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38. お墓参り
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俺とエリーナが城に到着し、先に敷地内にいた使用人に話を聞くと、国王陛下は居住区域内の部屋で私用を済ませているらしく、予定もおさえられなかったと言われた。
「エリーナは城の奥にも立ち入れるんだよな?俺もあんたの付き添いで申請出せば通ると思うけど……陛下のこと探しに行くか?」
「ううん、お約束できなかったなら大事なご予定だと思うし……少しお父様が出てくるまで時間を潰してもいい?礼拝堂でお参りしてみたい」
「……!エレノア前王妃様の墓があるところか。分かった。じゃあそうしよう」
城内にある礼拝堂は基本的には王族とそれに連なる身分の人間専用の場所で、年に数回行われる祭事と、夏の一般公開の季節以外は普通は立ち入ることができない。
俺は開戦時に各騎士団長が勝利を誓うところと、終戦時に陛下がその報告と感謝を伝える祈りを捧げるところを見たことがある。
祈りの言葉はちゃんと聞くと人の価値観や性格が出る。形式に沿った言葉をただ読み上げているだけの陛下は全く信心深くないのがよく分かった。騎士団長も台本丸暗記の練習に俺を付き合わせたくらいだから全く信じてない。二人ともそうだからそういうものだと思っていたら、第二騎士団の騎士団長の言葉を聞いた時に気持ちがこもっていて驚いてしまった。
礼拝堂は、真っ白で荘厳な左右対称の建物で、尖った塔の天辺に割れた輪っかのようなものがついている。子どもの頃、教会の上のあれはなにかを象徴していると聞いたはずだが忘れてしまった。
入口の扉を開けると、石造りのため中はかなりひんやりしていた。背の高いステンドグラスから光が入ってきて神聖な雰囲気で、なんとなく背筋を伸ばさないといけない気持ちになり居心地が悪い。
エレノア前王妃が埋葬されているのは左右どちらかの翼のはずだが、どちらに行けばいいのか検討もつかない。
「どっちか分かるか?」
「……ううん」
「時間あるし一周すればいいか」
「うん」
エリーナは初めて入ったように教会の建物に見入っている。
カツン、と固い音が響いた。俺たち以外にも中に人がいたようで、振り向くと、国王陛下が一人で立っていた。
「……!」
(陛下もエレノア前王妃に会いに来てたのか?)
陛下はエリーナの姿を見て、一瞬怯えたような顔をした。それからいつものように冷たく感情の読めない顔に戻った。
俺とエリーナが陛下に頭を下げ挨拶すると、陛下は無言で俺たちを見つめ、特に何も言わずに立ち去ろうとした。
エリーナのことを褒めるでも貶すでも怒るでもなく、ただ無視した。
(エリーナは家族からずっとこういう反応を受けてたのか)
なんの感情も向けられることなく無視されるというのは、きつい言葉をかけられるより心に傷を作る気がする。
(ここで俺が陛下に声をかけても、エリーナは……)
俺は陛下を呼び止めて無理やり手に手紙を握らせるくらい、必要だったらやってのけるし、その後の処罰の対応は後で考える。でもそれじゃここまで来た意味がない。
(エリーナ、頑張れよ。自分で渡さないと意味がないよな)
エリーナは不安げに俺を見た。その背中に手を添えて陛下の方にそっと押す。
「……お父様っ!」
エリーナの声が教会に響いた。陛下は足を止めない。
「お父様、待ってください!渡したいものがあるのっ!」
エリーナが叫んで走って追いかけると、陛下はようやく足を止めた。振り返った顔が全くの無表情で、俺ですらぞっとしてしまう。
「余は人の手から直接物を受け取ることはない。第一騎士団付で送りなさい」
「……!」
陛下の視線が、エリーナの首元辺りで止まり、ほんの少しだけ見開かれた。
「それは……」
それ以上言葉が続くことはなく、陛下は口を閉じた。それから俺に一瞬だけ目線を投げた。
「ここは、お前の夫だろうと平民が入っていい場所ではない。護衛につけるならせめてシレア家の侍女にしろ。ここに眠る歴代の王に顔向けできない。今日だけは咎めぬ。用が済んだら帰れ」
(先祖に顔向けできないような人間に嫁に行かせたのはあんただろうが……)
今このタイミングで他に言うことはないのかと呆れてしまった。
「お母様の、お手紙を持ってきたんです。お渡しできないなら今ここで読んでいい……?」
エリーナは震える声で告げ、白い封筒から便箋を出した。
「エレノアの……?」
陛下の瞳に動揺が滲んだ。エリーナが便箋を広げて、口を開くと先ほどと同じく何か恐れているような顔になる。
(どうして愛する妻の言葉なのに、そんな顔をするんだ?陛下は何を恐れてるんだ)
「エリーナへ」
「やめろ!」
陛下はエリーナの元へ駆け寄り、手紙を奪い取る。
「読むな、聞きたくない」
陛下は肩で息をしながら、エリーナを睨んでいた。
「どうしてですか?お母様の最後の言葉かもしれないのに」
「お前には関係ない。その手紙がお前に宛てたものならば余の耳に入れる必要はない言葉だ。処分されたくなければ持ち帰れ」
陛下が差し出した手紙を、エリーナは受け取らなかった。
「受け取れません。……お兄様は、お父様が、亡くなる直前ほとんどお見舞いにいらっしゃらなかったって言ってた。お母様はお父様に伝えたいことがあったはずです。悪いことは何も書いてないの。お願いだから読んでください」
「……!お前の兄が言ったことは事実だ。恨み言でないならなおさら、私には、エレノアの言葉を受け取る資格はない。頼むから持って帰ってくれ。私には捨てることもできない。目に入れたくないんだ」
陛下は痛ましげな顔をして、視線を伏せた。いつもの威圧的で厳格な雰囲気はなりを顰め、寂しい一人の人間として、心細そうに立っている。
「私……同じことを思って、一度マリアに手紙を捨ててほしいとお願いしました。目に入れたくないから処分してって。それで本当に後悔したの。マリアが機転を効かせて捨てないまま取っておいてくれたから、こうしてお父様のところにも持ってこれたけど……」
エリーナが陛下に一歩近付くと、陛下は後ずさろうとしてぎりぎり耐えたように止まった。
「お母様は亡くなっているから、お父様が手紙を読んだかどうかなんて、絶対知ることはない。お礼も文句も恨み言も言えないの。手紙を読んで欲しいのはお母様じゃなくて、私だよ」
「……」
「もしそれでも読む資格がないって言うなら、……私のわがままを聞くために読んで。私がお母様にそっくりだから、今までなんでもお願いを叶えてくれたんでしょ?欲しいものも買ってくれたし、問題を起こしてもお城にいさせてくれたし、テオドールと結婚させてくれた。手紙も読んで。お願い。私、そのために今日ドレスも宝石もお母様のデビュタントの日に合わせてきたの。見間違うくらいそっくりでしょ?」
陛下は黙ったままエリーナを見つめ、ゆっくりと手紙を持った手を下ろした。そしてゆっくり首を横に振った。
「お前がエレノアに似ているのは顔かたちだけだ。表情も仕草もまるで違う。……見間違えようがないよ」
陛下はエリーナに手紙を返さなかった。
「……余がこれを受け取ったらお前の手元には何も残らなくなるがいいのか」
「……!よ、読んだらいつか返してください。一応写しはあるけど、直筆はそれしかないからあげないよ。貸すだけだから絶対返して」
陛下は短くため息をついた。
「余に対してそれだけ注文してくるのはお前くらいだ。……覚えておく」
陛下は小さな声で了承した。認識阻害の魔法を自分自身にかけ、そのまま重厚な扉を開き、礼拝堂を出て行く。
護衛もつけずに国王が一人でこんなところにいるなんて周りの人間に知られるわけにはいかないから、私室で予定を済ませていることにしているのだろう。
エリーナは扉の方に顔を向けたまま動かなかったが、そのうちへたりと座り込んだ。
「……!大丈夫か?!」
「う、うん……腰が抜けちゃった」
「よく頑張ったよ。陛下は読んでくれそうだな」
「うん。お母様にもご挨拶していい?」
「もちろん。陛下が来た方向にあるだろうな。立てるか?」
つい手を差し出したが、一瞬拒否されるのではないかと怖くなった。今のエリーナが俺のことをどう思っているのか分からない。
一緒にいて安心しているようにも見えるし、そうでないように見える時もある。エリーナから手に触れてくれる時もある。
俺からはむやみに触らないように気を付けているが、結構無意識に手を伸ばしている時があって、たまにひやっとする。
エリーナは俺の手を取って立ち上がった。そのことに肩の力が抜ける。
(自分の口から、俺が何をしたかちゃんと話そう。他人の言葉で判断されたままは嫌だ)
エリーナに故郷の村を見せたいと思ったのはそれが理由だ。
何もかも開示した時に、それでも嫌われていたら縁がなかったと思う。ギルベルト様の言葉のように嫌われているとまでは思っていないけれど、全て話した上でエリーナが俺のことが怖くて受け入れられないと言ったらその時は。
(それで怖いって言われたら、どうしたらいいんだろうな。縁がなかった仕方ないなんて簡単に諦める気はないけど、分からない)
エリーナからの拒絶は俺にとってかなり辛くて、そう何度も体験したいものではない。
(分からないことを想像して心配しても意味ないな。その時決めればいい)
石の床を歩き、しばらくするとエレノア前王妃の墓石を見つけた。この荘厳な建物に合わない、素朴な白い花が供えられてている。
エリーナはしゃがみ込んで目を瞑った。
(テシアンデラの花だ。陛下だよな?)
俺の知っている数少ない陛下の言葉や行動からは、前王妃への愛情を感じる。
(言葉を受け取る資格がないなんて、陛下はちょっとエリーナに似てるよな。誰か陛下にそんなことないって言ってくれるといいけど、陛下は人に弱音とか吐けなそうだ)
もしかしたら、エレノア前王妃は、陛下にとって唯一弱音を吐ける先だったのかもしれない。そんな存在がいなくなることが分かっているのに、何もできない。自分の無力感を突きつけられてそのまま前王妃とちゃんと話せないまま別れを迎えたら、自分のことを許せず責め続けたくなるのは分かる気がする。
エリーナは、意外にもあっさりと目を開けて立ち上がった。
「ありがとう」
「もういいのか?」
「うん。また来るねって、挨拶したよ」
「そうか。そうだな。いつでもまた来れ……」
ふと気付いたが、ニーフェ公領に異動したら、もうここは気軽に来れる場所ではなくなる。
(いいのか?あの時は、エリーナは王都から離れた方が生きやすいだろうと思ってたけど、今はここにも居場所があるし、陛下や前王妃様がいる)
今更俺がニーフェ公領行きをやめることはできない。でもエリーナは違う。俺との縁さえ切れれば、ここに留まり続けることができる。
(……俺からは言わない。エリーナが、残りたかったら、自分から言えよ。そしたら陛下に何を言われても説得してやる)
エリーナが首を傾げた。
「テオ?」
「今度来るときは、マリアを連れてこないとな」
「うん……でも、またこっそりテオと一緒に来たいな。お母様はその方が喜ぶ気がするの」
「そうなのか?」
「多分。私がお父様に隠れて怒られるようなことをしてるって知ったら、大喜びするんじゃないかな」
「それもすごいな」
エリーナは、墓標を見て微笑んだ。前王妃様とのことで、こんな風に穏やかに笑ってくれるようになると思っていなかったから安心した。
エリーナが顔を上げた。
「今日は一緒に来てくれて本当にありがとう」
「ああ」
エリーナは陛下に手紙を渡すという目的が達成できて、晴れやかな顔をしていた。
ユリウス王太子との関係も、陛下との関係も、今のエリーナなら自分で少しずつ改善できそうな気がする。
(俺が最後まで責任取れって言ったから、家族と一緒にいたくても言い出せないかもな。でもその程度の気持ちだったら一緒にいてもらうから、残りたいならちゃんと口で言ってくれよ)
礼拝堂を出て、城の敷地を抜け、馬車に乗ってしばらくするとエリーナが呟いた。
「あのお手紙って、お兄様にも見せてあげた方がいいのかな」
「見せたいならそうすればいいけど、エリーナ宛だから別にいいんじゃないか?」
エリーナは迷っているようだった。母親の言葉をきょうだいで分かち合おうという気持ちは立派だけど、ユリウス王太子がその気持ちに誠実に応えて感謝してくれる人かというと疑問は残る。
「ユリウス王太子は前科があるから、見せるなら写しの方がよさそうだよな」
「前科」
あっ、と思った時にはもう遅かった。ユリウス王太子がエリーナの手紙を破った件について、俺はエリーナに告げていない。
「……あの人、ものを大切にしない人だよ」
咄嗟に上手い誤魔化しが出てこなくて、雑に理由付けしてしまった。エリーナははっとした顔をした。
「あ!テオ、あの、私お兄様が手紙を破っちゃったこと知ってるよ。王妃様がいらっしゃった時に現物を見せられて、どういう意図で書いたのかって聞かれたの」
「え、そうなのか?」
「うん。言ってなくてごめんね。たくさん気を遣ってくれてありがとう。嬉しかったよ」
「……」
過保護に気遣ったことを第三者伝いに知られていた上、自分で口を滑らせ、下手な誤魔化しをしたことに気を遣われている。情けなさすぎる。
エリーナが両手で頬を押さえた。
「どうした?」
「ご、ごめんなさい。テオが複雑そうな顔してるからちょっとだけ可愛いと思っちゃって頬が緩みそうで。ごめんね。怒らないで」
「……もういいよ。怒らないから好きなだけ言ってくれ」
「いいの?」
「うん」
嬉しくはないが、エリーナの言う可愛いは悪い意味で言ってるわけじゃないと分かる。怖がられるよりはずっといいし、エリーナが笑ってくれるならその理由が俺が間抜けで情けないからというものであっても構わないという気持ちになっている。
「口に出しても平気?」
「いいよ、もう。好きにしてくれ」
エリーナはほっと肩の力を抜いた。それから俺の顔を見て、孤児院の子どもたちに向けるような、くすぐったくなるほど優しい笑みを浮かべた。
「エリーナは城の奥にも立ち入れるんだよな?俺もあんたの付き添いで申請出せば通ると思うけど……陛下のこと探しに行くか?」
「ううん、お約束できなかったなら大事なご予定だと思うし……少しお父様が出てくるまで時間を潰してもいい?礼拝堂でお参りしてみたい」
「……!エレノア前王妃様の墓があるところか。分かった。じゃあそうしよう」
城内にある礼拝堂は基本的には王族とそれに連なる身分の人間専用の場所で、年に数回行われる祭事と、夏の一般公開の季節以外は普通は立ち入ることができない。
俺は開戦時に各騎士団長が勝利を誓うところと、終戦時に陛下がその報告と感謝を伝える祈りを捧げるところを見たことがある。
祈りの言葉はちゃんと聞くと人の価値観や性格が出る。形式に沿った言葉をただ読み上げているだけの陛下は全く信心深くないのがよく分かった。騎士団長も台本丸暗記の練習に俺を付き合わせたくらいだから全く信じてない。二人ともそうだからそういうものだと思っていたら、第二騎士団の騎士団長の言葉を聞いた時に気持ちがこもっていて驚いてしまった。
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入口の扉を開けると、石造りのため中はかなりひんやりしていた。背の高いステンドグラスから光が入ってきて神聖な雰囲気で、なんとなく背筋を伸ばさないといけない気持ちになり居心地が悪い。
エレノア前王妃が埋葬されているのは左右どちらかの翼のはずだが、どちらに行けばいいのか検討もつかない。
「どっちか分かるか?」
「……ううん」
「時間あるし一周すればいいか」
「うん」
エリーナは初めて入ったように教会の建物に見入っている。
カツン、と固い音が響いた。俺たち以外にも中に人がいたようで、振り向くと、国王陛下が一人で立っていた。
「……!」
(陛下もエレノア前王妃に会いに来てたのか?)
陛下はエリーナの姿を見て、一瞬怯えたような顔をした。それからいつものように冷たく感情の読めない顔に戻った。
俺とエリーナが陛下に頭を下げ挨拶すると、陛下は無言で俺たちを見つめ、特に何も言わずに立ち去ろうとした。
エリーナのことを褒めるでも貶すでも怒るでもなく、ただ無視した。
(エリーナは家族からずっとこういう反応を受けてたのか)
なんの感情も向けられることなく無視されるというのは、きつい言葉をかけられるより心に傷を作る気がする。
(ここで俺が陛下に声をかけても、エリーナは……)
俺は陛下を呼び止めて無理やり手に手紙を握らせるくらい、必要だったらやってのけるし、その後の処罰の対応は後で考える。でもそれじゃここまで来た意味がない。
(エリーナ、頑張れよ。自分で渡さないと意味がないよな)
エリーナは不安げに俺を見た。その背中に手を添えて陛下の方にそっと押す。
「……お父様っ!」
エリーナの声が教会に響いた。陛下は足を止めない。
「お父様、待ってください!渡したいものがあるのっ!」
エリーナが叫んで走って追いかけると、陛下はようやく足を止めた。振り返った顔が全くの無表情で、俺ですらぞっとしてしまう。
「余は人の手から直接物を受け取ることはない。第一騎士団付で送りなさい」
「……!」
陛下の視線が、エリーナの首元辺りで止まり、ほんの少しだけ見開かれた。
「それは……」
それ以上言葉が続くことはなく、陛下は口を閉じた。それから俺に一瞬だけ目線を投げた。
「ここは、お前の夫だろうと平民が入っていい場所ではない。護衛につけるならせめてシレア家の侍女にしろ。ここに眠る歴代の王に顔向けできない。今日だけは咎めぬ。用が済んだら帰れ」
(先祖に顔向けできないような人間に嫁に行かせたのはあんただろうが……)
今このタイミングで他に言うことはないのかと呆れてしまった。
「お母様の、お手紙を持ってきたんです。お渡しできないなら今ここで読んでいい……?」
エリーナは震える声で告げ、白い封筒から便箋を出した。
「エレノアの……?」
陛下の瞳に動揺が滲んだ。エリーナが便箋を広げて、口を開くと先ほどと同じく何か恐れているような顔になる。
(どうして愛する妻の言葉なのに、そんな顔をするんだ?陛下は何を恐れてるんだ)
「エリーナへ」
「やめろ!」
陛下はエリーナの元へ駆け寄り、手紙を奪い取る。
「読むな、聞きたくない」
陛下は肩で息をしながら、エリーナを睨んでいた。
「どうしてですか?お母様の最後の言葉かもしれないのに」
「お前には関係ない。その手紙がお前に宛てたものならば余の耳に入れる必要はない言葉だ。処分されたくなければ持ち帰れ」
陛下が差し出した手紙を、エリーナは受け取らなかった。
「受け取れません。……お兄様は、お父様が、亡くなる直前ほとんどお見舞いにいらっしゃらなかったって言ってた。お母様はお父様に伝えたいことがあったはずです。悪いことは何も書いてないの。お願いだから読んでください」
「……!お前の兄が言ったことは事実だ。恨み言でないならなおさら、私には、エレノアの言葉を受け取る資格はない。頼むから持って帰ってくれ。私には捨てることもできない。目に入れたくないんだ」
陛下は痛ましげな顔をして、視線を伏せた。いつもの威圧的で厳格な雰囲気はなりを顰め、寂しい一人の人間として、心細そうに立っている。
「私……同じことを思って、一度マリアに手紙を捨ててほしいとお願いしました。目に入れたくないから処分してって。それで本当に後悔したの。マリアが機転を効かせて捨てないまま取っておいてくれたから、こうしてお父様のところにも持ってこれたけど……」
エリーナが陛下に一歩近付くと、陛下は後ずさろうとしてぎりぎり耐えたように止まった。
「お母様は亡くなっているから、お父様が手紙を読んだかどうかなんて、絶対知ることはない。お礼も文句も恨み言も言えないの。手紙を読んで欲しいのはお母様じゃなくて、私だよ」
「……」
「もしそれでも読む資格がないって言うなら、……私のわがままを聞くために読んで。私がお母様にそっくりだから、今までなんでもお願いを叶えてくれたんでしょ?欲しいものも買ってくれたし、問題を起こしてもお城にいさせてくれたし、テオドールと結婚させてくれた。手紙も読んで。お願い。私、そのために今日ドレスも宝石もお母様のデビュタントの日に合わせてきたの。見間違うくらいそっくりでしょ?」
陛下は黙ったままエリーナを見つめ、ゆっくりと手紙を持った手を下ろした。そしてゆっくり首を横に振った。
「お前がエレノアに似ているのは顔かたちだけだ。表情も仕草もまるで違う。……見間違えようがないよ」
陛下はエリーナに手紙を返さなかった。
「……余がこれを受け取ったらお前の手元には何も残らなくなるがいいのか」
「……!よ、読んだらいつか返してください。一応写しはあるけど、直筆はそれしかないからあげないよ。貸すだけだから絶対返して」
陛下は短くため息をついた。
「余に対してそれだけ注文してくるのはお前くらいだ。……覚えておく」
陛下は小さな声で了承した。認識阻害の魔法を自分自身にかけ、そのまま重厚な扉を開き、礼拝堂を出て行く。
護衛もつけずに国王が一人でこんなところにいるなんて周りの人間に知られるわけにはいかないから、私室で予定を済ませていることにしているのだろう。
エリーナは扉の方に顔を向けたまま動かなかったが、そのうちへたりと座り込んだ。
「……!大丈夫か?!」
「う、うん……腰が抜けちゃった」
「よく頑張ったよ。陛下は読んでくれそうだな」
「うん。お母様にもご挨拶していい?」
「もちろん。陛下が来た方向にあるだろうな。立てるか?」
つい手を差し出したが、一瞬拒否されるのではないかと怖くなった。今のエリーナが俺のことをどう思っているのか分からない。
一緒にいて安心しているようにも見えるし、そうでないように見える時もある。エリーナから手に触れてくれる時もある。
俺からはむやみに触らないように気を付けているが、結構無意識に手を伸ばしている時があって、たまにひやっとする。
エリーナは俺の手を取って立ち上がった。そのことに肩の力が抜ける。
(自分の口から、俺が何をしたかちゃんと話そう。他人の言葉で判断されたままは嫌だ)
エリーナに故郷の村を見せたいと思ったのはそれが理由だ。
何もかも開示した時に、それでも嫌われていたら縁がなかったと思う。ギルベルト様の言葉のように嫌われているとまでは思っていないけれど、全て話した上でエリーナが俺のことが怖くて受け入れられないと言ったらその時は。
(それで怖いって言われたら、どうしたらいいんだろうな。縁がなかった仕方ないなんて簡単に諦める気はないけど、分からない)
エリーナからの拒絶は俺にとってかなり辛くて、そう何度も体験したいものではない。
(分からないことを想像して心配しても意味ないな。その時決めればいい)
石の床を歩き、しばらくするとエレノア前王妃の墓石を見つけた。この荘厳な建物に合わない、素朴な白い花が供えられてている。
エリーナはしゃがみ込んで目を瞑った。
(テシアンデラの花だ。陛下だよな?)
俺の知っている数少ない陛下の言葉や行動からは、前王妃への愛情を感じる。
(言葉を受け取る資格がないなんて、陛下はちょっとエリーナに似てるよな。誰か陛下にそんなことないって言ってくれるといいけど、陛下は人に弱音とか吐けなそうだ)
もしかしたら、エレノア前王妃は、陛下にとって唯一弱音を吐ける先だったのかもしれない。そんな存在がいなくなることが分かっているのに、何もできない。自分の無力感を突きつけられてそのまま前王妃とちゃんと話せないまま別れを迎えたら、自分のことを許せず責め続けたくなるのは分かる気がする。
エリーナは、意外にもあっさりと目を開けて立ち上がった。
「ありがとう」
「もういいのか?」
「うん。また来るねって、挨拶したよ」
「そうか。そうだな。いつでもまた来れ……」
ふと気付いたが、ニーフェ公領に異動したら、もうここは気軽に来れる場所ではなくなる。
(いいのか?あの時は、エリーナは王都から離れた方が生きやすいだろうと思ってたけど、今はここにも居場所があるし、陛下や前王妃様がいる)
今更俺がニーフェ公領行きをやめることはできない。でもエリーナは違う。俺との縁さえ切れれば、ここに留まり続けることができる。
(……俺からは言わない。エリーナが、残りたかったら、自分から言えよ。そしたら陛下に何を言われても説得してやる)
エリーナが首を傾げた。
「テオ?」
「今度来るときは、マリアを連れてこないとな」
「うん……でも、またこっそりテオと一緒に来たいな。お母様はその方が喜ぶ気がするの」
「そうなのか?」
「多分。私がお父様に隠れて怒られるようなことをしてるって知ったら、大喜びするんじゃないかな」
「それもすごいな」
エリーナは、墓標を見て微笑んだ。前王妃様とのことで、こんな風に穏やかに笑ってくれるようになると思っていなかったから安心した。
エリーナが顔を上げた。
「今日は一緒に来てくれて本当にありがとう」
「ああ」
エリーナは陛下に手紙を渡すという目的が達成できて、晴れやかな顔をしていた。
ユリウス王太子との関係も、陛下との関係も、今のエリーナなら自分で少しずつ改善できそうな気がする。
(俺が最後まで責任取れって言ったから、家族と一緒にいたくても言い出せないかもな。でもその程度の気持ちだったら一緒にいてもらうから、残りたいならちゃんと口で言ってくれよ)
礼拝堂を出て、城の敷地を抜け、馬車に乗ってしばらくするとエリーナが呟いた。
「あのお手紙って、お兄様にも見せてあげた方がいいのかな」
「見せたいならそうすればいいけど、エリーナ宛だから別にいいんじゃないか?」
エリーナは迷っているようだった。母親の言葉をきょうだいで分かち合おうという気持ちは立派だけど、ユリウス王太子がその気持ちに誠実に応えて感謝してくれる人かというと疑問は残る。
「ユリウス王太子は前科があるから、見せるなら写しの方がよさそうだよな」
「前科」
あっ、と思った時にはもう遅かった。ユリウス王太子がエリーナの手紙を破った件について、俺はエリーナに告げていない。
「……あの人、ものを大切にしない人だよ」
咄嗟に上手い誤魔化しが出てこなくて、雑に理由付けしてしまった。エリーナははっとした顔をした。
「あ!テオ、あの、私お兄様が手紙を破っちゃったこと知ってるよ。王妃様がいらっしゃった時に現物を見せられて、どういう意図で書いたのかって聞かれたの」
「え、そうなのか?」
「うん。言ってなくてごめんね。たくさん気を遣ってくれてありがとう。嬉しかったよ」
「……」
過保護に気遣ったことを第三者伝いに知られていた上、自分で口を滑らせ、下手な誤魔化しをしたことに気を遣われている。情けなさすぎる。
エリーナが両手で頬を押さえた。
「どうした?」
「ご、ごめんなさい。テオが複雑そうな顔してるからちょっとだけ可愛いと思っちゃって頬が緩みそうで。ごめんね。怒らないで」
「……もういいよ。怒らないから好きなだけ言ってくれ」
「いいの?」
「うん」
嬉しくはないが、エリーナの言う可愛いは悪い意味で言ってるわけじゃないと分かる。怖がられるよりはずっといいし、エリーナが笑ってくれるならその理由が俺が間抜けで情けないからというものであっても構わないという気持ちになっている。
「口に出しても平気?」
「いいよ、もう。好きにしてくれ」
エリーナはほっと肩の力を抜いた。それから俺の顔を見て、孤児院の子どもたちに向けるような、くすぐったくなるほど優しい笑みを浮かべた。
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公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
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