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13. 騎士団長
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俺がセム川付近に到着した時、毒水蛇自体の討伐は終わっていた。被害状況を確認して作業に人員を割り当て、各所へ報告を上げるように指示を出す。
ここ数年は主に人間相手に戦争をしてきた第三騎士団の連中にとって、普通に戦っても歯が立たない魔物の相手は恐怖だっただろう。
心理的なケアのために各部隊の面子に声をかけて回っていたら、思ったより時間がかかってしまった。
最後の片付けは現場に任せて、急いで王城を目指す。到着後、ノックもせずに第一応接室の扉を開けると、そこにエリーナの姿はなかった。
「なんでいないんだよ」
部屋を見渡すと、間違いなく無人だ。緊急事態で仕方ないとは言え、護衛もつけずにエリーナを一人放置したのは俺の責任だ。
苛立ちと焦りが湧き上がってきた。気持ちを落ち着けるために深呼吸をして、エリーナとの会話やここまで通ってきた道の状況を思い出す。
「……団長室か?」
エリーナには、俺か団長が戻ってくるまで部屋から出るなと伝えていた。団長には俺がセム川に向かうことは伝えてあるはずで、トーマスなら気を利かせてエリーナが応接室にいることもついでに伝えてくれただろう。
「あの人……メモくらい残してくれよ」
自分の上長がそんな気の利いたことをしてくれる人間でないとは知っているが、文句の一つも言いたくなる。
急いで団長室に向かうと、ちょうど部屋の前に二人が立っているのが見えた。エリーナがアーノルド騎士団長と一緒にいることに安心して肩の力が抜ける。
「エリーナ!」
俺が声をかけると、エリーナははっと振り向いて、それから泣きそうに顔を歪めた。
「どうした?……少し待ってくれ」
俺はアーノルド団長に向き直り、敬礼する。団長も同じように挨拶を返した。
「遅くなり申し訳ございません。セム川の件、報告は届いておりますか?」
「ああ。聞いている。対応は申し分ないよ。悪いな、陛下との会談が長引いた。」
「とんでもないです。王女殿下のこともありがとうございます。……何かありましたか?少し二人で話をさせていただいても?」
「ああ……分かった。中を使って構わない」
騎士団長室の中にある応接スペースにエリーナを案内し、ソファに座らせる。顔色が悪く、目が赤い。
「何かあっただろ。一人にして悪かった」
エリーナは首を横に振った。
「これから食事をしようって雰囲気じゃないな。今日は帰るか。騎士団長のことは気にしなくていい。大らかな人だから許してくれる」
「……大丈夫」
「大丈夫って顔してないよ」
何があったか知らないが、エリーナが怯えて泣くようなことがあったことだけは確かだ。エリーナは頑なに首を横に振っている。こうなったら引かないだろうし、口を開くこともないだろう。
このまま強引に連れ帰ってもいいが、当初の予定を取り消したことにエリーナが責任を感じて、ますます縮こまりそうだ。
何か話の糸口がないだろうかとエリーナの様子を観察する。手元にわずかにエリーナのものではない魔力を感じた。
「手に触れてもいいか」
エリーナはびくりと震えた。
「嫌だ?」
首を横に振るので、そっと両手を握る。
団長の気配と、もう一つは見知らぬ人間のような気もするし、どこかで知ったような感じもする。
ふと、エリーナから甘い人工的な香りがした。この匂いも、以前すれ違ったことがある気がする。意識を集中して手がかりを探し、過去の記憶を探る。過去、この建物のどこかですれ違った男だ。
ほとんど男しか出入りしないこの建物の中で、すれ違うと場に不似合いな花の香りがする男。魔力が手に残るほど強くて、安定している高位の魔法師。
「……コーネリアスか」
エリーナはその名前を聞いて手を引き、はっと顔を上げた。信じられないものを見る顔で俺を見ている。
「……ごめんなさい……ごめんなさいっ」
「謝らなくていい。あんたを一人にした俺が悪いんだよ。自分を責めるな」
コーネリアスには後で話をつける必要があるとして、アーノルド騎士団長までエリーナの手元に魔力の痕跡を残しているのはなぜだ。
団長が他の男のようにエリーナに触ろうとするのは想像できないが、ただ話すだけで魔力は移ることはない。
(本人かどうか疑われたんだろうな)
王女のエリーナのことをよく知らなかった俺でさえ、本人ではないと疑って状態を確かめようとしたのだ。昔からエリーナを知っているはずの団長が少しでも会話したなら疑っても仕方ない。
俺のやり方は団長に教わったものだから、団長も俺と同じ結論に至ったはずだ。このエリーナ王女は本人だと。
「わ、私……」
「うん」
「警戒するように言われてたのに、お茶を飲んでしまって、それで……気持ち悪くなって気を失ったの」
「は?」
飲み物になにかを混ぜられた、というところに反応して声が低くなってしまった。エリーナは怯えて肩を跳ねさせる。
「ごめん。あんたに怒ってるわけじゃない。続けてくれ」
「……起きたら、あの人が……コーネリアスがいて、私の魔力が乱れてるから応急処置をしたって、言ってた。お礼を言って、部屋を出て行って欲しいって言ったの。でも出て行ってくれなくて、約束を覚えてるか、って……迫られて……知らない。何も約束なんかしてない」
「そうか。怖かっただろ。覚えてない約束のことを言われても困るよな」
エリーナは過去の記憶が曖昧だと言っていた。コーネリアスにはエリーナの記憶喪失について話す義理はない。どんな約束をしていたとしても今はエリーナに果たすことはできないと伝えるしかない。
納得しないだろうが、そこは恨みの矛先を俺に変えてもらい、エリーナからは手を引いてもらう。
エリーナは首を横に振った。
「違うの。約束なんか本当にしてない。私、過去のことはちゃんと思い出せるけど、あの人と約束なんかしてない」
「そうなのか……?分かった。コーネリアスには俺が話をしておく。もうあんたにむやみに近づかないように伝えるよ」
約束の真偽は正直どうでもいい。エリーナはコーネリアスを受け入れる気がない。それなら近付けさせない。それだけだ。
「それはダメ!」
エリーナは立ち上がって叫んだ。それからはっとしてまた座った。
「あ、あの人、テオのことを誤解して恨んでるの。だから話さなくていいよ」
「俺を?別にいい。あいつが俺を恨んだって、できることはたかが知れてる。それより知らない間にあんたに近付かれる方が困る」
「でも……!」
さっきまでコーネリアスのせいで怯えて泣いていたくせに、俺のことを心配するなんて、気持ちと言うことがチグハグだ。
「エリーナ、俺は俺に直接危害を加えようとするやつがいても、自分で身を守れる。でも今日みたいな時にあんたを守るのは難しいんだ。頼りないから助けを求められないか?」
「そういうことじゃ……」
「ならこの件は任せてくれ」
「でも……」
「コーネリアスにまた会いたいのか?」
「違う!」
エリーナは不満そうな顔をしているが、俺に口で勝てないから黙っている。俺は騎士団の中でもよく口が回る方で、口下手なエリーナを言いまかすのは簡単だ。
エリーナは口を開け、言葉を発することはせず、一度閉じた。そして全く納得していない顔で頷いた。
「……分かった。任せる。お願いします」
顔が拗ねた小さい子どもみたいだ。愛らしくてキスしたくなった。ここは騎士団長の部屋だし、そうでなくてもエリーナはキスを嫌がる。俺は唇を合わせる代わりにエリーナの鼻を摘んだ。
「……ん!な、なに……っ?」
ぱっと手を離すと、エリーナは目を白黒させながら鼻をおさえる。
「不満たらたらって顔してるから、つい」
エリーナは眉を顰めた。
「エリーナ、今日、良いことがあったら1番に話して欲しいって言ったよな。そうじゃないことも同じだ。嬉しいことも悲しいことも、何かあったら俺のことを思い浮かべて、分かち合ってくれたら嬉しいよ」
「……!」
「嫌だったことを思い起こして話すのは辛かっただろ。話してくれてありがとう。あんたの信頼に応えられるように手を尽くす。約束だ」
エリーナは目を見開いた。じわりと涙が滲んだが、それが溢れないように耐えているようだった。
「テオ、私……」
「うん、泣いていいよ。こういう時は我慢しないほうがいい。あんたは悪くない。怖かったな」
隊服のマントを外して、エリーナの頭からかける。騎士団長がすぐそばにいるから、顔を隠したほうが泣きやすいはずだ。
アーノルド団長の方に目を向けると、何か信じられないものを見るような顔をしていた。口は開きっぱなしだ。俺と目が合うと、人差し指を出してこちらへ来い、というように動かした。
「……エリーナ、俺は少し騎士団長と話してくるから、このまま待っていてくれ」
隊服越しに頭を撫で、ソファに座っているエリーナを置いて団長のところまで戻る。会話ができる距離まで近付くと、アーノルド騎士団長は指をパチンと鳴らして防音結界を張った。
「テオ」
「はい」
「あれは……第二王女だぞ?」
「は?知ってますけど」
団長の会話が唐突でよく分からないのは良くあることだから驚かないが、質問の意味は分からなかった。
「お前が優しい奴だとは知ってるけど、エリーナ王女にまで優しくする必要はないだろ。信じられん」
「はぁ……?なんで俺が誰に優しくするかあんたに指図されなきゃいけないんですか。仕事じゃないんだから口出ししないでくださいよ」
普段は騎士団長と副騎士団長という立場上できるだけ丁寧に会話しているが、物心ついた頃から育ての親として接してくれていたアーノルド団長に対しては、気がつくと口調がラフになってしまう。
密室だし防音結界も張ってあるし、まぁいいかと思って話を続ける。
すると自分の頭の中を覗かれているような不快感があり、思わず顔を顰めた。
「騎士団長、自分が得意だからってすぐ精神干渉を疑うのやめてください。俺は正気ですし、普通の魔法師はそんなにほいほい精神干渉できませんよ」
エリーナのことといい、なにか疑うと気軽に人の魔力経路を読み込んで調べたがるのはこの人の悪い癖だ。ほとんどの人間は調べられていても気付かないにしても、普通に無礼だ。
「確かに正気みたいだな。しかし……お前の発言は、まるで王女を愛しているように聞こえる」
「……は?!」
なぜ今日は仕事と関係ない話しかしないんだ。自分のことを子どもの頃から知っている人とそういう話になるのは正直気まずいからやめてほしいのに、騎士団長は真剣な顔をしている。
「愛してますが、妻を愛してなにか問題が?」
「は?!本気で言ってるのか?あのトゲトカゲを、愛してるって?お前の村を人質にして、邪魔になりそうな俺が留守の間に強制的に結婚を迫られたのに愛せるのか?しかもお前の知り合いも含めてどこの誰に手を出したかも分からない女だぞ」
「いちいち事実確認しなくていいですから。そうです。それでも俺はエリーナのことを愛してます。もういいでしょ、この話。あんたとこんな話するのはむず痒くて吐きそうだ。あと、ついでに彼女のことを有害な魔物に例えるのやめてください」
騎士団長は呆気に取られた顔をしている。
「口の中を確認させて欲しい」
「舌は縛られてない!いい加減にしてくれ。もしかして、さっきエリーナが泣いてたのはコーネリアスじゃなくてあんたのせいですか?なんか余計なこと言ったんだろ」
「余計なことなど言ってない」
「間違いなくなんか言ってるよ……。はぁ、今日呼び出したのは何の用だったんです?急ぎじゃないなら明日以降にさせてください。楽しく会話できる雰囲気じゃないんで」
「楽しく話す必要はないな。異動の件、彼女が邪魔になっているなら話をつけさせてもらおうと思ってた。俺の用事が済めばそれでいい」
「見知らぬ人間に襲われて怯えている女を、さらに見知らぬ人間と一緒に楽しくない食事会に連れ回せって言うんですか?異動のことはエリーナが原因で返事をしてなかったわけじゃありません。俺が彼女に話しておくし、心を決めたら事後報告させてもらいます。……あんた、そんなだから奥さんに2回も逃げられるんだよ。奥方様たちは何回もメッセージを出してましたよ。あんた以外の周りの人間は全員気付いてた」
「なんだと?教えてくれよ」
「教えただろ!何回も!子どもの言うことだって取り合わなかったのはあんたの方だ!」
思い切り怒鳴って、息が切れた。昔はよく口喧嘩をしていたけれど、最近は仕事の話しかしないからこうして怒鳴り合うこともなかった。
そういえばこの人はこういうダメなところがあるんだった、と色々思い出して頭が痛い。
何も言い返してこないのが不思議で、騎士団長の顔を見ると、俺の顔をじっと見てから破顔した。
防音結界が外れ、周囲の音がはっきりと耳に入ってくる。
「お前のその早口で捲し立てるの久しぶりに聞いたな!ほんっとによく口が回るやつだ」
「申し訳ありません。不適切な発言をしました」
「いいよ。許す。そうか、……そうか、そうか。なるほどね。そうか」
独り言が多いところも欠点の一つだ。うるさいなと思いながらエリーナに目を向ける。白いマントを肩からかけて座っている。もう落ち着いたようだった。
「エリーナ王女殿下!」
アーノルド騎士団長が大声で名前を呼ぶせいで、エリーナは飛び跳ねた。無駄にでかい声を出すなよ、と呆れた視線を送るが団長は俺の視線など意に介すことなどない。
「先程は怖がらせて申し訳ありませんでした。お詫びに、遅くなりましたがお食事に招待させていただきたい。今日このまま予定通りお時間を頂いてよろしいですか?」
エリーナは俺に目を向けた。断って構わないから首を横に振る。団長は、怖がらせるようなことをしたと自覚はあるようだ。
「テオが気に入っている店がありまして、前菜が美しいんですよ」
「テオが?」
「はい。店独自の果実酒も女性にとても人気があります。きっと殿下もお気に召していただけるはずですよ」
あ、と思った時には遅かった。
アーノルド騎士団長は、他人の心の機微に疎いのではなくて、それを気遣おうとしないだけだ。
相手が何に興味を持つか、何を言うと喜ぶか、逆に1番怒らせるにはどうしたらいいか、本当は簡単に把握できるくせにそれを汲み取ろうとしない。そして本気で人心掌握したいと思った時には、知っていることを最大限に活かして、自分の思っている通りにことを運ぶことができる。
エリーナは俺にちら、と視線を送る。口を出すにはもう遅すぎる。エリーナは騎士団長のオファーに興味を持っているし、一旦泣き終えて気持ちが落ち着いている。
「エリーナ、どうする?俺はどっちでもいいよ」
本人が好きにできるように投げかけると、エリーナは小さく頷いた。
「……それじゃあ、ぜひ、お願いします」
「よかった!では早速移動いたしましょう」
騎士団長は心から嬉しそうに笑った。胡散臭いと呼ぶには正直すぎる、子どもみたいな人だ。
(結局いつもこの人の思った通りになるんだよな)
騎士団長は、エリーナと雑談しながら前を歩いている。どうやってるか知らないが、エリーナが時々ふっと笑う程度には打ち解けている。
異動の件はどちらにしろエリーナに話すつもりだったから、良い機会になったと思うことにして、俺はエリーナと騎士団長と共に外に出た。
ここ数年は主に人間相手に戦争をしてきた第三騎士団の連中にとって、普通に戦っても歯が立たない魔物の相手は恐怖だっただろう。
心理的なケアのために各部隊の面子に声をかけて回っていたら、思ったより時間がかかってしまった。
最後の片付けは現場に任せて、急いで王城を目指す。到着後、ノックもせずに第一応接室の扉を開けると、そこにエリーナの姿はなかった。
「なんでいないんだよ」
部屋を見渡すと、間違いなく無人だ。緊急事態で仕方ないとは言え、護衛もつけずにエリーナを一人放置したのは俺の責任だ。
苛立ちと焦りが湧き上がってきた。気持ちを落ち着けるために深呼吸をして、エリーナとの会話やここまで通ってきた道の状況を思い出す。
「……団長室か?」
エリーナには、俺か団長が戻ってくるまで部屋から出るなと伝えていた。団長には俺がセム川に向かうことは伝えてあるはずで、トーマスなら気を利かせてエリーナが応接室にいることもついでに伝えてくれただろう。
「あの人……メモくらい残してくれよ」
自分の上長がそんな気の利いたことをしてくれる人間でないとは知っているが、文句の一つも言いたくなる。
急いで団長室に向かうと、ちょうど部屋の前に二人が立っているのが見えた。エリーナがアーノルド騎士団長と一緒にいることに安心して肩の力が抜ける。
「エリーナ!」
俺が声をかけると、エリーナははっと振り向いて、それから泣きそうに顔を歪めた。
「どうした?……少し待ってくれ」
俺はアーノルド団長に向き直り、敬礼する。団長も同じように挨拶を返した。
「遅くなり申し訳ございません。セム川の件、報告は届いておりますか?」
「ああ。聞いている。対応は申し分ないよ。悪いな、陛下との会談が長引いた。」
「とんでもないです。王女殿下のこともありがとうございます。……何かありましたか?少し二人で話をさせていただいても?」
「ああ……分かった。中を使って構わない」
騎士団長室の中にある応接スペースにエリーナを案内し、ソファに座らせる。顔色が悪く、目が赤い。
「何かあっただろ。一人にして悪かった」
エリーナは首を横に振った。
「これから食事をしようって雰囲気じゃないな。今日は帰るか。騎士団長のことは気にしなくていい。大らかな人だから許してくれる」
「……大丈夫」
「大丈夫って顔してないよ」
何があったか知らないが、エリーナが怯えて泣くようなことがあったことだけは確かだ。エリーナは頑なに首を横に振っている。こうなったら引かないだろうし、口を開くこともないだろう。
このまま強引に連れ帰ってもいいが、当初の予定を取り消したことにエリーナが責任を感じて、ますます縮こまりそうだ。
何か話の糸口がないだろうかとエリーナの様子を観察する。手元にわずかにエリーナのものではない魔力を感じた。
「手に触れてもいいか」
エリーナはびくりと震えた。
「嫌だ?」
首を横に振るので、そっと両手を握る。
団長の気配と、もう一つは見知らぬ人間のような気もするし、どこかで知ったような感じもする。
ふと、エリーナから甘い人工的な香りがした。この匂いも、以前すれ違ったことがある気がする。意識を集中して手がかりを探し、過去の記憶を探る。過去、この建物のどこかですれ違った男だ。
ほとんど男しか出入りしないこの建物の中で、すれ違うと場に不似合いな花の香りがする男。魔力が手に残るほど強くて、安定している高位の魔法師。
「……コーネリアスか」
エリーナはその名前を聞いて手を引き、はっと顔を上げた。信じられないものを見る顔で俺を見ている。
「……ごめんなさい……ごめんなさいっ」
「謝らなくていい。あんたを一人にした俺が悪いんだよ。自分を責めるな」
コーネリアスには後で話をつける必要があるとして、アーノルド騎士団長までエリーナの手元に魔力の痕跡を残しているのはなぜだ。
団長が他の男のようにエリーナに触ろうとするのは想像できないが、ただ話すだけで魔力は移ることはない。
(本人かどうか疑われたんだろうな)
王女のエリーナのことをよく知らなかった俺でさえ、本人ではないと疑って状態を確かめようとしたのだ。昔からエリーナを知っているはずの団長が少しでも会話したなら疑っても仕方ない。
俺のやり方は団長に教わったものだから、団長も俺と同じ結論に至ったはずだ。このエリーナ王女は本人だと。
「わ、私……」
「うん」
「警戒するように言われてたのに、お茶を飲んでしまって、それで……気持ち悪くなって気を失ったの」
「は?」
飲み物になにかを混ぜられた、というところに反応して声が低くなってしまった。エリーナは怯えて肩を跳ねさせる。
「ごめん。あんたに怒ってるわけじゃない。続けてくれ」
「……起きたら、あの人が……コーネリアスがいて、私の魔力が乱れてるから応急処置をしたって、言ってた。お礼を言って、部屋を出て行って欲しいって言ったの。でも出て行ってくれなくて、約束を覚えてるか、って……迫られて……知らない。何も約束なんかしてない」
「そうか。怖かっただろ。覚えてない約束のことを言われても困るよな」
エリーナは過去の記憶が曖昧だと言っていた。コーネリアスにはエリーナの記憶喪失について話す義理はない。どんな約束をしていたとしても今はエリーナに果たすことはできないと伝えるしかない。
納得しないだろうが、そこは恨みの矛先を俺に変えてもらい、エリーナからは手を引いてもらう。
エリーナは首を横に振った。
「違うの。約束なんか本当にしてない。私、過去のことはちゃんと思い出せるけど、あの人と約束なんかしてない」
「そうなのか……?分かった。コーネリアスには俺が話をしておく。もうあんたにむやみに近づかないように伝えるよ」
約束の真偽は正直どうでもいい。エリーナはコーネリアスを受け入れる気がない。それなら近付けさせない。それだけだ。
「それはダメ!」
エリーナは立ち上がって叫んだ。それからはっとしてまた座った。
「あ、あの人、テオのことを誤解して恨んでるの。だから話さなくていいよ」
「俺を?別にいい。あいつが俺を恨んだって、できることはたかが知れてる。それより知らない間にあんたに近付かれる方が困る」
「でも……!」
さっきまでコーネリアスのせいで怯えて泣いていたくせに、俺のことを心配するなんて、気持ちと言うことがチグハグだ。
「エリーナ、俺は俺に直接危害を加えようとするやつがいても、自分で身を守れる。でも今日みたいな時にあんたを守るのは難しいんだ。頼りないから助けを求められないか?」
「そういうことじゃ……」
「ならこの件は任せてくれ」
「でも……」
「コーネリアスにまた会いたいのか?」
「違う!」
エリーナは不満そうな顔をしているが、俺に口で勝てないから黙っている。俺は騎士団の中でもよく口が回る方で、口下手なエリーナを言いまかすのは簡単だ。
エリーナは口を開け、言葉を発することはせず、一度閉じた。そして全く納得していない顔で頷いた。
「……分かった。任せる。お願いします」
顔が拗ねた小さい子どもみたいだ。愛らしくてキスしたくなった。ここは騎士団長の部屋だし、そうでなくてもエリーナはキスを嫌がる。俺は唇を合わせる代わりにエリーナの鼻を摘んだ。
「……ん!な、なに……っ?」
ぱっと手を離すと、エリーナは目を白黒させながら鼻をおさえる。
「不満たらたらって顔してるから、つい」
エリーナは眉を顰めた。
「エリーナ、今日、良いことがあったら1番に話して欲しいって言ったよな。そうじゃないことも同じだ。嬉しいことも悲しいことも、何かあったら俺のことを思い浮かべて、分かち合ってくれたら嬉しいよ」
「……!」
「嫌だったことを思い起こして話すのは辛かっただろ。話してくれてありがとう。あんたの信頼に応えられるように手を尽くす。約束だ」
エリーナは目を見開いた。じわりと涙が滲んだが、それが溢れないように耐えているようだった。
「テオ、私……」
「うん、泣いていいよ。こういう時は我慢しないほうがいい。あんたは悪くない。怖かったな」
隊服のマントを外して、エリーナの頭からかける。騎士団長がすぐそばにいるから、顔を隠したほうが泣きやすいはずだ。
アーノルド団長の方に目を向けると、何か信じられないものを見るような顔をしていた。口は開きっぱなしだ。俺と目が合うと、人差し指を出してこちらへ来い、というように動かした。
「……エリーナ、俺は少し騎士団長と話してくるから、このまま待っていてくれ」
隊服越しに頭を撫で、ソファに座っているエリーナを置いて団長のところまで戻る。会話ができる距離まで近付くと、アーノルド騎士団長は指をパチンと鳴らして防音結界を張った。
「テオ」
「はい」
「あれは……第二王女だぞ?」
「は?知ってますけど」
団長の会話が唐突でよく分からないのは良くあることだから驚かないが、質問の意味は分からなかった。
「お前が優しい奴だとは知ってるけど、エリーナ王女にまで優しくする必要はないだろ。信じられん」
「はぁ……?なんで俺が誰に優しくするかあんたに指図されなきゃいけないんですか。仕事じゃないんだから口出ししないでくださいよ」
普段は騎士団長と副騎士団長という立場上できるだけ丁寧に会話しているが、物心ついた頃から育ての親として接してくれていたアーノルド団長に対しては、気がつくと口調がラフになってしまう。
密室だし防音結界も張ってあるし、まぁいいかと思って話を続ける。
すると自分の頭の中を覗かれているような不快感があり、思わず顔を顰めた。
「騎士団長、自分が得意だからってすぐ精神干渉を疑うのやめてください。俺は正気ですし、普通の魔法師はそんなにほいほい精神干渉できませんよ」
エリーナのことといい、なにか疑うと気軽に人の魔力経路を読み込んで調べたがるのはこの人の悪い癖だ。ほとんどの人間は調べられていても気付かないにしても、普通に無礼だ。
「確かに正気みたいだな。しかし……お前の発言は、まるで王女を愛しているように聞こえる」
「……は?!」
なぜ今日は仕事と関係ない話しかしないんだ。自分のことを子どもの頃から知っている人とそういう話になるのは正直気まずいからやめてほしいのに、騎士団長は真剣な顔をしている。
「愛してますが、妻を愛してなにか問題が?」
「は?!本気で言ってるのか?あのトゲトカゲを、愛してるって?お前の村を人質にして、邪魔になりそうな俺が留守の間に強制的に結婚を迫られたのに愛せるのか?しかもお前の知り合いも含めてどこの誰に手を出したかも分からない女だぞ」
「いちいち事実確認しなくていいですから。そうです。それでも俺はエリーナのことを愛してます。もういいでしょ、この話。あんたとこんな話するのはむず痒くて吐きそうだ。あと、ついでに彼女のことを有害な魔物に例えるのやめてください」
騎士団長は呆気に取られた顔をしている。
「口の中を確認させて欲しい」
「舌は縛られてない!いい加減にしてくれ。もしかして、さっきエリーナが泣いてたのはコーネリアスじゃなくてあんたのせいですか?なんか余計なこと言ったんだろ」
「余計なことなど言ってない」
「間違いなくなんか言ってるよ……。はぁ、今日呼び出したのは何の用だったんです?急ぎじゃないなら明日以降にさせてください。楽しく会話できる雰囲気じゃないんで」
「楽しく話す必要はないな。異動の件、彼女が邪魔になっているなら話をつけさせてもらおうと思ってた。俺の用事が済めばそれでいい」
「見知らぬ人間に襲われて怯えている女を、さらに見知らぬ人間と一緒に楽しくない食事会に連れ回せって言うんですか?異動のことはエリーナが原因で返事をしてなかったわけじゃありません。俺が彼女に話しておくし、心を決めたら事後報告させてもらいます。……あんた、そんなだから奥さんに2回も逃げられるんだよ。奥方様たちは何回もメッセージを出してましたよ。あんた以外の周りの人間は全員気付いてた」
「なんだと?教えてくれよ」
「教えただろ!何回も!子どもの言うことだって取り合わなかったのはあんたの方だ!」
思い切り怒鳴って、息が切れた。昔はよく口喧嘩をしていたけれど、最近は仕事の話しかしないからこうして怒鳴り合うこともなかった。
そういえばこの人はこういうダメなところがあるんだった、と色々思い出して頭が痛い。
何も言い返してこないのが不思議で、騎士団長の顔を見ると、俺の顔をじっと見てから破顔した。
防音結界が外れ、周囲の音がはっきりと耳に入ってくる。
「お前のその早口で捲し立てるの久しぶりに聞いたな!ほんっとによく口が回るやつだ」
「申し訳ありません。不適切な発言をしました」
「いいよ。許す。そうか、……そうか、そうか。なるほどね。そうか」
独り言が多いところも欠点の一つだ。うるさいなと思いながらエリーナに目を向ける。白いマントを肩からかけて座っている。もう落ち着いたようだった。
「エリーナ王女殿下!」
アーノルド騎士団長が大声で名前を呼ぶせいで、エリーナは飛び跳ねた。無駄にでかい声を出すなよ、と呆れた視線を送るが団長は俺の視線など意に介すことなどない。
「先程は怖がらせて申し訳ありませんでした。お詫びに、遅くなりましたがお食事に招待させていただきたい。今日このまま予定通りお時間を頂いてよろしいですか?」
エリーナは俺に目を向けた。断って構わないから首を横に振る。団長は、怖がらせるようなことをしたと自覚はあるようだ。
「テオが気に入っている店がありまして、前菜が美しいんですよ」
「テオが?」
「はい。店独自の果実酒も女性にとても人気があります。きっと殿下もお気に召していただけるはずですよ」
あ、と思った時には遅かった。
アーノルド騎士団長は、他人の心の機微に疎いのではなくて、それを気遣おうとしないだけだ。
相手が何に興味を持つか、何を言うと喜ぶか、逆に1番怒らせるにはどうしたらいいか、本当は簡単に把握できるくせにそれを汲み取ろうとしない。そして本気で人心掌握したいと思った時には、知っていることを最大限に活かして、自分の思っている通りにことを運ぶことができる。
エリーナは俺にちら、と視線を送る。口を出すにはもう遅すぎる。エリーナは騎士団長のオファーに興味を持っているし、一旦泣き終えて気持ちが落ち着いている。
「エリーナ、どうする?俺はどっちでもいいよ」
本人が好きにできるように投げかけると、エリーナは小さく頷いた。
「……それじゃあ、ぜひ、お願いします」
「よかった!では早速移動いたしましょう」
騎士団長は心から嬉しそうに笑った。胡散臭いと呼ぶには正直すぎる、子どもみたいな人だ。
(結局いつもこの人の思った通りになるんだよな)
騎士団長は、エリーナと雑談しながら前を歩いている。どうやってるか知らないが、エリーナが時々ふっと笑う程度には打ち解けている。
異動の件はどちらにしろエリーナに話すつもりだったから、良い機会になったと思うことにして、俺はエリーナと騎士団長と共に外に出た。
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