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鳴かない兎は銀の公子に溺愛される【シルヴァ×プルプァ編】
【17】鉛の指輪
しおりを挟むお茶会の会場は一瞬でしずまり返った。
「そちらの方はずいぶんとお酒を過ごされてしまったようですね。どこかお休みになられるところに、お連れしなさい」
ヴィヴィアーヌが指示を出せば、侍従と警備の騎士が大山猫の小領主を囲んで「こちらへ」と半ば強引に茶会の席から去らせる。
しかし、そのあいだも彼は「まだ飲み足りない!」だの「俺も噂の毒姫を公子にかっ攫われる前に、ひと夜でも楽しんでおけばよかった!」だの「堅物が保護するようなことを言っておいて、散々楽しんで手放せなくなったのだろう!」だの聞くに堪えない言葉をわめき散らしていった。
酔っ払いが去ったあとはなんともいえない気まずい空気に包まれた。そこにパンパンパンと手を叩く音が響く。
ヴィヴィアーヌだ。彼女は朗らかに微笑んで、今の出来事などまったく気にしていないという態度だ。
「みなさまだってワインを過ごし過ぎて、痛む頭を抱えた翌日は、記憶にない口から出てしまったガマガエルの鳴き声に、頭を抱えた思い出はおありでしょう?」
その言葉に王侯の多数が思わず吹き出す。ゲコゲコという鳴き声は、たしかに酔っ払いのわめき声に似ている。そして二日酔いに頭を抱えて前日の記憶がない、なんて酒呑みならば誰もが身に覚えがある失敗だ。
「ですからね、明日。苦い薬湯をお口に渋い顔をなさっているだろう、あの方を責めないでくださいましね」
さらには悪酔いして退場となった小領主に対してさえ、労りと気遣いをみせる。そこにはイタズラっぽい微笑みをそえて。
惚れた腫れたの恋のから騒ぎをあちこちで起こしてきたこのあだ花が、巧みに社交界を渡り歩いてこれたのは、このどこか憎めない明朗さと快活さの魅力ゆえだった。
一旦は気まずくなりかけたお茶会の雰囲気は、ヴィヴィアーヌの機転でみごと切り抜けたように見えた。
「おまちなさい」
しかし、そこに納得出来ないものが一人。いや二人か。相変わらず険しい表情の聖ロマーヌ国の女王テレーザと、その孫姫であるカリナだ。
「日の輝く光の下に諸侯の方々が集まっているというのに、この“不祥事”を笑い話でおすませになられようとするなど、まったく情けない。
酔っ払いの戯れ言というには、とても看破出来ぬ発言だというのに、みなさまはそこのご婦人にお気遣いなさる理由でもおありになりますの?」
テレーザに冷ややかに見渡された、王侯の男性方の半分と行かないが、それでもかなりの数が目を逸らせる。つまりはヴィヴィアーヌとひと夜なりとも、そういう関係があった者達だ。
「それとも、勇者と四英傑の名も高い“大国”サンドリゥムに対する“ご配慮”かしら?」
サンドリゥムが大国であり、周囲に対し威圧的な態度など微塵もとらなくとも、勇者と四英傑を有する。これだけでも諸外国には圧力となる国である。これも事実だ。
「わたくしは同じ狼族であり長年の友好国であり、さらには女神ユウノの大神殿を預かる聖ロマーヌの大神官として、あえて申し上げましょう。不正と不義に満ちた婚姻の秘匿など、神々は祝福せず不幸しか呼ばないと」
だからこれは同族であり、長年の友好国のことを“憂慮”しての発言なのだとテレジアは続ける。
さらには自分は国主であると同時に、聖職者でもある。これは神々へ御心を正す発言でもあるとも。
女神ユウノは大陸で信じられる多くの神々の中でも指折りの信仰を集める、結婚と豊穣、家庭を守り、“純潔”の乙女を守護する女神だ。
その大神殿には王侯貴族に平民まで参列者が絶えない。一生に一度はユウノ大神殿に参って、聖ロマーヌの聖都ヴェナン名物、クリームがたっぷり添えられた、アプリコットジャムのショコラのケーキを……というのが、庶民の憧れであるが。
「この虚飾の結婚を思いとどまることなく強行なさるというならば、わたくしは偽りの花婿と花嫁に鉛の指輪をお贈りしましょう」
これは女神ユウノの神話に由来する。金の指輪は永遠の愛の証であり夫婦円満の印。鉛の指輪は移り気な恋心を現し、やがては破綻を意味する。
これは二人の婚姻をけして認めないといったも同然だった。そしてテレーザはただの女王ではない。大陸中から篤い信仰を寄せられる大神殿の大神官だ。それも夫婦と家庭を守護する女神ユウノの。
これを王侯の前で宣言されるのは大変な不名誉といえた。
「ならば、私達にも同じように、鉛の指輪を贈っていただきましょうか?」
口を開いたのはノクトだ。スノゥもまた「たしかに私達、番もユウノ女神様より、鉛の指輪をいただかねばなりません」とこたえる。公の場ではスノゥだって言葉はあらためる。
「なにをおっしゃっていられるの?」
いぶかしげな表情の聖ロマーヌの女王にノアツン大公は、うやうやしく言葉を続けた。
「夫であるグロースター大公と私が番になったとき、なぜか、そちらより結婚証明書をいただかぬままでしてね」
『あ』とばかりの表情のテレーズは己の過去のささやかな“非礼”を思い出したようだった。
聖ロレーヌ国は王侯の婚姻の祝いとして、女神ユウノの大神殿の結婚証明書を贈るのが、慣例となっている。
だがノクトとスノゥの婚姻の贈り物には、そこにあるはずの結婚証明書がなかったのだ。
当時王だったカールはそれを笑って許した。
「あえてこちらから結婚証明書が入っておらんなどと催促するのも野暮というもの。そのままにしておけばよいじゃろう。
あの潔癖女王にも困ったものだ」
と。
当時はスノゥに関しての根も葉もない噂が、社交界には流れていた。流浪の兎族なんて、ノクト王子と出会うまでなにをしていたやら……と。それがお堅い女王のお耳にはいって、ロマーヌ国としては祝いの品を贈っておいて、結婚証明書を贈らないことで大神官としての自分はこの結婚を認めていないと、ささやかに抗議したのだ。
とはいえ、それは昔の話。友好国としての外交の機会にスノゥと直接会った女王の誤解はすぐに解けて、けして親しくはないが顔を合わせたときには、和やかに談笑しあう間柄だ。
テレーズはすっかり忘れていただろう。そしてノクトもスノゥもそれを根に持つような狭量ではない。
しかし、それとこれとは別で、利用させてもらう“狡猾”さは二人にはある。
「あのときは丁寧な結婚の祝いの品を贈っていただきありがとうございました。結婚証明書をお入れになるのは“お忘れ”になったのだろうと、こちらから“ご催促”するのも非礼にあたると、そのままになっておりました。
ですからその“代わりに”鉛の指輪が贈られるならば嬉しく思います。鉛のように重く不変な愛の証として」
普段は無口なノクトだが、黙っていては宰相は務まらない。話すときは話すし、これぐらい遠回しで慇懃な物言いも、もともとの頭の出来はいいのだからさらりと口にも出来る。
「たしかに私達も六人の子に恵まれましたし“もらい忘れていた”結婚証明書の代わりに鉛の指輪をいただくのは良い記念になるでしょう」
白の盛装姿に二十歳少しすぎで止まった、儚げな美貌のノアツン大公もにっこり微笑む。いずれも純血種の三組の双子に恵まれた、この番の夫婦仲は大陸一として王侯貴族達にも有名である。
それが鉛の指輪をよこせなど、まったく最大級の嫌みであるが。
そこに「私たちもいただきたいです」と手をあげたのはルースの大王の番。エドゥアルドとアーテルだ。愛しい黒兎の言葉に続いて、黒虎の大王も「鉛の指輪とは“縁起物”ですな。ぜひ受け取りたい」と豪快に笑う。
さらにそこに「私達も鉛の指輪をお受けしたい!」と声をあげたのはサンドリゥム王太子エリックだ。それにジョーヌが「わたくしも殿下と同じくお受けしたいと思います」と涼やかな顔でいう。
「たしかに素敵な女神様の祝福だ。ぜひぜひ、私と可愛い番にも鉛の指輪をいただきたい」
朗らかに微笑みながらいったのは商都ガトラムルの首領ロッシである。それにザリアも「はい、僕も女神様からの“ご褒美”をもらいたいと思います」とにっこりする。
“不名誉”なはずの鉛の指輪を我も我も欲しいという者達を前に、お堅い神官女王はすっかり困惑している。
そして、その彼女に向かい恭しく胸に手をあてて騎士の礼をするシルヴァ。彼は真っ直ぐに女王を見る。
「私も喜んで鉛の指輪をお受けいたしましょう。私達の結婚はなんら恥じるところなどありません。私とプルプァは永遠をともにするとすでに誓いあっております」
嫌みも飾った物言いもしない。ただ誠実なシルヴァの言葉は、それが真実だと聞いた者達に思わせるには十分だった。プルプァへの深い愛情も。
「こんなの茶番よ!」
それでも納得出来ないのはただ一人、カリナ姫だ。祖母である女王の横で、それまで厳しい表情ながら、沈黙して立っていた少女は、堰を切ったように叫ぶ。
「シルヴァ公子。あなたはその可憐な姿をした毒花に惑わされているのです。
地下の娼館にいたですって! 何人の男達を相手にしたの? 穢らわしい! 純潔でないあなたなど、高潔でご立派なシルヴァ公子に相応しくないわ!」
シルヴァの横に立つプルプァを指さして少女は叫ぶ。それに「おだまりなさい!」と立ちはだかったのはヴィヴィアーヌ。
「わたくしの大切なプルプァを侮辱することなど、これ以上は許しません!」
余裕の微笑などそこにはなく、白い面には怒りがあった。そこにいるのは愛する孫を守ろうとする一人の祖母だ。
「なによ! 女侯爵と名乗っていたって、男を手玉にとって国を維持するなんて、あなたこそ高級娼婦の元締めみたいなものじゃない!」
ヴィヴィアーヌに一喝されて、一瞬たじろいだカリナ姫だったが、このままでは引けないとばかり負けじといい返す。
「グラン・マを悪くいうのはやめて」
少女とも少年ともとれる不思議な声。それに横にいたシルヴァも周りも息を飲む。
プルプァだった。
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