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【30】たった一人と国の価値 その1
しおりを挟む「そうだ。魔女は私達が死ぬのを待って、世界を我が物にするつもりだ。だけど、そんなことよりも……」
五十年後かとびきり長生きして百年後かは知らないが、リシェリードにはそれより大切なことがあった。
「カイだ。カイの身体から魔女の魂をたたき出して、あの子を救わなくては!」
精霊使いの大切な身体を魔女が粗末にするとは思えない。しかし、あの子が暗闇に封じられている。それを思うだけで、少しでも早く助けなければと思う。
それこそ、今すぐにでもラルランドに転移して。
「ダメだぞ」
そう思ったとたん、ヴォルドワンに細い身体を包みこむように抱きしめられた。
こうするとこの男の身体その者が魔封じのようなものだ。腕を掴まれただけなら、彼ごと転移できるが抱きしめられると魔力が発動出来なくなるなんて、本当にご都合主義すぎる身体だろう。
「長距離を跳ぶことはあなたでも体力を使う。三日、食事もとらずに寝ていて目覚めたばかりで、それをするのは無茶だ」
たしかに跳んだ先には、魔女がいてすぐに戦いとなるだろう。気持ちは焦るが、カイの救出を失敗するわけにはいかない。
「せめて寝込んでいた三日は休んでくれ」というヴォルドワンの言葉にリシェリードは頷く。「三日、あなたが休んだならば、俺も……」と言いかけたヴォルドワンの言葉を「なりません」と今度は制したのは、オドンだ。
「またお二人のみで、ラルランドに乗り込むおつもりですか?お二人は突撃隊の一騎士ではないのですぞ。この帝国の頂点に立つ皇帝と皇妃なのですぞ」
まだ皇妃ではないとはリシェリードは今度も口に出来なかった。そこには選帝侯家の長老として皇帝と帝国を支える気概に満ちた老臣がいた。
「カイ殿下をお助けするためにラルランドに向かわれるというならば、万全の供揃えで向かわれるよう。
ラルランド国境沿いには未だ千騎隊が一つ駐留しております。それも動かせましょう」
帝国がそこに軍を残したのはラルランドを威圧するためではない。帝国が侵攻したことでかの国の強固な結界が緩んだことが知れ渡ってしまった。他国がラルランドにいらぬ野心を抱かぬためのけん制だった。
「さらに十日の時間をくださるならば、五千騎は即座に動かし、ラルランドに向かわせることができるかと」
十日……とリシェリードは思った。十日でも長いと感じたが、しかし、カイの救出だけではない。今度こそ魔女の“封印”をしなければならない。再びの災厄とならないためにも。
三百年前は帝国となる前の北方の騎馬民族の脅威より、ラルランドを守る為。リシェリードはその命を犠牲にして大結界を展開した。在位したのは一年にも満たない。
当然、魔女の魂の探索はならず、その封印も出来なかった。だが、今なら……帝国には優秀な魔道士達も育っている。
しかし。
「カイの救出のためだけに、帝国の軍は動かせまい。軍は皇帝の私兵ではない」
「左様。たしかにただ殿下をお助けするという理由だけでは、大臣や将軍達は頷かないでしょうな。帝国に利はない」
ヴォルドワンの言葉にうなずくオドンにリシェリードは「なぜ」と思わず声をあげる。ぎゅっとヴォルドワンの腕の拘束が強くなる。たしかにそうされなければ、衝動的にラルランドに跳んでいたかもしない。
そんなリシェリードにオドンは「たしかにカイ殿下はおかわいそうにございます。ですが憐憫だけで帝国の貴重な兵は動かせません」と告げる。
「帝国の皇帝となるのは皇帝の子ではない。まして、今の陛下は若く頑強でらっしゃる。内にこもったラルランドが動くのは、お二人が死んだ数十年後となればなおさら、帝国軍を今すぐ動かす必要はない。
むしろ、十年の計画をもって万全とし、魔女討伐に出るのが上策だと、この老人も思いますな」
たしかにカイはただの皇帝の子だというだけだ。そして、卵のようにラルランドの内に引きこもった魔女が出てくるのは、現皇帝と皇妃の死後と予想されるならば、それまでに対策を練ればいい。
リシェリードとて三百年前は王だった。だからオドンの言いたいことはわかる。たった一人の皇子を救うために、万の軍を動かし兵士達の命を損なう訳にはいかないと。
政とはときに非情なものだ。
リシェリードが一国を救うために自分の命を犠牲にしたように。
「……だからカイを見捨てるというのか?」
「リシェリ。そうは言ってない。カイは必ず助ける。だが、皆を説得する時間が必要だ。魔女に対抗する準備も」
「それはどれほどの時間がかかる?半年か?一年か?五年……いや、十年だと?十年あの子の意識は眠ったまま、目覚めたときには魔女の操り人形として、身体は成長しそれだけの時がたっていたなんて。
そんなことになれば、あの子の人生は滅茶苦茶だ。帝国のために一人を切り捨てるなんて、そんな……」
「だって……」とリシェリードはヴォルドワンに抱きしめられた腕の中でいったんうつむき、次に顔をあげて言った。
「ヴォー。お前の子じゃないか?」
「リシェリ……」
ヴォルドワンが大きくその緑の瞳を見開く。その顔を見つめるリシェリードの空色の瞳には、薄くきらめく膜が張る。泣くほど弱くない。ないけど。
「私を優しいとお前は言った。違う、私は自分勝手で冷酷だ。子供は確かに可愛い。国の為に可哀想と思うが、それでもただの子供ならば十年の月日も待つ……いや、見捨てることも出来るだろう。
でも、カイはお前の子供だ。三百年前、私はお前に生きて北へ行けと言った。同時に願ってもいたのだ。
私のことをいつかは忘れて……欲しくはないが、それでもお前の傷が癒えて、きっと彼の地で愛する人を見つけて、お前の子が生まれて、家族に囲まれて……」
自分が与えることが出来なかったものを、この男に与える者が現れることを願った。別に女性でなくともいい、子供が生まれなくとも。たった二人でも温かな家族となれば……。
「冗談ではない。俺はひとりで死んだ。あなた以外の者など求められなかった」
「わかっている。お前とこうしてまた会って知った。お前の寂しい最期を。私はお前に帝国を作れという呪いだけを押しつけてしまった。
だけど今世はカイがいる。お前の息子で、そして、もう私の家族だ」
別宮で共に過ごした期間は短く、三人でただ朝食をとる……ごっこ遊びと笑われてしまえばそれまでだ。だけど。
「今の私はもう王ではない。カイと同じ、ただの王子だ。だから、お前が軍を動かせないというならいい。皇帝としてお前が動けないというのも。
だったら、私ひとりで行かせてくれ」
「リシェリ、あなた一人でなど行かせないと、何度、俺に言わせる。ならば俺も皇帝という地位を捨てて……」
「なりませぬ!」
雷鳴のようなオドンの声が響いた。老人は鷹のように鋭い瞳でヴォルドワンを見つめる。
「ご退位だけはなりませんと、何度この老人に陛下は懇願させるのですか?あなた以外の帝国皇帝はあり得ない。
強き方よ。帝国をお見捨てになるつもりか?」
オドンの言葉にヴォルドワンの瞳が揺れる。
彼は帝国皇帝だ。
三百年前はリシェリードが王として、彼よりも国を選んだ。
自分のために退位すると彼はいつも口にしてきたが、それでもこの帝国を愛していない訳ではない。三百年前、帝国を創り上げ、そして、今は若き皇帝として国を導いている。
リシェリードはそんな彼に抱きしめられた腕のなかで一つ息を吸って目を閉じた。
冷静にならなければならない。
カイは絶対に見捨てない。
同時にラルランドの民のことも思い出した。やはり自分は酷い人間だなと思う。自国の民よりも、一人の子供が大事なのだ。
魔女に占領されたあの国の民の末路は、化け物と成り果てることだ。どちらにしろ彼らにも未来はない。
カイもラルランドの民も両方救う方法を。
リシェリードは閉じていた目を開いてヴォルドワンに告げた。
「ヴォー……いや、ラルランド魔法王国第二王子リシェリード・オ・ルラ・ラルランドとして、マルヴァール帝国皇帝ヴォルドワン・ジ・ジル・マルヴァール陛下に願う。
両国の民の安寧と未来のためにラルランドを帝国に併合することを」
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作者の新作情報はtwitterにてご確認ください
https://twitter.com/sima_yuki
『チンチラおじさん転生~ゲージと回し車は持参してきた!~』
ハズレ勇者のモップ頭王子×チンチラに異世界転生しちゃった英国紳士風おじさま。

【同一作者の作品】
【完結】婚約破棄の慰謝料は36回払いでどうだろうか?~悪役令息に幸せを~
【完結】どうも魔法少女(おじさん)です。
【完結】断罪エンドを回避したら王の参謀で恋人になっていました
【完結】長い物語の終わりはハッピーエンドで
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