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長い物語の終わりはハッピーエンドで

第9話 王者の竜と女王竜【1】※

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 五百年続く王都の周りはしばらくは田園風景が続き、そして林から深い森となる。

「森が海みたいだ」
「言い得て妙だな。アウレリアの国土は森の中に町々や村々があるようなものだからな」

 それを王都を中心にして放射状に伸びた街道がつないでいるのだと、ヴィルタークは教えてくれた。王都から馬で十日ほど行った先に霊峰オンハネスがそびえ、その周辺の山々が国境線だとも。そこから先にはさらに深い針葉樹の森の国が、その果ては森が途絶えて草原となり、遊牧民族が暮らす土地となるという。
 王都の西には内海と呼ばれるビンネンメーア湖があり、森を大きく切り開いた穀倉地帯が広がると。

 今日はヴィルタークの非番の日で、前からお願いしていた竜に乗っての、森の散歩へと連れ出してもらった。
 ただの散歩ではなく、魔法紋章を回収する目的だったのだが。

「あの場所がいいです」

 昼餉の場所はどこにしようか?と言われて、史朗は指差す。ちょうど森の中にぽっかり空いた空間だ。「いいな」とヴィルタークは同意して、ふわりとギングはそこに降り立つ。先に彼が竜の背から飛び降りて、史朗もまたその手をかりて降りる。

 今日のヴィルタークは非番ということで、いつもの聖竜騎士隊の制服ではない。深い緑の飛竜用マントに、黒いシャツにズボンと、焦げ茶色の飛竜用ブーツ。固い制服とちがって、少しラフな印象の私服も絵になるなぁと思う。

 史朗もまた、初めて飛竜に乗ったときの腰までの短い丈のマントをまとって、シャツに袖無しのジレとズボンの姿だ。靴は飛竜に乗るのと山歩きのために、しっかりとしたブーツだ。
 この服の数々はすべて、ヴィルタークの成人前のお下がりとは……うん、考えないようにしよう。お下がりが不満とかではなく、あれだ、彼が十五歳で成人したってことだし、このお下がりも丈とか幅とか色々つめても……だから、考えない!

「薪を拾ってくる」

 茶道具と茶菓子のはいったバスケットを敷物をしいた上におろして、ヴィルタークが告げる。
 この国の人々はとてもお茶を愛している。それは庶民から貴族まで変わらない。朝の目覚めの一杯に、午前と午後の中休みにも、それから当然朝昼晩の食後にもお茶。
 こんな野外でも、沸かし立てのお湯でお茶を煎れなきゃすまないのが、アウレリア人らしい。

「あ、僕も手伝います」

 なにもかもヴィルタークにやってもらうんじゃと、薪拾いを史朗は申し出る。それに一瞬、ヴィルタークは考え込み。

「あまり遠くに行かないように」
「子供じゃあるまいし、迷子にはなりません」

 史朗はむうっとして答える。別の下心がちくりと痛んだが。

「魔物避けの護符はもっていると思うが、なにか危険を感じたら、すぐにここに戻れ。飛竜がいれば小型の魔獣は畏れて近寄らない」

 ヴィルタークが、しずかにたたずんでいるギングを見て言った。それに史朗はこくりとうなずいた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 王都近隣には、大型の魔獣はまず近寄らず、魔除けの護符があれば、小型の魔獣にも襲われる心配はないと言われた。

 だから、史朗は迷子になるのを承知で、ずんずんと目的地に向かって一直線に歩いた。いや、あれさえ回収出来れば、森の風に聞いて元の場所に戻ることは出来るだろう。少し遅くなって、ヴィルタークに、叱られるかもしれないけど。
 それでもなるべく心配はかけたくないから、早足で歩いて目的地に着いたときに、はあ……と息を切らしていた。これぐらいで息があがるとは、やっぱり鍛えないとな……と思う。
 ヴィルタークには、森の中にある滝が見たいと告げて、そちらに飛んでもらった。ちょうど目標の近くで、お茶の休みをとるだろうと、計算のうえで。

 この世界で魔力ゼロの状態から、徐々に史朗は魔力をためていった。水滴がひとつひとつ、ゆっくり落ちるように、叡智の冠だけの器は小さく、微々たるものであるが。
 それでも、魔法紋章を感知出来る様にはなった。地図に探査の術式を走らせて、正確な位置を割り出せるほど。とはいえ、まだまだ王都近郊のみではあるが。

「あった」

 木の葉をかさかさとかき分けて、碧に光る紋章が見えた。史朗が触れるとすうっと吸い込まれる。

「これで一つ」

 風の魔法紋章だ。結構、あの開けた場所から離れてしまったけれど、あとは風のささやきを聞けば、確実に戻れるはず……と思ったが。

「え?」

 ばさりと大きな羽音。飛竜ではない、巨大な鳥の影が差す。その鋭い嘴とかぎ爪を史朗に向けてくるのに、一目散に駆けようとした。

「はあっ!?」

 ところが、足の下の地面がない。二、三歩かけた先はいきなりの切り立った崖だったのだ。低い茂みがあったせいで気付かなかった。
 とっさに風の浮遊魔法を使おうかと思ったが、魔力が足りないというより、後ろから追ってくるデカい鳥をどうすればいいのか?
 浮かんだ瞬間に、あの嘴か、かぎ爪にやられたらおしまいだ。しかし、このままでも落ちる。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇






 RuRuRuRuRuuuuuuuuuu!

 聞いたことのない楽器?甲高く美しい響きがして、史朗の身体はふわりと浮き上がった。いや、落ちる身体が柔らかななにかに受けとめられたのだ。

「え?ギング?違う!?」

 まっ白な飛竜の背に史朗はいた。黄金の瞳がちらりと自分を見る。
 助かったとは思うが、あのデカい鳥はなおも、怒りを露わにこちらを追ってくる。逃げる飛竜の長首に「うわっ!」と史朗はしがみついた。

 そもそも、なんであんなでっかい魔獣が王都近郊にいるのか?王都には強力な結界が張り巡らされている影響で、まず近隣にも大型の魔獣は近寄らないとヴイルタークは言っていた。魔物避けの護符も、大型の魔獣には効きが鈍いが、小型のものならまずその気配で逃げると。
 だけど、どうみたってあの碧の色の魔鳥は、今、史朗がしがみついている飛竜並にデカい。異常だ。
 いや、あの鳥からなぜかさっき回収した、魔法紋章の魔力を感じるのは……なぜだ?ではない。
 たぶん、魔法紋章に触れてあの魔獣は力を手に入れたのだ。だから、史朗にとられたと怒り狂っている?いや、元々は俺の持ち物だぞ!と獣には言葉が通じないか。

 それより、魔鳥はぴったりと後ろを追い掛けてくる。飛竜の速度なら振り切れそうなものだがと、そこで史朗は自分が原因か?と気付く。
 なにしろ、竜の騎乗の訓練なんて受けたこともない。このあいだと今日だって、後ろでヴィルタークが支えてくれていたから、安心して彼に背中をあずけていたし。
 必死に長首にしがみつく、この体勢では竜も飛びにくいだろう。そもそも、このギングではない飛竜がどうして自分を助けてくれたのか?

 そのとき、竜の声というか、その意思が直接史朗の頭に流れこんできた。
 やっと見つけた、わたしの主!と。

 え?自分がこの竜の主?と混乱してる場合じゃなくて、じりじり距離をつめてくる、あの魔鳥をなんとかしないと、自分だけじゃなくて、この飛竜も傷つく。

 ならばと覚悟を決めて、なけなしの魔力を練って、手元に戻った風の魔法紋章の術式を展開する。短い詠唱で史朗の周囲の空気がするどいかまいたちの刃物となって、魔鳥に向かった。
 ギャアアアア!と鼓膜をびりびり振るわすような悲鳴。両方の翼を切り裂かれた鳥が、落下していく。

 ぜい……と史朗は息をはいて、飛竜の首に顔を埋めたが。

 キエエェエエエッッツ!!

「え?」

 上をみれば、さっき倒したはずの魔鳥がいた。いや、あれよりまた一回り大きく、オスか?と思う。番でいたのか?と。

 もう、術式を展開する魔力はない。
 詰んだ。

 しかし、そのとき横から飛んだ光の玉が、鳥の大きな身体をぶち抜いた。
 そちらを見れば「シロウ!」とさけぶ、ギングにまたがった、ヴィルタークの姿が。いまの光球はヴィルタークが放ったのか。ものすごい威力だ、さすが聖竜騎士だし、こういうピンチに駆けつけてくれるなんて。

「かっこよすぎな……いかな?」

 「シロウ!」とヴィルタークは叫ぶ。しがみついてきた飛竜の身体から、ずるりと落っこちるのに、ギングが飛んで素早く自分の両手でしっかりと受けとめてホッと息を吐いたが。しかし、ぐったりとしている彼の様子に、たちまちその眉間に皺がよる。

 魔力枯渇か?いや、もともと史朗に魔力はなかったはず……。

 だが、彼の様子はどう見てもそうだ。魔力の根元は生命力だ。蓄えていた魔力以上の術を使えば、それは術者の命を削る。最悪、死ぬことさえ。
 回復魔法は……使えない。あれはかける相手の生命力を増幅させるものであって、枯渇しかけている彼の命を繋ぐには別の方法をとるしか。

 体内に直接、魔力を生命力の補給をする。

 ギングはすでにヴィルタークの意思を読んで、すぐに降下、下の森へと。史朗のぐったりした身体を抱えて、飛び降りる。
 自分のマントを脱いで、地面に敷いた。こんな森の中、土の上でなど……と思いつつ、史朗の身体を横たえて、その衣の前を開いた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 自宅の書斎にいたムスケルは、唐突に本から顔をあげて、隣の部屋へと続くバルコニーへと出た。
 田園の向こうに広がる森の一点を見つめて、術式を展開する。遠見の呪文。彼方のものもこれで手元に取り寄せるように視える。頭に直接、その光景が流れこんでくる。

 魔術を使ったあとは、その術式の名残が残る。この世界の住人はすべて軽い魔法程度ならば使えるが、術式展開まで使う高等魔法となると、それが出来、名残が視られるのは魔術師か聖竜騎士か。
 青空に広がる巨大な光の術式は彼がよく知る友人である、ヴィルタークのものだ。全力ではないが、これはかなり派手にぶっばなしたなと思う。奴にしてはらしくなく、相当焦っていたか?と。
 一瞬巨大な魔力がぶわりと、この王都まで届いた。それを感知してムスケルは、このバルコニーに出たのだ。

 だが、ムスケルの気を引いたのは、友人の聖魔法の術式ではない。巨大なそれに隠れて、おそらくムスケルほどの解析力がなければ、わからない風の小さな術式。
 普通ならばこの程度だとかまいたち一つの威力だろう。しかし、この術式は違うとムスケルの魔術師としてのカンが教えていた。
 消えかけている小さな術式をさらに拡大して、その単純でありながら、美しい……そう美しい式こそ正しいと、ムスケルは思っている。ゲッケのいびつな術式など視られたものではない。魔力はあるが、だからあれは次席だったのだ。

 レース編みのような繊細さに、ほうっと感嘆のためいきをついて、次にその細い目をぴくぴくと動かした。本人見開いているつもりだが、開くことがないのがこの細目だ。

「なんだこれは……」

 こんな展開など視たことはない。これだけ小さくて簡略化されながら、これは最小の魔力で最大の威力を発するものだ。およそ一滴も魔力の無駄はない。
 普通ならばかまいたち一つ。だが、これはおそらくかなりの数。
 先のヴィルタークがぶっ放した光の魔術並の効果とはいえないが、おそらく、巨大な魔獣に致命傷を与えるには十分。

「おもしろすぎるぞ」

 ムスケルはわくわくした表情を浮かべた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇






 すごく身体が冷たくなって、寒いと思ったのに、すぐに身体が温かくなった。
 ぽうっぽうっと身体の外からも、うちからも熱が灯る。

「んうっ……」
「シロウ、気がついたか?」
「ヴィルターク…さ…ん……あ…ふぅっ!」

 口づけられた。それは、一度唇を触れあわせただけじゃない。舌を絡めた深いもので、その口中からもふわりと熱がふきこまれる心地よさに、史朗は目を細め、そして濡れた音を立てる下肢をゆっくりゆらされて、男の口中に「ふぅんっ……」と甘い声をひびかせる。

「ヴィル……ターク…さ……」
「ヴィルでいい」
「ヴィル……?あ…あっ!」
「そう、いい子だ、シロウ」

 男の大きな手が背中から脇腹をなぞるのも心地よい。どこもかしこも熱くて……。
 ヴィル、ヴィルと繰り返せば。
 シロウと甘く呼ばれた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 庭先にギングともう一つの影が降り立ち、ずいぶんと早いご帰宅であるとクラーラは感じた。なにかあったのか?と玄関ホールでお出迎えすれば、この屋敷の主人の腕に、先日保護された少年がぐったりと身をあずけ、目を閉じていた。今の自分が世話を任せられている方だ。

 旦那様がとてもとても大切にされている。

 「シロ様!」と思わず声をあげればヴィルタークはこちらに視線を向けて、「大丈夫だ」という。

「魔獣に襲われたが怪我はない。ただ魔力枯渇をおこしたので、応急手当をした」

 これはクラーラではなく、傍らのヨッヘムに向けてだ。魔力枯渇という言葉に息を呑む。この世界では気軽な生活魔法ならば誰でも使えるが、だからこそ、魔力枯渇がどんなに恐ろしいことか、一番最初の魔法の授業で先生からたたき込まれるのだ。
 もっとも、魔術師達が使うほど高度な魔法でもなければ、命に関わるほどの枯渇は起こらないとも知っている。疲れているのに無理して生活魔法をつかえば、一晩から数日寝込むぐらいだ。

 本当にシロ様は大丈夫なのだろうか?とクラーラはヴィルタークの腕の中、身体はマントにすっぽり包まれて、唯一のぞいている白い顔をみる。それも前髪が顔の半分を隠していてわからない。
 ただ、ちらりと見えた首筋に赤い痕が点々と見えたような。

「湯浴みの用意を、俺がいれる」

 ヴィルタークの言葉に「承知いたしました」とヨッヘムが答える。史朗を横抱きにしたまま、ヴィルタークは広い浴場に。それでもお世話を手伝おうと、あとを追ったクラーラ以下のメイド達に、脱衣所の入り口で「誰も入るな」と今まで聞いたことのない厳しい声で命じて、行ってしまった。

 ヨッヘムだけが冷静で「お二人が出られたあとの用意を」と命じられて、おろおろするばかりのメイド達は、タオルやガウンなどを取りに散っていく。
 さらには「旦那様の寝室に軽食を運んでおくように」とも他の者に命じていた。それにクラーラは「ではシロ様のお部屋にも……」と言いかけたがヨッヘムが「そちらの必要はないでしょう」と返す。

「おそらく旦那様はシロ様をご自分の寝室にお連れになるでしょうから」
「はい……?」

 え?それってどういうこと!?と不覚にも頬を赤らめたクラーラは、己を不謹慎であると叱咤した。本来ならばシロ様のお身体のことを一番に心配すべきなのに。まして、メイドの立場でお仕えする方々のことをあれこれ、憶測するなど。
 それにヨッヘムが「クラーラ」と若いメイドに労るような声をかける。

「はい」
「お前の大切なお役目は、明日の朝、旦那様のお部屋にシロ様のための、目覚めのお茶を届けることだ。シロ様の好みは、この屋敷でお前が一番わかっているだろう?」
「はい、かしこまりました」

 史朗の好みはミルクはたっぷり、蜂蜜もいいが、カエデの木からとれるシロップがより好きだ。甘すぎてはいけない。ミルクの甘さとあいまってほんのり感じる程度。

 しばらくしてヴィルタークが相変わらず、意識のないままの史朗を横抱きにして出てきたが、その顔色がほんのりとよいのにホッとする。ヨッヘムの言葉どおり、ヴィルタークは自分の寝室へと彼を連れて行ったけれど、それはとてもとても愛おしそうにその顔を見つめ、大切な宝物のように抱いて。
 その様子にどこかホッとしているクラーラの耳に「明日はご朝食もベッドに届けたほうがよろしいようですな」というヨッヘムの声が聞こえた。続けて。

「ミルクと蜂蜜の粥ですかな」

 それにえ?え?とクラーラは思う。
 その麦粥は、初夜あけの新婚夫婦のベッドに運ぶものでは?
 やっぱりそういうことなのですか?ああ、旦那様とシロ様のご生活のことを想像するなんて……と、クラーラは赤い頬を押さえた。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇






 ぽかぽかと日だまりのような、ここちよい温かさに、史朗の意識は浮上した。
 この枕少し固めだけど、弾力があっていいな……なんて、手をぺたぺたさせていたら、上から「おはよう」という声がした。

 見上げれば、こちらを優しく見るヴィルタークの整った顔があった。いつもはきっちりあげている前髪が降りていて、二十五歳の年相応の青年の顔に、ドキリとする。

「おはようございます」

 挨拶されたのだから挨拶で返すべきだろう。しかし、その直後に自分が枕にしていたものが、なにか気付いて、史朗はヴィルタークのその胸板に手をついて起き上がろうとして、顔をしかめた。

「痛っ……」
「急に動くな。丁寧にはしたつもりだが。回復魔法を使うには、お前の身体が心配でな」

 腰のわからない鈍痛に顔をしかめて、倒れこんでくる史朗の身体を受けとめて、ヴィルタークはそっと、その身体を横たえてくれる。彼はそのまま寝台から降りると、なにも身につけてなくて、綺麗に筋肉がついた背に、野生の獣みたいだと見とれ、同時に自分も裸だと気付いて、史朗はうろたえて上掛けを引き上げて顔を隠した。

「ん?まだ寝るか?」
「いえ、もう起きます」

 眠たくはないのだ。「そうか」と彼は応えると、裸の背にガウンを羽織る。と見計らったようにノックの音が。

「ああ、ここでいい」

 扉を完全に開かずに、ワゴンだけ受け取って、湯気の立つカップを手に、ヴィルタークがやってくる。

「目覚めの一杯をどうぞ」
「ありがとうございます」

 身を起こすと、肩にガウンがかけられて、背中にクッションを積まれて、それに寄りかかりながら、ソーサーごとうけとったお茶を一口。
 ほんのりと甘い、あ、これはクラーラが煎れたなとわかる。

 それから、そのあと皿に二口分ほど盛られた白い押し麦の粥が出てきた。ヴィルタークが銀のスプーンですくって、あーんされるがままに食べる。それに思わず史朗は顔をしかめた。
 予想以上に蜂蜜たっぷりで甘かったからだ。え?なんでこんなに甘いのと思う暇もなく、ヴィルタークにスプーンを握らされて、まあ、もう一口だし……とすくって食べようとしたら、その手をがしりと掴まれて、横からパクリと。

「あ……」

 ごくりと男らしい喉仏が動くのをぼかんと見る。眉間に皺がよって「ん、甘いな」なんて苦笑してる。ヴィルタークは甘い物が苦手はずなのに、なんで食べたんだろう?そんなにお腹空いたのかな?と首をかしげていると、銀の盆に載せられた色とりどりのサンドイッチが出てきた。

 それをベッドに腰掛けたヴィルタークと、一緒に食べる。ベッドの上で食事なんて行儀悪いかな?と一瞬思ったけれど、侯爵様がそうしてるんだし、いいんだろう。ハムとチーズと新鮮なレタスのサンドが美味しい。
 ヴィルタークの食べっぷりもまた、やっぱり大口開けて豪快で、しかし、綺麗な所作なのだった。
 銀の盆の大半は彼の胃の中に消えたが、史朗もお腹いっぱいだ。ミルクも甘みもなしの食後のお茶をふうふうと頂いて、そこで、はたと気付く。

「えーと、僕は昨日どうして?」

 なんで二人とも裸?と目覚めてすぐ聞くべきだったけど、ヴィルタークがあんまり自然な態度で、いつもどおりに朝のお茶が出てきたから……ごまかすつもりは、彼だからないんだろうけど。
 どう考えても、これは彼と、し、しちゃった?かああっと真っ赤になった史朗の、子供っぽい丸い頬にヴィルタークの大きな手が包み込むようにあてられる。

「お前は昨日、魔力切れを起こしたんだ」

 なるほど、たしかになけなしの魔力を練って放った風魔法からのあとの記憶が曖昧だ。あのあと、あのデカい鳥がもう一羽襲ってきて、そこにヴィルタークが助けにきてくれて、聖魔法の強力な光の矢で一撃……はかっこよかったな……と。

「生活魔法を使用した軽いものなら、三日ほど寝込めばおさまるが、お前のそれは命に関わるものだった。回復魔法も本人の生命力を使っている以上、使う事は出来ない」

 こくりと史朗はうなずいた。それはわかる。回復や癒しというのは、その対象の生命力に頼るものだ。定命は覆せない。

「それで魔力補給をすることにした。緊急を要したために、お前の了解も取らずに肌を合わせた。すまない」

 それで了解した。魔力補給の方法を。
 自分が賢者となった時代には、すでにその方法は廃れていたというか、封印されていたが、性魔術というのがあって……と再び、史朗の頬は熱くなる。
 魔力があろうとなかろうと、人の体液というのは魔術の材料となる。たとえば血や精液。それだけ、たっぷり魔力を含んでいるということで、それを直接自分の身体に……。

「い、いえ、謝ることはありません。命を助けてもらってありがとう、ご、ございます?」

 なんか語尾が疑問形になってしまった。いや、感謝してる。形はセックスだけど、あ、あれは治療だ。

「いや、そうではあるが、違うな」

 まるで、史朗の心の声が聞こえてたみたいに、ヴィルタークが言った。彼は憂い顔で、おろした前髪かきあげて、こちらに視線を向けるのにとくんと心臓がはねた。いい男の眼差しは心臓に悪い。

「緊急事態の治療だったが、それだけではない。お前を好きだからだ」

 え、好きって、好きってどういう意味と、史朗が混乱する間もなく。

「愛してる」

 誤解しようもない言葉と、熱いまなざし。え?え?と混乱したままの史朗は「ヴィルタークさん」と彼の名を呼んだ。

「違う」
「え?」
「ヴィルだ。昨日呼ぶように言っただろう?」

 髪をかきあげた手とは、反対側の右手は史朗の熱くなった頬にあてられたまま、するりと指先がそこまで赤くなっているだろう、耳たぶを挟むように触れる。ぴくんと肩がはねた。

「ヴィルさん?」
「そうじゃない、ヴィルだ」

 さんもとれなんて……と戸惑っていると、するりと降りた手に敏感な首筋をなぞられて、さらには近寄ってきた端正な顔に、かしりと軽く耳を甘噛みされる。

「や、やだ!ヴィル!」
「それでいい。敬語も無しだ」
「え?」

 ふわりと唇に触れるだけのキスをして、ヴィルタークは離れた。寝室の扉に手をかけて振り返り。

「返事はゆっくり考えてからでいい」

 そう告げて、出て行った。
 返事、返事って?と史朗はこてんと首をかしげた、もう一度こてんと反対側に首をかたむけて、かあっと頬を染めた。
 好きだどころか、愛してるとまで言われたのだから、どういう返事かなんて、一つしかないじゃないか!

 しかし、今の史朗にはどう応えていいのかわからないのも事実だ。ノリコと共に元の世界に戻るのか?それとも別の世界に再び旅立つのか?
 ヴィルタークの想いに応えたのなら、ここに残ることになるのか?

 治療のためとはいえ、触れられて嫌じゃなかったことは確かだ。嫌悪感なんていっさいない。むしろ、触れられて心地よかった……なんて、昨夜のおぼろげな記憶が浮かびあがってきて、史朗は沸騰しそうな頭を抱えた。
 彼は大人でとってもいい人だ。優しくて、心もなにもかも大きくて……そして。
 返事はゆっくり考えてからでいいと……ずっと待ってるって意味だろうか?
 答えを急かすようなことは、絶対しないだろう。そこが大人の男の余裕なのか、それとも、そのあいだに、さらに甘やかされたら、なんだか、とろとろの蜜に溺れたみたいに逃れられなくなってないか?

「大人って、ずるくない?」

 ぽつりとつぶやいた。




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