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5. 雪降る王都

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エリーナ王女が孤児院に興味を持ったというのが一時的な気まぐれだったとしても驚くことじゃない。
当日になってやっぱりやめたとでも言い出すかと思っていたが、彼女はきちんと落ち着いた格好で準備をしてきた。

「その服はどうしたんだ?」
「メイドのセアラに借りました」

普段の王女の服は刺繍や宝石でキラキラ光っているものばかりだ。今日はなんの装飾もなく、露出もなく、庶民の既婚者が着るような地味な服を着ている。その上、使用人から借りた服に袖を通すなんて、記憶を失う前だったら卒倒しているかもしれない。準備を手伝ったメイドも驚いたんじゃないだろうか。

城下町の中央広場でギルベルト様と待ち合わせをして移動することになった。広場までは馬車に乗ったけれど、その後は徒歩だ。それに対してもエリーナ王女は文句を言うこともなく、黙って歩いている。

道ゆく人々や街の様子を興味深げに見つめ、時々ほぅと魅入ったように足を止める。その度にギルベルト様が優しく声をかけ、小さな子どもを案内するように街の様子を語りかける。
国王の意向で城の外に出たことがなかった、という言葉を思い出した。

「あんたは街に出たことがないのか?」
「はい。自分の足で歩くのははじめてです」

王女は面白いことが何もない街の様子を熱心に見つめている。

エリーナ王女が孤児院に興味を持った理由については聞いてない。俺は彼女が大切なものを見つけるのを手伝うと言ったから、本人が興味を持ったものがあるなら、それを知る手助けはしてやろうと思った。

今の王女は、不潔で貧しい環境を見ても、蔑んだり嫌悪感を顔に出すことはないだろうという確信はあったが、記憶に関係なく身体が自然と見せる拒否反応は隠せないだろう。庶民と王侯貴族の生活環境は、衛生状態に天と地の差がある。どれだけ気の良いやつでも、生理的な不快感を払拭するのは難しいと知っている。
今日の俺の役目は、そうなった時に、ギルベルト様に恥をかかせないように立ち回ることだ。

孤児院は教会に隣接していて、古いけれどよく掃除が行き届いていた。予想したよりはだいぶ綺麗だ。王女は興味深げに周りを見渡している。

「こっちは教会の修道院で、孤児院はこの廊下の先だ。全部で14人の子どもたちがいて、年齢は0歳くらいから一番上が13歳くらい。14歳になったら一人で仕事をもらえるから、ここは出て行くことになっている」

ギルベルト様に説明を受けていると、建物から子どもたちが出てきた。

「あ、おじさん!また来たの?」
「ギルおじさん、暇なの?」

王弟に対する態度とは思えないが、ギルベルト様は気にした様子はなかった。

「ひどいな。忙しいけど君たちに会いたくて来たのに。今日はお客様を連れて来たよ。王女様と、この国を救った英雄だ」

ギルベルト様が、じゃじゃん、と効果音をつけて手を広げた。子どもたちは紹介した先にいる俺と王女を見て、わっと笑った。

「嘘つき!王女様なわけない!」
「王女様はもっとキラキラしてるんだよ」
「おじさんパレード見たことないの?」
「パン屋さんでしょ。小麦の匂いがするよ」

一人、エリーナ王女の半分くらいの身長の女の子が後ろから彼女のスカートを引っ張り、匂いを嗅ぐような仕草をした。どんな反応をするのかと緊張して見守ると、王女は不快感を示すことはなく、その子どもの目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。そして、手に持っていた籠を差し出した。

「そうなの。よく匂いが分かったね」

これまでに見たことのない穏やかな顔をしている。

「わっ!パンだ!」
「え、パン?!パンだ!」

子どもたちがパンの入った籠に群がり、思い思いに手を伸ばした。ギルベルト様が籠をひょいと持ち上げて、子どもたちからパンを奪う。

「あっ!!おじさん、独り占めはだめ!」
「違うよ。みんな手は洗ったのか?畑から戻ってきたばかりじゃないか」 

楽しみを邪魔された子どもたちは面白くなさそうな顔をして、水の貯まっている瓶のところへと並んでいく。

「よく統率が取れていますね」
「まあね。ここは結構古くから付き合いがあるんだ」

つい軍隊に対する評価のようなものを口走ってしまったが、ギルベルト様は気を悪くした様子はなかった。

手を綺麗にした子どもたちは、またパンに群がるかと思ったら、一人戻ってくるなり俺の顔を見つめて、指差した。

「あいつテオドールだ!!パレードで見た!」
「ああ、そうだよ」

俺が返事をすると、ざわっと声が上がる。終戦の凱旋パレードで王都を一周したことがあるから、その時に顔を覚えたのだろう。その後も俺が知らないところで、肖像画やら紙芝居やら演劇やら、なんだか色んなものが発行されたらしい。

「本物?!」
「偽物だろ!」
「英雄を連れてきたって言ったじゃないか。本物だよ」

ギルベルト様が笑って太鼓判を押すと、子どもたちは今度はパンではなくて俺の足元に群がってきた。よく興味が移り変わるものだ。
俺は物心つく頃には魔力の才能が開花して騎士団に見習いとして入ったため、幼い子どもの集団はあまり馴染みある存在ではない。足元にたくさん近寄られると蹴飛ばしそうでちょっと怖い。

「ねー魔法できるの?見せてよ」 
「馬鹿!テオドールは一人で二千人の敵兵を吹き飛ばしたんだぞ!魔法使われたら俺たちも吹き飛ばされるよ」
「安心しろ。なんでもかんでも吹き飛ばしてるわけじゃないよ」

二千人を撤退させたのは俺一人の手柄ではない。ただ、わざわざ現実的な話をしてはしゃいでいる空気に水を差そうとは思わなかった。

「じゃあやってくれる?」
「ああ、いいよ」

派手で害のない魔法を披露してやろうとして、孤児院の全域に広域魔法陣を展開する。その上に氷の結晶を発生させてからパリンと弾く。小さな爆発音の後、空から季節外れの雪の結晶が舞い降りてきた。

「うわぁ……!」

王都は温暖な平地にあり、冬でもほとんど雪は降らない。空から舞い落ちる白い結晶に、子どもたちは目を輝かせて見入っている。

この魔法は使い方を変えれば広域の騎兵を氷柱で突き刺して足止めできる殺傷能力の高い魔法だ。
ここにいる子どもたちはそんなことは死ぬまで知ることがなく、ただ綺麗な雪を降らせるための魔法だと思っていてくれたらいい。

ふとエリーナ王女に目を向けると、王女も子どもたちと同じような顔をして雪に魅入っていた。いつも不安げに八の字を描いている眉も緩み、口角が上がっている。

(なんだ、こんな簡単なことで笑うのか)

俺の前では泣いたり怯えたりするばかりで、こうして穏やかな顔をできるのだと知らなかった。



孤児院の子どもたちはそれぞれ持ち場と仕事があるということで、パンを食べた後は邪魔をしないように帰ることになった。

「二人とも、今日はありがとう。私が顔を出している孤児院は他にもあるんだが、もしよかったらまた声をかけていいだろうか」

エリーナ王女が伺うように俺を見た。俺は王女のやることに許可を出す立場じゃないのだが、頷くと安心した顔をする。

「はい、ぜひ」
「そうか。助かるよ。ではまた、テオ宛に手紙を書こう」

ギルベルト様は俺に気軽にテオ、と呼びかけ、人好きのする笑みで挨拶して去って行った。

「少し歩いて帰るか?」
「いいんですか?」
「いいよ。今日は非番だから時間もあるし」

エリーナ王女が控えめに笑った。子どもたちと会話していたからか、今までになく表情が豊かになっている。

「あのさ」
「はい」
「あんた、普通に話せるんだろ?俺に対しても丁寧な言葉じゃなくていいよ。よく考えたら、庶民の俺が普通に喋ってて、あんたは丁寧に話してるなんておかしいし」
「え……、でも……」
「子どもたちに話してたみたいに、自分が話しやすいように話せよ。呼び方もテオでいい。身内で俺のことをテオドールなんて呼ぶのは母親が俺を叱る時くらいだ。あと、パレードを見てた子どもたちとか」

つい先ほど呼び捨てにされたことを思い出して付け足しすると、エリーナ王女は菫色の瞳を丸くして、それから柔らかく微笑んだ。

彼女の瞳が完全に菫色に戻ってしまっている。この色を変えるためにしなければならないことを思い出して胸が痛んだ。

自分の性格を考えると、今は無害になった彼女をいつまでも憎み続けることができないのは分かっていた。たとえそれが記憶喪失による一時的なものだとしても、怒りを向け続けられない。

出会い方が違っていれば友人になれたかもしれないのに、それはもう叶わない。俺が今考えているのは、せめて夫婦として健全な関係性を築いていけないかということだ。

今の方法がいつまで国王に通じるか分からない以上、俺が国王の口出しを許さないくらいの影響力を持つか、言うことを聞くかの二択しかない。前者は時間がかかるから非現実的で、それまでの間は国王の意向に沿うほかない。

ただ、エリーナ王女は俺が近づくと怯え、口経由で魔力を移したら泣くほど嫌がった。もうあの方法は試みないと約束して謝罪したが、王女の表情は暗かった。

記憶を失う前はいざ知らず、少なくとも今のエリーナ王女にとって、俺は好ましい人間ではないということだ。

(優しくしたい)

怯えて縮こまっているより、孤児院にいた時のように穏やかな顔をしている方が良い。俺と一緒にいる時も、泣き顔より笑った顔を増やしてやりたい。

ささやかで面白みもない願い事だ。
だから、自分がそんなことすら叶えられないとは思っていなかった。
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