ウサ耳おっさん剣士は狼王子の求婚から逃げられない!

志麻友紀

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1巻

1-2

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 ノクトは静まり返った空間で、スノゥに視線を送った。

「神託に間違いはないとわかっている。だが、お前の請求する金額通りの価値があるのか、試させてもらう。傭兵の値段はその強さで決まるからな」

 勇者の旅路に金を要求するならば、それは勇者の仲間ではなく傭兵だというわけだ。
 スノゥは白い肌にやけに目立つ赤く薄い唇をゆがませ、愉快そうに微笑んだ。

「それなら、王子様自ら俺の値段をつけてくれるかい?」

 さっき貴族達が金で買える男娼だと揶揄したのに引っかけて、スノゥはノクトを挑発した。
 男娼にしろ傭兵にしろ、人を金で買うのは一緒だ。
 自分の強さを知りたいのなら、あんた自ら俺と戦ってみろよ、勇者様……と。

「わかった。勇者の傭兵に相応ふさわしいか試してやろう」

 うなずいたノクトは「結界を」と青年神官に言葉をかける。

「わかりました」

 うなずいたグルムが神聖呪文を唱えれば、二人の周囲はたちまち結界に包まれた。それを創り上げた人物の実直さを表すように、きっちり四角形の強固な結界だ。
 これならば、勇者とコロシアム荒らしの双舞剣士が多少暴れたところで、玉座の間には傷一つつかないだろう。
 ノクトが腰の剣を抜き、スノゥも腰の左右につり下げた双剣を抜く。ノクトの剣が長剣なのに対して、スノゥの剣は三日月型の短剣だ。
 まずは小手調べとばかり、スノゥはトントンとステップを踏んで、足に疾風をまとうとノクトの懐に飛びこんだ。あまりにも素早いせいで、結界の外から見ていた観客達にはスノゥがその場から消えて、次の瞬間にノクトの目の前に現れたように見えたほどだ。
 だが、それに惑うノクトではなかった。スノゥの動きを読んでいたかのように、長剣が横に払われる。
 スノゥはしなやかに仰け反り、それを避けたが、さらに先読みした剣がするするとスノゥの喉元に伸びてくる。それを右の短剣ではじく。ずっしりとした重さに、スノゥはかすかに顔をしかめた。
 そのままくるりと宙で一回転して、後方に着地して距離をとる。
 やはり勇者、舐めてはいなかったが、やばいな……とスノゥは思う。
 こんな重い剣を受け続ければ、その負荷が腕に蓄積する。戦いが長引けば長引くほど、膂力りょりょくには劣るこちらが不利だ。
 距離をとったスノゥの口から旋律がこぼれる。流れるようなそれに、観客達はこれが戦いだと忘れて聞き入ったほどだ。たった一節で終わったが。
 歌うのと同時に、全身に力がみなぎり、スノゥは双剣を再び振るった。これで相手の重い一撃の一撃を受けとめ、耐えることが出来る。そして自らの双剣を押す力も彼には及ばずとも強くなった。

「なるほど、それがうたいと舞の強化か。見事だ」

 スノゥがなにをしたか、読み取ったノクトがその銀月の目を細め、ナーニャの名を呼んだ。

「はいはい強化には強化を。片方だけなんて不公平だもんね」

 リンクスの少女は杖を構えて呪文を唱える。杖から飛んだ光がノクトの身体に吸い込まれて、彼の身体が強化されたのがわかる。

「やれやれ、魔法使いの嬢ちゃんの力を借りるかよ!」
「彼女はすでに勇者の仲間だ。助力を頼んでどこが悪い?」
「悪くねぇ!」

 実際の戦いとなれば卑怯もなにもない。勝ったほうが正義なのだ。元々の身体能力にくわえて、魔法で強化された二人は結界内で激しく戦いあう。たった一歩の踏み込みからの床の蹴りで、相手の目前に迫り、得物を叩きつけ合った瞬間に火花が飛び散る。大きく飛び上がった二人は玉座の間の高い天井近くで交差し、さらに結界の壁を蹴って、空中で再び交差した。
 そんな二人の動きを視認出来るものは少ない。
 多くの廷臣達は「なにが起こっている!?」と激しく疾風と閃光が放たれる結界内を見つめるばかりだ。一方、二人の動きがわかる近衛騎士達は青ざめていた。魔法強化された軍服をまとっていても、あの嵐のなかに飛びこめば無傷ではいられないだろうと。

「くっ!」

 結界を張り続けているグルムは額に汗をかいていた。二人が同時に蹴った結界の側面が激しくたわむ。それに「情けないわね!」とナーニャが杖を振りかざし、グルムの結界の上からさらに網目状の雷光の結界を張り直す。輝く結界に周囲がどよめいた。
 しかしその瞬間、結界のなかで二人が宙で剣を大きく振って、互いに神速のかまいたちを飛ばした。かまいたちが二重の結界の壁にぶつかる。

「ぐっ」
「キャア!」

 グルムのこめかみに一筋汗が流れ、ナーニャが思わず声をあげる。情けない悲鳴をあげた少女は、頬を赤らめてかたわらの立派な鹿の角を持つ老賢者に噛みついた。

「もう、ノクトったら『試す』なんて言っておいて、すっかりあの兎男との戦いに夢中じゃない!」
「久々に互角に戦える相手に会ったのだ。品行方正な王子が多少やんちゃになるのは仕方あるまい?」
「やりすぎよ! このままじゃ、玉座の間が壊れるわ!」

 顎髭に手を伸ばし、ほうほうとふくろうのように笑うモースに、ナーニャはキィキイと文句を言った。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 剣を一合、二合、三合と重ねれば、相手の強さがわかるというものだ。
 ノクトとスノゥの口許にはいつのまにか、うっすらと笑みが浮かんでいた。対等に戦う相手に出会えたよろこびからだ。
 二人はいつのまにか時を忘れて、剣を重ね続けていた。
 どれだけの全力を繰り出しても、相手が痛快に跳ね返してくる。これは楽しい。
 スノゥが双剣を広げて、羽ばたくような仕草で無数のかまいたちを繰り出せば、ノクトが剣の一振りで消滅させる。次の瞬間にはぐんと踏み込まれて、スノゥの額に剣が迫る。それをスノゥは重ねた双剣でがっちりと受けとめて、ぎりぎりと力比べとなる。

「ははは」

 体格的にも力的にもスノゥには不利だ。しかし、じりじりとされながら、スノゥはついに声をあげて笑った。戦いに高揚し、石榴ざくろの瞳がさらに赤みを増す。

「さすが勇者様。こんな最高の戦い、なかなかねぇな」
「お褒めにあずかり、光栄の至り」

 そんな芝居がかった返しにスノゥは噴き出しながら、ノクトのすねを蹴り上げようとしたが、気配を先読みした彼はすっと後ろに退く。
 スノゥの足が宙を切る。ノクトが後方へと空中で一回転して跳ぶのを見て、スノゥもノクトから距離をとる。そして、二人の視線が絡まりあい、引き寄せられるように互いの領域へと踏み込む。闘気を練り、最大級の一撃を繰り出そうとしたそのとき。

「それまで!」

 声が響き、二人の間にはズン!と分厚い石の壁が落ちた。正確には、石の壁ではない。結界があまりに強固なせいで物質化して見えているのだ。
 スノゥとノクト――二人の視線が、結界の外に向く。

「このままでは玉座の間どころか、王城が壊れるのでな。二人とももう十分にお試ししたじゃろう?」

 老賢者モースの言葉に二人は互いを見やる。

「それで俺は合格かい? 勇者様」
「ああ、お前にはガトラムル白金貨一千枚の価値は十分にある。お前こそ俺達の旅に同道してくれるな?」
「俺はもらえるもんもらえるなら十分さ」

 スノゥは素っ気なく答えた。しかし、心のどこかで自分と対等に戦うことが出来るこの青年との旅に、久々に沸き立つような気持ちを感じてもいた。



   第二章 うまい飯と偽善と、結局あなたイイ人じゃない?


 サンドリゥム王国の北の辺境に発生した災厄は、大樹の形をしている。王都から馬で五日、転送なら一瞬の距離にせよ、勇者と選ばれた仲間達で行って簡単に倒せたら苦労はしない。
 災厄を切り倒せるのは、聖剣をたずさえた勇者のみと決まっている。そしてその聖剣の素材を大陸各地から集めねばならない。この素材が、その代その代の勇者によって違うというからやっかいなのだ。それも夢見のお告げによって、一つ一つ集めなければならない。
 かくして聖剣探査の旅に出た勇者と仲間達だが、その関係はギクシャクしていた。
 主に、スノゥに対してのグルムとナーニャの態度が問題で、二人とも玉座の間でのやりとりで彼に不信を抱えているのはあきらかだ。
 それでもグルムのほうは、神官として平等にスノゥと接しようと努力しているようではあった。
 とはいえ無頼のスノゥをどう扱っていいのか分かりかねるようで、会話も反応もどこか構えたものになってしまう。
 ナーニャのほうは大変素直で、スノゥに対しての敵意を隠そうともしなかった。

「なによ、この道とはいえない道! こっちが近道だって言ったおっさんはどいつよ!」
「俺だが?」
「靴が泥だらけじゃない! ローブの裾も草の汁だらけ!」
「浄化の魔法を使えば、一瞬で綺麗になるだろう?」
「そういう問題じゃないわ! 気分よ! 気分!」
「へいへい獣道を歩くのが嫌なら、おぶっていきますが? お嬢様」
「結構よ! あとで運んだ代金だって言って、金貨一枚請求されたら腹立たしいもの!」

 災厄討伐の旅を金に換算したことへの素直な嫌みを聞いたスノゥは、わざと意地悪く唇の片端をつりあげる。

「さすがに嬢ちゃん運ぶのに、金貨一枚は暴利だろう。旅の仲間のよしみとして、銅貨三枚にしてやるぜ」
「結構よ!」

 スノゥの悪乗りに、ナーニャは履いてるブーツが汚れるのも構わずに、草をがさがさかき分けて行ってしまう。

「おい! 一人で先に行くな。ここにはでっかい蟻地獄の魔物が……」
「キャア!」

 そう話したそばから、ナーニャの悲鳴が響く。スノゥは跳んで、突如出現したすり鉢状の穴に落ちようとする彼女の身体を、横からすくい上げた。でっかいムカデみたいに巨大な魔虫が飛び出してきて、二本の牙がスノゥの腕をかすめた。
 ノクトがそのムカデの頭を一刀両断に切り捨てる。

「お怪我を!」

 グルムが神聖魔法を唱えて、たちまちその傷がふさがる。瞬く間の流れに、ナーニャはスノゥの腕の中で呆然としていた。

「嬢ちゃん、怪我はないか?」
「あ、あたしは大丈夫」

 横抱きにしたナーニャを降ろすと、彼女がじっとスノゥを見上げる。

「なんだ? 言いたいことがあれば言えよ」
「……自分の命が一番大事だって言ったのに、どうしてあたしを助けたの?」

 玉座の間でスノゥが告げた言葉だ。スノゥは「ん」と一瞬だけ考えて、口を開いた。

「そりゃ報酬分の働きはしないとな。嬢ちゃんを助けたことで、ガトラムル金貨一枚分ぐらいの働きになったか?」

 それから、さっきと同じように、ワザと悪い笑みをニイッと浮かべる。ナーニャはたちまち怒気なのか恥辱なのか、顔をみるみる真っ赤にして叫んだ。

「結局お金なのね! あなたなんか、仲間なんて絶対に認めないから!」


「ナーニャのことなのですが」

 その夜、宿泊客が他に無い宿の食堂にて、スノゥが寝酒をちびちびやっていると、いつもは早寝のグルムがやってきた。

「彼女が危ういところを助けてくださったのは感謝します。ですが、あのような言い方をなされば彼女がよけい誤解するかと……」
「じゃあ、助けてやったぜと恩を売れと? 別に俺は金を取るつもりも、礼を欲しがる気もない。嬢ちゃんはあのあと、ぷんすか怒ったまんま、あれのでっかい親分に火の弾ぶつけていたしな」

 ――あの後、聖剣を鍛えるための消えぬ火種を守っていたムカデの大親分を見て、ナーニャは襲われた恐怖より、怒りのままに巨大な火球をぶつけていた。
 その姿を思い出して、スノゥはクスクス笑う。

「ヘタにしおらしく落ち込まれたまんまじゃ、戦いに支障が出るだろう?」
「まさか、ナーニャに気をつかわせないために?」
「いやいや、あの嬢ちゃんをからかうのが、楽しいだけさ」

 寝酒のグラスを空にしてから、グルムの肩をぼんとたたき、スノゥは食堂を後にした。
 そして、二階の部屋にあがるちょっと広い踊り場で待っていたのは。

「おや、勇者様も夜更かしで?」

 腕を組んで壁際に立つノクトを見上げる。身長的にこうなるのは癪に障るが仕方ない。
 睨み上げると、ノクトはうっすらと微笑んだ。

「ナーニャを助けてくれたことを感謝する」
「あの坊さんにも言われたぜ。俺は別に礼を言われるためにやったんじゃない。報酬分の働きをしただけだ」
「違うな」
「…………」

 断言されて押し黙る。じゃあなんだ?とノクトの銀の瞳と見つめ合うと、彼は言った。

「あのときのお前は報酬云々ではく、ただ目の前の少女が魔物に襲われそうになったから助けた」
「……反射的に身体が動いたんだよ」

 答えてから後悔した。これじゃイイ人みたいじゃないかと、スノゥは照れくさい気持ちのまま、ノクトの前を通り過ぎて二階へむかった。


「なんだよ、じいさんも夜更かしかよ」

 宿の部屋割りは、ナーニャが年頃の娘だからという理由で、当然一人で一部屋を使っている。
 あとは男同士二人で一部屋というのが多かった。今日の同室はモースだ。すでに老齢の彼が寝ているものと思っていたスノゥは、灯りの付いた部屋で自分を見上げるモースの姿に顔を顰める。

「ナーニャも悪い娘ではない」
「わかっているよ」
「グルムは生真面目でな」
「坊さんだもんな。清く正しくて当たり前だ」
「ノクトは無口だが、お前さんのことは悪く思っておらんよ」
「口が足らなすぎてなに考えているか、わからないがな」
「お前さんからみれば、みんな若造かもしれんが、二百歳近くのワシからみれば、お前さんも十分に若い。悪ぶっていても、結局はお前さんも良い子じゃよ」
「…………」

 寝台に腰掛けたモースが赤い髭をしごいて、こちらを見て微笑んでいる。
 スノゥは無言で布団を被って寝た。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 聖剣探索の旅は続く。
 辺境の旅では宿屋に泊まれればよいほうだ。出される食事も、干し肉で出汁をとった芋か豆入り野菜のスープにパンと単調なものばかりになっている。さらに野営となれば、食事は干し肉に焼きしめた固いパンがメインで、温かな茶が出るのが慰め程度。その茶にパンを浸してふやかして食べるのだが。
 冒険者として駆け出しの頃は食うや食わずだったスノゥは、腹が満ちるだけで上等と思っている。
 賢者のモースはかすみを食って生きている風情だし、神官のグルムはもとの生活からして粗食が常だろうから、平然としている。
 しかし、ナーニャはあきらかに日に日に元気がなくなっていく。「今日も固いパンと干し肉かあ……」とつぶやく。
 そしてノクトは、といえば相変わらずなにを考えているのか、顔に出すことはない。三食干し肉とパンを黙々と食べている。
 ただ、食事を見るたびに、お耳と尻尾が本当にかすかにしおれていることがスノゥにはわかった。
 そんなある日の夕刻。その日の野営地は荒野のただ中だった。スノゥはたきぎを拾うことなく、日が沈みかけた暗い空をしばらく見上げていた。それを見つけたナーニャが尖った声をあげる。

「なにさぼっているのよ!」

 しかし、そんな声を無視してスノゥは空に向かって腕を振り上げると、何かを投げた。その直後に、ドサリドサリと落下してきたものに驚いて、ナーニャが頭を抱える。

「キャッ! な、なにを落として、え? 鴨?」
「お、二羽を落とせたか、これで十分だな」

 地面に横たわる二羽の鴨の長い首を、スノゥが両手でつかむ。その獲物をまじまじと見て、ナーニャが目を見開いた。

「これを捕るために、空を見上げていたの?」
「鳥は夜目が利かないからな。ねぐらに帰るこの時間に捕らえるのが一番いい」
「それも一つの石を投げて、二羽とはよい腕だな」

 いつのまにかノクトが来ていた。スノゥは「偶然だぜ」と答える。
 近くの小川に鴨を持ったスノゥが向かおうとすると、ナーニャとノクトが後ろからついてくる。
 スノゥは両手に鴨をぶらぶらさせたまま首を傾げた。

「俺は今からこいつを血抜きしてさばくが、見たいのか?」

 即座に何が起きるのか想像したのか、ナーニャは「あたし、たき火を起こすのを手伝ってくる」と野営地へ飛んで戻っていく。スノゥは、くすくす笑いながらナーニャの背を見送った。
 しかし、ノクトが後ろからついてくる。川縁かわべりにしゃがんで、両腰にある短剣とは別の雑用専用のナイフを引き抜くと、スノゥはかたわらに突っ立った彼をじろりと見上げた。

「なんだ? 手伝ってくれるのか?」
「狩猟はしたことがあるが、獲物をさばいたことはない」
「だろうな、王子様」

 狩猟は王侯の優雅な趣味だが、捕らえた獲物をさばくのはお付きの料理人か、従者達の役目だ。
 それを食べるのが王子様の優雅なお役目だ。
 そんなことを思いながら、スノゥは鴨の首をきって血抜きをし、内臓を取り出して綺麗に水洗いする。これもうまく調理すれば食べられるからだ。それから羽を綺麗にひきぬいて、骨に沿って綺麗に肉を削いでいく。

「手慣れているな」
「まあ、酒場で働いたこともあるからな」
「酒場で?」
「冒険者として駆け出しのころだよ。名がなければロクな仕事も来ねぇ」

 酒場に食堂、宿屋の下働きは賃金が安いが、まかないがつく。それに飛び入りで踊ればチップも稼げた。もっともその後で「いくらだ?」と身体を売れと言ってきたり、いきなり物陰に引きずりこもうとしたりする馬鹿が後を立たなかったが。
 当然、そいつらはすべて股間を蹴り上げて撃退してやった。

「ま、鴨の丸焼きなんてごちそうは、目の前を通り過ぎていくだけだ。出されるのはかした芋にパンに野菜のスープってところか? ただ俺は兎族だから、肉なんて勧められても食う気も起こらなかったけどな」

 とはいえ好きでもない肉を扱った経験は、こうして役に立っているわけだ。
 解体したももと胸肉は岩塩をふってたき火で焼く。あとはガラで出汁をとって、そこにレバー団子に手羽、それから小川に生えているのを見つけた野生のクレソンを放り込んでスープとする。
 香ばしく肉が焼ける匂いとスープのぐつぐつ煮える音に、ナーニャにグルム、ノクト、三人の喉がごくりと動くのがわかった。
 粗食の神官のグルムとて、雑食とはいえ、肉も好む熊族なのだ。
 焼けた肉を出せば若者達は勢いよくかぶりついた。ナーニャは「久しぶりの固くないお肉、ん~おいしぃ~」と喜んでいるし、グルムは「神々よ、このお恵みに感謝します」としっかりお祈りしてから、同じく「うまいですな」と目を細めている。
 ノクトはといえば、豪快にかぶりついている。それでも口許を脂で汚さないのが、さすが王子様のお上品な食べ方だ。無言ではあるがそのお耳はピンと立って、尻尾も肉を口にした瞬間、一瞬プン!と振れたのをスノゥは見逃さなかった。
 うん喜んでいるな。
 賢者のモースですら「温かなスープは安らぐな。クレソンは好物だ」と目を細めている。
 ちなみに「ワシも肉は結構だ」とも言っていた。同じ草食、その気持ちはわかる、とスノゥはスープを多めに注いでやった。
 そんなわけでスノゥもレバー団子と手羽の肉はなしだ。クレソンたっぷりのスープをすすり、パンを浸して食べていたら、じっとノクトがこちらを見ている。

「なんだ?」
「お前は食べないのか?」

 肉のことだろう。「あ~俺は」と言いかけたところで、ノクトが目を見開いた。

「そういえば先ほど、『肉など勧められても食べない』と言っていたな。兎族だからと」

 ノクトの言葉にスノゥはさっきぽろりと漏らした言葉を後悔した。
 ナーニャが呆然とこちらを見ている。

「じゃあ、あなたは食べもしない鴨を捕ったの? まさかあたし達のために?」

 隣のグルムにも「お気遣い感謝いたします、スノゥ殿」とうやうやしく言われて、スノゥは照れくさく白い頭をかく。

「飯がマズけりゃ士気にかかわるだろう? 糧食の確保は兵法の基本ってな。最悪なのは食うものもないって奴だけどな」

 そう言うと、興味深そうにノクトが聞く。

「お前はそういう経験をしたことがあるのか?」
「冒険者として駆け出しの頃は、名も無いし食うや食わずだって、さっき言っただろう? ま、俺は兎族だからな、そこらへんに生えてる草だって十分ごちそうだ」

 実際、野生の香りが強いクレソンに鴨の出汁が絡んで最高だなと、わしわし食べたのだが。
 熊、山猫リンクス、狼の三人の若者には哀れみの目で見られてしまった。
 草食で悪いか!


「好物はなんだ?」

 翌日、風景の変わらない荒野を歩いていると、ノクトが隣に並んで訊ねた。スノゥは即座に言う。

「好きなのはカネだが」
「そうではない。食べ物だ」
「ん~、白いアスパラガスか? 卵のソースがかかったのにスープもいいよな」

 そういえば旬の時期だったな……と思い出す。今度、大きな街にでも出たらちょっといい料理屋で、久々に食うか? と思う。
「そうか」とすっと離れていったノクトに「なんだ?」とおもったが――
 荒野で聖剣の素材を一つ手にいれたあとに帰還したサンドリゥムの王宮にて、晩餐会が行われた。
 肉の代わりにスノゥの前に出されたのは、白アスパラガスだった。太くて立派なのが三本丸ごと茹でられて、バターソースと半熟卵が乗っかっている。
 ちらりと横の勇者王子様をみれば、しれりとした表情で、自分はボアの分厚い肉を口にしていた。
「ありがとな」とあとで言えば「なんのことだ?」と返された。
 それからは、王宮に帰還するたび、晩餐には白アスパラガスが出た。
 季節はずれには瓶詰めのものとなるが、王宮のシェフの手にかかればスープにグラタン、ムースにゼリー寄せと十分においしい。これはスノゥの密かな楽しみとなった。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 旅もしばらく経ったある日、一行が立ち寄った街はバザールが開かれる日とあって、街の中心にある広場には人がごった返していた。

「キャッ!」

 ナーニャが声をあげた。人ごみのなかで猫族の少年が彼女にぶつかったのだ。

「ご、ごめんなさい」

 少年の頭のうえの三角耳がぺたりと横になるのを見て、ナーニャが微笑む。

「いいえ、あたしもよく見てなかったから、怪我はない?」

「大丈夫」と去ろうとした少年の細い腕をスノゥがむんずとつかんだ。痛くはないが逃さない絶妙な力加減だ。少年は驚いたように振り返る。

「細っこい腕だな。よろけたし、知らずにあざでも出来てるかもしれねぇから、ちょっとよく見せろ」
「い、いいよ!」

 人気ひとけのない裏路地へと、スノゥが少年を引っぱっていく。状況がわからないまま、仲間達もあとに続く。自分達以外の人影がないのを確認して、スノゥが低い声で少年に言った。

「嬢ちゃんのふところからはたいたものを出せ」
「…………」
「だんまりか? 役人に突きだされて身ぐるみ剥がされりゃ、出るものは出てくるんだぞ」
「……わかったよ」
「あ、あたしの財布!」

 少年の差し出した花の刺繍がほどこされたそれに、ナーニャは声をあげる。少年は途端に泣き出した。

「ご、ごめんなさい。許して。俺が稼がないと妹は腹をすかせているんだ! もう三日もパンひとつ食べてない!」
「それはお困りですね。それであなたの哀れな妹さんがすくわれるなら――」

 その姿にグルムが革袋の財布を丸ごと差し出す。さすが慈悲深い神官様と言いたいところだが、とスノゥは手で彼を制した。

「よせ、このガキの言っていることが本当とは限らない。この手の泣き落としの常套手段の文句だからな」

「他に病気のお母さんがいたり、借金のカタにお姉さんが売られそうになったりしてないか?」とスノゥが訊ねれば、「俺は嘘なんて言っていないもん!」と少年はますます泣いて訴える。ナーニャが少年をかばうように前に出て叫んだ。

「この子の身なりをみれば分かるじゃない! 痩せて、裸足に木靴でズボンの裾もボロボロで嘘を言っているなんて思えない!」

 グルムも黙っているが、こちらを見る目にはあきらかな非難がある。
 二人の雰囲気に、スノゥは呆れたようにため息をついた。そこにノクトの冷静な声が響く。

「いかにその境遇が哀れであろうとも、盗みの罪は罪だ。その少年はこの街の警備隊に引き渡すのが妥当だろう」

 ノクトの言葉にナーニャが大きく目を見開く。

「こんな小さな子を役人に突き出すですって! 見損なったわ!」
「あなたには勇者として慈愛の心はないのですか!」

 今度はグルムまで珍しく声を荒らげてノクトに抗議する。それをスノゥが腕を組んで眺めた。モースは若者達のやりとりに沈黙したまま髭をしごいている。
 みんなの気が逸れたスキを見逃さず、少年が突然駆け出して路地の向こうに消える。
「「あ」」とナーニャにグルムが声をあげるが――

「逃げたか。まあワザと逃げるように仕向けたんだけどな」

 そう言ってスノゥが肩をすくめた。

「俺はあのガキを追いかける。目印はつけておくからな」
「もういいじゃない! あんな小さな子を本気で役人に突き出すつもり?」
「あのガキに食わせる菓子でも買っておいてやれ。――一人、二人、増えてもいいように多めにな」

 駆け出した背にナーニャが叫ぶと、スノゥはちらりと振り返って微笑んだ。
 それからスノゥの姿が広場へと消えていく。

「なに訳のわからないことを言っているのよ……」

 ナーニャが呟く。一方グルムは、スノゥを追いかけようとした。

「スノゥ殿を止めないと。私はあんな哀れな子を冷たい牢屋に入れるなど反対です!」
「神官グルムよ、待て」

 そこでモースが口を開く。『神官』と呼びかけられて、グルムが足を止める。モースはゆっくりと首を振って、グルムを押しとどめた。

「ここでひとつあの少年の罪を見逃したところで、また盗みを犯すだけだ」
「ですから、明日のパンに困らない金をあたえて……」
「一日のパン代か? それを使ったらどうする。なくなればまた盗みを働くだけだ。そなたの善行は砂漠に水を振りまくようなものよ」

 それは一時の偽善にすぎないと賢者に諭されて、グルムのみならずナーニャも愕然とした表情となる。

「――私は街の警備隊の詰め所に向かう」

 ノクトが口を開く。そのまま歩きだそうとする彼にグルムが「待ってください!」と立ちはだかる。

「それでも私はあの少年を役人に引き渡すことはしたくありません」
「あの少年を捕らえるのではない。保護するのだ」
「は?」

 目を丸くするグルムにノクトは続ける。

「お前は神殿に向かえ。この小さな町にはないが、近くの都市の神殿にはがあるはずだ」
「それは……はい!」

 ノクトの言葉に、グルムがなにかに気付いた顔になって駆け出した。ノクトもまた足早に裏路地を去る。

「どういうこと?」

 まだわからない顔のナーニャに、モースはまるで孫娘に語るような優しい口調で言った。

「さて、ワシらは子供達が喜ぶような菓子でも選ぶとするか」


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虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

悪役令息の七日間

リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。 気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

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