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【25】選帝侯会議 その2
しおりを挟む前世の記憶を取りもどしたヴォルドワンならば、皇帝の地位に未練などない。リシェリードを選んで退位する。
その可能性もあったのだと、思い当たらなかった自分のうかつさにリシェリードは内心悔やむ。
同時に、それを自分に言わなかった隣の男を、思わずちらりと見た。
彼がその決意を告げなかった理由はわかっている。
帝国の皇帝だからこそ、ヴォルドワンはラルランドに庇護を与えられる。ただ人となったのなら、新たなる皇帝が率いる軍が、ラルランドをたちまち踏み潰すかもしれない。
いや、だから皇帝ではないヴォルドワンは、リシェリードにとって価値はないと?
「……馬鹿にするな」
思わずつぶやいていた。ヴォルドワンが「リシェリ?」と思わずその名を呼ぶ。
「お前が皇帝であろうとなかろうと、二人でやれないことはない。皇帝などさっさと退位したければしろ。お前一人の食い扶持ぐらい、ラルランドに戻ればいくらでも養える。これでも私は公爵位の領土持ちだからな」
帝国の選帝侯領と比べれば、ちっぽけな領地だろうが、それがどうした。戦乱もなく結界に守られた三百年、帝国領より南に位置するラルランドの土地は豊かで民が飢えたことのないのが、唯一の取り柄といえるだろう。
「帝国がまた攻めてくる?私が帝国皇帝の暗殺に失敗したのは、お前が皇帝だったからだ。今度はお前と二人ならば、帝国など十万の軍とて怖れるに足らぬ。
次期皇帝の首だけでなく、将軍の主立った将校達の首もまるごと刈り取って、いばら野の帝国との国境に首塚を作ってやるさ。三百年どころか、永遠に帝国が、我がラルランドに侵攻する気など無くなるようにな」
それまで貴婦人のごとくしとやかだった王子のこの豹変に、オドン以下の選帝侯達はぽかんと口をあけている。逆にヴォルドワンは鮮やかな微笑を見せて。
「では、あなたは私が退位してもかまわないと?」
「好きなようにするといい」
「あなたのへの愛に殉じて、只人となってもかまわないと?」
「くどい、お前一人ぐらい養えるし、二人で帝国の猛将達の首を狩るのも悪くない」
ニヤリとリシェリードは微笑めば、ヴォルドワンがその白い手をとって、指先に誓うように口づける。
「むろん、私も皇帝の冠など捨てて、あなたのためのただ一つの剣となることは、無上の喜びだ」
「…………」
リシェリードは冷静沈着に見えて、結構にキレやすい。前世でもその言葉は刃のようだとよく言われたが……。
結構に言ってしまってから、これは目の前の男にハメられたのか?と思う。リシェリードの言質をとって、思うがまま退位して自由になるための。
むろん、ヴォルドワンが退位するなら、それはそれで構わない。帝国との関係はたしかにやっかいとなるが、今、語ったような過激な対策でなくとも、いくらでも方法はあるだろう。
もう結界で国を閉ざすような方法は選ばない。三百年の弊害を目の当たりにしたからだ。停滞は人間を堕落させ、努力することを忘れさせる。
それに、今、リシェリードの手を離さないとばかりに握りしめる男が、再びの大結界など許さないだろう。それはまたリシェリードの命を贄として捧げることを現す。
さて、退位したヴォルドワンを連れて、素直に帝国がここから出してくれるか?いや、こいつを連れてこの場でラルランドに一気に転移したなら……いやいや、まだ彼は正式に退位してないから、これでは皇帝誘拐犯になってしまう。なかなかすごい名前だな、皇帝誘拐犯。
「なりませんぞ!」
雷鳴のような声を響かせたのはオドンだ。彼は「退位などけしてなりません」と繰り返す。
「初代皇帝陛下と同じく魔剣に選ばれ、その身に魔が通じられないお身体というだけではない!
皇帝となられてからのあなたは、西方の属国の叛乱を自ら出陣されて、たった三日という短さで見事におさめられた。内政におかれても三年前の冷夏の饑餓も、国庫を開くことで民を労られ、名君と名高い。
今のこの帝国において、あなた以外の皇帝は考えられない」
オドンの言葉にリシェリードは思わずその目を見開いた。選帝侯達は皆、てっきり後ろ盾もない皇帝をよく思っていないと思ったが、彼は違うようだ。
しかし、他の三人の選帝侯はヴォルドワンの退位宣言にしてやったりという笑みを浮かべている。扉側の末席の三人の若者達は、うかがうようにこちらを見て沈黙したままであったが。
「オドン老よ、陛下がご退位をお望みならば、これ以上お引き留めすることは出来ますまい?」
とはドボー家のコシュ。
「ならば我ら選帝侯は次の皇帝の指名をすみやかに行うのが役目」
とナジー家のボクサ。
「退位された皇帝陛下には自由なご余生を。かの南のちっぽけな小国、いやいやラルランドで悠々自適なお暮らしをされるのもよいでしょう。
もちろん退位なされた陛下にご不自由がないように、帝国から年金もお出ししますし、今回結ばれた和平条約もそのまま、両国のあいだには永の平和を」
とヤンカ家のフィクトルが、それぞれ順番でも決まっているかのように口を開く。しかし、それを「欲の皮が突っ張った愚か者めが!」とオドンが一喝すれば、彼らは同時に首をすくめた。
「陛下が退位すれば次の皇帝は自分達だと思っているのだろう?そして誰が即位するか知らんが、帝冠を頭に載せ、玉座に座ったとたんにラルランドとの和平条約を反故にして、かの国に攻め込むつもりだろうが。
そなた達はまったくわかっておらん。それは野に放った竜に挑むようなものだぞ!誇り高き我ら騎馬族の伝統も忘れて、馬に乗るのもおぼつかない羊皇帝たちよ!戦場には馬車で赴くつもりか?
そんな皇帝を戴いた帝国は、竜に率いられたラルランドに必ずや敗北するだろう。それこそが帝国の終焉の始まり。三百年前、我らはラルランドからはじき出されたが、今度はラルランドに呑み込まれる番よ!」
オドンの言葉に「おおげさな。老は杞憂がすぎます」「退位は陛下のご希望なのです」「それにラルランドとの和平条約を撤回するなど、あんなちっぽけな国いらな……いやいや、前陛下が余生をおくる国にどうして攻めこめましょう」とこれまたコシュ、ボクサ、フィクトルの順番に口を開く。
「やれやれ、たしかにお前が退位したら色々と面倒な者が皇帝となりそうだ。だったら、ヴォーが皇帝だったほうが、ラルランドのためのみならず、帝国のためのようだぞ」
もはやこの欲の皮が突っ張った者達を前に、上品に取り繕っている気も失せて、リシェリードは呆れてため息とともに口を開く。ヴォルドワンはリシェリードの手を握りしめたまま「あなたが望むなら」と再びその指先に口づける。
自分のひと言でそう簡単に退位すると言ったり、翻したりいいのか?帝国皇帝と思う。そして、「やはり、その王子は帝国に野心ありとみられる!」と声をはりあげたのはコシュ。
「陛下との愛に生きるようなことを言い、次には陛下の退位を止めるなど。やはり男を思うがままに操る、魔性であるな!」
さらにフィクトルが言いつのる。この男だけさっきから言葉が長い。この小太りの丸い顔には、よく回る舌がついているらしい。
「なるほど、たしかに傾城傾国だな」とお前はその言葉しか知らないのか?こちらは痩せぎすのボクサがあごに手をあてる。
「帝国への野心がありありなのは、お前達のほうだろう?昨日のドボー家での“お話しあい”では、秘蔵のヴートカの銘酒にベルーカの卵をつまみに楽しみながら、ずいぶんと現皇帝陛下退位後の夢想がすすんだようで」
リシェリードの言葉に、三人がぎくりと肩をすくませる。「な、なぜそれを知っている!」とおしゃべりなフィクトルなどは口を滑らせる。
ちなみにベルーカの黒光りする魚卵は最高級の珍味とされて、庶民は口に出来るものではない。ヴートカの強い酒に酔いながら、それをつまみに彼らが話し合ったことは風の精霊シルフィードによって、リシェリードには筒抜けだった。
「さてさて、選帝侯の席次順にドボー家のコシュが皇帝となり、あとの二人は“副皇帝”の地位を特別にもうけるとはよく考えたもの。しかし、老婆心ながら申し上げると、大変よろしくない仕組みだとしかいえない。
皇帝と副皇帝は対等なのか?皇帝にたいして副皇帝二人が反対したら?また逆に副皇帝の意見に皇帝が反対した場合、どうなるのかさえ決めてない。まったくずさんだ」
頭が三つある帝国など絶対に意見がまとまらないに違いない。今はヴォルドワンを退位させる、それだけでまとまっていたとしてもだ。
まあ、実際。
「二人がドボー家の邸宅から去ったあと、そこのコシュは残りの酒とつまみに酔っぱらいながら、自分が皇帝となってしまえば、こっちのもの。副皇帝制度なんてつくるものかと、つぶやいていましたから、さすがに賢明ですね」
リシェリードがそう言えば「このっ!副皇帝なんてうまいことを言って、結局自分だけが皇帝になるつもりか!」とコシュにボクサが食ってかかる。フィクトルもまた「こちらを利用するだけ利用するつもりだったのか!」と憤っている。
これではヴォルドワンが退位する前に、早くも仲間割れだ。
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https://twitter.com/sima_yuki
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