気になるなら、花束を添えて

夏八木アオ

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第四話【最終話】

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 その日の夜。
 コルネーリアはぼんやりソファに座って、天井を眺めていた。

(甘くなかったわ)

 ディーンが用意したレモネードは、ハチミツが入っていなかった。
 その後、彼の友人の妹たちが飲んでいたレモネードの色や、使用人が準備していたバスケットの中を見て、ハチミツがあることを確認している。
 叔父が甘くて美味しいと言っているのも聞いた。

(わざわざ私のものだけハチミツを抜いて準備したってことよね)

 ちょっとした会話の往復の速さや、おしゃべり好きで明るく友人の多い性格。気軽に会話しやすい雰囲気で、笑顔で、空色の瞳。
 手紙から想像していた”ヨハン”の人柄により近しいのは、弟のディーンのほう。

 コルネーリアは、ヨハンから届いた手紙のいくつかを取り出した。
 その中を確認していくと、好きな飲み物の話が出てくる。

 コルネーリアは、甘いものは好きだけれど、飲み物は甘くないほうが好みだ。甘いもの好きであると言うと、いつもレモネードにたっぷりハチミツを入れられてしまうのだけど、レモネードはハチミツなしでレモン果汁と塩が効いたさっぱりしたものが好きだと書いた。

 口頭で伝えただけかもしれない。
 だが、二人の間の手紙のやりとりを、もしかしたら弟に見せていたのかもしれないと思うと、モヤモヤとした不満がコルネーリアの胸の中に湧き上がる。

 それにもう一つ疑うとしたら、忙しいヨハンが弟に手紙を代筆させていたのではないか、という可能性。そんな人だとは思わなかったけれど、手紙と実物の印象が違うせいで疑ってしまう。

 コルネーリアはベッドに仰向けになってから枕を抱きしめて、そのままベッドの上を転がった。

 ヨハンの顔と、ディーンの顔を順番に思い浮かべる。
 二人は似ていない。
 
 手紙でちゃんと縁を深めてきたと思ったのに、コルネーリアは手紙の中身をどちらが書いていたのか、確証を持つことができない。
 そのことが今までのやりとりの浅さを示している気がして、ますます気持ちが重くなる。
 手紙を通して彼を好きだと思った気持ちさえ偽物になったような気分だ。

(明日、聞いてみようかしら)



 六日目の朝、コルネーリアはいつもの公園でヨハンと待ち合わせた。

「昨日は結局君もテニスに出かけたんだな」
「ええ。久しぶりに身体を動かして楽しく過ごしました」
「そうか」

(もう! 他に言うことはないのかしら。楽しめたならよかった、とか、次は一緒にテニスをしようとか!)

 コルネーリアは不満げにヨハンを見つめた。

「どうした?」
「いえ、ええと……明日、もう帰ることになるので、寂しいなと思いまして」

 ヨハンは意外そうに瞬きをした。
 一方通行な気持ちを自覚して、コルネーリアの頬がさっと赤くなる。思えば初日から、ヨハンとコルネーリアの態度には温度差があった。
 会えて嬉しいと微笑むのはコルネーリアだけで、毎日会おうと言ったのも彼女が提案したからだ。そうでなければ、最初に食事をする以外、決まった予定はなかった。

「コルネーリア、明日、帰宅する前に私の屋敷に寄ってほしい」
「お屋敷ですか。時間はまたこのお時間に?」
「ああ。昼ぐらいまでならいつでも構わない」
「分かりました」

 その日はタイミングがつかめなくて、コルネーリアは、今までの手紙を書いた人は本当に貴方なのですか、とは聞けなかった。

 馬車に乗り込む時に、いつもならすぐ離れる手が、今日は少しだけ長く彼女の指を掴む。
 コルネーリアは不思議そうにヨハンを見つめた。

 表情の変わらない彼の眉が、ほんの少し下がったように見える。彼は彼女の手を軽く握ると、その指先に唇を寄せた。

 扉はすぐに閉まってしまう。
 コルネーリアは混乱して、呆然と閉じた扉を見つめた。



 そわそわ落ち着かない気持ちで1日過ごし、最終日にコルネーリアが用意したのはいつもの便箋と、お気に入りのインク瓶。
 母と一緒にヨハンの屋敷を訪れた。

 最後に二人でゆっくり話せるようにという配慮を受けて、ヨハンと向き合う。

「ヨハン様、ご挨拶の前に一つお願いがあります」

 ヨハンが首を傾げる。
 コルネーリアは持ってきた便箋とインクを彼に手渡した。

「こちらは、私のお気に入りのインクなんです。貴方の名前を書いてくださいませんか?」
「名前を?」
「いつも丁寧に書かれている貴方の文字が好きなんです。このインクで書いた貴方の名前を、次に会える日まで持っていたくて」

 何度も見た筆跡は、一目見れば彼のものかどうかは分かる。
 コルネーリアは緊張を誤魔化すように微笑んだ。

「分かった」

 ヨハンはデスクの上にその便箋とインクを大切そうに置いた。
 ペンを握って、しばらくすると振り返る。

「その、見られていると緊張してうまく書けない。少し後ろを向いていてくれないか」
「はい」

 コルネーリアは後ろを振り向いた。
 ペンの走る音がいつまでもしないので、ちらりと自分の肩越しに振り返る。
 
 彼の手がデスクの上に一枚紙を広げるのが見える。そこに彼自身の名前が書かれているようだ。それを見ながら、コルネーリアのお気に入りの青色のインクで、真新しい便箋にゆっくり丁寧に名前が書かれていく。

 ヨハンは二つの紙を見比べると、一枚を小さく折って自身のポケットにしまった。
 もう一枚のコルネーリアが用意した便箋を持ち上げて、眺め、ゆっくり振り返る。

「……!」

 彼は慌てた様子で椅子から立ちあがった。

「どうした!」

 コルネーリアの視界が滲んで、ヨハンの表情がよく見えない。

「い、今、何か盗み見ながらサインをしたでしょう……!」
「え? あ、ああ……緊張してしまって、普段自分の名をどう書いていたら思い出せなかったんだ……」
「本当ですか?」

 ヨハンはゆっくり頷く。

「本当の、本当に?」
「それ以外何があるんだ」
「いつもお手紙を誰かに代筆してもらってたんじゃないんですか⁉︎」
「何? まさか。なぜそんなふうに思うんだ」
「だって、手紙はすごく長くて、いつもたくさんお話してくださるのに……本物のヨハン様は、全然喋らないし……!」

 コルネーリアの目から涙が溢れた。

「会いたかったって言ってくれないし! おしゃれしたのに褒めてくれないし! ピアノは触ったことないって言ってたくせにお屋敷にピアノまであるんだもの、嘘つきだわ!」
「えっ? ああ、それは、まぁ、そうだが、ちょっと待った、落ち着いてくれ……」
「今のどこが『そう』なんですか! やっぱりディーンに代筆させてたのね⁉︎」
「違う! 待った、本当に落ち着いて……泣かないでくれ」

  ヨハンはしばらく戸惑った様子でコルネーリアを見ていたが、そのうち彼女の背中に手を回してとんとんと慰めるように撫でた。
 コルネーリアの目からまた涙が出てくる。

「ちゃんと抱きしめてください!」
「え? あ、ああ、分かった」

 彼の腕に力が籠ると、コルネーリアはようやく満足して目を閉じた。



 しばらく泣いて、落ち着くと、二人で並んでソファに腰掛ける。

「じゃあ、本当に代筆はしてないんですね?」
「してない」
「なぜディーンは手紙の内容を知っていたんですか?」
「内容とは?」
「私が甘い飲み物が好きじゃないと知っていたみたいです」

 ヨハンは、「あー……」と呟いた。

「それは、その、手紙を見せてみろと言われたことがあって」
「二人の手紙なのに!」
「分かってる。一度無理に奪われたときだけだ」
「全く、婚約中の二人の手紙を奪うだなんて。なんでそんなこと!」

 ヨハンの視線が気まずそうに下がった。

「それは、その、私の手紙が分厚すぎるから、校正するといい出して」
「校正?」
「鈍器を送る気か、と……」
「鈍器」

 コルネーリアは彼の言葉をそのまま繰り返した。

「そんなにたくさん書くことがあるんですか」

 ヨハンが頷く。

「君に送る前に毎回半分にしている」
「半分! 今度からそのまま送ってください。見てみたいわ」
「鈍器を?」
「ええ、貴方から届くものならなんでもいいんです! 毎回楽しみだもの」

 ヨハンは黙ってコルネーリアを見つめる。

「ヨハン様……黙って無表情で見つめられると、不安になってしまうのですが」
「すまない」

 ヨハンは自分の頬に手を当てた。そして頬をつまんで離す。

「怒っているわけじゃないんですよね?」
「怒ってはいない」
「少しでもいいから何を考えているか教えてほしいです」
「ああ。努力する。考えながら喋るのが苦手なんだ。少し時間がいる」
「そうなんですか。手紙ほど饒舌じゃなくていいですけれど……書くほうが楽なら書いてもいいですよ?」

 コルネーリアは立ち上がって、デスクから便箋とインク、ペンを持ってきた。それをヨハンに渡す。
 ヨハンはそれを受け取らず、しばらく目を瞑っていた。
 やがて、青い瞳と目が合う。彼はコルネーリアの手を引いた。

「大丈夫だ。表情が固くなるのは、君の言うことが毎回可愛くて、こうして抱きしめたくなるのを我慢しているのが理由だ」

 彼女の口から短い悲鳴が上がる。

 それから彼は、グランドピアノが家にあるのは、もう結婚するつもりでコルネーリアが好きな工房のピアノを先に作ってしまったのだと告げた。
 気持ちが先走りすぎて気味が悪いと思われる可能性があるから、結婚するまで絶対言うな、という弟のありがたい忠告があったことも一緒に。
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