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【17】ぎこちないパーパ陛下とマーマ殿下 その2
しおりを挟む朝食は蕎麦の実の粥だった。リシェリードとカイのものはミルクで煮込み、ベリーを散らしたもの。ヴォルドワンは肉入りのスープのものだ。彼にはそれだけでは足りないとパンにゆで卵にハムに、それに白いソースで和えた角切り野菜のサラダも添えられていた。
パンの上に自分で具材を載せて、昨日の夜のごとく豪快かつ綺麗にかぶりつき、その合間にしっかり蕎麦粥を口に運ぶヴォルドワンを見ているだけで、リシェリードはお腹いっぱいの気分だ。粥の横に添えられていた。ヴォルドワンのものよりは大分少ない、パンの皿をそっと自分から遠ざけた。
が、ヴォルドワンの深い緑の瞳は、それを見逃さなかった。ちらりとそれを見てから「カイ」と呼びかける。
自分ではないのか?とリシェリードがその晴れ渡った空色の瞳を見開けば。
「この別宮で暮らすことになった、お前に役割を与える」
「はい」とカイは答え、リシェリードは子供は子供らしく過ごせばいいのであって、仕事などいらないと口を開こうとすれば。
「リシェリ……この殿下が、三食きちんと食べるように、共に食事をして見届けることだ。全部食べさせる必要はないが、小さなお前が食べられた分は食べるようにお勧めしろ」
「はい!」とまた元気よく返事をしたカイにリシェリードは開きかけた口を閉じて、わなわなと震える。“やられた”と思う。
そんなリシェリードをヴォルドワンがニヤリと口の片端をつりあげて見る。
「リシェリはなにかに熱中すると、すぐに食事を忘れるからな」
たしかに前世も今世も……そうだった。魔道の本や深い思索にはいると、食事などどうでもよくなる。魔力回路の循環による瞑想で食事どころか水さえも、十日とらなくたって平気であったし。
前世、魔法の天才なのだからと幼少時から誰もが放置したリシェリードのこの“悪癖”を唯一、放置しなかったのが、目の前の男だった。
彼はリシェリードと時間があれば共に食事をした。無理に食べろとは言わなかったが、人間、共に食事をする相手がいれば、それなりに食べるものだ。
今世、皇帝陛下な彼は忙しい。朝はともかく、昼は政務もあって、表の皇帝専用の食堂で食事を取り、晩餐も昨日のように会議が長引けば共にとることは出来ない。
だからリシェリードが、きちんと食事をとったか。その“監視役”をカイに任せるなど。
「卑怯だぞ!ヴォー!カイ殿下に告げ口するなんて!」
「こうでもしないと、あなたは三食しっかり食べないだろう?リシェリ。メイドの報告では昨日のあなたも、どこかに雲隠れしてしっかりと昼食をとらなかったようではないか」
「お茶の時間につまんだのだからいいだろう?」「菓子は食事にはならない」と言い争いをする大人達にはさまれて、カイが目を丸くする。そして、蜂蜜でほんのり甘い蕎麦粥を口にして、にっこり微笑んだのだった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
幼い頃より、リシェリードはかくれんぼは得意だった。
偉大なる魔道士だった曾祖父の書斎より、子供が読むには難しいし、まだ早いと言われていた秘蔵の魔道書を一冊持ち出す。これも子供がはいってはいけないと言われている、魔道士の村の外の闇の森へとはいり、昼なお暗い森の中、光の精霊に頼んで、灯り代わりをしてもらいむさぼり読んだ。
気がつくと、とっぷり夜も暮れていて、帰ったら大騒ぎになっていて、大人達に散々に怒られた。ご飯無しの罰を与えられても、もとより平気だった。曾祖父が幾ら書斎に厳重な結界を張ろうとも、それさえリシェリードは難解なパズルを解くように楽しんで、すぐに破って本を持ち出した。
それを繰り返す頃には、曾祖父も周りもリシェリードの早熟な才能に気づき「好きにしなさい。ただし危ないことはしないように」と言われるようになった。
それでも、人の目から隠れるようにふい……と消える癖が治らなかったのは、誰にも邪魔されずに知識を探求し思索に耽る時間こそが、リシェリードにとって大切だったからだ。
周囲もまた、この天才ゆえの奇行をとがめる者はいなかった。偉大なる魔法王の小さな頭の中にある、大いなる魔道の思考実験室に、誰が土足で踏み入ることが出来よう。
リシェリードは幼い頃よりずっと独りだった。誰も彼の考えを理解出来る者はおらず、偉大なる魔道士だった曾祖父も例外ではない。
「お前は魔道とはなにか、初めから知っている。馬が走るように、魚が泳ぐように。鳥が空を飛ぶように、この老骨が百年かかって積み上げた知識が、なんの役に立つだろう?」
そのとき、皺にうずもれた祖父の瞳が、悲しげだったことがリシェリードには不思議だった。曾祖父には、この小さな天才が歩む孤独の道が見えていたのだろうか?
誰にも理解されず語らう者もなく、ただ神のように高みの玉座に飾られる未来を。
その曾祖父も暴君が魔女に狂い一番最初の粛正の標的となった、炎に包まれる魔道士の村と運命を共にしたが。
生き残った魔道士達を束ね、暴君へと対抗する協力者達を得てなお、やはり、リシェリードはひとりだった。不意に消えては現れる彼をとがめる者はいなかった。彼が幾日食事を取らず、幾日眠っていないか誰も知らない。偉大なる魔法王が倒れる訳がないと思っている。
そして、リシェリード自身もまた、それを孤独であると感じていなかった。幼い頃から独りだった者が、自分が独りであると感じられるだろうか?祖父が例えた、一羽天空に舞う大鳥のように。
そこに平気でというより、むしろ最初から腹を立てて踏み込んできたのが、ヴォルドワンだった。彼は部下の兵士達に食事と休養の大切さを説くように、リシェリードにも口うるさく言った。
言葉ではリシェリードが聞かないとすぐに見抜くと、今度は実力行使に出た。互いに忙しい身でありながら、なるべく三度の食事をともに取り、さらには夜更かしは二晩続けば見逃してくれず、ベッドに放り込まれた。
寝たふりをしてあとで起きるのは許さないとばかりに、彼はリシェリードが眠りにつくまで傍らにいた。デカい図体でそばに立っていられたら眠れないと、転戦中の天幕。袋にわらを詰めた簡易のベッドに引きずりこんで共寝したのが最初だ。
嫌がらせのようなものだったが、傍らにある温かさに、寝付きの悪いはずのリシェリードはいつしかぐっすり眠れるようになっていた。
一緒の寝台で寝るといっても、リシェリードが王位に就くまで、本当に二人は子供のようにすやすやと寝るだけだったのだが。よく我慢したな……とリシェリードは彼の情熱をその身に受けるようになって思った。
ヴォルドワンは繰り返しリシェリードに言った。食べて、眠れと。それが人間に必要なものだと。
魔術の深淵など理解するかという顔だった。だけど、ただそばにいる男は温かくて、リシェリードは初めて、自分はずっと独りだったことを知ったのだ。
そして、魔術が通じない男は、リシェリードがいくらたくみに隠れても、見つけてしまう名人だった。 初めはうっとおしく思い隠れていたのに、いつのまにか見つけてもらうのが楽しみで、子供のように待ち構えるようになってしまった。「あなたは……」と呆れながら、ヴォルドワンはいつだってリシェリードを迎えにきてくれた。
そして、今世、リシェリードを見つけたのは……。
「もうお昼ご飯ですよ」
声をかけられて、リシェリードは読んでいた帝国の魔法研究所の論文から顔をあげた。目の前にはカイが立っていた。
「よく、ここがわかりましたね」
「え?だって、ここは図書室でしょう?いらっしゃるのはわかります」
「……そうですね。ここは本を読むための場所です」
リシェリードは微笑んだ。
だが、ここにリシェリードがいても、普通の者は気付かないだろう。そういう“結界”をかけていた。
物理的に立ち入れないような強固なものではない。ただ、目の前を通り過ぎてもリシェリードには気付かない。そういう気配を消すものだ。
「それに、リシェリード殿下はキラキラ光っているでしょう?だから、お部屋の外からもわかります」
「僕、昔からかくれんぼの鬼は得意なんです」というカイに「さあ、今日のお昼はなんでしょうね」とリシェリードはうながした。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
そして、夜。やはり遅くに帰ってきたヴォルドワンにリシェリードは口を開いた。
「ヴォー、カイ殿下だが、あの子は私と同じ魔法使いだ」
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