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長い物語の終わりはハッピーエンドで

第2話 よばれてない【2】

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「おはようございます」
「あ、おはようございます」

 寝台から身を起こすと、天蓋のカーテンがうすく開いて昨夜のメイドが顔をのぞかせた。史朗の目覚めを確認してから、カーテンの左右の紐を結ぶ。
 そして、寝台から身を起こし、ふかふかの枕にいくつものクッションを背にして、出されたのは温かな飲み物。香り高い茶葉の香りにミルク。ほんのり甘い味がした。

「お風呂をご用意いたします。湯浴みされないまま、お休みになられましたから」
「はい」

 柔らかな物言いではあるが、そこには有無を言わさない響きもあった。たしかに昨夜、いきなり異世界から召喚されて、そのまま寝てしまったのだから、きちんとした貴族の屋敷の使用人としては、客人の身を清潔に保ちたいだろう。
 バスルームは寝室の隣にあった。脱衣所と浴室は分かれておらず、ついたてで仕切られた前にチェストと、その向こうに金色の猫足のお姫様がはいるようなバスがあった。

「使い方はわかりますか?」
「わかると思います」

 扉の向こうでかけられた声に返事をする。
 花の香りがする泡でみたされた風呂で身体を洗い、浴槽の栓を抜いて、シャワーの蛇口をひねり、泡を落とす。ついたての横のチェストに置かれていた大きくてふかふかのバスタオルでしずくをぬぐい、ガウンに袖を通し「さっぱりしました」と扉から顔を出せば「こちらに」と小卓の前の椅子を勧められて、腰掛ける。

「失礼しますね」

 まだしずくの垂れる髪に「床が濡れるから、よく拭きなさい!」という母親の小言を思い出して、しまった!と思うが、昨夜から世話してくれたメイドはそんなことは言わず、新たなタオルで髪を包み、そして小さく呪文を唱えた。
 布の中でふわりと温かななにかに包まれたと思うと、それがはずされて髪はすっかりふわふわに乾いていた。

 なるほど風魔法か?と史朗は、妙に感心した。この世界では、このようなちょっとした生活にも気軽に魔法が使われているらしい。
 前世の賢者の世界では魔法は、ごく少数の者しか使えなかった。そもそも生活に回すような余裕もなかったが。
 また、この世界では魔道具も発達しているらしい。常にお湯が出るシャワーなどそうだろう。ただし科学技術は発達していないようだ。人々の服装や宮殿にこの邸宅の様式からして、生活の程度は中世から近世程度。

 史朗はガウンに包まれた己の身体を見下ろした。賢者であった前世と、まったく体格は変わらない。相変わらず細く薄っぺらだ、肉体労働などカケラもしたことのない身体。
 背の高さも165センチ……これも前世と一緒か。日本人の男子としては平均から“少し”低いといいたい。前世の世界の人間は、昨日見たこの世界の人間達と同じく、欧米人並の体格が平均であったから、みな見上げるほど背が高く……いや、気にしてなどいない。気にしてなど……大分気にしていた。でも賢者として、そんな些末なことはまったく気にかけていない“フリ”はしていたが。

 乾かした髪にブラシをかけてメイドは「つやつやで、真っ黒なお髪(ぐし)ですね」と褒めてくれた。「どうも」と答える。中学からの引きこもりだ。髪を染めるはずもなく、結ぶほど伸ばしもしないが限界になった頃に近所のショッピングセンター内にある、格安カットに通っていた。
 そういえばそろそろ行こうか?と思っていた頃だったなと……己の鼻先を過ぎたあたりまでのびた前髪に思う。顔半分を完全に隠している。
 もっとも前髪はあまり切らないように、注文はつけていたけれど。常に母親譲りの大きな目を隠すように。
 「お着替えはこちらに」と小卓の上に服を置かれた。

「わたくしはお部屋の外に控えておりますので、着替えられたら、お声をおかけください」
「はい」

 自分が他者に肌を見られることに抵抗があるのだと、昨夜と今朝の短いやりとりで察したのだろう、メイドは扉の向こうに消える。よく気遣いが出来る娘だ。
 渡された白いシャツに袖無しのジレ、黒いズボンに着替えた。シャツの衿元や首筋がひらひらしてるのは、こちらの様式だろう。扉の向こうに声をかければ、再び入ってきた栗毛のメイドが「失礼します」と少し乱れていた衿元を整えてくれた。

 先に立つ彼女について階段を下りて、長い廊下を通り二階の食堂に案内される。昨夜、史朗が眠った部屋は三階にあったようだ。昨夜は異世界に召喚されて、やっぱり混乱していたのだろう。案内されるがままだったから、どこをどう通ったのかも覚えていなかった。
 天井までの大きな窓に差し込む朝の光。「旦那様、お客様をお連れしました」と声をかけられて、彼が顔を上げる。史朗は思わず男に見とれた。いや、昨日初めてあったときも、自分の気持ち悪さも忘れて凝視してしまったけれど。

 黒に近い褐色の前髪をあげた額に、ちょっと浮かんだ眉間の皺とひと筋かかる前髪さえ美しい。女性的ではけしてない。男性的そのものなのに、相当な美女でも気後れしそうな美貌だ。
 昨日は顔だけしか見られなかったが、その首から下も、広い肩幅に厚い胸板。たくましいが、俊敏に動くためにつき過ぎてもいない実用的な筋肉が、腰丈の上着の固い布越しからも見てとれた。詰め襟で胸の中央に銀糸で翼ある竜の紋章が細かく刺繍されていた。同じ濃紺色のズボンはゆったりとしたもので、膝まである黒いブーツをはいた足はすらりと長い。

 男は立ち上がり。

「ヴィルターク・ジグムント・ゼーゲブレヒトだ」

 自分よりも二十センチは高いだろう彼をぽかんと見上げた史朗は、名乗られたことに一瞬後に気付いて、慌てて口を開いた。

「佐藤史朗です」
「サトウシロウ?」
「えーと、史朗が名前で、佐藤が姓になります」

 昨日から分かっていたことだが、言葉がごく自然に通じる。それは一緒に召喚されたあの娘もそうだろう。
 というより、これは史朗の手元に残った唯一の力である、叡智の冠のおかげだ。賢者となる者に生来備わっている力で、魔力消費もなく、己の身体能力の一部なので切り離す必要はなかった。
 その能力は一を知れば十を知る。この場合はどんな世界の言葉もわかるということになるが。
 だから、ついでにあの娘にもつけておいてやった。いきなり異世界に放り出されて、言葉も分からないんじゃ、さらにパニックになるだろうと。展開した術式をバラバラにしながら、さらに加護を付与するなど、我ながら良い仕事をしたと思う。 

 そんなことを思いながら、男が椅子を引くままに大きな丸いテーブルの食卓に腰掛けた。彼は自分の座っていた椅子に、長い足を組んで再び座る。
 この家の主人が椅子を引いてくれるって、これは最上級のもてなしじゃないか?と気付いたのは、席につくと同時に、目の前に出された朝食を見たあとだった。

「食べながら聞いてくれ。返事はいい」

 史朗はうなずいて、まずは皿に盛られたパンに手を伸ばした。焼き立てのそれを手でちぎって一口。なにも塗らなくても美味しいが「岩塩のバターを少し、赤いオランジュのマーマレードとよく合う」と男が言うだけでなく、皿からとって塗ってくれたので、それを一口食べると本当においしかった。
 パンの他に黄色のオムレツにかりかりのベーコン。添えられている色とりどりの温野菜の一皿。
 こういうまともな朝食は、何年ぶりだろうか?と思う。主食はお菓子だったし。

「お前……いや、貴殿は異世界に召喚された。これはわかるな?」

 返事は返さなくていいと言われていたが、絶妙なとろとろふわふわぐあいのオムレツをのみ込んで、史朗は口を開いた。

「お前でいいです。僕は昨日からあなたに世話になりっぱなしですから」

 おそらく彼が、その相手に“貴殿”なんて呼びかけるのは、そうとう身分ある人物だろう。
 異世界から、しかも本命ではなく、その余波で召喚されたオマケの若造など、お前で十分だ。それに男はふ……と微笑して「助かる」とひと言告げる。

「ここはアウレリア王国。その王都だ」

 もぐもぐ、あいかわらず口をうごかしながら史朗はこくりとうなずいた。このカリカリベーコンはうまい。今まで食べたなかでは一番かもしれない。添加物なんてナッシングだろう本格派?はやはり違う。

「この国は今、第三王国期で何度目かの危機にあるとされている」

 ヴィルタークの言い方はどこか他人事だ。自分はそう思っていないが、周りは騒いでいるという風な。
 第三王国期?と気になったが、今はそれより召喚の話しを優先させるべきかと、史朗はコクコクうなずいて、先をうながす。

「そのような危機には度々、女神の使いたる聖女が現れ国を救ってきた。このたびの聖女は異界にいるとの女神の神託を受け、宮廷魔術師と神官達が総力をあげた召喚の儀に、お前は巻き込まれた」

 あの滅茶滅茶な召喚式を展開した魔術師達の未熟さには、三日三晩説教したって飽き足らないと、史朗は内心で腹を立てていた。そのせいで危うく、二つの世界の街が吹っ飛ぶところだったのだ。いや、吹っ飛ぶ原因は史朗の魔力が膨大すぎたのか?いや、やっぱり未熟なあいつらが悪い。
 とくにあの赤いローブの、自分のことを魔力無しのクズとまで言った。あいつ、絶対、風魔法を込めたデコピンで山の向こうに飛ばしてやる。

「お前を元の世界に戻す方法だが、残念ながら、今のところない」

 ぐだぐだ周りくどい説明もなく、ここはどこなのか?どういう事情で自分がこの“事故”にあったのか。さらに元の世界に帰れるのか帰れないのか、一番知りたかったことを、いたって簡潔にヴィルタークは説明してくれ、史朗はまた、こくこくとうなずいた。
 自分はよい人物に保護されたのだろう。あの宮廷魔術師長官だったか?の言動と、彼の他に自分に無関心な貴族達の様子からして、城の外にそのまま放り出されていた可能性だってあった。
 それこそ、今日の食事と寝床に困る有様だった。

 とはいえ、これは言いたい。

「これ、あちらの世界では“拉致”という犯罪なんですけど、こちらでは違うんですか?」
「人さらいは立派な罪だ」

 正直に認めて「すまない」と頭を下げる彼は、本当に立派な人だと思う。なので「頭をあげてください」と史朗は言う。
 『あなたのせいではない』とは言わない。国政に関わる人間ならば、その責任はある。それを感じたから、彼はここに自分を連れてきてくれたのだろう。

「元の世界に返せない代償にもならないが、お前の願いは、私の出来る範囲でなるべく叶えよう。もちろん、衣食住の心配はしなくていい。
 とりあえずの希望はなんだ?」

 頭をあげた彼が訊く。とりあえずの希望なんて、史朗には決まっていた。

「身体を鍛えたいです」
「は?」

 男が目を丸くするが、史朗にとっては一番重要なことだった。
 バラバラにした術式とともに六つの魔法紋を取りもどすには、まずはこの身体を“人並み”に鍛える必要がある。中学時代から数年間引きこもり続けた、運動なんてしたことのない身体を。
 実のところ、術式を分断する必要があったのはこの身体のせいもある。いきなり蘇った記憶と膨大な魔力に、ひ弱な身体が耐えられなかった。
 とはいえだ、それだって術式を展開し、もとの世界を戻るには瞬き一つほど耐えればよかった。あの滅茶苦茶な召喚式でなけば、双方の街が吹っ飛ぶなんてこともなかったから、やはりあの真っ赤なローブのへぼ魔術師が……(以下略)。

「身体が弱いのか?」

 目の前の男、ヴィルタークが心配そうに見る。史朗は首を振った。

「病弱ではなく、単純に体力がないんです」

 そう持病などない。ただ、この身体はひ弱なのだ。お手軽ハイキングだって、十分たらずで休憩を取りたくなるほどの。

「なので、衣食住の保証は感謝します。あとは歩いたり走ったりして、自分でなんとか出来ると思いますから」

 おそらくはこの屋敷には数日の滞在で、その後は町屋の部屋(アパルトマン)を一室提供されるか、それともこぢんまりした一軒家を家政婦付きでもらえるか、そのあたりだろうと思っていた。それぐらいの生活費ならば、これだけの邸宅を構える男の懐は、みじんも痛むまい。
 が。

「鍛錬が必要ならば、しかるべき教師をつけよう。今日はこの屋敷の案内と庭の散策だけでも、十分な運動になるはずだ」

 「クラーラ」と名を呼ばれて「はい、旦那様」と後ろに控えていたメイドの一人が一歩前に出る。それは昨日から史朗の面倒を見てくれている彼女だ。

「昨日からだが、これからお前付きのメイドとなる」

 史朗は長い前髪に隠れた目を見開いた。自分付きの世話係なんて、つまりはこの屋敷にずっと置いてくれるということか?
 さらには「ヨッヘム」と呼ばれて、後ろになでつけた頭髪も整えた鼻の下の髭もまっ白の初老の男性が出てきた。昨夜、玄関で迎えてくれた執事だ。要望ならば彼に告げるように言われて、史朗はこくりとうなずいた。

「ああ、時間だな。少し遅くなったが」

 彼が視線を時計に向けた。振り子時計に見えるが、その振り子の部分が、クリスタルで出来ており、ほのかな蒼に輝いている。これは魔導具だ。

「これから王宮に向かう。今日はなるべく早く帰るつもりだ」

 自分に向けられた視線に、史朗は自然に口を開いていた。

「いってらっしゃい、ヴィルタークさん」

 昨日からこの屋敷の居候の自分が“いってらっしゃい”でいいのだろうか?しかし、早く帰ると言われて返す言葉は、これだろう。
 ヴィルタークは老執事に肩からかけてもらったマントの紐を結ぶ手を止めて、こちらを見る。

「いってくる、シロウ」

 史朗は目を見開いた。自分の名だ。だけど、こんな風に言ってくれると思わなくて、ぽ……と胸が熱くなった。……だけでなく、なんか切ない。

────なんだ?

 憶えのない感覚だった。前世の賢者においても。

 HOOOOOOOOOON!

 そのとき、ホルンのような音が響いた。「催促が来た」とヴィルタークが苦笑すれば「ギング様は時間に正確ですから」と老執事が答える。
 そのとき、食堂の天井まである窓に大きな影が見えた。鳥?と思ったがあまりにも大きすぎると思ったのと同時に、窓から見える緑の芝生の庭に降り立った姿に、史朗は目を見開いた。

「竜……?」

 それは白く大きな翼を持つ飛竜だった。
 食堂から、男性使用人を一人後ろに連れて、出て行ったヴィルタークの姿が、再び庭へと現れる。彼は竜へと歩み寄って、愛馬にするようにその長い鼻面を優しく撫でて、二言三言話しかけると、竜の背にひらりとまたがった。
 背には鞍はなく裸で、また手綱のように制御するものもなかった。しかし、竜は乗り手の意思がわかっているように、上空に舞うと旋回し、庭の向こうの森に見える、いくつもの尖塔が目立つ王城へと飛んでいった。

「旦那様は聖竜騎士団の団長でございます」

 その様を食堂の窓越し見送った史朗の後ろから話しかけたのは、執事のヨッヘムだ。

「竜騎士、なるほど」

 たしかにあれは竜で、それに乗れるならば騎士だ。だが、次の疑問がわく。

「聖とはなんですか?」

 まあ、たんなる飾りについている場合も多い。聖なるとつけば、なんだって高尚に見えるのだから。

「聖魔法の使い手であり、飛竜と心を通わすことが出来る者。それが聖竜騎士にございます」

 なるほどなるほど、ならば昨日の癒しの波動はその聖魔法。自分達は白魔法とも光魔法とも呼んではいたが、とりあえず、回復や蘇生系のものだろうと史朗は理解した。

「こちらはゼーゲブレヒト侯爵家の王都の本宅。旦那様は五十五代目のご当主に当たります」

 ヴィルタークは自分の名だけを史朗に名乗った。聖竜騎士団長とも、自分が名門の侯爵家の当主であると、その地位など語らなかった。
 それだけで地位や身分にこだわらない開明的な人物だとわかる。異世界からおまけで迷い込んだ、人間にも親切にしてくれた。
 自分の身分や地位にも頼ることはない。己自身の力に絶対の自信があるだろう。たぶんそれは傲慢ではなく、地に足をしっかりつけたものだ。

「ヴィルタークさんって、すごい人なんですね」

 史朗の感想はこうなる。




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