どもたちに仕事を任せると目を輝かせるのを教えてくれたのもテオだ。傷つけようとしてるわけじゃないんだよ。君の話だと騎士団は機能してるのか……騎士団長を退場させればまともに動けなくなるはずなんだが、もしかして、君の異動のせいで自主性が出てしまったのかな」
「……やっぱりアーノルド騎士団長に手を出したのもあんたか」
この男は否定しなかった。困ったように笑う。
「もちろん殺してないよ。彼らとは仲良くさせてもらっていたし、少し大人しくしてもらってるだけだ。騎士団長たちは、立場的に無抵抗で引き渡すなんて無理だろう?」
「ふざけんなよ……」
手元に氷柱を発生させて、ギルベルトの首に一閃を飛ばす。ギルベルトは最小限の動きで頭を引いて避け、自分も剣を抜いて俺のことを後ろに弾き飛ばそうとした。
「はは、いきなり首は欲張りすぎだ。君と直接は今の私には重たいな。配分を間違えた。また説得にくるから少し待っていてくれ」
「待て……!」
逃がすつもりはない。部屋全体に広域魔法陣を展開して、何をしようとしても捕らえるつもりだったが、ギルベルトは手にしていた鏡に触れると一瞬で消えてしまった。
カランと音がして、六角形の鏡だけがその場に残る。
「は……?!なんだこれ」
鏡を使った転移魔法なんて見たことがない。帝国軍の技術だろうか。鏡を叩いても何も起きない。またこれを経由してこの場所に現れないように、踏み潰して割った。
「くそっ!」
また説得にくると言っていたが、俺が説得されるわけがないことは分かるだろう。ギルベルトが考えるとしたら、説得じゃなくて脅しだ。そのための材料を探しに行ったはずだ。
(エリーナ……!)
はっとしたが、俺はエリーナを"安全な場所に置いてきた"と伝えた。もちろんエリーナがいるなら俺にとって1番の弱点になるが、王都にいるかも分からないエリーナを一か八かで探そうとするような性格じゃない。もっと確実な手段を取りたがる人だ。
そこで思い当たる人物は、今ギルベルトの手によって瀕死になって、横たわっているはすだ。
「……騎士団長」
俺が予定と違う動きをする可能性を考えて、このために生かしておいたのではないかと勘繰ってしまう。
騎士団長のところには、エリーナも一緒にいる。
不安と焦りで全身が石になったような気分になって、慌てて頭を振って正気を取り戻した。急いで礼拝堂を出る。
(次、視界に入ったら即殺す。くそ、話してる場合じゃなかっただろ!)
すぐに攻撃しないで会話をしてしまったのは、俺自身の甘さだ。殺さなくていい理由を探していた。城下町や城で話した時の気さくな人柄と、温かい笑顔を思い出すと、息が苦しくなる。エリーナがあの人を慕っているのも知っているし、俺にとって尊敬する年長者の一人だ。
(なんで、あんたが王都の人間を傷付けるようなことするんだよ……!)
城から城下町へ降りる道を通る暇はないし、自分の足でのろのろ移動するのは魔法師のやり方じゃない。屋根の上に飛び上がり、最短経路を通ることにした。
(何も起きてない、よな……?良かった)
陽が沈みきるギリギリまで移動して、空が白む前にまた出発した。久しぶりに馬を乗り換えながらの無理な移動をして身体が痛い。
赤い閃光を上げなくていい状況にほっとした。
(まだ開門の時間じゃないな。開くまで外を見回って待ってればいいか)
「グレイソン副騎士団長?」
騎乗したまま周囲を見ていると、門番が俺の名前を呟いた。馬を降りて近付くと、第二騎士団所属のコニーとレイが敬礼した。
「おはようございます!王都を離れていらっしゃったのでは?」
「よく知ってるな。ちょっと急用で戻ってきたんだ。朝からお疲れ様。そういえば地図は見たか?手伝ってくれて助かったよ」
「いえ、自分達も勉強になりました。まだ完成品は目に入れてませんが刷り上がってるんですか?」
「いや……そうか、本刷りはまだだったな。明日か明後日かな」
二人の所属は第二騎士団だが、王都に詳しく過去に地図改定の業務に関わっていたため実務を手伝ってもらった。他にも何人か第二騎士団から手を貸してもらって作業を終えている。
俺は待機用のブースに近付いて、興味を持ってもらえるように声をひそめた。
「なぁ、実は王女殿下に怪文書が届いてるんだ。何か変わったこと起きてないか?些細なことでもいいから気付いたら教えてくれると助かる」
「え?エリーナ殿下にですか?!特に怪しい人物は見ておりませんが……」
「そうだよな。あのさ、門の出入り記録って見てもいいかな。サイモン騎士団長になにか言われたら、俺が殿下のことが心配で懇願してたからしょうがなく、と言っといてくれ。愛妻家だから気持ちを分かってくれると思うんだ」
二人は顔を見合わせると、おずおずと通行記録を差し出した。
「ありがとう」
中に目を通すと、特に変わったことは起きていないように見える。
「怪しいやつじゃなくても、いつもより多いとか少ないとか、ちょっとでも変わったことなかったか?」
「変わったことですか……今日はグレイソン副騎士団長がいらっしゃる以外はいつも通りです」
「はは、確かに俺がいるのは怪しいな。昨日とか、数日前は?」
「昨日……昨日は、そういえば荷台の出入りが多かったような?」
「荷台?」
「中央広場のマーケットもないのに橋が渋滞してたんですよ。足が遅い牛がいたからかもしれませんが。中身は普通に食べ物とか、酒や工芸品や植物などで、特に検閲にひっかかるものもありませんでした。ただいつもより多かった気がします」
「そうか」
昨日と一昨日、それから先週の同時刻の検閲記録を見ると、確かに2倍ほど開きがあった。ただ中身に関しては全て問題なく、そのまま通過となっている。
「ありがとう。他にも気付いたことがあったら第三騎士団に連絡くれると助かるよ。開門まではまだ少し時間があるよな?」
「はい。門はまだ開けられませんが、東門は通用口がありますよ。どうぞ、ここにお名前をお願いします。馬は通れないので預かりますがよろしいですか」
「ありがとう。助かる」
名簿の名前にも特に不審な点はない。第三騎士団の見慣れた名前と他に所属している見慣れない名前が数名だけ並んでいる。トーマスのように今外に出ているはずの人間が中にいる、なんてこともなさそうだった。
「グレイソン副団長」
「ん?」
「あと、今ふと思ったんですが、その荷台車があまり王都を出てないのが気になります。普段外から来るとほとんどその日には帰りますから。中に家族や友人がいるとか、旅行で残ることもあるので、気のせいかもしれませんが……一応」
「へぇ……いい観察眼だな。気に留めておくよ、ありがとう」
コニーとレイにお礼を言って、騎士団の関係者専用の狭くてかび臭い通路を通っていく。城下町に出ても特に怪しいものはなく、違和感も感じない。パン屋や飲食店が店を開ける準備をしているか、子どもたちが走り回っているだけだ。
(無駄足に終わりそうで良かった)
ふぁ、と小さくあくびが出た。
(念のため騎士団長と、第二騎士団にも共有しておかないと……)
中途半端に早い時間で、騎士団長はすでに出仕している可能性がある。城に向かうか自宅に向かうか少し迷って、用事が一度で済む城の方に向かうことにした。
(歩きながら一応街の様子見て、さっきの話に出た荷台を探してみるか)
荷台があれば軽く中を覗いてみるが、なにも特別なことはない。むしろ覗き込んでいる俺が一番怪しい。
(まだ結構距離あるな。どこかで馬車か馬……)
何もなさすぎて歩くのが面倒になってきた。早く報告を済ませ、ちゃんと人を使って調査に出る方が有意義だ。移動手段を確保するために辺りを見回していると、後ろで爆発音がした。
「……?!なんだ!」
早朝の人が少ない街でも悲鳴が上がる。走って煙が上がっている方向を見に行くと、橋が爆破されていた。
「大丈夫ですか?!怪我人は?」
近くにいた人々に話しかけると全員ショックを受けているが怪我はなさそうだった。
ほっとしたのも束の間、別の場所でも爆発音が鳴り響く。
「!」
また悲鳴と、瓦礫が崩れるような音がする。近くの住民に橋に近付かないようにすることと、自宅に避難して窓や扉を閉めた状態で待機するように伝えた。
爆破された橋の近くには小さな木箱の破片が散らばっている。
(荷台で運んでたってのはこれなのか……?こんな不審なもの、検閲か見回りで気付かないのか?)
また爆発音が聞こえた。城に近い方だ。
「……!」
最短距離で走って向かおうとすると道が塞がれている。橋以外にも城下町から城へと向かう主要な道路や近道が潰されているようだった。
(場所が的確すぎる。王都の人間が関わってるな)
のんびり正規の通路を走っている時間が惜しくなり、屋根の上に登って状況を確認する。第二騎士団所属の憲兵が爆発に対応しているのが見えた。衛兵が城壁の通路から内外を警戒しているが誰もいないというサインを出しているだけだ。どこにも帝国軍や怪しい動きをしている人間はおらず、ただ慌てふためく住民がいるだけだ。
(姿を消す魔法?いや、気配もない……。誰だ。何が目的なんだ?城下町から城に近づけなくしたって、元々騎士団の主軸は城にいるし、外から入れなくして何の意味があるんだ)
爆破された瓦礫のそばに子どもが倒れているのが見えた。屋根から飛び降りて近付く。
「おい!大丈夫か?」
手を抑えてうずくまっているのは聖イリーネ孤児院で顔を見たことがある子どもだった。ここは孤児院から結構距離があるのに、こんな時に一人で歩き回っているなんて危険すぎる。起き上がるのを助けると、子どもは呆然と俺の顔を見ていた。何が起きたのか分かっていないという顔だ。
「テオ……?」
「そうだよ。火傷したのか?怖かったな。大丈夫だ。一人でこんなとこにいたら危ないよ。早く教会に戻って治療してもらえ」
近くにいた憲兵に声をかけて子どもを保護してもらい、不安げな背中を見送った。
子どもが立ち去った後に足元に薄い布が落ちている。拾い上げると中身は王都の地図だった。
所々、文字が間違っていて手作り感がある。子どもたちが勝手に作ったものだと思っていたが、じっと見ていると違和感を感じた。
「……」
自分の手元にある試作用の地図を広げて並べると、地形がほとんどそのまま一致する。地図上には赤いばつ印が付いていて、俺が王都に入ってから爆破された橋がその中に含まれる。
「なんだ、これ……」
どん、と地響きが聞こえた。聞こえた方向はやはり布地図にばつ印が書いてある場所と一致している。
(子どもたちに街を破壊させてる……?なんのために?)
また爆発音だ。それから鐘の音が鳴り響いて、開門の時間を告げた。門番にはこの状況で門を開けるべきか閉じるべきか判断はできない。軽い爆発が3回程度では門を封鎖する条件に入らないから、通常通り開けるはずだ。
(どうする?何からするべきだ?外から仲間を引き入れたかったら、城までの道を閉じたりするか……?)
外から攻めてくるならむしろ最短距離で城を抑えたいはずで、わざわざ味方が誰もいない状態で通路を封鎖するのは理に適っていない。
地図にあるばつ印のうち、まだ何も起きていない箇所に向かって遠方から一気に結界を張った。生き物は通すが中は真空で魔法の効力も無効化できるもので、爆発が物理的なものでも魔法でも被害を防げるはずだ。
街をうろちょろしている子どもたちの影がまだいくつか見えた。手元に持っている小さな箱が魔法具か火薬か分からないが、それだけ狙うには距離がありすぎて手を出せない。下手なことをすると子ども達ごと吹き飛ばす可能性がある。
目標物の近くに設置しても爆発しない状況だが、それが何かわからない以上手元に持っていたら危ない。
「……くそ、遠い」
「副騎士団長!」
「……!」
遠くから騎乗した男がやってきて俺の近くで止まった。俺の顔を見て肩の力を抜く。第三騎士団のジェームズだった。
「戻っていらっしゃったんですね!上にいるのを見てまさかと……」
「ああ。今どうなってる?騎士団長は城にいるか?」
「今……今は、第二騎士団のローガン副騎士団長の指揮下で爆発の後処理と住民の避難の誘導を行なっております。首謀者と目的が分からず対症療法的ですが、城下町から城に向かう通路を閉じているようだと分かりました。城内には現時点で不審物はおりません。騎士団長は……」
ジェームズはそこで口をつぐんだ。
「騎士団長は、アーノルド騎士団長もサイモン騎士団長も昨晩何者かに刺され、昏睡状態でいらっしゃいます。聖ルーカ教会の治療院で対応中ですが、今は一級治癒師が出払っていて……なんとも……」
「……は?」
一瞬足元がぐらつくような錯覚に襲われた。なんとか持ち直して、ジェームズに近付いて背中を叩く。
「分かった。騎士団長と俺がいない中で最善の選択をしてるよ。王都のことは第二の方が詳しいからそのままローガン副騎士団長に従おう。俺たちが何ができるか知らないだろうから、ただの作業員にならないように声をかけて差し上げろよ」
「……!」
ジェームズが頷いた。俺は自分の手元にあった地図と、子どもが落とした布地図をジェームズに渡した。
「首謀者と目的は分からないが、爆破予定だった場所は分かる」
「これは……?」
「地図のばつ印のところがターゲットのはずだ。爆発物を置いてるのは孤児院の子どもたちで、多分自分が何をしてるか分かってない。保護してやってくれ。ばつ印の場所は全部結界を張って火薬と魔法は無効化してあるけど、他の手段だったら防げない。現地の確認はしてほしい」
「承知いたしました」
「あと、外に……」
「テオ!」
「……!」
後ろから名前を呼ばれて振り向くと、馬上にいるエリーナとマリアの姿が見えた。
目の前のことに気を取られて、二人が王都に近付かないように警告するのをすっかり忘れていたことに気付いて、自分のやらかしに心臓が止まるような気持ちになる。
「テオ、これ」
マリアが布に包まれたなにかを投げてきた。中身を開くと切り取ってからあまり時間が経っていない人間の小指だった。特徴的な入れ墨が入っている。
帝国配下にいるテュクル人の男が、成人する時に入れる入れ墨のはずだ。
「これは?」
「第三騎士団を名乗ってるやつが他にもいて、それが指揮を出してた人間だよ。全員大人しくさせてきたけど、目的は王都の北門としか分からなかった」
「……ジェームズ」
「はい」
俺はマリアから受け取った布ごとジェームズに手渡した。
「これもローガン副騎士団長に渡してくれ。それから全門に閉門信号を送って正規の騎士団の人間も入れないようにしたいと伝えろ。帝国軍が第三騎士団の名前を使って中に入ろうとする可能性がある」
「……!」
「少なくとも東門と北門を目標にした二部隊を確認して、始末はしてある。第三騎士団の隊服を着てるが魔法師じゃない可能性が高い」
「承知いたしました。副騎士団長は……?」
「俺は別件に当たる。そっちは頼んだ」
ジェームズの背中を見送って、エリーナとマリアに向き合った。エリーナがマリアの手を借りて馬から降りる。俺に駆け寄って頬に手を添えた。
「テオ、大丈夫?怪我してない?」
魔力が流れ込んできて、身体の重さがとれていくのが分かる。治癒術のレベルは俺が最後に受けた時よりずっと上がっているのが分かった。
今すぐ安全な場所に避難させるべきだと分かっているのに、俺は正反対のことを口にしていた。
「……エリーナ、聖ルーカ教会の治療院に行ってくれるか」
「え?」
「騎士団長が昏睡状態で、治癒師が手配できてないらしい。詳しくは俺も分からないんだ」
「……!分かった。すぐに行くよ。絶対なんとかするから心配しないで。テオはどうするの?」
「俺は」
マリアと目が合った。
「マリア、馬を借りたい。騎士団長より優先したいことがある」
「……!」
マリアは黙って手綱を引き渡した。
「一人でいいのか?」
「一人の方がいい。数がいても足手まといだ」
爆発音と、ガラスが砕け散る音がした。礼拝堂のステンドグラスが粉々になって崩れていくのが見える。
「お母様……!」
エリーナが悲鳴を上げた。
「マリア、エリーナを頼んだ」
「ああ」
心配そうに礼拝堂を見ているエリーナに近付いて、肩に触れた。
「エリーナ、安全なところにいさせてやれなくてごめん。騎士団長のこと頼む。礼拝堂も見てくるよ」
「私が勝手に来たのに謝らないで。騎士団長は大丈夫だよ。……気を付けて、いってらっしゃい」
離れるのが名残惜しいと思えたら良いのに、自分の関心が城の方に向かっているのが分かる。騎士団長やエリーナのことでひどく動揺している事実と、やるべきことに対処しようとする心がちぐはぐで、自分のことが自分ではないように感じる。俺はエリーナに小さく頷きを返し、勢いをつけて騎乗した。
後ろの方でまた爆発音と悲鳴が聞こえる。城壁の衛兵が壁の外を指差して叫んでいるのと、門を閉めようと動いているのが視界の傍に見えた。
*
城の敷地内に足を踏み入れると、普段溢れている人の姿がない。文官や使用人どころか見張りの兵士さえいなくて、異様なほど静かだった。
(見張りの人間は全員どこへ行ったんだ?血も流れてないのはおかしい)
アーノルド騎士団長は深く酔っ払って後ろを向いていたとしても、人に刺されるようなヘマはしない。一対一で顔を合わせ、騎士団長を油断させた上昏睡状態にできる人間には限りがある。
その上これだけ多くの人間を一瞬で消し去れるなんて魔法は聞いたことがない。首謀者の正体も目的も得体が知れず気味が悪いはずなのに、一人だけ脳裏に浮かぶ姿があって、その予想が間違っていてほしいと思う。
礼拝堂からまたガラスが砕ける音がした。
「……!」
音のした方へと急ぎ、礼拝堂に向かった。中央のガラスが砕け散って、床一面を覆っている。左右の翼に目を向けると、エレノア前王妃の墓の辺りに一人立っている男の姿があった。
俺の姿を見て、目を丸くした。
「テオじゃないか!数日は戻らないと聞いていたんだけど、早かったね。おかえり」
「ギルベルト様」
ギルベルト様の足元に、砕けたガラスが散っていて、その上に血まみれの人が倒れている。ギルベルト様の手元には長剣が握られていて、ぽたぽたとしたたる血が床の血溜まりに加わっていく。
「陛下……?陛下!」
倒れているのは国王陛下だと気付いて駆け寄ろうとすると、ギルベルト様は人差し指を俺に向け、ぴっと横に引いた。嫌な予感がして急停止して避けると、床に黒く焦げ付いた後が付く。ギルベルト様は優しく微笑んだ。
「陛下が窓のガラスを砕いてしまってね……あまり近付くと危ないよ。陛下は助からないから諦めなさい」
「ギルベルト様が、陛下を……?王座に興味がないから城下町に降ってたんじゃないんですか」
子ども達を使ってテロを起こすのも、アーノルド騎士団長を攻撃するのも、ギルベルト様はできるだろうがやる理由がないと思っていた。目の前で剣を携えているのを見ても、まだ心から信じられていない。
ギルベルト様が王位を継ぐには、現国王、ユリウス王太子、アルフォンス殿下、その弟のルイ殿下も始末しなければならない。
(陛下だけ死んでも意味ない。全員殺したのか?)
国王陛下はうつ伏せで、生きているか死んでいるか分からない。指も身体もぴくりとも動かず、ただ血の中に横たわっている。
「もちろん。王座に興味などないよ。あんな椅子はさっさと溶かして売ってしまおうかな。テオの魔法で金の部分だけ金塊にできたりするのかい?」
「……そんな魔法ありません」
「そうか。なんでも出来るわけではないんだね。そういえば、エリーナは一緒に戻らなかったのかな」
ギルベルト様は、剣の血を服で拭い、鞘に戻した。俺の方へゆっくり歩いてくる。
「エリーナは安全なところに置いてきました」
「おや、せっかくだし顔を見たかったが仕方ないね。また今度ニーフェ公領に挨拶に行かせてもらうよ」
国王が血だらけで床に転がっていること以外、あまりにもいつもと態度が変わらない。ギルベルト様は俺に対して警戒も殺意も向けていない。それが不気味だ。
「貴方は、謀反を起こしに来たんですか……?国王陛下の統治が気に入らなくて?」
民衆に寄り添って生きるギルベルト様が、古典的な考え方の国王の考えに合わないのは納得できることだ。だからといって国王一人殺したところで、簡単に国の統治体制が変わることはない。宰相や教会や様々な貴族の利権が絡み合っていて、実際のところ国全体の様々な施策に対しての影響は、国王だけよりも貴族の力の方が強いくらいだ。陛下が死んでもユリウス王太子が次の席に着くだけで、何かが大きく変わることはない。
「私は王制そのものがあまり好きではなくてね。自分が王室の人間として中身を見たからかもしれないが……私たちは実のところただの人間なんだ。テオとたいして変わらないよ。違うところは、ファミリーネームがないところくらいかな」
「……」
「君は帝国軍と戦ったことがあるだろう?あそこはね、皇帝はいるけど色んな民族が互いを受け入れあって生きているんだ。平民も議会に入る権利があるし、実力主義で平等だ」
「それは表向きの話で、実際はチェレジア人だけが優遇されてます」
「そうだね。でもこの国の貴族と平民ほどの差はない」
「……!」
「それに、純粋なチェレジア人は減ってきてるよ。改宗すればほとんどチェレジア人と同じ待遇を受けることができる」
ギルベルト様の考えが読めてきた。この国を帝国の配下に入れようという考えだ。
「ギルベルト様、俺は、帝国軍と戦っていました。彼らは、異民族を人間だと思っていませんよ。この国の貴族は平民を見下してますけど、人間だとは認識しているでしょう」
「うーん、どうかな。私は同じ人だと思ってなかったよ」
「……」
ギルベルト様は子どもに何か言い聞かせる時のように微笑んだ。
「テオ、大丈夫だ。抵抗せずに引き渡せば第一等級国にしてもらう約束をしてる。そのためにできるだけの兵を裏の山に避難させたんだ。自治性はちゃんと保たれるよ。君はそのままニーフェ公領で平和に生活できるし、エリーナも平民の家に降ったとして、王族としての責任からは免除すると約束する。もちろん君は能力もあるし、興味があるなら首都のシンシアに来ても活躍の場はあるだろう。私に任せて、君も一度王都の外に出てくれるかな。本当は君の留守中に終わらせるつもりだったんだ。争いは嫌いなんだろう?」
ギルベルト様は親切な口調で提案し、俺に同情するような目を向けた。
この人は城下町がどんな状態になっているか知っているのだろうか。ギルベルト様の思いつきで、やっと戦争が終わって、平和を享受できるはずだったこの国の人間がどんな目に会うか想像もできないのだろうか。
俺が最後に見た衛兵の姿を考えると、今頃城下町が爆破されただけじゃなく、第三騎士団に扮した帝国の属国の人間が攻め入ってきているかもしれない。
「……俺が、見てきたのは、第一等級国のシニヤ国の人間がゴミみたいに扱われるところだよっ!」
城内に広域魔法陣を展開して、氷柱を呼び出した。そのうちの一つがギルベルトの頬を擦るがあとは軽い身のこなしで避けられてしまう。
「はは……私一人にそれはやりすぎじゃないかい?」
「あんた一人じゃない。抵抗せずの引き渡しはもう叶いませんよ。ここの外にいる見慣れない魔力の人間も今全員殺したし、城壁の外にいたうちの部隊を騙る中隊は昨日処理しました」
「……!」
ギルベルト様は悲しそうな顔をした。
「なんてことを……」
「王都の外にいたのはこの国の人間と、全然関係ないアジリア人だ。自分の手も汚さないで侵略しようとしてるチェレジア人の配下になんか入ったら、どうなるか想像もできないんですか?」
「テオ……目的地に近い場所の人間を使うのは当然のことだよ。君も指揮を取る立場だ。分かるだろう?」
ギルベルト様が入り口に目を向けた。逃がすつもりはない。動線を塞ぐように場所を移動して睨むが、ギルベルト様は俺の視線を意に介した様子はなかった。
「分かりますよ。結局、俺たちを使う人間が、この国の貴族になるかチュレジア人になるかって違いだけだ。城下町でも抵抗できる戦力は応戦してる。そっちが先に手ぇ出してきたんだ。無抵抗で引き渡すわけないだろ。せっかく戦争が終わったのに、あんたが町を壊すなよ!子どもたちを巻き込んだのも絶対許さない」
「誤解だ。城下町は陛下が逃げた時のためにちょっと道を塞いだだけだし、子どもたちに仕事を任せると目を輝かせるのを教えてくれたのもテオだ。傷つけようとしてるわけじゃないんだよ。君の話だと騎士団は機能してるのか……騎士団長を退場させればまともに動けなくなるはずなんだが、もしかして、君の異動のせいで自主性が出てしまったのかな」
「……やっぱりアーノルド騎士団長に手を出したのもあんたか」
この男は否定しなかった。困ったように笑う。
「もちろん殺してないよ。彼らとは仲良くさせてもらっていたし、少し大人しくしてもらってるだけだ。騎士団長たちは、立場的に無抵抗で引き渡すなんて無理だろう?」
「ふざけんなよ……」
手元に氷柱を発生させて、ギルベルトの首に一閃を飛ばす。ギルベルトは最小限の動きで頭を引いて避け、自分も剣を抜いて俺のことを後ろに弾き飛ばそうとした。
「はは、いきなり首は欲張りすぎだ。君と直接は今の私には重たいな。配分を間違えた。また説得にくるから少し待っていてくれ」
「待て……!」
逃がすつもりはない。部屋全体に広域魔法陣を展開して、何をしようとしても捕らえるつもりだったが、ギルベルトは手にしていた鏡に触れると一瞬で消えてしまった。
カランと音がして、六角形の鏡だけがその場に残る。
「は……?!なんだこれ」
鏡を使った転移魔法なんて見たことがない。帝国軍の技術だろうか。鏡を叩いても何も起きない。またこれを経由してこの場所に現れないように、踏み潰して割った。
「くそっ!」
また説得にくると言っていたが、俺が説得されるわけがないことは分かるだろう。ギルベルトが考えるとしたら、説得じゃなくて脅しだ。そのための材料を探しに行ったはずだ。
(エリーナ……!)
はっとしたが、俺はエリーナを"安全な場所に置いてきた"と伝えた。もちろんエリーナがいるなら俺にとって1番の弱点になるが、王都にいるかも分からないエリーナを一か八かで探そうとするような性格じゃない。もっと確実な手段を取りたがる人だ。
そこで思い当たる人物は、今ギルベルトの手によって瀕死になって、横たわっているはすだ。
「……騎士団長」
俺が予定と違う動きをする可能性を考えて、このために生かしておいたのではないかと勘繰ってしまう。
騎士団長のところには、エリーナも一緒にいる。
不安と焦りで全身が石になったような気分になって、慌てて頭を振って正気を取り戻した。急いで礼拝堂を出る。
(次、視界に入ったら即殺す。くそ、話してる場合じゃなかっただろ!)
すぐに攻撃しないで会話をしてしまったのは、俺自身の甘さだ。殺さなくていい理由を探していた。城下町や城で話した時の気さくな人柄と、温かい笑顔を思い出すと、息が苦しくなる。エリーナがあの人を慕っているのも知っているし、俺にとって尊敬する年長者の一人だ。
(なんで、あんたが王都の人間を傷付けるようなことするんだよ……!)
城から城下町へ降りる道を通る暇はないし、自分の足でのろのろ移動するのは魔法師のやり方じゃない。屋根の上に飛び上がり、最短経路を通ることにした。
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