ウサ耳おっさん剣士は狼王子の求婚から逃げられない!

志麻友紀

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1巻

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   プロローグ 求婚する相手が間違ってるぜ! 王子様!


 勇者が災厄を打ち倒した!
 黒雲が垂れ込めていた西の空にひび割れが走り、黄金の太陽の矢がいくつも空を貫く光景を見て、人々は勝利を知った。
 勇者とその仲間の〝四英傑〟が再び世界に光を取りもどしたのだと。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 災厄討伐の祝賀会。その会場であるサンドリゥム王国、王城の黄金の大広間。
 その中央でひらりひらりと歌い踊る。とんとんと軽妙にステップを踏むたびに、頭の上で揺れる白く長い兎の耳。その左耳の根元にはまった黒真珠のピアスが、しゃらりしゃらりと音を立てる。
 天鵞絨ビロードのような美声に、ふたつの短剣を翼のごとくふわりと広げ、くるりと優雅に回るその姿。声はしっかりと太い男のものなのに、いままで聞いたどんな歌姫のものより心に響く。その流麗な舞いに人々の目が奪われた。
 スノゥがこの祝賀会に現れたとき、着飾った招待客はいずれも顔をしかめたというのに。
 埃っぽくも汚れてもいないが、彼は上半身に胸に布を巻き付けた腹出し、袖無しの黒革のジレをまとうだけで下半身には革のぴったりとした七分丈のパンツを穿いて素足に編み上げのサンダルと、まったくの普段着姿だったからだ。
 それでもスノゥの姿はとかく目を惹く。肩で無造作に切りそろえたまっ白な髪に、とろりとした石榴ざくろ色の瞳。細身だが引き締まった、戦い舞うための筋肉がしっかりついた身体。割れた腹筋、美しい隆起のむき出しの腕は髪と同じく雪のように白い。肌にはスノゥ自身が戦いの誉れと呼ぶ、赤い傷があちこちに散るが、身体の後ろには一つもない。敵に背を向けて逃げたことのない証だ。
 唯一の飾りといえば、長く伸びた白い兎の耳の左の根元につけられた、白金プラチナの花の中央に大粒の黒真珠がはめられたピアスだ。そして、黒革のパンツの尻にある、この男のまとう雰囲気にはそぐわない、まっ白で丸い尻尾。
 そう、彼はおよそ戦うのに向かないといわれる兎族でありながら、勇者の仲間として神に選ばれたのである。
 その名も双舞剣のスノゥ。
 勇者と共についに『災厄』を倒した祝いの宴で非常識な格好をしている彼を、気位の高い貴族達は初め遠巻きに眺めていた。
 それを気にせずにスノゥは「久々だから腕が鈍っているかもしれないが、今日は祝いだ」と言って、突然、朗々たる歌声とともに舞い踊り始めたのだ。
 その途端、歌と舞の見事さに人々は目を奪われた。
 踊りとともに上気した白い肌にうっすらと赤みがさし、その肌に刻まれた傷の赤がよりいっそう際立きわだったせいで、何か見てはいけないものを見たかのように、目を逸らす者もいたが。
 さらに言うならば、無造作に肩で切りそろえた雪のように白い髪が隠す顔の半分は無精髭でうっすらと覆われていて、どこか年齢不詳の顔つきだ。
 つまりは一見おじさんだ。
 妙に色っぽいにしろ。
 スノゥが踊りおえると、それまで冷ややかに見ていたのはどこへやら、人々が一斉にその周りに集って、賛美の言葉を次々に投げかけた。

「お見事な舞にございました、スノゥ殿」

 今、スノゥに話しかけているのは、狐族の貴族の男だ。うたい舞う彼から一瞬目を泳がせたあとに、開き直ったかのように、その身体をなめ回すように見ていた。
 他の踊りを称賛する人々の声には「あぁ」だの「どうも」だの適当に返事をしていたスノゥだったが「ぜひ、今度は我が夜会にご招待して、一つ舞っていただきたいものですな」と肩を抱こうと触れようとしたその男には、ギロリと視線をむけた。
 石榴石ガーネットの瞳に見られて狐男の手が止まる。ぶつけられた殺気に無意識に固まったのだが、ほんの一瞬動きを止めるのに使われたそれを、当の男や周囲は気付いていない。
 ただ「はぁ?」と低いスノゥの不機嫌な声が響く。

「俺は踊り子じゃねぇんだから、金もらったって、あんたのためには舞わねぇぜ」

 狐男が『無礼な!』と声をあげる前に「確かに見事な舞いであった」と伸びてきた大きな手が、スノゥの男にしては細い腰を抱き寄せる。
 黒く艶やかな髪を背に流し、切れ長の銀月の瞳が輝く。長身でしっかりと筋肉のついた、高貴な獣を思わせる戦う者の身体。彼こそが勇者ノクト。この王国サンドリゥムの第二王子にして預言の子。すなわち、今世において災厄を倒した勇者だ。
 その頭上には王族直系を表す漆黒の狼族の耳が生え、尻にはふさふさとした尻尾が揺れている。
 当代の勇者にしてこの国の第二王子の出現に、狐男は冷水でも浴びせかけられたようにその開きかけた口を閉じた。
 ノクトはかたわらの男など見ることなく、スノゥの顔をじっと見る。

「災厄を見事倒した祝いの日に相応ふさわしい舞。私も嬉しく思うぞ」
「別に王子様、あんたのために舞ったんじゃないんだけどな」

 スノゥもそう背は低くないのだが、長身の彼に対しては自然と見上げるような形になってしまう。
 またもやのスノゥのぶっきらぼうな言動に、王子にたいしてなんたる無礼と周囲はざわつくが、それにノクトは「わかっている」と微笑んだ。

「この勝利はみんなのものだろう? 勇者である私だけでなく、また英傑たる仲間達だけのものでもない。災厄を倒すために支え祈ってくれた人々、皆のものだ。その人々に祝福を……とお前はうたい舞ってくれた」
「…………」

 いかにも勇者様らしい言葉にスノゥが返事をせずとも、周りは勝手に納得して「さすが勇者殿下」だの「その仲間の英傑たるスノゥ様らしい」などと感激している。
 ところでだ、とスノゥは目をすがめた。
 ――ごくごく当たり前のようにスノゥの腰に回ったノクトの手には、誰も突っ込みを入れないのか? 目に入ってないのか?
 戦いと踊りで鍛えあげられ引き締まった、スノゥの細腰を掴む、ノクトの剣ダコが出来た大きな手。
 もっとも、今どころか、昨夜もその両手はがっちりとスノゥの腰を掴んでいたのだが。
 それこそ、手の指の形にくっきり青あざが出来るまで。
 身体を飾る誉れの剣傷を隠さないように、練り白粉おしろいを塗るのは結構手間なのだ。
 腰の手型のあざだけではない。あちこちに散ったこの王子様が吸い付いた痕もだ。背中なんて鏡でしっかり確認しなければならない。
 文句を言えば「だったら、その白肌を隠す衣をまとえばいいだろう?」とこの王子様は常日頃から繰り返している言葉を告げるだろう。
 そこはスノゥの意地だ。
 男が肌を隠して恥じらえというのか!


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


「この場を借りて『願い』を口にしたい」

 祝賀会の終わり、というより第一部の終わりというべきか。この場は一旦締めるが、あとはみんなで自由に楽しめという王の言葉のあとにノクトが発言した。
 王国を滅ぼす災厄を退けたのだ。勇者以外の四英傑には、王よりそれぞれ褒美が与えられる約束となっている。スノゥ以外の三人は王国での地位と名誉を。
 そしてスノゥは一生遊んで暮らせるだけの金を要求した。
 だがノクトは勇者である前に、この国の王子だ。
 旅に出る前に、彼は国と民の安寧以外なにも望まないと、神々に誓っていた。
 その彼が『願い』?と、人々はざわめく。しかし父王は「おお、ノクト、なんなりと叶えよう」と笑顔で応えた。勇者たる自分の息子が、無茶な願いごとなどするはずがないという信頼の証ともいえる。
 それにノクトは「いえ」と首を振る。

「いかにこの国の王たる父上とても、叶えられる願いではありません。そのが私の恋い想う心を受け入れてくれなければ」

 その言葉に周囲が再びざわめく。当代の勇者であり、この国の王子にして誰もが見とれる美丈夫である青年が、恋し焦がれるほどのその人とは!?
 いや~な予感がしたスノゥはさりげにノクトから離れようとした。が、腰にある王子様の手がスノゥの腰をがっちりつかんでいる。
 それでも素早く体を離そうとすると、ノクトはスノゥの足下に片膝をつき、さらにはすかさず逃げられないように、スノゥの片手を捧げ持っていた。

「双舞剣のスノゥよ、あなたに永遠の愛を捧げる。狼の雄は生涯ただ一人に愛を誓うもの。どうか、我が妻となってくれ」

 その手の甲に端正な唇が押しつけられる感触に、スノゥはどうしてこうなった?と遠い目になった。
 この王子様との出会いは最悪だったはずなのに……と。



   第一章 最悪で最高の出会い


 サンドリゥム王国に『災厄』が出現し、第二王子であるノクトが、神託によって『勇者』に選ばれた頃のことだ。
 たまたま立ち寄った王都の城門に掲げられた『なぎの停戦』と『十年の祝祭』の宣言の立て札。
 マントのフードを目深に被ったうえに、ターバンを頭に巻き付けて長耳を隠したスノゥはそれを横目で見て通り過ぎた。
 なぎの停戦と祝祭の十年。これは太古の昔、神々によって定められたことだ。
 遠い神話の昔、神々でさえ地の底に封じるしかなかった、厄神。長い時間をかけて、そのかけらが地上に泡のように湧き上がってくることを『災厄』と呼ぶ。
 これ以上は人の世界に干渉しないと決め、遥か天空へと去った神々は、その代わりとして人間達に災厄を倒す手段を与えた。それが神託によって選ばれる、預言の勇者と仲間達だ。
 だが人の世とは悲しいもの。災厄を勇者が倒してめでたしとはならなかった。
 災厄によって疲弊したその国を、他国が攻め滅ぼしたのだ。国を守ろうとした勇者と仲間達もまた倒れた。
 天の神々は怒り、戦を仕掛けた国は一夜にして滅んだ。
 それから神々は、災厄が出現すると同時に地上でのすべての戦を止めること、災厄が倒されたあとの十年も国々の争いごとは禁じると人間達に命じた。
 つまり災厄出現が報じられれば、どんなに醜く争っていた国同士も直ちに戦を止めねばならない。
 これをなぎの停戦という。
 そして災厄が倒されたあとの十年間は戦が出来ない。これを祝祭の十年という。
 災厄という不安はあるが、国々の争いごとがないある意味で穏やかな期間。
 うるさい国境越えの管理もゆるくなって旅をしやすくなる……と、流れの冒険者であるスノゥの考えはその程度だった。
 しかしその夜、夢の中で神託により自分が勇者の仲間に選ばれたと告げられた。
 スノゥはそれを無視し、サンドリゥムへとは向かわず、気ままな旅を続けた。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 その日、スノゥはふらりと立ち寄った街の闘技大会に飛び入りし、決勝にて筋肉隆々の熊男を倒して優勝し、賞金をせしめた。

「あんな細っこいの、ひとひねり出来ると思ったのになんだよ! あのふざけた強さは!」
「お前バカかよ。ターバンで耳を隠して、腰にふたつの短剣。さらに歌い踊りながら戦うなんて、双舞剣のスノゥしかいねぇだろうが」

 隣室の控え室から熊男と、準決勝でスノゥと戦う前に棄権した相手の声が聞こえる。

「ゲッ! 双舞剣のスノゥって! あの兎族のクセして強いって奴か! どうりで耳をかくしていたはずだ!」

「っていうか、なんでそんな大物がこんなちっぽけな街の闘技大会に飛び入り参加して、賞金かっ攫っていくんだよ!」「知るか! 俺はだから戦う前に棄権した!」なんて声を背に、スノゥはコロシアムを出た。

「双舞剣のスノゥだな?」

 すると背後から声をかけられた。振り返ったスノゥは自分と同じくマントにフードを目深にかぶった姿が目の前にあることに、眉根を寄せた。
 この自分がこんな簡単に背後をとられるなんて……だ。

「私の名はノクト」

 長身の男は選ばれた勇者とも、サンドリゥム王国の第二王子とも口にしなかった。ただの名前だけ。
 スノゥは目を細めて、目の前の男を眺めた。
 なるほど、勇者様に選ばれるだけある謙虚さだ。

「神々の神託はそちらに届いていたはずだ。なぜ『召喚』に応じない?」

 しかし、上から目線の偉そうな口調には非難の響きがあった。

「ふぅん、こっちから〝勇者様〟のところにはせ参じるのが当たり前ってか? むしろ災厄退治の協力をしてくれと、そっちから頼みに来るのがスジってもんじゃないか?」
「…………」

 フードに顔は隠れてわからないが、あきらかに不機嫌そうになった空気にもスノゥは平然としていた。別に勇者様の機嫌を損ねて、ここで立ち去られたところでこちらは痛くもかゆくもない。
 立ち去ろうとしたところ、男――ノクトに腕を掴まれる。

「ではこちらから迎えにきた。行くぞ」

 スノゥの「は?」という声は転送でぶれる風景にかき消された。
 次の瞬間には、目の前がコロシアムのある埃っぽい風景から、どこかの王宮の風景へと変わっていた。
 転送石だ。転移を使える魔術師は少ない。転送石があれば、術師が魔石に魔力を込めることで、術者でなくても転移を使える。
 とはいえ座標は固定の一度きりのものだが。
 ノクトのてのひらで魔石が砕け散るのを睨みつけて、スノゥは「やってくれたな」と低い声でつぶやく。

「いきなりの転送なんて、こりゃ拉致って言わねぇか?」
「話ならば、玉座の間でする」

 スノゥの怒気もさらりと無視して、ノクトがフードごとマントを脱ぐ。
 途端に秀麗な顔立ちがあらわになった。男らしく太く形の良い眉に、切れ長の目。瞳の色は銀月の色だ。通った鼻筋に、きりりと引き結ばれている絶妙な形と厚さの唇は、天才画家が描いたらこうなると思わせる。額も頬も顎の形さえ完璧な線の顔を縁取るのは、漆黒の長い髪。
 頭の上には同じく漆黒の狼の耳。
 その長身に相応ふさわしい広い肩幅に厚い胸板、引き締まった腰から続く長い足――と、完璧な王子様で、勇者だった。
 それに一瞬見とれたとは認めたくなくて、スノゥは不機嫌を装ったまま、そっぽを向く。
「こちらに来い」と言われて大人しく従ったのは、この無口な王子様ではらちが明かない。玉座の間で待っている相手と交渉をする必要があると思ったからだ。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 玉座の間。
 天井の高い広い部屋。奥には三段高いきざはしがあり、その上の玉座に座る狼族の王がいた。その周りに王侯貴族達。
 ノクトのあとをついてその玉座の前へと来る。その途端、「無礼な!」という声が響く。
 いかにも高そうな宮廷服をまとった狼族の中年男が叫んだ。玉座の間に並ぶことを許されているのだから、かなり高位の貴族だろう。

「陛下の御前だというのに、マントのフードもかぶったまま、薄汚い姿をさらすなど……っ!」

 その中年貴族の言葉が途切れたのは、スノゥが遠慮なく、そちらに殺気をぶつけたからだ。それだけなのに中年貴族は腰を抜かして、床にへたり込んだ。あげくふさふさの狼の尻尾を足の間に挟んでいる。狼なのに犬みたいだなとスノゥは思った。
 スノゥが殺気を発した瞬間、玉座の間の警備をしていた近衛騎士達が腰の剣に手をかける。

「止めよ!」

 静かだが鞭の一撃のように鋭い声がノクトから発せられて、前のめりになりかけた近衛達の動きをぴたりと止める。

「玉座の間に入る前にマントを脱ぐように言わなかったのは、案内した私の落ち度だ」

 ノクトはそう周囲に言い、スノゥに向き直る。

「陛下の御前だ。マントとターバンを取ってくれ」
「…………」

 軽く頭まで下げられれば「そこは取ってくださいだろう」という野暮は言わない。スノゥは素直にマントを脱ぎ、頭に適当に巻き付けた布を解いた。
 最初の出会いからの偉そうな態度なクセして、こんな風に頼んでくるのだから調子が狂う。
 スノゥがターバンを取ると、長く白い耳があらわになった。

「やはり兎族か」
「最弱の種族が、我らが勇者であるノクト殿下の旅の仲間など信じられん」
「服装も傷だらけの肌を見せつけるような、まるで無頼のようではないか。コロシアム荒らしの賞金稼ぎだと聞いたぞ」

 貴族達がざわめく。それもこちらに聞こえるように声も抑えずにだ。
 それでスノゥの元から不機嫌だった気分は、さらに下降した。

「兎族で悪かったな。御前のお目汚しっていうなら、俺はこれで帰らせてもらうぜ」

 本気で帰ろうときびすを返したら「待たれよ」と玉座より声がかかった。

「臣下の非礼をまず詫びよう」

 一国の王が謝るなどなかなか出来ることではない。まして平民のスノゥにだ。それだけで彼はこの王に好感を持った。

「双舞剣のスノゥよ。我らの話を聞いてくれんか? ワシはサンドリゥム国王カールじゃ。こちらは王太子のヨファン」

 カール王がちらりと見れば、王太子ヨファンはスノゥに向かい、いささかおどおどした態度で目礼した。
 ――王太子だというのにずいぶんと気弱そうだが大丈夫かね? もっともそちらのお国の事情など、関係ないが。

「そなたの横にいるのが、当代の勇者にして我が国の第二王子のノクトだ」
「ノクトだ。先に名乗ったな」

 こちらはこちらで勇者様らしく、やっぱり偉そうな態度だ。どちらかというとこっちのほうが王太子らしい。

「それから、そなたと同じく神託を受けた、賢者モースに魔法使いナーニャ、神官のグルムだ」

 王太子とは反対側のきざはしの下に並ぶ者達をカール王が紹介した。
 篦鹿へらじかの立派な角に赤い髭を蓄えたいかにも賢者然とした、初老の男。とんがり帽子をかぶり、赤い魔石のはまったロッドを持った、赤毛の山猫リンクスの魔法使いの少女。そして、丁寧に胸に手をあてて礼をしたのは、神官にしては大柄な、熊族の青年神官だ。

「さて、夢見のお告げによりそなたにも勇者の仲間である神託が下ったと思ったが、この半月を待ってもそなたがサンドリゥムにやってくる気配がない。なにか事情があるのか?とこちらから探させてもらった」
「そりゃどうも。こちらはこの勇者様に話があると、いきなり転送石で〝拉致〟されましてね。実のところ、なにがなんだか、まだ混乱しております」

 嫌みったらしくいってやれば、カール王は「なんと!」と大仰に驚いてみせた。
 その様子にこりゃなかなかの狸だぞ……とスノゥは思う。あ、狸ではなくて古狼ふるおおかみか。

「ノクト、話もせずにいきなりスノゥ殿を連れてきたのか?」
「なぜ、自分からサンドリゥムに赴かねばならない? そちらから迎えにくるのが道理だろうといわれましたので、言葉どおりこちらに〝招待〟いたしました」

 ノクトがしれっと答える。まあ、確かにスノゥの言葉そのままではあるが、どう考えたってこれは〝招待〟ではなく〝拉致〟だろう。
 さらに。

「私ではこの者をサンドリゥムに赴く気にさせることは出来ない。まず陛下と話をしていただくのが先と思いましたので強引な手をつかいました」

 またしてもしれっとお答えになる勇者様。つまり、口じゃこのおっさんウサギに敵わないとおもったので、口のお上手な父上なんとかしてくださいと……開き直りやがった。
 まあ、適材適所。さすが勇者様。父上に丸投げかよ!

「夢見の神託を受けたっていうのに、すぐに応じなかったってどういうこと? それもこっちから迎えに来いですって!」

 腕を組んでこちらを睨みつけているのは、リンクスの魔法使いの少女だ。
 名前はナーニャとかいったか。燃えるような赤毛といい、いかにも生意気天才少女といった雰囲気だ。まあ、見たところ十五、六歳といったところだし、この若さで勇者の仲間に選ばれるのだから、魔法の実力は相当のものだろう。
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「魔法使いのお嬢ちゃん、あんたはこの国の生まれか?」
「ええ、そうよ! それと、あなたがこの国に来ないのに何の関係があるっていうの?」

 ナーニャが『お嬢ちゃん』という言葉にむうっと唇を尖らせる。子供扱いされて気に入らないのだろうが、態度に出すうちはまだまだガキってことだ。
 スノゥは皮肉げに微笑んで言った。

「関係あるに決まってるだろう? 俺はこの国の生まれじゃない。無宿の放浪者だ。災厄が現れたことを気の毒には思うが、所詮〝他人ごと〟だ」
「他人ごとですって!」
「ああ、俺はこの国に縁もゆかりもなければ、世話になったこともない」

 ナーニャが尖った声をあげるが、スノゥは淡々と続けた。

「災厄を倒すのとなりゃ命がけだ。見ず知らずの他人のために、ほいほい命をかけるもんじゃない」
「あたしは出来るわ! あなたみたいな冷たい人じゃない!」
「そう思ってくれて構わないぜ、お嬢ちゃん。俺は自分の命が一番大事なんでね」

 ばっさりとスノゥが切り捨てれば、ナーニャが悔しげに黙りこむ。
 そこで熊族の青年神官、グルムが静かに声をあげた。

「多くの人々が災厄のために財産を失い、命を失い、生まれた土地を追われることになってもですか?」

 その声にスノゥは目を細めた。こちらを見る目は、綺麗な正しいものだけを見てきた、それだ。清く正しい神官様からすれば人々の救済は使命なんだろうが。

「災厄が滅ぼすのは国一つだ」

 スノゥは告げた。
 災厄は世界を滅ぼすわけではない。そして、討伐されなくとも災厄は、十年経てば自然に消滅する。そして爆発するように、災厄の現れた国の全土に瘴気をまき散らすのだ。だが不思議なことに、その瘴気が国境線をはみ出すことはない。
 とはいえ災厄に汚染された国土は、千年、人が住めぬ不毛の地となり、国は事実上滅びるわけだが。

「つまり〝放浪者〟である俺は、災厄が現れたなら別の土地にいけばいいだけの話なんだよ。若い坊さんよ。くり返すが、俺が命がけで戦うような、〝利〟は何一つない」

 スノゥが告げればグルムが黙りこむ。逆に周りの重臣達や高位貴族達が騒がしい。

「〝他人ごと〟だと」
「勇者の仲間に選ばれた名誉をなんと心得る」
「やはり最弱の兎族、臆病風に吹かれたんだろうさ」

 スノゥは腹を立てていた。自分の意思を無視して、こんな場所に強引に連れてきた勇者様。さらには自分を無頼の放浪者で最弱の兎族だと色眼鏡で見たうえに、蔑むような貴族達の態度。
 これで国を救ってくださいといわれて、はいそうですかと喜んで受けるほうがおかしいだろう。
 そこに割り込んだのが、いままで黙っていた賢者モースだ。

「確かにそなたのいうとおりだ。縁もゆかりのない相手を命がけで助けるというならば対価は必要であるな。ならばそなたの求める〝利〟はなんだ?」

 さすが賢者様となると、スノゥの口ぶりにも腹を立てた様子もなくこちらへ訊ねてくる。

「さて、それは王様の心づもり一つでしょう。俺の命にどれだけ積んでくださるか」

 そう言ってスノゥがカール王に視線を向けると、王はうなずいた。

「国の危機だ。こちらが出来うる限り、そなたの望むものを与えよう。地位に爵位、それにともなう邸宅に領土、好きなものを望むがいい」

 その言葉にざわめく廷臣達を横目にスノゥは「ああ、そんなものはいりません」と答える。

「俺は地位や名誉なんかに興味はない。爵位や領地に縛り付けられるのもまっぴらだし、救国の英雄なんてもてはやされて有頂天になるほど、馬鹿ではないんでね」

 これは貴族達に対しての嫌みだ。お前達がふんぞり返っている地位など、自分にとって意味はないのだと。「陛下の御厚遇をなんと心得ているのか!」などと口にしている馬鹿がいる時点で、それも通じていないようだが。

「ふむ、地位も名誉もいらぬか。では、なにが欲しい?」

 貴族達の喧騒をよそにカール王が訊ねる。やはりこの王は賢者様同様、現実を見すえている。
 スノゥは、貴族達の喧騒を無視して、カール王に言った。

「災厄討伐の〝報酬〟はただ一つ。ガトラムル白金貨一千枚。それ以上でも、それ以下でもない。払えないと言うなら、これで話は決裂だ」

 商都ガトラムルの金貨は純度が高く、大陸の公用通貨となっている。その中でも白金貨は国家間や大口の商いで通常使われるものだ。実際の金の重さと関係なく、一枚でガトラムル金貨百枚相当にあたいすると保証されている。
 それを一千枚とは、ちょっとした小国の一年分の予算だ。この言葉に喧騒がさらに大きくなる。

「災厄討伐の誉れを金に換算するとは!」
「まったく、本当にあれが選ばれたのか? いくら夢見の神託があったとはいえ」
「出自もわからない最弱の種族だ。そのうえに無頼のような肌もあらわなあの姿」
「確かに物好きならば、男の傷だらけの身体に金を払うかもな」

 スノゥが要求したものにひっかけて、夜の女……つまりは娼婦のように身体を売っているのでは? という侮辱を、スノゥの長い耳は聞き逃さなかった。
 石榴ざくろ色の瞳をちらりと動かし、彼らを一瞬見つめる。それだけで、見えない重りでものせられたかのように貴族達は押し黙った。スノゥは別に、さきほどのような殺気は飛ばしていない。
 本当にただ見ただけだが、それだけで怯えたような顔をする口だけの貴族達をあざ笑うように、スノゥは口の片端をつりあげた。
 そして、さあどうする?と玉座に座る王を見る。
 茶色の狼の耳と尻尾を持つカール王は、その隣に立つ王太子ヨファンを見る。

「お前ならどうする? ヨファンよ」
「はあ……災厄を倒すためとはいえ、かなりの大金。まずは側近達にはかり……」

 その言葉にスノゥは内心であきれた。払うのか払わないかで、当然意見は割れるだろう。しかし災厄は待ってくれない。終わらない会議をしてるうちに国は滅びるぞ……と。
 カール王はそんな王太子の返事にため息をつき、スノゥを見て「白金貨千枚。確かに承知した」と答える。
 廷臣達は当然慌てた様子になる。あげく「あのような卑賤の者に金など払う必要はありませぬ」「追い返し、再度の神々の神託を待たれては……」などと言いだす者もいる始末だ。
 スノゥとしては構わない。金がもらえないならば、この国に見切りをつけて別の国に行くだけのことだ。
 災厄が滅ぼすのは〝国一つ〟と決まっているのだから。

「夢見の神託は絶対だ」

 しかしスノゥの隣に立つノクトが口を開いた。
 王が「国のため、民のため、金で災厄を退けられるなら安いものだ」と言ってなお、「王はあの道化に騙されているのです!」と騒いでいた廷臣達が、ぴたりと押し黙る。


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虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!

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