ウサ耳おっさん剣士は狼王子の求婚から逃げられない!

志麻友紀

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耐えろカルマン!

【1】え? 実家って、そっちの実家!?

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 それは結婚二十一年目にしての危機だった。

「実家に戻ります」

 見慣れた年上の幼妻? の綺麗であるが丸っこい文字が愛おしい。いやいや、今はそんな場合ではない。夜遅く、あれが寝てしまってから家に帰ってきたときなども、必ず「おかえりなさい」とカードが卓の上に置かれていて、そんなところも何年たっても可愛らしい……とか、考えている暇はあるか! 

「ブリィィィィィイイイイイ!!」

 常にない雷親父、カルマンの絶叫に九人の息子達が飛び上がり、邸宅のあちこちから疾風のごとく駆けつけたのは当然のこと。
 ぴょこぴょこぴょこと、夫婦の寝室の入り口に九つの顔が並ぶ。いずれも大小の年齢差はあれど、書き置きを持った手をぶるぶる震わせている、父親そっくりの赤狼達だ。深紅の髪に赤銅色の瞳の。

「父上、母上がどうなされたのですか?」

 長男のタロウが訊ねる。「お姿が見えないようですが?」と続けたのは次男のジロウ。この二人、年子ゆえに顔がそっくりだ。まあ、九男まで赤狼の息子達は背丈や年齢の差があれ、くり返すがいずれもカルマンそっくりなのだが。

「ブリーが家出した」

 カルマンの言葉に息子達が固まった。あの母が家出? 父に目に入れても痛くないほど可愛がられちゃってる。母自身も「あなた達は可愛いけど、一番大好きなのはお父様」なんてふんわりほんにゃり微笑んでいる、みんな大好きおっとり母が? と、みんなそんな顔だ。

「えええっ! 父様、母様に何かしちゃったの?」

 末っ子のクロウが声をあげる。瞬時にカルマンにギロリとにらまれて、彼は首をすくませた。怖い物知らずのお年頃の九歳は、たびたび父のげんこつを食らっていた。兄弟達、誰もが通る道だ。

「……なにもしていない」

 しかし、いつものげんこつが飛ぶことはなかった。クロウは「あれ?」という表情だ。カルマンの両手はただ一行だけ書かれた便せんを持っていて塞がっている。
 未だかすかに震えている両手。彼にとってそれは国王陛下の書状よりなにより重い。

「なにもしていない」

 もう一度くり返した。そう“なにもしていない”のだ。そして、そのことが問題だと分かっている。
 たしかに悲しげな表情をしていた。納得していないことも。だから“なにもせず”に、それでも毎日愛情を伝えるように抱きしめて寝た。
 いずれはわかってくれるだろうと……そう思っていたのだ。それが、あの可愛い年上の幼妻? が、こんな大胆な行動に出るとは。

「実家に迎えに行ってくる」

 息子達に告げて、カルマンが向かった先は。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



「来たか……」

 王都の郊外にある大公邸。その門前で漢らしく腕組みをして、足を開いて立つ堂々たる白兎の姿に、カルマンはやはり……と内心で息を飲んだ。
 本来のブリーの実家は王都にある男爵家のタウンハウスであるが、ブリーが迷わずこちらの大公邸を選ぶことはわかっていた。
 なにしろここには最強の守護者ガーディアンがいるのだから。あの伝説の勇者、黒狼の父ノクトでさえ『ぷぅ! 』と鳴かれれば頭があがらない。
 同じく伝説の四英傑にして“初まりの”と呼ばれる白兎の母スノゥが。
 あの黙して語らず信念の父が敵わないならば、当然その息子狼たちだって、この母に敵う訳がない。
 しかし、今回、カルマンは敵に背を向けて逃亡する訳にはいかなかった。いや、母は敵ではない。これは目前に立ちはだかる、常ならば越えられぬと諦める壁だ。だが、しかし、今の自分はなんとしても、そこを越えねばならぬ。
 たとえ、それが剣の山だろうと、身体を切り裂かれようとも、愛しい妻のところにたどりつかねば。


「母上、ブリーを迎えに来ました」
 ここにいることはわかっている。愛しい年上の幼妻? の茶色の垂れたお耳。その根元にはしっかりとお花のピアスがつけてある。結婚十年目の記念のカナリア色のダイアモンドが。
 母スノゥのピンと立った長耳にも揺れているピアス。これはそれぞれの連れ合いが身に着けている腕輪と連動している魔道具だ。愛しい番がどこにいるのかすぐに確認出来るもの。
 父と母とともに災厄討伐した旅の仲間。今や世界随一の魔法使いと名高い、カルマンの魔法の師でもあるナーニャ先生などは「狼の愛って重いのねぇ。あなたもそうなるのかしら?」なんて言っていたが、その通り。狼は愛しい番をどこまでも追いかける。たとえ大陸の端と端に離れようとも。いや、その海の向こうにあるという暗黒大陸にいこうとも。泳いで大海原を越えていくだろう。

「今は会わせねぇぞ」

 スノゥの言葉は予期したものだった。カルマンはぐっと拳を握りしめて「しかし!」と口を開いた。

「ブリーは俺の妻です。これは俺達夫夫ふうふのこと。母上でも口出しは無用です」
「まあ、番のゲンカは狼でも食わねぇっていう、ナの国のことわざもある。ささいな、痴話ゲンカなら俺も首を突っ込まないけどな」
「でしたら、ブリーに今すぐ会わせてください!」

 ここは圧しきる! とばかり、母の両肩をがっちりと掴み、顔を迫らせて抗議をする。

「落ち着け!」
「イテッ!」

 父譲りの高い鼻をピンと指ではじかれて、カルマンは涙目で顔面を押さえた。息子達同様のやんちゃ坊主だった彼が久々に食らう母のこれは、やはり威力満点だ。

「“今は”会わせねぇと言っただろう? ブリーがお前に会いたくないと言ってる」
「ブリーが……」

 カルマンは愕然とした。あのブリーが自分に会いたくない……だなんて、そんなことを言い出す日が来るなんて……と世界が終わると予言されたときより、絶望の顔となる。

「もう二度と俺の顔も見たくないと……?」
「今はと言ってるだろう? ブリーが落ち着くまで待て」
「でしたら、俺が落ち着かせて……」
「だからお前の顔を見たら落ち着くもんも落ち着かねぇって言ってるんだ!」

 スノゥは呆れたように声をあげたあと、ため息をひとつついて。

「ブリーがちゃんとお前と向き合えるまで、待ってやることも大切だぞ。今は耐えろ、カルマン」
「……耐える」

 気持ちは納得できない。しかし、母の言葉には重みがあった。ブリーの気持ちも尊重してやりたい。

「また、来ます」

 そう言い残しカルマンはとぼとぼと大公邸の門前を去る。
 しおしおと垂れ下がった息子の赤い尾を見つめて、スノゥが「まったく……」とつぶやき苦笑した。



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