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【8】明日死んでもいいと思えるほどの……※ その1
しおりを挟む「は、離れてくださ…い。この部屋から出て……」
ここはローランの部屋だ。自分でも矛盾していると思う。だけど、アンドレアスにはその余裕がなかった。
「どうして……今頃。あの香は遅効性だったのですか……?」
「いや、違う。言いたくもないが俺もこの手の香には詳しい。あの香りは即効性だったはずだ。すぐに発情を起こさなかった君がやはり特別なんだ」
ローランが使ったのではなく、あとで聞いた話ではオメガを抱かないと公言している彼目当ての令嬢に使われた。
ローランはそのオメガの令嬢の発情の甘い誘惑に、表情一つ変えず微笑み、彼女に優しい言葉をかけてその場を“立ち去った”という。
しかし、今のローランは身を引こうとするアンドレアスの肩を引き寄せて抱きしめた。フィリップのあの嫌な麝香の臭さとは正反対の、柑橘と新緑の趣味よく付けられた香水を、アンドレアスはその胸一杯に吸い込むことになって、くらくらした。遠くで少しほろ苦いようなスパイスの匂いを感じる。これは彼の本来の体臭だろう。
力強い腕と広い胸に包まれて、このままずっとくっついていたいと、そんな子供めいた気持ちがわき上がったことにアンドレアスは愕然とする。いやこれは子供のようにただ温かな者に包まれたいという気持ちだけじゃない。もっとザワザワとした“本能”に根ざしたものだ。
オメガの……。
自分のなかにこんなものが眠っていたなんて……とローランの腕の中で息を呑むアンドレアスの耳を、いつもよりは低い、朗らかさから一転して、昼間だというのに夜のしじまのような、静かな……しかし、なにかを堪えるような男の声が耳をうつ。
「君があの香に反応しなかったのは、フィリップにその“資格”が無かったということだ。そして、俺がそばにいることで、香に促されたといえ初めて“発情”した」
「そ、それは……」
逃さないとキツく抱きしめられた腕の中、ローランを見上げたアンドレアスは後悔とともに、己の心臓が一つはねるのを感じた。
自分を見るローランの濃い翡翠の瞳には紛れもない欲望があった。そのギラつく男の獣の目に、そうされたいとときめいている自分がいる。
これがオメガの本能。そんなものに縛られたくない!と理性では思っているのに、感情は、きゅうと甘く痛む胸はアンドレアスを裏切っている。
唇に吐息がかかるほどに近づいた顔を、アンドレアスは「いけません!」と拒んだ。熱くなる身体にともすれば目の前の男にしがみつきたくなる。その本能を無理矢理抑えて顔を背ける。
「私は危険なオメガです。発情で制御出来ないほど感情が高ぶれば、なにかの切っ掛けであなたのアルファとしての命を絶つかもしれない」
いままではなんとも感じてなかった、自分の未知の力が急に恐ろしくなった。この男に抱かれて、その途中で、いつ“暴走”して男としての命を断つかわからない。自分自身が猛毒の罠になったような気分で、カタカタと震えれば「大丈夫」となにが大丈夫なのか、それでも自分を突き放すことなく、抱きしめてくれる腕に、アンドレアスは泣きたい気分になる。
「これから君を抱く俺を許せないなら、そうしてくれて構わないよ」
「なにを言って……」
「明日死んだって構わないさ。この腕の中で震える君を手放すぐらいなら」
「あなたは馬鹿です……」
「そうだね。だが俺は明日後悔するぐらいなら、今日死んだっていいと思う」
「……し、死期が早まっています」
「うん、君が欲しい」
「…………」
言うことがメチャメチャだし、最後など会話も成り立っていない。
それでも、いつもならばよくも考えられるというぐらい、気障ったらしい言葉よりもなによりも。
欲しい……。
という言葉が、アンドレアスの胸にすとんと吸い込まれたのだった。
そして、アンドレアスの唇もまた、ローランの口中に包みこまれて食われるように。
「あ……ふぅ…んぅ……」
初めから舌をからめるような口付け。他人の唾液が甘いなんて初めて知った。ローランだからだろうか?と発情でかすみが掛かる頭で思う。
息が出来ないと、首をふって解けば「ここで息をするんだよ」とトントン、ツンと上がり気味の鼻の先を指で軽くつつかれた。「出来ない」と言ったら、口付けの合間に少し隙間をあけてくれたので、溺れる魚みたいに、はく、はくと息をつく。そのたびに身体の熱も、頭のしびれもさらにひどくなっていくようだった。
首筋に滑り降りた唇にしなやかにのけぞり、吸われて「あ!」と声をあげる。声をこらえるなんて、頭からは飛んでいる。ただただ、男の唇に舌、さらに歯で軽く噛まれて、素直に啼く。
「普段の冷静な君の声も好きだけど、今の声も素敵だ」
「んぁ……っ……も…っ……」
「もっと? 首だけじゃなくて、ここも気持ちいい?」
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