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36. 正解
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庭のベンチに座って、もう何度目か分からないほど目を通したエレノア前王妃からの手紙を読んでいる。
毎日繰り返し目を通しているから暗記してしまった。
最初はただ、エリーナが愛し合っている両親のもとに生まれて、前王妃からも直接言葉をもらうことはできなくても愛されていたことが分かって喜んだ。
それから、もし16歳の誕生日にこの手紙を受け取ったとしても、エリーナは素直な気持ちで読めなかっただろうと思った。
この手紙を読んだら、『嘘吐き』と思っただろう。前王妃はそばにいないし、エリーナの近くに、エリーナから分かるように愛してくれた人は一人もいなかった。書かれた愛の言葉は目に入らず、破り捨てていたかもしれない。
何度も何度も読んでいるうちに、この手紙はエリーナへの手紙でもあるけれど、国王に宛てた手紙でもあるのではないかと思い始めた。
ユリウスは、前王妃が妊娠して体調を崩した後、国王は見舞うこともなかったと言っていた。この手紙に書いてある内容からはそんな関係には見えないけれど、真相は分からない。
(笑った顔、一度も見たことない)
国王は、いつも眉間に皺を寄せている。私には全然話しかけてくれないし、なにか感情をぶつけられたのは、テオドールと一緒に呼び出されて怒られた時だけだ。
(私は眉間に触るどころか、近付くことすら許されないだろうな)
自分がまた母親の期待に応えられない存在になっていると自覚して、胸がずきんと痛んだ。
(お母様からの最初で最後のお願いも叶えてあげられない)
手紙を閉じて、封筒に戻す。読み直すのは写しにして原本は取っておかないと、ボロボロになってしまいそうだ。
ふと、私の手元に影落ちたことに気付いた。顔を上げると、テオドールと目が合った。
「エリーナ、中は準備できたみたいだ。ここでギルベルト様をお迎えするか?多分そろそろいらっしゃるよ」
今日はギルベルトが来てくれることになっている。庭で取れたというリオオレンジという果実を持ってきてくれるらしい。
屋敷ではじめてのお客様で、その上国王の弟だ。使用人の皆は準備に気合が入っているようで、いつも綺麗な屋敷をここ最近は毎日さらに丁寧に掃除していて、床で転びそうになった。
「うん、そうしようかな」
「そうか。じゃあ俺も一緒に待ってる」
テオドールが私の隣に座った。
「また手紙を読んでたんだな。そろそろ写しを取るか?」
「……うん」
先程私も同じことを考えていた。テオドールの気遣いに心が温かくなるのを感じる。
手紙の中身についてはテオドールにも話してある。前王妃が私の誕生を心待ちにしていたことを一緒に喜んでくれて、それから死別で毎年の誕生日を祝えなくなったことを悲しんでくれた。
「この手紙」
「ん?」
「……お父様にも、読んでほしいな」
「陛下に?」
ユリウスは、国王が前王妃に罪悪感を抱えていたと言っていた。前王妃はきっとそんなの必要ないと言う。それより眉間に皺を寄せてないで、たまには笑ってほしいと言ってくれるような気がする。
(私にはお父様を笑わせることはできないと思うけど、お母様の言葉を伝えてあげたい)
「あんたって、ほんとに……」
テオドールは少し呆れた顔をして、それから笑った。
「エリーナは申請出さなくても陛下に会えるんだよな?今日の午後に一緒に城に行くか」
「えっ、いいの?」
「ああ」
「……でも、私、会ってもらえるかは分からないかも。ほとんど自分からお父様に話しかけたことがないの」
「そうなのか?じゃあ、今のうちに城に使いを出しておくよ。ダメだったらすぐ分かるし、返事がなかったらとりあえず行ってみよう」
展開の速さに驚いてしまった。何かやってみようとした時に、私はやるかどうかすらぐずぐず迷うけど、テオドールはすぐに決断して行動まで決めてしまうからすごいと思う。
「ありがとう」
「うん。どんな反応するんだろうな。全然想像できないよ」
「私もできないな。……すごく怒られたら、慰めてくれる?」
テオドールは目を丸くして、それから微笑んだ。
「もちろん。手紙も破けないように保護しておいてやるから安心しろ」
*
ギルベルトは、袋にいっぱいのリオオレンジを持ってやってきた。馬車から降りてテオドールと私の姿を見つけて、心から嬉しそうに笑ってくれた。
食事の席では料理人がギルベルトが持ち込んだオレンジを料理のソースに使ってくれたようだ。そのこともすごく喜んでくれた。
「こんなに美味しくしてもらえるならもっと持ってくればよかったな。今年は本当に豊作で配りきれなくて、ほとんど鳥の餌になりそうだ」
「毎年ご自身で収穫されるんですか?」
「ああ、子どもたちに依頼して、自分でも一緒にね。友人から育てるのが簡単だって言われて栽培してたけど最初の数年は全然実がならなくて、騙されたって思ったんだけど……確かに一度実が成りはじめると全然手がかからない」
私はソースのかかった鶏肉に口をつけた。予想と少し味が違う。
「……すっぱい」
「おや、舌に合わなかったかい?」
「いいえ!あの、オレンジというから甘い味を想像していて……」
「ああ、これは名前はオレンジだけどレモンの方が近いかな。鶏肉にすごく合う。ほら、普通柑橘類は冬が旬だがこれは植える時期を変えれば春から秋までずっと収穫できるんだよ。結構厳しい土地でも育つし栄養もあるし、広めていきたいと思ってるんだ」
「へぇ……ギルベルト様っていったい何屋なんですか?やることが幅広いし神出鬼没だし。教皇様と笑ってお話しされてたのは驚きました」
「ああ、あれは大聖堂の建築がはじまって機嫌の良い日だったからね。みんな城下町にいるおじさんには話しかけやすいみたいで良くしてくれてるよ」
ギルベルトは冗談っぽく笑った。
「そういえば、セトとリーナはどうだい?地図は順調?」
私は昨日孤児院で顔を合わせた二人のことを思い出した。想像の5000倍くらい大変だけど楽しいらしい。『エリーナ様、5000って分かる?すごく大きい数字だよ』と言っていた。
「私が昨日顔を見た時は、二人とも楽しいって言ってました」
「そうかそうか、よかった。テオもありがとう」
「いえ、俺は人手が欲しかったところにアサインしただけです。地図の方も予定より早く終わりそうで、一月は見てたけど、雨もないから前倒しできそうですね」
「へぇ、それはよかった!アーノルド騎士団長に聞いたけど、君が今の地図より自分で作った方が良いって豪語したんだろ?正式な発行はまだ先だろうけど、とても楽しみにしてるからね」
テオドールが苦い顔をして食事の手を止めた。
「……いや、それは……言いましたけど……ほんとにあの人余計なことしか言わないな。やってみたら思ったより大変で、今は調子に乗ったことを反省してます」
「いいね。良い学びだ」
「でも出来は第三騎士団が作った方が良いなって思うはずですよ」
「おお、言うね!ははは、いやぁ、楽しみだ。楽しみなことがたくさんで幸せだよ」
ギルベルトは嬉しそうだった。テオドールとは、はじめて顔を合わせた時から気軽な様子で話していたけれど、私が知らない間にさらに距離が縮まっている感じがする。テオドールも私と一緒にいる時と少し違う。こっちの方が本来の彼らしいのかもしれない。冗談や軽口が飛び交って、会話のテンポが速くよく笑う。
ギルベルトは、周りの人を自然と笑顔にするような力がある。若々しく溌剌として、エネルギーに溢れている。
(お父様は、おじさまのことをどう思ってるんだろう)
前王妃の手紙の内容が正しければ、国王はデビュタントで自分の弟の婚約者に一目惚れした、ということになるだろう。前王妃も国王のことを最終的には好きになったようだけど、当時はどんな関係だったんだろう。
前王妃のことは、ギルベルトが城を出たことに関係があるのだろうか。
「……エリーナ?どうしたんだい?やっぱりリオオレンジは口に合わないかな」
「あ、いえ!ごめんなさい。少しお母様のことを考えてて」
「エレノア殿下のことを?そうか、命日も近いし、思い出してしまうのは仕方ないね」
「……ごめんなさい」
「いいよ。せっかくだし少し思い出話でもしようか。何か聞きたいことはある?」
「えっ」
突然のことで、戸惑って回答に詰まった。つい助けを求めてテオドールのことを見てしまう。テオドールが私の代わりに質問した。
「そういえば先日、王妃様がいらっしゃって、エレノア前王妃の手紙とデビュタントの時に身につけていた宝石を届けてくださったんですよ。その時のことって覚えてますか?」
「へぇ、王妃様が!そういえば二人は仲が良かったな。殿下のデビュタントの日か……遠い昔すぎて……うーん、どんなだったかな」
「頂いたのは菫色の宝石でした」
「ああ、思い出した!ものすごい数のルースを確認してて、そこら中の人間にどれが一番綺麗か聞いていらっしゃったよ。最後に残った3つ?4つかな……なんて、こっそり入れ替えても気付かないだろうなってものだった。私はものすごく辛抱強いタイプだけれど、あの時はちょっと勘弁してくれって思ってしまったな」
ギルベルト様は懐かしそうに目を細めた。
「当日のことは陛下の方がよく覚えているかもしれない。私はエレノアのドレスの色も思い出せないけど、陛下はもうずーっと彼女のことを見てて!いやぁ、あれは面白かったよ。兄様も人間に興味があるんだなって……あ、これは私が言ってたって言わないでくれ。陛下は昔話で私が笑うと本当に不機嫌になるんだ」
ギルベルトは笑い声を抑えようとして、抑えきれない様子で微笑んだ。
「殿下は歌が好きだったけど、うっとりするほど上手かったわけじゃない。でも陛下は彼女の歌を聞くのが好きだったみたいだよ。私が知っている二人は、城の中庭で並んで座っている姿が多い。エレノア殿下が永遠に話し続けるのを、陛下が無表情で黙ったまま聞いてるんだ。でもね、殿下が誰かに呼ばれて少し席を外すと寂しそうにするし、遠くにいるのを見て優しい目をしていた。陛下にも可愛いところがあるんだよ」
ギルベルトの話を聞きながら、私は若い頃の国王と前王妃の姿を思い浮かべた。手紙の文字でしか知らなかった二人の姿が、ギルベルトの話で目の前に浮かんできそうな気がする。
「二人はとても仲が良かったから、エレノア殿下が体調を崩してからは、本当に見ているのが悲しかった」
悲しげな表情に私の胸も痛んだ。
「……私のことを妊娠したせいですよね」
「ん?違うよ。エレノア殿下はもっと前から体調を崩してた。だから3人目を妊娠したって人伝に聞いた時は驚いたな。私はその頃留学してて、長い間戻らなかったから詳しいことは分からないけれど……あの時、陛下のおそばにいてあげた方がよかったかもしれない。弟の私には弱音を吐けないだろうけど、いないよりはマシだったかもしれないって時々思う」
ギルベルトは悲しそうに笑った。
「暗い話になってしまったな。もっと楽しい話題にしよう……ああ、そうだ。思い出した。エレノアのドレスは、淡い菫色だったよ。湖のようなブルーとどっちがいいか聞かれて、どっちも似合うから好きな方にしたら良いんじゃないかって答えたら拗ねてしまった」
ギルベルトはテオドールに顔を向けて、深刻そうな顔をした。ひそひそと声を落として話す。
「いいかい、テオ。女性に服や装飾品はどっちがいいって聞かれたら、まずは本人の意見を聞かなきゃダメだ。それからそれを全肯定すれば笑顔になってくれる。私たちの意見は求められてないんだ」
そして私に目を向けた。
「どうだいエリーナ。年の功で身につけた苦肉の策だ。あってる?」
「えっと……いいんじゃないでしょうか」
「よかった」
ギルベルトはほっとしたように笑った。
「でもギルベルト様、それネタバレしたら使えなくなっちゃいますよ。な、エリーナ?」
「えっ」
テオドールが私に笑いかけた。なにか悪戯を思いついたような顔をしている。私はその意味を少し考えて、ギルベルトに質問した。
「……おじさまは、私には青と菫色はどちらが似合うと思いますか?」
「えっ?!……ええと、……テオ、君は意地悪だな!」
「地図の仕返しです」
ギルベルトは、『あれは先に君の発言があってのことなのに』とぶつぶつ言っていた。
「きっと、どちらもとても似合うはずだよ。両方にしよう、なんてどうかな?」
ギルベルトは困ったように笑った。
毎日繰り返し目を通しているから暗記してしまった。
最初はただ、エリーナが愛し合っている両親のもとに生まれて、前王妃からも直接言葉をもらうことはできなくても愛されていたことが分かって喜んだ。
それから、もし16歳の誕生日にこの手紙を受け取ったとしても、エリーナは素直な気持ちで読めなかっただろうと思った。
この手紙を読んだら、『嘘吐き』と思っただろう。前王妃はそばにいないし、エリーナの近くに、エリーナから分かるように愛してくれた人は一人もいなかった。書かれた愛の言葉は目に入らず、破り捨てていたかもしれない。
何度も何度も読んでいるうちに、この手紙はエリーナへの手紙でもあるけれど、国王に宛てた手紙でもあるのではないかと思い始めた。
ユリウスは、前王妃が妊娠して体調を崩した後、国王は見舞うこともなかったと言っていた。この手紙に書いてある内容からはそんな関係には見えないけれど、真相は分からない。
(笑った顔、一度も見たことない)
国王は、いつも眉間に皺を寄せている。私には全然話しかけてくれないし、なにか感情をぶつけられたのは、テオドールと一緒に呼び出されて怒られた時だけだ。
(私は眉間に触るどころか、近付くことすら許されないだろうな)
自分がまた母親の期待に応えられない存在になっていると自覚して、胸がずきんと痛んだ。
(お母様からの最初で最後のお願いも叶えてあげられない)
手紙を閉じて、封筒に戻す。読み直すのは写しにして原本は取っておかないと、ボロボロになってしまいそうだ。
ふと、私の手元に影落ちたことに気付いた。顔を上げると、テオドールと目が合った。
「エリーナ、中は準備できたみたいだ。ここでギルベルト様をお迎えするか?多分そろそろいらっしゃるよ」
今日はギルベルトが来てくれることになっている。庭で取れたというリオオレンジという果実を持ってきてくれるらしい。
屋敷ではじめてのお客様で、その上国王の弟だ。使用人の皆は準備に気合が入っているようで、いつも綺麗な屋敷をここ最近は毎日さらに丁寧に掃除していて、床で転びそうになった。
「うん、そうしようかな」
「そうか。じゃあ俺も一緒に待ってる」
テオドールが私の隣に座った。
「また手紙を読んでたんだな。そろそろ写しを取るか?」
「……うん」
先程私も同じことを考えていた。テオドールの気遣いに心が温かくなるのを感じる。
手紙の中身についてはテオドールにも話してある。前王妃が私の誕生を心待ちにしていたことを一緒に喜んでくれて、それから死別で毎年の誕生日を祝えなくなったことを悲しんでくれた。
「この手紙」
「ん?」
「……お父様にも、読んでほしいな」
「陛下に?」
ユリウスは、国王が前王妃に罪悪感を抱えていたと言っていた。前王妃はきっとそんなの必要ないと言う。それより眉間に皺を寄せてないで、たまには笑ってほしいと言ってくれるような気がする。
(私にはお父様を笑わせることはできないと思うけど、お母様の言葉を伝えてあげたい)
「あんたって、ほんとに……」
テオドールは少し呆れた顔をして、それから笑った。
「エリーナは申請出さなくても陛下に会えるんだよな?今日の午後に一緒に城に行くか」
「えっ、いいの?」
「ああ」
「……でも、私、会ってもらえるかは分からないかも。ほとんど自分からお父様に話しかけたことがないの」
「そうなのか?じゃあ、今のうちに城に使いを出しておくよ。ダメだったらすぐ分かるし、返事がなかったらとりあえず行ってみよう」
展開の速さに驚いてしまった。何かやってみようとした時に、私はやるかどうかすらぐずぐず迷うけど、テオドールはすぐに決断して行動まで決めてしまうからすごいと思う。
「ありがとう」
「うん。どんな反応するんだろうな。全然想像できないよ」
「私もできないな。……すごく怒られたら、慰めてくれる?」
テオドールは目を丸くして、それから微笑んだ。
「もちろん。手紙も破けないように保護しておいてやるから安心しろ」
*
ギルベルトは、袋にいっぱいのリオオレンジを持ってやってきた。馬車から降りてテオドールと私の姿を見つけて、心から嬉しそうに笑ってくれた。
食事の席では料理人がギルベルトが持ち込んだオレンジを料理のソースに使ってくれたようだ。そのこともすごく喜んでくれた。
「こんなに美味しくしてもらえるならもっと持ってくればよかったな。今年は本当に豊作で配りきれなくて、ほとんど鳥の餌になりそうだ」
「毎年ご自身で収穫されるんですか?」
「ああ、子どもたちに依頼して、自分でも一緒にね。友人から育てるのが簡単だって言われて栽培してたけど最初の数年は全然実がならなくて、騙されたって思ったんだけど……確かに一度実が成りはじめると全然手がかからない」
私はソースのかかった鶏肉に口をつけた。予想と少し味が違う。
「……すっぱい」
「おや、舌に合わなかったかい?」
「いいえ!あの、オレンジというから甘い味を想像していて……」
「ああ、これは名前はオレンジだけどレモンの方が近いかな。鶏肉にすごく合う。ほら、普通柑橘類は冬が旬だがこれは植える時期を変えれば春から秋までずっと収穫できるんだよ。結構厳しい土地でも育つし栄養もあるし、広めていきたいと思ってるんだ」
「へぇ……ギルベルト様っていったい何屋なんですか?やることが幅広いし神出鬼没だし。教皇様と笑ってお話しされてたのは驚きました」
「ああ、あれは大聖堂の建築がはじまって機嫌の良い日だったからね。みんな城下町にいるおじさんには話しかけやすいみたいで良くしてくれてるよ」
ギルベルトは冗談っぽく笑った。
「そういえば、セトとリーナはどうだい?地図は順調?」
私は昨日孤児院で顔を合わせた二人のことを思い出した。想像の5000倍くらい大変だけど楽しいらしい。『エリーナ様、5000って分かる?すごく大きい数字だよ』と言っていた。
「私が昨日顔を見た時は、二人とも楽しいって言ってました」
「そうかそうか、よかった。テオもありがとう」
「いえ、俺は人手が欲しかったところにアサインしただけです。地図の方も予定より早く終わりそうで、一月は見てたけど、雨もないから前倒しできそうですね」
「へぇ、それはよかった!アーノルド騎士団長に聞いたけど、君が今の地図より自分で作った方が良いって豪語したんだろ?正式な発行はまだ先だろうけど、とても楽しみにしてるからね」
テオドールが苦い顔をして食事の手を止めた。
「……いや、それは……言いましたけど……ほんとにあの人余計なことしか言わないな。やってみたら思ったより大変で、今は調子に乗ったことを反省してます」
「いいね。良い学びだ」
「でも出来は第三騎士団が作った方が良いなって思うはずですよ」
「おお、言うね!ははは、いやぁ、楽しみだ。楽しみなことがたくさんで幸せだよ」
ギルベルトは嬉しそうだった。テオドールとは、はじめて顔を合わせた時から気軽な様子で話していたけれど、私が知らない間にさらに距離が縮まっている感じがする。テオドールも私と一緒にいる時と少し違う。こっちの方が本来の彼らしいのかもしれない。冗談や軽口が飛び交って、会話のテンポが速くよく笑う。
ギルベルトは、周りの人を自然と笑顔にするような力がある。若々しく溌剌として、エネルギーに溢れている。
(お父様は、おじさまのことをどう思ってるんだろう)
前王妃の手紙の内容が正しければ、国王はデビュタントで自分の弟の婚約者に一目惚れした、ということになるだろう。前王妃も国王のことを最終的には好きになったようだけど、当時はどんな関係だったんだろう。
前王妃のことは、ギルベルトが城を出たことに関係があるのだろうか。
「……エリーナ?どうしたんだい?やっぱりリオオレンジは口に合わないかな」
「あ、いえ!ごめんなさい。少しお母様のことを考えてて」
「エレノア殿下のことを?そうか、命日も近いし、思い出してしまうのは仕方ないね」
「……ごめんなさい」
「いいよ。せっかくだし少し思い出話でもしようか。何か聞きたいことはある?」
「えっ」
突然のことで、戸惑って回答に詰まった。つい助けを求めてテオドールのことを見てしまう。テオドールが私の代わりに質問した。
「そういえば先日、王妃様がいらっしゃって、エレノア前王妃の手紙とデビュタントの時に身につけていた宝石を届けてくださったんですよ。その時のことって覚えてますか?」
「へぇ、王妃様が!そういえば二人は仲が良かったな。殿下のデビュタントの日か……遠い昔すぎて……うーん、どんなだったかな」
「頂いたのは菫色の宝石でした」
「ああ、思い出した!ものすごい数のルースを確認してて、そこら中の人間にどれが一番綺麗か聞いていらっしゃったよ。最後に残った3つ?4つかな……なんて、こっそり入れ替えても気付かないだろうなってものだった。私はものすごく辛抱強いタイプだけれど、あの時はちょっと勘弁してくれって思ってしまったな」
ギルベルト様は懐かしそうに目を細めた。
「当日のことは陛下の方がよく覚えているかもしれない。私はエレノアのドレスの色も思い出せないけど、陛下はもうずーっと彼女のことを見てて!いやぁ、あれは面白かったよ。兄様も人間に興味があるんだなって……あ、これは私が言ってたって言わないでくれ。陛下は昔話で私が笑うと本当に不機嫌になるんだ」
ギルベルトは笑い声を抑えようとして、抑えきれない様子で微笑んだ。
「殿下は歌が好きだったけど、うっとりするほど上手かったわけじゃない。でも陛下は彼女の歌を聞くのが好きだったみたいだよ。私が知っている二人は、城の中庭で並んで座っている姿が多い。エレノア殿下が永遠に話し続けるのを、陛下が無表情で黙ったまま聞いてるんだ。でもね、殿下が誰かに呼ばれて少し席を外すと寂しそうにするし、遠くにいるのを見て優しい目をしていた。陛下にも可愛いところがあるんだよ」
ギルベルトの話を聞きながら、私は若い頃の国王と前王妃の姿を思い浮かべた。手紙の文字でしか知らなかった二人の姿が、ギルベルトの話で目の前に浮かんできそうな気がする。
「二人はとても仲が良かったから、エレノア殿下が体調を崩してからは、本当に見ているのが悲しかった」
悲しげな表情に私の胸も痛んだ。
「……私のことを妊娠したせいですよね」
「ん?違うよ。エレノア殿下はもっと前から体調を崩してた。だから3人目を妊娠したって人伝に聞いた時は驚いたな。私はその頃留学してて、長い間戻らなかったから詳しいことは分からないけれど……あの時、陛下のおそばにいてあげた方がよかったかもしれない。弟の私には弱音を吐けないだろうけど、いないよりはマシだったかもしれないって時々思う」
ギルベルトは悲しそうに笑った。
「暗い話になってしまったな。もっと楽しい話題にしよう……ああ、そうだ。思い出した。エレノアのドレスは、淡い菫色だったよ。湖のようなブルーとどっちがいいか聞かれて、どっちも似合うから好きな方にしたら良いんじゃないかって答えたら拗ねてしまった」
ギルベルトはテオドールに顔を向けて、深刻そうな顔をした。ひそひそと声を落として話す。
「いいかい、テオ。女性に服や装飾品はどっちがいいって聞かれたら、まずは本人の意見を聞かなきゃダメだ。それからそれを全肯定すれば笑顔になってくれる。私たちの意見は求められてないんだ」
そして私に目を向けた。
「どうだいエリーナ。年の功で身につけた苦肉の策だ。あってる?」
「えっと……いいんじゃないでしょうか」
「よかった」
ギルベルトはほっとしたように笑った。
「でもギルベルト様、それネタバレしたら使えなくなっちゃいますよ。な、エリーナ?」
「えっ」
テオドールが私に笑いかけた。なにか悪戯を思いついたような顔をしている。私はその意味を少し考えて、ギルベルトに質問した。
「……おじさまは、私には青と菫色はどちらが似合うと思いますか?」
「えっ?!……ええと、……テオ、君は意地悪だな!」
「地図の仕返しです」
ギルベルトは、『あれは先に君の発言があってのことなのに』とぶつぶつ言っていた。
「きっと、どちらもとても似合うはずだよ。両方にしよう、なんてどうかな?」
ギルベルトは困ったように笑った。
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