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おチビちゃんは悪いおじ様と恋をしたい!【ザリア編】

【8】臆病者の想い

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「ゴメン、母様、今回は見逃して!」

 大使館の二階の窓から飛び出そうとしていたところをスノゥに見つかったザリアは、必死に両手を合わせて訴えた。
 昨日ロッシに突き放されて反論しようとしかけたけど、そこで表通りに出てしまい、待ち合わせのアーテルが待っていた。彼は「大事なおチビちゃんを送り届けましたよ」なんて自分に見せた冷たい顔を一瞬でひっこめて、にこやかに礼をして去っていってしまった。
 人混みの中に消えていく、あの黒衣の広い背中には文句をいっぱいいってやりたかったのに、言えなかった。
 そこで早朝、こっそり大使館を窓から抜け出ようとしたら、母に見つかったのだ。スノゥは腕組みして。

「昨日、お前の様子がおかしかったから、様子を見にきたら案の定だ」
「どうしてもロッシに会って話したいんだよ!」

 早朝なので声をひそめながらも、ザリアは強く主張する。

「ロッシ?」
「黒犬のドゥージェのこと。僕には初めにそう名乗ったんだよ」

 スノゥがあごに手を当てて一瞬考えるそぶりを見せる。ここで父のノクトを呼ばれたら終わりだ。いや、強引に窓から飛び出しちゃおうか? とザリアは考える。

「ま、いいか。出かけるぞ」
「え? お母様?」
「お前がその窓から出ようとしていたんだろう。だから行くぞ!」
「は? あ!」

 ぐいと手をひっぱられて二階の窓から二人は出た。不意打ちでも、スノゥと同時にすとんと着地したのは、さすが薫陶を受けたこの母の子兎だけある。

「俺も散歩に出る。ノクトの奴ザリアだけじゃなくて、俺が自由に街を歩くのも気に入らないんだ。常に視察だの茶会だのと一緒で、一日ぐらい息抜きが欲しい」

 そのままてくてく庭を横切って、自分達の背丈の二倍近くはある、大使館の壁をひょいと越えるのも、さすが純血の兎親子というところか。
 「まずは朝食だな」とマント姿の親子二人……よく考えたらフード付きのそれを用意している時点で母も、お忍びをするつもりだったのがまるわかりだ。

 早朝から開いている屋台で注文する。細長いパンをきって、そこに具材を挟んで焼く、温かなサンドイッチだ。この都市でもその周辺でも、よくある庶民の食べ物だ。、
 ハムは抜きで、その代わりにトマトとゆで卵を追加して、あとはレタスとチーズで波の模様の鉄板にギュッと挟んで焼いて出来上がり。こんがり焼き目の模様のついたそれは蕩けたチーズの断面もあいまっておいしそう。

 それに温かなお茶を頼んで、二人で運河沿いのベンチに二人並んで食べた。大運河からほど近いこの場所は、昼間は観光客やら商人が右往左往するが、今は早朝ということで、人はまばらだ。
 ザリアは昨日の経緯をざっと話した。アーテルから聞いたこともだ。大陸会議の秘密の議題を聞いてしまったと、ザリアが肩をすくめれば「アーテルの奴め」とスノゥは呆れながらも。

「だが黒い犬のドゥーチェがお前を突き放したのは、いらぬ危険に巻き込みたくないからだろうな」
「揉めているの?」
「揉めていたというのが今の現状だ。最初は意見が対立していたけどな。サンドリゥムにルースと大国は軒並み奴隷売買の禁止の賛成に回り、議題は可決でほぼ決まりだ。だからこそ、今まで奴隷売買で甘い汁を吸っていた奴らは焦っているのさ」
「焦って?」
「なんとか形勢を逆転しようとな。だから議題を提出した、あの黒犬のドゥーチェの周辺がきな臭くなってきたってわけだ」

 「どうする?」とスノゥは聞いてきた。

「どうするって、だからって今さら自分に関わるななんて、腹が立つ」
「それは孤児院の子供達に会いたいからか? それとも、あの黒犬の伊達男に?」
「そ、それは……」

 スノゥに意地悪く微笑まれて聞かれて、ザリアは頬を染めた。

「……よくわかんない。でも、文句を言ってやらなきゃ気がすまない」
「ま、そうだな。あの男にぶつかって、自分の気持ちもあの男の気持ちも確かめてくるといい」

 「そこで砕けたら、屍は拾ってやるよ」なんて不吉な言葉を残して、スノゥはベンチから立ち上がって去っていった。振り返りもせずに頭の上で手の平をひらひらと振るのが、いかにも母らしい。
 たぶん、これからスノゥは十分この都市を堪能するために、そこらへんをほっつき歩くのだろう。気付いたノクトが血眼になって探す姿が思い浮かぶ。
 そしてそう簡単に捕まるような母ではない。つまりはその間、母は父の気をザリアから逸らしてくれているわけで。

 捕まった母がどんな“おしおき”をされるかと思うと、本当にお気の毒というか、申し訳ないと心の中で謝りつつ、ザリアは立ち上がった。



 あの男をとっちめに行くのだ! 



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



「あの言葉だけで君が大人しくしてくれるとは思っていなかったけどね」
「それがわかっているなら、あんな風に言い逃げなんてしなければいいのに」

 朝から孤児院に押しかけてロッシを待つつもりだった。忙しい彼はそれでも一日一度は孤児院へ短い時間でも顔をのぞかせていると、子供達に聞いていたから。
 だけどその孤児院へと行く前の裏路地でロッシは、ザリアを待っていた。「少し話そう」と運河の小さな水路に止めてあるゴンドラに誘われる。
 ゴンドラには漕ぎ手はいなくて、ロッシ自らがかいを手にとったのには目を見張った。

「この都市の生まれの男だ。ゴンドラ一つぐらい漕げないとね」

 そんな風にいって彼は片目をつぶったけど、自らゴンドラを漕げるドゥーチェなんて、なかなかいないと思う。
 細い迷路のような水路を抜けて、いきなり開けた場所に出た。葦の茂る広い湿地に向こうに朝日に輝く海が見える。葦の原もまた黄金に輝いて、ザリアは思わず歓声をあげる。

「綺麗」
「これが商都ガトラムルの原風景だよ。蛮族に追われた者達が最初の杭を打ち込んでこの都市を創り上げた」

 それを忘れないためにここだけは開発されずに残されているのだという。今は栄える都市も、実はなにもない芦ノ原から始まったのだと。

「私はこの商都を愛している」

 広がる海の反対側、海面の上に浮かんでいるような巨大な都市を、ロッシが櫂を手に見つめる。その都市もまた、朝日の光を受けて輝いていた。

「しかし先人達が切り開き、無から有を生み出したこの都市もまた、歴史を重ねるうちに変質し、悪徳の都などと呼ばれるようになった。今こそ、その膿を出すときだ。
 しかし、変革にはかならず痛みと犠牲が伴うものだ。私はその覚悟は出来ている。しかし、君は巻き込みたくない」
「危ないから近寄らないほうがいいって? 僕は嫌だよ」
「聞き分けなさい“おチビちゃん”。そもそも、評判が悪い私に、清く正しい勇者と英傑の血筋の君が近づくのさえ、初めからよくないことだったんだ。
 実際、君の父上と兄上は私を良く思ってはいないだろう?」

「僕は“おチビちゃん”じゃないし、もう立派な大人だよ。お父様とお兄様の意見なんか関係ない。
 あなたとも会うし、孤児院にも行く」
「その孤児院もだ。君はずっとここにいる訳じゃない。可哀想な子供達にお菓子をごちそうして、せがまれるままにお歌と踊りを踊って、はい、さよならかい? 
 それは君の自己満足だ。残される子供達は君が突然来なくなれば、結局身勝手だと感じるだろう」
「子供達にはお手紙だって書くし、サンドリゥムのお菓子も送るよ。今は転送装置で一瞬で跳べるんだから、時間を作って訪ねることは可能でしょう?」
「だから、それが偽善だと私はいっているんだ。ひととき子供達と楽しんで、君はよいことをしたと思っているかもしれないむけどね」
「よいことなんて思ってない。僕はただ子供達と美味しいお菓子を食べて、僕の歌と踊りで彼らが喜んでくれるのが嬉しいんだもの。
 それがそんなにいけないことなの?」

 ザリアは叫び、そしてゴンドラの船縁で櫂を握って立つ、ロッシの胸に飛びこんだ。
 ゴンドラが大きく揺れる。ロッシが片手でザリアを受けとめ、もう片方の手で櫂を巧みに操って、小舟がひっくり返るのをなんとか防いだ。
 「危ないじゃないか!」と声をあげるロッシをザリアは真っ直ぐ見つめる。

「明日、大好きな人が死んじゃうからといって、ロッシはその人に会わないほうがよかったって考えるの?」

 見開かれる黄金の瞳に、ザリアはさらにいう。

「僕はそれでもあなたに会いたい。会えなかったことのほうがずっと悲しいもの!」
「喪失の悲しみを知らない若者の言葉だな」
「どうせ、僕はおチビちゃんだし、大人のあなたに比べたらなにもかも知らないかもしれないけど、一度の失敗で穴倉にこもるような、臆病者にはなりたくない!」
「黒犬が臆病な穴熊かい? それはみんなに笑われそうだな」
「冗談にしないで」

 「ぷぅ!」とザリアの口から思わず出る。

「ロッシは僕に会いたくないの? 僕のことが嫌い?」
「そういう言い方は卑怯だよ、ザリア」
「え?」

 初めて名を呼ばれたと思ったら、ロッシの顔が近づいてきて、思わずぎゅっと目を閉じた。
 そっと、唇がひたいに触れた。





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