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第一話
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(この方、本当にヨハン様なの……?)
ロウ伯爵家の次女、十八歳のコルネーリアは、自身の婚約者であるヨハンに疑いの目を向けている。
現在二人は美術館を訪問して、カフェで足を休ませているところだ。
彼は、彼を紹介してくれた叔父の言ったとおりの外見をしている。グレーみのある癖のない茶髪に青い瞳。几帳面そうな、キリッとした顔つきで、美しい人だ。
コルネーリアは、本日婚約者と初めて顔を合わせるため、その瞳の色に合わせて青い宝石を身につけてきた。しかし、想像していたより実際の瞳の色は冷たい。青空よりももっと深い青。
コルネーリア自身は、ラズベリー色の髪に、春の若葉のような明るいグリーンの瞳を持つ。「春の妖精のように可愛らしい」という賞賛の言葉を向けられると引き攣ったような笑顔になってしまう彼女だが、今日、今まで手紙でしかやりとりしていなかった婚約者と顔を合わせるにあたっては、人から好ましく思われやすい自分の外見に感謝していていた。
精一杯おめかしして、母譲りの外見の長所を活かそうと準備したのだ。
しかし、その彼女のドレスも、宝石も、彼は一言たりとも褒めない。
それどころか、まともに会話をしようとしない上、笑顔がない。
手紙の印象とはまるで別人である。
コルネーリアの実家は、王都から離れた北の領地を治めている。宮廷で外交官として働く叔父が、第三王子の補佐をしているヨハンを結婚相手として紹介してくれた。少し忙しすぎるかもしれないが、信頼できるいい青年だと。年齢は、コルネーリアより五つ上。
当時十七歳のコルネーリアには、近場に心を寄せる男性もいなかった。叔父がくれた縁を前向きに検討したいと父に告げ、しばらく手紙のやりとりをすることになった。
そして、手紙をやり取りするうちに、ヨハンのことを好きになったのだ。
最初は話題がないので、簡単な自己紹介から。便箋一枚を埋めるのにも苦労した。
兄弟のことや、趣味の話。そしてあまり特徴のない父の領地の話もした。
ヨハンの父親の領地はコルネーリアの領地と近しい気候である。彼は十三歳から寄宿学校に入って、卒業してからそのまま王都にいたらしい。第三王子と縁があるのはその寄宿学校で仲良くなったことがきっかけで、実は王都のような騒がしい場所よりも、実家のような落ち着いた場所の方が好き。
だからコルネーリアが、特別ではない日々の様子を聞かせてくれると懐かしく感じるのだと。
丁寧な文字で綴られた手紙は、彼女の宝物だ。
一つ一つの些細な話題に関心を寄せ、誠実に関係を築こうとしてくれる彼を素敵だなと思うようになった。
周りの人について語る言葉が温かく、時にはユーモラスで、出会ったこともないのに笑顔が素敵な優しい男性だと思い込んでいた。
しかし実際の彼は、無表情で、無口である。
手紙でしかやり取りしていなかったコルネーリアに、「正式に婚約を申し込みたいから、会いたい」と言ってくれたのに、顔を合わせても嬉しそうではないし、「会えて嬉しい」という彼女の言葉に頷きもしない。
(手紙の印象と、本人が少し違うのは、まぁ、仕方ないかもしれないわね……そういう人もいるわよ)
実際に会うとなったとき、ヨハンは領地を訪れようと言ってくれたが、コルネーリアが彼の仕事に配慮して、そして王都を訪れてみたくて、一週間滞在を予定している。
その間に交流を深められるようにと、母や姉に様々なアドバイスをもらってきた。
その案をいくつか試してみたが、なんの効果もなさそうである。
最初は彼が緊張しているだけだと言い聞かせていた。しかし、彼は無表情なだけで躊躇いもなく手を差し出してエスコートする。美術館で人混みに紛れそうになった時には、強く腰を引き寄せて抱きしめられた。そのことに一切顔色が変わらず、照れているようには見えなかった。
美術館でうるさく会話しないのは当たり前だが、移動中も、カフェに入ってからも、口を開こうとしない。
つまり、照れや緊張からくる無表情ではなく、普段からこういう人なのだ。
勝手に手紙の印象から人柄を決めつけて、楽しくおしゃべりする時間を想像していて、勝手に失望している。彼は手紙の中で一度も、自分がおしゃべりだとは言っていなかった。
今日はコルネーリアの両親、及び叔父と一緒に彼の王都の屋敷を訪問して、夕餉をともにすることになっている。その時正式に結婚を進めようという話になるはずだ。
心をときめかせて準備していたのに、今はそれが待ち遠しいと思えない。
コルネーリアは彼の前でため息をつかないようにするのに必死だ。
顔をあげると、彼が自分を見ているのが分かる。
チョコレートでコーティングされたケーキは彼の好物のはずだが、あまり手をつけていない。
「ヨハン様」
「ああ」
名前を呼ぶと、返事をする。
(署名の名前は、少なくとも本人の名前なのよね……当たり前か)
「どうした」
「いえ、なんでも……せっかくお会いできたので、意味もなくお名前を呼びたくなってしまうんです」
コルネーリアが冗談めかして笑うのにも、ヨハンは無反応である。
一人恥ずかしくなって頬が熱くなる。コルネーリアは彼から視線を外して、こっそりため息をついた。
ロウ伯爵家の次女、十八歳のコルネーリアは、自身の婚約者であるヨハンに疑いの目を向けている。
現在二人は美術館を訪問して、カフェで足を休ませているところだ。
彼は、彼を紹介してくれた叔父の言ったとおりの外見をしている。グレーみのある癖のない茶髪に青い瞳。几帳面そうな、キリッとした顔つきで、美しい人だ。
コルネーリアは、本日婚約者と初めて顔を合わせるため、その瞳の色に合わせて青い宝石を身につけてきた。しかし、想像していたより実際の瞳の色は冷たい。青空よりももっと深い青。
コルネーリア自身は、ラズベリー色の髪に、春の若葉のような明るいグリーンの瞳を持つ。「春の妖精のように可愛らしい」という賞賛の言葉を向けられると引き攣ったような笑顔になってしまう彼女だが、今日、今まで手紙でしかやりとりしていなかった婚約者と顔を合わせるにあたっては、人から好ましく思われやすい自分の外見に感謝していていた。
精一杯おめかしして、母譲りの外見の長所を活かそうと準備したのだ。
しかし、その彼女のドレスも、宝石も、彼は一言たりとも褒めない。
それどころか、まともに会話をしようとしない上、笑顔がない。
手紙の印象とはまるで別人である。
コルネーリアの実家は、王都から離れた北の領地を治めている。宮廷で外交官として働く叔父が、第三王子の補佐をしているヨハンを結婚相手として紹介してくれた。少し忙しすぎるかもしれないが、信頼できるいい青年だと。年齢は、コルネーリアより五つ上。
当時十七歳のコルネーリアには、近場に心を寄せる男性もいなかった。叔父がくれた縁を前向きに検討したいと父に告げ、しばらく手紙のやりとりをすることになった。
そして、手紙をやり取りするうちに、ヨハンのことを好きになったのだ。
最初は話題がないので、簡単な自己紹介から。便箋一枚を埋めるのにも苦労した。
兄弟のことや、趣味の話。そしてあまり特徴のない父の領地の話もした。
ヨハンの父親の領地はコルネーリアの領地と近しい気候である。彼は十三歳から寄宿学校に入って、卒業してからそのまま王都にいたらしい。第三王子と縁があるのはその寄宿学校で仲良くなったことがきっかけで、実は王都のような騒がしい場所よりも、実家のような落ち着いた場所の方が好き。
だからコルネーリアが、特別ではない日々の様子を聞かせてくれると懐かしく感じるのだと。
丁寧な文字で綴られた手紙は、彼女の宝物だ。
一つ一つの些細な話題に関心を寄せ、誠実に関係を築こうとしてくれる彼を素敵だなと思うようになった。
周りの人について語る言葉が温かく、時にはユーモラスで、出会ったこともないのに笑顔が素敵な優しい男性だと思い込んでいた。
しかし実際の彼は、無表情で、無口である。
手紙でしかやり取りしていなかったコルネーリアに、「正式に婚約を申し込みたいから、会いたい」と言ってくれたのに、顔を合わせても嬉しそうではないし、「会えて嬉しい」という彼女の言葉に頷きもしない。
(手紙の印象と、本人が少し違うのは、まぁ、仕方ないかもしれないわね……そういう人もいるわよ)
実際に会うとなったとき、ヨハンは領地を訪れようと言ってくれたが、コルネーリアが彼の仕事に配慮して、そして王都を訪れてみたくて、一週間滞在を予定している。
その間に交流を深められるようにと、母や姉に様々なアドバイスをもらってきた。
その案をいくつか試してみたが、なんの効果もなさそうである。
最初は彼が緊張しているだけだと言い聞かせていた。しかし、彼は無表情なだけで躊躇いもなく手を差し出してエスコートする。美術館で人混みに紛れそうになった時には、強く腰を引き寄せて抱きしめられた。そのことに一切顔色が変わらず、照れているようには見えなかった。
美術館でうるさく会話しないのは当たり前だが、移動中も、カフェに入ってからも、口を開こうとしない。
つまり、照れや緊張からくる無表情ではなく、普段からこういう人なのだ。
勝手に手紙の印象から人柄を決めつけて、楽しくおしゃべりする時間を想像していて、勝手に失望している。彼は手紙の中で一度も、自分がおしゃべりだとは言っていなかった。
今日はコルネーリアの両親、及び叔父と一緒に彼の王都の屋敷を訪問して、夕餉をともにすることになっている。その時正式に結婚を進めようという話になるはずだ。
心をときめかせて準備していたのに、今はそれが待ち遠しいと思えない。
コルネーリアは彼の前でため息をつかないようにするのに必死だ。
顔をあげると、彼が自分を見ているのが分かる。
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「ヨハン様」
「ああ」
名前を呼ぶと、返事をする。
(署名の名前は、少なくとも本人の名前なのよね……当たり前か)
「どうした」
「いえ、なんでも……せっかくお会いできたので、意味もなくお名前を呼びたくなってしまうんです」
コルネーリアが冗談めかして笑うのにも、ヨハンは無反応である。
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