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1巻

1-3

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 そこへ、嫌味な声が割り込んできた。

「可愛らしいお部屋ですって! たしかにね。四十五番目のみそっかすの王子様には、お城の片隅に物置みたいに小さなあなたの部屋を確保するので、精一杯だったんじゃない?」

 マイアとともにそちらを見れば、赤のミニドレスをまとった少女が腕組みして立っていた。
 彼女の周りには取り巻きみたいに数人の魔法少女がいる。

「あたしは昨夜、王宮の敷地内にある邸宅で、天蓋付きの大きなベッドで寝たんだけど。第十王子は自分の魔法少女のために、寝室以外にもドレスルームにお友達を招くためのサロンも用意してくれたわ」

 なるほど、こいつは第十王子のパートナーか、とコウジは目を眇める。
 名前は……まあ覚えなくていいか。赤いの……で。
 さて、煙草を吹かしながら『赤いの』を眺めていると、彼女はこちらをキッと睨みつけてきた。

「第九王子ののパートナーさん。あなたにお話があるんだけど」

『仮』ってなんだ? 
 コウジは片眉をぴくりと動かしたが、彼女は目の前の男の反応など、まるで気にせずに続ける。

「第九王子ジーク・ロゥ殿下が召喚の儀式に遅刻されて残っていたあなたを選ばれたことに、あたし達は抗議します!」

 赤いの……は、ぴしりとコウジの顔を指さして告げる。
 ……人を指さすなんて失礼な奴だな。

「今一度、第九王子からの選定のやり直しをするべきだわ! ジーク・ロゥ殿下には、九番目以降の魔法少女達全員の中から一人選ぶ権利があるはずだし。あたし達にも平等にその資格があるはずだもの」

 平等と来たか……と、コウジは胸の内でつぶやく。『平等』と叫べば正義の側に立てると現代日本で育った彼女達は思っているのだろう。
 赤いドレスの取り巻きだけじゃない。
 この一角の騒ぎに気づいた少女達がざわめき出す。

「そうよね」
「たまたま、あの人が残っていたから」
「たしかに不公平よ」

 少女達はそう囁きあっている。
 おじさんに突き刺さる彼女達の視線が痛い。
 同調圧力、それも二十二歳の陰キャ童貞がもっとも苦手とする女子の……なんて、おっさんのガワをまとう前なら、ちびって震えて声も出なかっただろう。
 しかし今、コウジの心は不思議にいでいた。口の片端に煙草をくわえたまま「ん……」と一瞬考えるフリをして口を開く。

「その自分達に都合のいい提案は却下だな。赤い嬢ちゃんよ」
「都合がいいですって⁉ あなたなんてどの王子にも選ばれずに最後まで残っていただけで、たまたまジーク殿下が遅刻されたから、あの方のパートナーとなっただけでしょ!」

 コウジが拒否すると思っていなかったようで、赤いの……は細い眉をつり上げて、尖った声をあげる。そして意地悪く唇の端をつり上げた。

「まあ、あれだけの方ですもの。変えたくなくて当然よね。今回の災厄の討伐でも、一番の成績をあげるだろう最有力候補ですもの」

 なるほど、そういうことか……とコウジは思う。あの王子様は外見だけじゃなくて、四十五人いる王子のなかでも飛び抜けて優秀らしい。
 あの屋敷だって、現王が通わなくなったとはいえ、少しも落ちぶれた雰囲気はなかったから、そうとうな財力もあると見た。母親の実家はこの国で一、二を争う大ブルジョアだというし。
 顔良し、頭良し、さらにありあまる財力を、たしかにあの王子様は備えている。

「だいたいあなたみたいなおじさんなんか、どの王子様だって選びたくなかったはずよ」

 そう言ったのは、赤いのの、横にいる緑のだ。赤いのに緑と……好物だったな。この世界にはカップ麺なんてないよなと思いつつ、コウジはくわえた煙草を指で摘まんで、口を開く。

「どの王子だって選びたくなかった――そいつはおじさんも同感だ。だがな、『あなたは選ばれた特別な魔法少女です』と女神様に異世界へ招かれて浮かれる気分はわかるが、おめでたい頭はそろそろ引っ込めて現実を見たほうがいいぜ。嬢ちゃん達よ……」

 思ったよりも低い声が出た。
 目の前に並ぶ魔法少女達を三白眼でギロリと見れば、彼女達は一瞬ひるんだように沈黙した。が、赤いのは、やはりその色通り気が強いのか「おめでたいってなによ!」と言い返してきた。

「彼氏選びのアプリゲームじゃないんだぜ。そう簡単にほいほい相手を変えられると思っているのか?」

 これはゲームの世界ではなく現実だ。
 夢ではないと、昨日ケツの痛みで思い知りました……なんて冗談は口にしないが。
 コウジはふうっと息を吐き出してから、赤い少女を見つめた。

「王子様と魔法少女は災厄を退ける、魔力も命も預け合うパートナーなんだろう? 互いの背を守り合う相手だっていうのに、顔や財力で『こっちの人がいいです』ところころとチェンジされたんじゃ、信頼関係なんて築けるものか」

 そもそも、この時点で騒ぎが十番目以降の王子様達の耳に入ってみろ。いや、必ず入るだろう。その後のお互いの関係がギクシャクするのは必然だ。
 このお嬢ちゃん達はそういうことが、まったくわかっていない。
 いやコウジだって、二十二歳のコンビニ店員のみのスキルならば、彼女らとどっこいの甘ちゃんだろうし、そもそも若い女子相手というだけで、こんな口は利けなかっただろう。
 これは中二病だった自分が考えたおっさんのスキルなのか? それともそのままそれを現実にしてしまった女神様の祝福とやらか。
 いや、こんなおっさんの姿が祝福なんて思えないが。
 ともあれ精神の頑丈さは幾度も修羅場をくぐり抜けてきたおっさんだ。
 目の前で未だ不満げににらみつけてくる小娘達の視線など、そよ風程度にしか感じず、再びくわえ煙草を吹かす。

「……それにな、選び直しをしたとしても、ジークの奴は俺を選ぶ……かもしれないだろ?」

 かもしれない、と言いつつ、コウジには不思議と確信があった。
 奴はまた自分をまっすぐに選ぶだろうと。

「な、なによ。ジークなんて呼び捨てにしちゃって。それで親しいアピールのつもり?」

 目の前の赤いのが焦った声をあげ、その後ろで緑のが悔しげな顔をする。それに、どこか得意な気分になってしまう。
 奴は自分を選んだのだと。
 たった一度抱かれただけでそんなことを思うのは不思議だが、ジークの瞳や手から伝わってきた熱が嘘だとは到底思えなかった。
「おじさんが気持ち悪い」だの「ジーク殿下だって、女の子のわたし達がいいはずよ」なんてピーチクパーチクわめく声も、煙草を吹かすおじさんの厚いツラの皮には、微塵もダメージを与えない。
 しかし、いい加減うるさい。赤いのは挙句の果てに「ジーク殿下に直接たしかめさせてよ!」とまで言い出した。それに「いいぜ」とコウジはあっさり返した。あきらかに歓喜の色を浮かべた目の前の娘に「ただし」と続ける。

「嬢ちゃんを選んだ王子様にもきっちりお断りを入れるんだな。ジーク王子に選び直しをしてもらいたいから、あなたとはパートナーにはなれませんとな」
「そ、それは……」

 コウジの言葉に赤い娘どころか、隣の緑やその背後の娘達の表情もみるみるくもる。まったく甘い考えだと呆れて眺める。こっちの王子様のほうがいいと言っておいて、キープは残しておきたいという考えありありだ。 

「見苦しいわよ、あなた達」

 そこに声をあげたのは紫魔法少女、シオンだった。
 彼女はカツカツとかかとの高いパンプスの音を鳴らし、こちらにやってくる。それから赤と緑の二人をその紫の瞳で冷ややかに見た。

「あなた達はそれぞれの王子に選ばれた。これは女神アルタナの裁定よ。受け入れなさい」
「だから、それが平等じゃないって、わたし達は……」
「平等? あなたの通っていた学校の学級会じゃないのよ。神がいて魔法があって、法律も違う。民主主義じゃない、王様や貴族がいる国よ。第二王子のパートナーである私は序列二位で、あなたは十位。序列からして反論は許さないわ」

 学級会とはよくぞ言ったとコウジは、シオンに内心で拍手した。ぴしゃりと言われて赤いのが押し黙る。
 しかし、シオンはその流れでコウジも睨みつけてきた。

「序列九位のあなたもあなたよ。十位以下の者達のこんな自分勝手なワガママ、黙らせもしないで言いたいことを言わせるなんて」
「おじさんとしては、嬢ちゃん達にわかるように丁寧に説明してやったつもりだけどな」

 そもそもなにも答えず、黙って右から左へと聞き流してやってもよかったのだ。
 彼女達がどうあがこうが、おそらくこの決定は覆らないだろう。
 コウジ自身も、コロコロ相棒が変わるのは正直いただけない。これから災厄退治に向かう、互いに背中と命を預ける相手なのだ。
 それならばジークがいい。
 昨夜、寝台の中でジークに囁かれた「あなただけだ」「私の運命の人」なんて言葉にほだされたわけではない。
 ただ、あの剃刀かみそり色の瞳に浮かんだ熱情は嘘ではないだろう、とそう思っているだけだ。こんな、おじさんになにこだわっているのか? とも思うが。
 ま、おそらく魔力連結とやらの相性がよかったんだろうな……とコウジは結論付ける。
 まあ乱暴ではなかったし、最後には気持ちよかったし……身体の相性もよかったのか?
 ぼんやり考えていると、シオンはつんとした表情を崩さずに告げた。 

「じゃあ、文句を言われてでも若い女の子達とお話したかったの?」

 紫のツンデレ、いや、ツンツン少女がおじさんの痛い所を突いてきた。
 ――いや実際、別の意味で不埒なことを考えていたのだが。
 コウジは肩をすくめて、首を横に振る。

「俺のタイプは、なかよし学級会を開くようなお嬢ちゃん達じゃない。バーの片隅で酒とタバコの相手をしてくれる、大人のイイ女だけだ」

 いまのは決まったかな? と思ったが、シオンはフンと鼻を鳴らす。

「ヘビースモーカーなんて今どき流行らないわよ。出来る女ほど、禁煙も出来ないこらえ性のない男なんて、ゴメンだわ」

 おお、なかなか辛辣だ。もしかして、シオンの母親はそんな出来る女ってところか? そうなら、らしいねぇと思っていると、シオンの矛先はさらに別のところへ向いた。

「だいたい、序列一位で、第一王子のパートナーたるあなたが、ルール違反をした者達をとがめるべきじゃないの?」
「……え」

 振り返ったシオンに訊ねられたのは、ピンクの髪にピンクのミニドレスの甘いお菓子みたいな魔法少女。第一王子アンドルに選ばれたユイだ。
 彼女にもすでに取り巻きがいて、穏やかに話していたのだが、急にシオンに話をふられて戸惑った表情を見せている。
 それから彼女はおどおどとした様子でシオンに言った。

「みんな、仲良くしてほしいです。これから女神様のお告げで、王子様達と一緒に災厄を倒さないといけないのだし」

 優等生だが、幼いともいえる発言に、シオンは苛ついたように顔をしかめた。

「仲良くなんて理想はどうでもいいわ。でも、女神アルタナの神託は絶対。王子に選ばれた魔法少女の序列は変わらない。そこはあなたもわたしと同じ意見と考えていいわね?」
「ええ、すべての王子様は素晴らしい方だし、自分を選んでくださったその方を大切にすべきだと思う」

 これもまた、どこぞの夢の国のお姫様かというお言葉だ。そのおっとりした感じといい、いかにも愛されて育った雰囲気といい、ユイは生粋のお嬢様なんだろう。
 シオンはユイの当たり障りのない言葉に、不満げではあるが「序列一位の決定よ」と他の魔法少女達に告げて、この騒ぎを収めた。
 王様との謁見前だというのに、くたびれたおっさんは、よりいっそうくたびれたような気がした。


   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇


 その後、コウジと魔法少女達はいよいよ玉座の間に召されることになった。
 しかし、黄金の玉座に座る王様は、ずいぶんと覇気がないように見える。美形ばかりの王子様の父親だけあって、五十代という年齢にしては……というよりその枯れ具合の渋みがまたイイ男ではあったが。
 実際、このところ体調が優れないとのことで、謁見のあと行われた王都郊外での魔法少女達のお披露目には姿はなかった。
 臨時に造られた物見台と天幕内には結界が張られ、貴族に将校クラスだろうピカピカの軍服をまとった軍人、神官達が居並んでいる。軍事モノとファンタジーが融合したような光景だ。
 ちなみに『お披露目』というのは、魔法少女達の能力を見るための模擬戦闘だ、と脳内の知識が教えてくれた。
 広大な草原に召喚された魔物と戦う。
 異世界にやってきて二日目で実戦さながらの模擬戦かよと思うが、女神アルタナによって召喚された魔法少女達は訓練など必要なく、その能力を使うことが出来るという。
 実際、序列一位と二位の魔法少女達の戦いは見事なものだった。
 ぽわぽわしたお嬢様かと思ったピンクの魔法少女ユイは、戦闘となるときりりとした顔になって、お花の付いたスティックを手に光の花をまき散らし、小型の魔物達の動きを止めた。
 紫の魔法少女シオンが、手にした弓で紫の炎をまとった矢を放って魔物達を消滅させていく。
 ……ふむ、あのお嬢ちゃんの武器は弓か。
 この二人の活躍でほとんどの魔物は倒されて三位~五位までの少女達はまったく印象に残らなかった。とはいえ、それぞれ一体ずつ魔物を仕留めたのだから、初戦闘ならばまあ合格点だろう。
 一位から五位までの演習が終わると、次は序列六位から十位までの魔法少女とコウジの戦闘だ。待機の天幕から外に出ようとすれば、係の神官に「コウジ殿」と呼び止められた。

「あなたの序列は九位ですが、昨日は最後に選ばれたということで、その……模擬戦闘は最終組となります」
「ああ、わかった」

 ちょっと言いにくそうな口調だった神官に、コウジはあっさりとうなずく。
 おそらくこれはの一環だろう。
 ジークが昨日のお披露目の時刻を半刻遅く告げられていたように、そのパートナーである自分も早速その洗礼を受けたということらしい。
 ただ、コウジとしては序列だの、順番がどうこうだのにはプライドもこだわりもない。
 天幕の中に戻り、片隅の椅子に腰掛ける。おじさんは疲れやすいので椅子があればすぐ座るのだ。
 立ちっぱなしでおしゃべりする少女達を眺めて、元気でいいねぇと思う。
 そして、自分が参加するはずだった序列五位から十位もとい、十一位が繰り上がりで参加した戦闘を、天幕に設けられた魔法の映し鏡で眺める。
 新宿にある巨大モニターみたいに鮮明な画像だ。こうなると魔法も科学も区別が付かない。実際このデカい映し鏡は演習場だけでなく、王都の広場にも常設されていて、今回はこの演習の様子も流されているそうだ
 そして、見ているうちに気がついた。さて、どうも、この序列というのは魔法少女としての能力に関係してるらしい。
 繰り上がり十一位は、十位のあの赤いのの横にいた、緑だ。
 十位と十一位で仲良くなったようだ。
 しかし、その彼女達の戦闘は無様なものだった。
 魔物を見て悲鳴をあげて逃げまどう。あげくスッ転んで衣装を泥まみれにする。
 戦闘を見守っていた、魔法騎士達が慌てて救助に向かっていた。王宮の魔法騎士団の彼らは、万が一のために配置されていたものだ。本来戦えるはずだった魔法少女達には必要ないものだ。あれでこの先、実戦で通用するのか不安になる。
 あとで聞いたが、あの赤いの……と緑の……は控えの間での自分達の主張が通り、序列九位からの選び直しがされると思い込んでいて、それぞれの王子様と魔力接続の儀式を行っていなかったという。
 魔力接続しなければ魔法少女として半ば目覚めていない状態だというから、魔物を見たら恐怖を覚えて逃げ出すのも当たり前だと。
 まあ、たしかに現代日本で平和にぬくぬく暮らしていた少女が、いきなり魔物と戦えるのが異常なのだ。ゲームじゃあるまいし。魔力の接続にはそんな意味もあったのか、コウジも感心したほどだ。おじさんも王子様に抱っこされて目覚めました……なんて、うん、これは考えないようにしよう。
 そんな多少の騒ぎはあったが、そのあとも模擬戦闘は進んだ。
 街頭モニターもとい、巨大な映し鏡の戦闘をコウジはぼんやりと眺めるが、やはり序列があとになるにつれて、戦闘の質が落ちている。
 一位のユイと二位のシオンのように鮮やかでない分、戦闘時間も長引いていた。
 それでも魔法少女達が怪我一つすることはないのだから、これは女神の加護と言うべきだろう。
 その魔法道具も大変多彩だ。剣に槍やボウガンにハンマーなんて武器系に、ベルやタンバリンなんてメルヒェンなものまで。
 そうして数時間経った頃だろうか。最終組の名が呼ばれて、コウジは立ち上がった。
 天幕の入り口まで行くと、その横にイエローの魔法少女マイアが並んだ。

「コウジさんと一緒なんて心強いです」
「おじさんもマイアちゃんを頼りにしてるよ」

 草原へと出ると、召喚された小型の魔物達がこちらに向かってくるのが見えた。
 ――さて、戦い方は脳内が教えてくれるらしいが。
 そう思いつつ、身体が動くままにコウジはくわえ煙草を指で摘まんだ。そして駆けてくる魔物達に向かって煙草を突き出す。
 ゴウッ! 
 魔物達に向かって紫煙が流れると、またたく間に煙は黄金の炎となって、敵を火だるまにしてしまった。
 一瞬にして消えてしまった魔物に、他の魔法少女はあっけにとられている。
 マイアが「コウジさん強いんですね」と言う。

「うーん、強すぎたかな?」

 煙草が武器になるのは女神さまから与えられた知識のおかげで『わかっていた』が、今のはちと強力すぎる。焦げ臭いにおいとともに、草原が燃えているのを魔法騎士達が消して回っている。もう少し威力を調整出来るようにしないと、立派な放火魔になってしまうと、コウジは後頭部の寝癖だらけの髪をくしゃりとかき回した。

「しかし、まいったな。おじさんが全部倒したんじゃ、君達の活躍の場がないよね?」

 マイア以外の魔法少女達をちらりと見る。
 魔物の追加ってあるのかねぇ? 
 そう考えていたのだが。

「ん?」

 ゆらりと蜃気楼のごとく、巨大な影が正面に現れた。
 コウジが要求する前に追加が来たようだが、どうもおかしい。
 天を見上げるほどの大きさなど、いままで呼び出された魔物と違う。
 緑の色をした巨大なトカゲ……いや違う。頭には大きな角。乱杭歯が見える大きな口からは、息を吐くだけでちらちらと炎が輝く。手足の黒いかぎ爪に、背にはコウモリの翼。
 あれは――

「嘘だろう?」

 女神がインプットした頭の中の情報が警鐘を鳴らす。
 竜。巨大なその魔物はこの世に降り注いだ【災厄】の一つだ。
 緑の巨大な鱗に覆われた巨体。赤く輝く目が、ひたりとコウジを見つめる。
 こいつの狙いは自分だと、その視線から判断する。

「嬢ちゃん達は天幕の中へ逃げろ!」

 とっさにコウジは叫んだ。天幕の中は結界の張られた安全地帯だ。しかし、コウジがそこに逃げ込んでも、竜は踏み潰す勢いで来るだろう。

「コウジさんはどうするんです⁉」

 他の魔法少女が一目散に天幕へ駆けていくなか、マイアがそう叫んだ。

「いいから行け!」

 コウジは竜を睨みつけたまま怒鳴る。

「こういう命がけの時はな! 自分のことだけ考えろ! 他人の心配なんかしてるんじゃねぇ! ピート王子が心配してるだろうが!」

 振り返りもせず叫べば、マイアは「はい」と答えた。
 足音が遠のいていくから、きちんと逃げたに違いない。
 一瞬、大丈夫だろうかと振り向くと、マイアの前にコウジの煙草の炎を逃れたらしいデカい鶏の姿をした凶暴な魔物が現れた――が、「邪魔よ!」と彼女に蹴りを食らってコケーッ! とすっ飛んでいった。
 ……そういえばマイアちゃんの手には魔法道具がないと思ったが、なるほど肉弾戦型か。
 どうやら大丈夫そうだ。もはや見ている場合じゃないとコウジは駆け出した。
 普段座ってばかりのおじさんだが、この細い足は意外と速いのだ。走るときは走る。
 天幕からなるべく離れようと思ったが、ドスンドスンと地響きを立てて追いかけて来る竜の足音がなくなった。
 ちらりと後ろを振り返ったら、バサリと翼をはためかせて飛んでいる。
 一直線にコウジの頭上まで来ると、その口から業火のブレスを放った。

「ちっ!」

 広範囲のそれは左右に避けられるものではない。そう判断するやいなや、よれたスーツの懐のポケットから新しい煙草を一本取り出す。ライターもマッチもないが、指を鳴らせば火がついた。
 ぶわりと紫煙が噴き出す。
 その煙が結界のようになって炎を防ぐ。ブレスの灼熱も感じることはない。
 初めてにしては我ながら完璧なんて、思っている暇はない。
 ブレスが消えたあとには、くわりと口を開いた竜の牙が見えた。
 ぱくりとやられれば一巻の終わりだ。

「まだまだ!」

 脇の下のホルスターから相棒の銃を取り出し、引き金を引いた。
 ガーンととどろく銃声。出たのは一発の小さな銃弾だが、それは竜の口に吸い込まれた瞬間、閃光を放ち、荒れ狂う嵐となって、その頭のみならず巨体まで吹っ飛ばした。
 これで終わったか? と思ったが――

「おいおい、嘘だろう?」

 カタカタと音がして、ぞろりと再び巨躯が天を突く。骨だけとなったそれはしかし、目にぎらついた光を灯している。
 ドラゴンゾンビと、また女神様の恩恵か、脳裏にその名が浮かぶ。

「殺しても死なないんじゃ、いい加減しつこいだろう」

 そうぼやいたところで「コウジ!」と空から声がした。
 ジークだ。
 いったいどうやってここに来たんだ、と思ったが、映し鏡でこの戦いの様子が流されているのを思い出した。どうやら騒ぎを見て助けに駆けつけてきてくれたようだ。
 その手には漆黒の槍があった。マントをなびかせて、ドラゴンゾンビとコウジの間に降り立つ様は、まさしく姫を救いに来た王子様だ。もっとも自分は姫ではなく、無精髭のおじさんだけど。
 骨だけの枯れ枝のような翼をばさりと広げると、ドラゴンゾンビは、その口から巨大なブレスをジークに向けて吐き出した。
 さっきは赤だったが、今度は冥府の炎を思わせるような青だ。

「ジーク!」

 赤より青の炎は高温だ。思わずジークの名を叫ぶ。
 が、彼は避けもせずにその直撃を受けた。
 いや、ただ受けてはいない。その長槍を風車かざぐるまのように回転させて、炎をせき止めていた。

「問題ない」

 そう言って一瞬微笑むと、ジークは瞳をギラリと光らせて、白い骨だけとなったドラゴンゾンビに向かって駆けた。そうかと思うと、空中に飛び上がる。
 まるで鬼神のような険しくも凜々しいものだ。
 ドラゴンゾンビの長首がカタカタと骨の音を鳴らしながらたわみ、宙へと跳んだ長身を追いかける。青いブレスが再び吐き出されるが、黒い槍がまたその炎を弾く。
 そして、ジークはその白い頭蓋に飛び乗ると、勢いそのままに槍を突き刺した。
 耳をつんざくような絶叫をあげたドラゴンゾンビの巨体が、どうっと地面に崩れる。
 槍はその頭蓋のみならず、その巨躯を地面ごと串刺しにしていた。縫い止められたドラゴンゾンビは骨だけとなった身体をカクカクともがかせている。
 ……まだ動けるのかよ。
 そのしぶとさにコウジが眉をひそめる。ジークが振り向き、コウジを見つめた。

「炎を! 【災厄】は魂まで消滅させなければ、滅びない」
「わかった!」

 さっきの結界に使った煙草を骨だけになったドラゴンゾンビへと投げれば、それはたちまち黄金の炎に変わる。それにジークが「グラフマンデよ!」と呼びかけると、ドラゴンゾンビの頭に突き刺さった槍から、雷光が走る。
 それが炎と混じり合って、黒い影となって骨から抜け出ようとしていた魂さえ燃やし尽くす。


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