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【36】ピクルスの壺
しおりを挟むヴォルドワンとカイの親子の絆だけを信じるほど、リシェリードの考えは甘くはない。カイは絶対助けると熱く思いながらも、その考えはあくまで冷静だ。
カイは精霊使いだ。リシェリードほどの加護はなくとも、彼は守られている。精霊はこの世界のすべてにある。たとえ心の闇の中にあろうとも、風と火と水と土は常に精霊使いのそばに。
リシェリードはヴォルドワンの呼びかけを、精霊達を通じてカイに届ける。そして、自分もここにいると。
火と風と水と土がいつでもカイのそばにいるように……。
自分達もここにいるのだと……。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
暗闇に閉じこめられていたカイの意識は急速に目覚める。
「カイ!」と呼びかける父の声が、あの光の庭の中からする。精一杯、手を伸ばして、その光を掴む。自分の周りをくるくると回る、赤に緑に青に黄……これは精霊達?
悪い夢から目が覚めた感覚。がくりと前のめりに倒れかけたカイの身体を力強い腕が抱きとめてくれる。
「父様!」
「ああ、よかったカイ。目覚めたな」
ヴォルドワンがホッと息をつく。父のこんな顔をカイは初めて見た。まじまじと見つめる。
その父親の肩の向こうで、リシェリードが旋律のような呪文を唱えていた。精霊使いであるカイの目には、シルフィードの緑、ウンディーネの青、サラマンダーの赤、ドワーフの黄が輝く螺旋を描いてその身体を取り巻き、天に昇っていくのが見えた。
四つの色が一つになって、光となる。
やっぱり綺麗な人だと思った。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
魔女は焦っていた。
本来の醜い肉体を捨てて、美しい女の身体へと乗り移り、そして人から人へと、どれほどの年月が過ぎたのか、彼女にももうわからない。
あるのはただ美しい肉体を手にいれ、力を手にいれ、己の欲望を満たし、その果てにすべてを支配すること。
それだけとなっていた。
そして、始まりなど忘れた歳月の中で宿主の中から、その者の意思で追い出されたことなど初めてだった。
寄生してしまえば、相手の心の弱さをついて、その魂を闇へと閉じこめて、自分がその肉体を使い捨てにするまで、利用し続けられるはず。
それが、あんな子供に追い出されるなど。
どこまでもどこまでも自分の邪魔をする魔法使い!
魔女は最初、カイの魂を闇に落とすために、リシェリードの邪悪な幻影を見せた。父親であるヴォルドワンの愛を独占するために、カイは邪魔だと冷ややかに告げる彼を。
しかし、あの子供はそれはリシェリードの偽物だと見抜いた。子供の心の中にある光の庭にすむ魔法使いと、横にいる父を壊すことは出来なかった。
だから、代わりに子供の一番恐ろしい記憶である、若い乳母の虐待の記憶。その悪夢を繰り返し繰り返し見せて、誰も自分を助けてくれないのだと絶望させ、暗闇の中に閉じこめた。
もう二度と這い上がってこられまいと……。
唯一の危惧はあの光の庭の記憶であったが、それも闇の牢獄に囚われてしまえば、抜け出すことなど出来まい……と。
だが、あのいまいましい魔法使いは、精霊達に呼びかけて、子供の心を揺り起こした。光の庭が闇をうち払い、子供の魂自身が「出て行け!」と魔女を追い出した。
三百年前もこのように肉体を失い、あわてて逃げ出すはめとなった。
原因は同じく、あのいまいましい魔法使いと、そして自分からはじめて望んだ強い男。初めて自分の誘惑を袖にした憎たらしい……魔の一切きかない希有な身体の男。
また、時は来る……と思った。
どんな肉体でもいまは選んでいられない。はいりこみ支配し、また別の都合のよい身体をのっとって、力を蓄えて、今度こそ。
魔女は諦めが悪いのだ。
魂だけとなった存在は玉座の間の天井をすり抜けて、遠くへと逃げようとした。
しかし、その魂を“網”が捕らえた。
それは結界のように固くはねのけるものではなく。まさしく網だ。魔女の魂を絡め取って動けなくする。それが玉座の間の周りに張り巡らされていた。
玉座の間の分厚い結界はカイの魂が目覚めた時点で、巨大なオーブが砕け散り消失していた。その上から覆い被せるように網があらかじめ張られていたのだ。
魔女の魂を捕らえるための罠が。
魂だけで魔女は見た。
玉座の間の扉の前に並ぶ魔道士達が、小さなオーブを手に呪文を唱え続けているのを。
そして、玉座の間の中央に立つリシェリードがその網の中心となっていた。四大精霊達を操り、魔道士達の結界を美しい網目模様に織り上げる。魔女の魂をその網で捕らえて、逃がさぬと引き寄せる。
三百年前、お前を逃がしたのが唯一の心残り……いや、違うか。
魔女の魂に直接リシェリードの声が響く。
私の心残りはヴォーだ、ヴォー。北の皇帝になれだなんて、こちらの無茶ぶりを生涯かけてかなえたあげくに、三百年たっても忘れなかった、危なっかしくて愛しい男。
なぜ、ここでのろけなど聞かされねばならないのか?と魔女は腹が立った。やはりこの魔法使い性格が悪い。
ともあれ、お前との三百年の決着もつけねばならん。これで終わりだ。
リシェリードが手に持つものに向かって吸い込まれる。それを見て魔女は叫んだ。
なんで、そんなもの!この性格どブス!と。
魔法で織られた網が収縮し、魔女の魂はその“壺”の中へと吸い込まれた。リシェリードがカチンと蓋をする。
「よし、これを北の果て、永久凍土の奥深くに埋めてしまおう。封印のほこらなんて仰々しいものはつくらないぞ。そこらへんの地面でいい。そのほうが誰も場所もわからない」
歌う様に言ったリシェリードにカイとともにやってきたヴォルドワンが口を開く。
「リシェリ。魔女を封印する器はそれでよいのか?もっと頑丈なものに移し替えたほうが……」
「鋼鉄の壺にしたって、蓋を開けられてしまえば封印は解けるよ。それより誰も知らない場所に埋めてしまうのがいい」
魔道士達に魔女を封印する方法まで伝授しておいて、その封印する器を用意するのを“うっかり”忘れていたリシェリードだった。
それを思い出したのは、なんとラルランドにはいってから。昼食のための行軍を止めての休憩時間。「あ」と軽く声をあげたリシェリードから話を聞いた、ヴォルドワンはとたん苦虫をかみつぶしたような顔になった。
「それで器をどうするのだ?」
「別に蓋が出来るものなら、なんでもいい。あ、これでいいか」
リシェリードは自分がぽりぽりと囓っていたもの。それがはいっていた容器を見て言った。ヴォルドワンの表情はますます険しくなったのだが。
「それは……」
「うん、ピクルスの壺」
リシェリードの好物である白いアスパラガス。それがつけ込まれた壺だった。
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