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【11】黄金の鳥籠
しおりを挟むラドゥに「死ぬな」と命じたあと、アジーズは政務をするために内廷へと去って行った。後宮に籠もりきりだった、父帝の“酒呑みサリド”と違い、銀獅子の帝王は勤勉なようだ。
実際、帝位に就いてからは日常生活はずっと内廷で寝起きし、ハレムには一度も足を向けることはなかったという。
もっとも帝王の代替わりと同時に、ハレムの女達も総替えとなって、旧宮殿へと移ることが習わしとなっているから、寵姫もいないがらんどうのハレムで寝泊まりしたところで、意味もなかったのだろうが。
「即位されてから一度も“お渡り”がなかったこと、我ら宦官一同、心配しておったのですよ。
しかし、今回めでたく“お方様”を迎えられて、“初床入り”もなされたとのこと。まことにおめでとうございます」
「…………」
背が低く丸い卵みたいな形をした小男の宦官が、ぺらぺらと話している。髭のないつるりとした顔は“相変わらず”年齢不詳だ。
宦官とは王宮に使える“去勢”された男性使用人だ。その多くは少年時代に“処置”をなされるが、これを成人男性への刑罰とする国もあると聞いている。
いずれにしても、ひとつ神の信仰においては神から与えられた身体を傷つけるなどとんでもない。東方の野蛮な文化だとされている。
内廷に政務へと向かうときにアジーズは「お前の世話は“なじみの顔”がいいだろう」と言い残していった。
そして、アジーズと入れ違いにこの小男が入ってきたのだ。
たしかになじみの顔ではある。
少年時代に人質として、この宮殿に送られてきたとき、ラドゥには一人の使用人もつくことがなかった。属国とはいえ一国の王子にだ。
こんな捨て駒同然の人質を“殺してくれ”とばかりに送りこんでくるなんて……ということだろう。殺されることはなかったし、三食の食事に日当たりの悪い狭い部屋ではあったが寝る場所は与えられた。
しかし、それだけだった。
だが、いつのまにか自分にはこの小男にもう一人世話する宦官がつけられた。包帯で顔をぐるぐる巻きにした陰気な王子に、かまうことなくこの小男の宦官は初めからぺらぺらと、陽気にさえずり話しかけたのだった。
「それまでどんな美しい女奴隷の献上品も受け付けなかった、銀獅子の大王様が“突如”としてハレムにお方様をお迎えになられたということで、外廷の大臣達も内廷の小姓に宦官達もそりゃもう大騒ぎで。
嘘ではないか? と疑う不忠者もおりましたが、ええ、無事に初夜を迎えられた“お印”が挨拶門に掲げられるとようやく、みな納得したようで」
挨拶門とは外廷にある門のことだ。帝王の門が宮殿の正門、閲兵式などが行われる広大な前庭を経て、挨拶門があり、そこから先が書記官や大臣達が行き交う行政区となる。
帝王が“妃”と初夜を迎えたときに、その処女を奪った印のシーツを挨拶門にかかげるのが、古くからの習わしなのだと、顔も卵のようにまん丸なら、身体もまん丸の宦官はぺらぺらとしゃべり続けた。 しかし、後宮に何百とは大げさだが、何十人と献上される奴隷女の寵姫の処女を、いちいち帝王が奪いましたと、毎度公開してきたのか? と思ったが、あとで聞いた話では、この因習は帝王が“正妃”を娶らなくなってからは、すっかり廃れた儀式だったという。
それが帝王となって一年弱。ハレムに誰も入れず、もしや銀獅子の帝王は“男色”なのか? との噂も流れ始めた頃に、いきなり正体不明の寵姫を迎え入れたうえに、正妃を娶った古の儀式を復活させて、挨拶門で大々的に公開したというのだから、それはもうひっくり返るような大騒ぎとなったという。
こんな話をそばでピーチクパーチクうるさい鳥のごとく言葉を並べる宦官男に、思わずこめかみに指をあてる。軽い頭痛さえ覚える。
「とはいえ、陛下は大変“ご丁寧”にお方様を“抱っこ”なされたようで、シーツには一切“お印”がなく。そこはそれ、この私めの知恵にて葡萄酒を杯一杯ほどこぼして、そのように見えるものを作りますれば、皆コロリと騙されまして……。
はて、お方さま。頭などお押さえになってどこかお加減が? また侍医を呼ばねば……」
「その必要はない。お前は少しは黙れ、ムクタム」
この男の名前はムクタムだったなと思い出す。しかし、こんなおしゃべりな宦官をどうして誰が以前の自分の世話係につけたのやら……。
一体誰なのか思い出せずに、なにやらくらりと目眩さえする。「お方様」と呼びかけられて「その呼び名だ」と眉間にしわを寄せる。
「しかめっ面をされてもお美しゅうございますが、しかし、そのように可愛らしい額に深い谷間を刻まれては、お痕になってしまわれますぞ。皺は美容の大敵ですからな、お方様」
「誰がお方様だ。俺は男だ」
「はあ、お方様はお方様でございますから」
「…………」
話が通じないとため息をつく。この宮殿の主人はもちろんアジーズで、宦官などその帝王の家臣どころか持ち物の奴隷なのだから、あれがロバを馬だと言えば馬になるのだろう。どこの帝王が男の妃を迎えるのだ? と言いたいが。
「さあさあ、お方様。イライラの原因である血の道の病には、ざくろ茶が一番でございますよ。ご用意させましょう」
血の道の病とは、婦人病のことではないかと思ったが、このよく回る舌に付き合うのも疲れて、無言でいたら肯定ととったのか、ほどなくして玻璃の透明な茶器に赤い温かな液体が満たされた茶が出された。
茶と銀皿に盛られた茶菓子をもってきた、大柄の宦官もよく見知った男だ。黒い髪を短く刈り、南大陸出身だろうことを示す黒い肌。丸くちんまりしたムクタムとは対照的な、四角い顔に四角い身体のがっちりした男だ。
名はたしかナスルと言った。
ナスルに対し、ムクタムはうるさくさえずることなく、手早く指を幾本か立て両手をひらひらさせるような仕草をする。するとナスルもまた、片手で指を幾本か立てる動作を繰り返し、うなずき、その場を離れた。
手話だ。
ナスルは耳が聞こえない。彼だけではなく、この宮殿では側仕えの宦官が幾人も採用されている。聞こえず話せず、さらに彼らには文字も教えない。そのことが却って、貴人のそばで仕えるのに秘密をもらすことなく、重宝するというわけだ。
手話もこの宮廷独特のもので聞こえずしゃべれずの宦官達は、この宮中の外に出れば、その手で誰とも話すことは出来ない。
まるで籠の中の鳥だなとラドゥは思う。
それはこのハレムに閉じこめられた女達も同じだ。 まさか、自分もそこに封じられるとは、思いもしなかったが……。
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