ウサ耳おっさん剣士は狼王子の求婚から逃げられない!

志麻友紀

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凡庸王子と出来すぎ公子【ジョーヌ編】

凡庸王子と出来すぎ公子【2】

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 エリックの両親は“わきまえた人”だ。

 父ヨファンは将来王となったときは、政はすべて、弟にして勇者、この国の英雄であり宰相でもあるノクトに任せると割りきっている。
 母エルダも、自分よりも華やかで美しい大公配であるスノゥに欠片も嫉妬する気持ちはない。「あの方はお綺麗なうえに、グロースター大公閣下とともに、この国を救った英傑ですもの」と。
 なにごともおっとりした深窓のお姫様のままの性格もあるのだろう。だけど、そんな母ののんびりした態度が、父の癒しになっていることもエリックは知っている。

 弟であるグロースター大公が現在はノアツン大公とも呼ばれるスノゥと、出来ちゃった……ごほんごほん……結婚した、その一年後にはヨファンもエルダを迎えている。
 しかし、その後二年ほどエルダに懐妊の気配はなかった。グロースター大公家にはすでに双子の御子がいるのに……と、うるさがたの貴族達がヨファンに側妃を勧めた。しかし、このときばかりはどっちつかずの殿下というあだ名が嘘のように、父は頑として拒否した。

 エルダがよい……と。

 その二人のあいだに生まれたエリックは、両親に愛されて育った自覚はある。王子が一人では心細いと、これまたまたうるさい貴族達は、また側妃を……という声もあげたが、父はやはり無視した。

「こんなことは考えたくもないが、エリックに万が一のことがあれば、私の次にはノクトがいるのだ。あれは純血種だから私の倍は生きる。つまりは私の替えもエリックの替えもいるのだよ」

 別に皮肉でもなんでもなく父は穏やかな微笑を浮かべていった。

「気弱な私だけではうるさがたの貴族達に囲まれれば反論一つもできないだろうが、後ろにノクトがいてひとにらみするだけで、あれらが黙りこむのだから王となる身でも気楽なものさ」

 と……。

 かといって父はグロースター大公にすべてを任せて自分は遊び惚けていればよい……などとは思っていない。それは父がいまだ王立大学から学者を招いて、様々なことを学んでいることからもわかる。
 父王カールの横に立っているだけの王太子などといわれているが、そのじつ、父と高官達がどのようなやりとりをしているか、しっかりと記憶していることも。
 歳のせいでもないだろうが祖父カールが「あのときはどうだった?」と訊ねると、父が「このようなやりとりをされました」とすらすら答えるのを、何度も見たことがある。それに祖父王がしみじみと「お前は王より書記官のほうが向いていたかもしれんな」といっているのも。

 父はいう。「この私でも黙っていれば王にならねばならんのだ。お前も気負うことはない」。
 祖父はいう。「お前も父の次に王になる。なに困ったら、お前の後ろに立つグロースター大公に泣きつけばよい。純血種のあれはお前の代でも宰相であるからな」。

 そして母は。

「あなたには好きな人と一生をともにして欲しいわ」
「好きな人ですか?」
「そう、それだけで人生は幸せよ。わたくしと殿下もそうでしたから」
「父上と母上はその……政略結婚では?」
「たしかに王命ということになっているわね。でも、お見合いのお茶会で初めてお会いして、わたくしをあのちょっと気弱そうな目で見る殿下に『ああ、この方がわたくしの将来の夫になるんだわ』と思ったの。
 それから、わたくしはずっと幸せよ」

 母はやっぱりおっとりと少女のような瞳のままでいった。
 自分にも将来、そんな人が現れるのだろうか? と思った。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 幼い頃より、大賢者モースや王立大学からやってくる先生達の授業があった。そして十二歳となったときに、十日に一度ほど祖父カールの書斎に呼ばれて話す機会が加わった。
 祖父との会話はいつだって、不思議で難しいなぞなぞに満ちたものだった。
 たとえば青い石を見せられて、それを祖父はなんと黒いインク壺にどぼんとつけた。そして「石の色はなんだ?」と訊ねる。

「黒です」
「不正解だな。この石の色は青じゃ」

 え? 今の色は黒でしょう? とは思ったが、たしかに石は青だったのでエリックは黙るしかなかった。
 また次には、赤い紙を取り出した目の前で燃やされて「紙の色は?」と訊ねられて「赤です」と答えたら。

「燃えてしまったのだから、色もわからないじゃろう?」

 といわれた。さすがに意地悪だとエリックがむうっとすれば。

「世の中理不尽なことに満ちあふれているものだよ。エリック君」

 そう言われた。
 エリックはもやもやした気持ちを抱えたまま、王宮の図書室へと向かった。
 行ったのはたまたまだ。
 それまでのエリックは教師から読んでおくようにと与えられた本は読んでいたが、自分から本を開くなんてことはあまりなかった。
 並ぶ本棚の間を歩きながら、エリックは思わずつぶやいていた。

「正しい答えが認められなくて、へ理屈を言われたって答えなんか出ないや……」

 ぼんやり本棚を眺めながらつぶやく。
 黒いインクにつけた石は黒だし、燃えた紙は赤だったのだ。
 やっぱりお爺さまは意地悪だと思う。

「世の中はそういうことが多々あります」

 本棚の裏から聞こえた少年の綺麗な声に、びっくりした。ひょいと白い顔が棚からのぞいて本を抱えたその子はこちらに歩いてくる。

「こんにちはジョーヌ公子」
「ごきげんようエリック殿下」

 金色の毛並み、垂れた耳の兎の仔。
 金色の大きな瞳がこちらを真っ直ぐ見たのにドキリとした。
 知らぬ顔ではない。王宮での儀式のときだけでなく、家族の集まりでも何度も顔を合わせた。
 ただ、こんな風に二人きりということはなかった。

「それでいまの言葉は?」

 九歳の子に先ほどの祖父と同じようなことをいわれてエリックは思わず眉を寄せる。

「正しさなんて人によって変わるということです」
「どういうこと?」
「たとえば赤という色一つとっても、リンゴの色にたとえたり、夕日の色に例えたりする人がいます。それは間違っているわけではないでしょう?」
「そうだね」
「でもその赤い色はリンゴと夕日では違うし、もっと別の赤を思い浮かべる人もいるんです。だから本当に正確な赤なんて、実はないのかもしれない」

 ジョーヌの言い方はちょっと難しくてエリックはうーんと考えた。
 けっこうな時間、物思いに耽っていたと思うのに、ジョーヌはいた。じっと大きな黄金の瞳が自分を見ている。普通は飽きてどっかにいってしまうだろうに、目の前にいるのに思わず肩をびくつかせて、びっくりした。
 自分が考えごとをし出すと、同年代の貴族の子弟の学友だって、遊びに行ってしまうのに。
 「エリック殿下のぼんやりがまた始まった」と。

「……結局、みんなの中にはそれぞれの答えがあるってこと?」

 考えた末、出た答えを告げれば、ジョーヌは黄金の瞳を軽く見開いて「はい」と笑顔になった。
 いつも冷静ですました顔ばかりしていると思っていた子の、その花咲くような笑みにエリックは思わず見とれた。
 十日後、エリックは祖父の書斎に呼ばれた。

「今日はそうじゃな。カードでもするか」

 いつものわからない問答ではなく、いきなりの遊びの誘いにエリックはびっくりしながらうなずいた。
 二回やって初めは祖父が勝ち、二回目はエリックが買った。三回目となってエリックが勝つはずだった。
 しかし出した七のカードを祖父はビリビリに破ってしまった。エリックは目を丸くする。そして、自分は道化のカードを出す。

「これでワシのあがり、勝ちじゃな」
「ちがいます。私が先に七のカードを出しました」
「そのカードはないではないか」
「たしかにお爺さまが破りました。しかし、私はそのカードが七であることを覚えています」

 祖父に言い返したなんて、実は初めてでエリックのカードテーブルの下の足は震えていた。
 答えなんて人の見方によって変わる。
 正解などないこともある。
 ジョーヌとの会話で出た答えが胸にあった。そしてあいまいでよくわからないけれど、祖父のこの意地悪な問いかけの回答なんじゃないか? とも。

「……いうようになったわい」

 祖父は嬉しそうに笑い「褒美だ」とエ・ロワールのショコラが三粒はいった箱をくれた。
 それを持って図書室をのぞくとジョーヌがいた。箱を見せて「一緒に食べよう」と誘えば「図書室では飲食禁止です」と生真面目な答えが返ってきた。
 断られたかと思わず耳と尻尾を垂れてしょぼんとすれば。

「中庭でいただいていいですか?」
「もちろん!」

 庭のベンチで二人並んで、ショコラをひとつずつ。最後の一個を「よかったら食べて」とジョーヌにゆずる。

「でも殿下がいただいたものでしょう?」
「君のおかげで初めてお爺さまの意地悪に勝てたからいいんだ」
「……ではいただきます」

 ショコラを摘まむ白い指。カリッと半分かじって、そして、その指はエリックの口許に。

「口を開けてください」
「え?」
「半分こしましょう。あーん」

 あーんって、生真面目な顔でいう言葉だろうか。こちらをじっと見る金色の瞳に気圧されるみたいに、思わず口を開けたら押し込まれた。
 幾度か噛んで呑み込んだショコラの味は、甘いのか苦いのかわからなかった。
 「おいしいですね」とにっこり笑うその顔に、こくりとうなずいた。





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