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【16】ぎこちないパーパ陛下とマーマ王子 その1

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「カイの乳母を解任したうえに、あの子をこの別宮に引き取ったと聞いたが」

 夕餉も過ぎた時刻となって、別宮に帰ってきたヴォルドワンは、リシェリードに聞いてきた。
 歴代の皇妃が暮らしていたこともあって、この別宮の装飾は女性的でやわらかい。夕餉から就寝前の時間、小さなサロンで今日あったことやとりとめのない話をするのが二人の習慣となっていた。

「この別宮は広い。いくらでも部屋はあまっているのだし、ヴォーは私にここで好きにして良いといっただろう?」

 寝椅子に足を投げ出して腰掛けたリシェリードはなんでもないことのように言う。会議が長引いて夕餉もとれなかったヴォルドワンは、夜食として出されたパンの上にチーズにハムにゆで卵がのせられたものを、豪快にして綺麗に三口で食べる。眉間にしわを寄せた。

「カイのことは先にあなたに話したはずだが?」
「皇帝であるお前が彼に関心を寄せれば彼の命が危うくなると?」

 今回はヴォルドワンが直接ではないが、彼が“寵愛”しているリシェリードが、これまた皇帝が特別に与えた別宮に王子を引き取った。たしかに勘ぐる者は確実に出てくるだろう。

「それならば、この別宮ぐらいこの帝宮で安全な場所はないだろう?お前があれこれ警戒しているのも知っているぞ」

 別宮の周りの厳重な警備に、リシェリードには必ず数人の“影”がついていることにも気付いていた。働く使用人達ももちろんだ。
 さらには、ヴォルドワンはリシェリードを迎えるにあたって、別宮に厨房を作らせている。料理人たちも、本宮殿の厨房の料理人とは完全に別に雇いいれていた。

 過ぎた皇帝の寵愛を受けた愛妾が次々と謀殺されてきた。自身の母に息子のカイの母親までも、同じように殺されたヴォルドワンとしては、リシェリードの周辺を警戒しすぎるぐらい、警戒するのは当然といえた。
 もっとも、リシェリードならばどんな巧妙に毒が仕込まれていても一発で見抜けるし、自分の身ぐらい自分で守れるのだが……まあ前世のことがあって、自分のこととなると、暴走しまくるこの男にはもうなにも言わないが。

「カイを引き取って、あの子の養育にあなたが責任を持つと?」
 白パンにのせられたハムとチーズとゆで卵の次は、今度は黒く酸味の強いパンにニシンの塩漬けにスモークされた鮭にその赤い卵、薬味に細かく刻んだピクルスにタマネギを合わせたのを、これまた三口でヴォルドワンは食べた。リシェリードの話を聞いて口を開く。
「お前がこの帝宮で自由にしていいが、そばから離れることは許さないと言ったのだろう?あの子を放り出して、私はどこにも行けないさ」

 だから、あの小さな皇子の面倒を途中で放り出すことなんて、無責任なことはしないとにっこり微笑んで言外に告げれば、ヴォルドワンはぐうっと言葉に詰まる。
 その眉間にますます深く刻まれたしわに、リシェリードはいい気味だと内心で思う。彼はこのカイの父親にたいして、いささか腹を立てていた。
 具材のせパンを食べたあとに、キャベツの酢漬けのスープを飲む目の前の男を冷ややかに見て。

「あの子の命の安全のみに関して、お前は気をつけていたようだがな、ヴォー。その他のことには本当に“無関心”だったようだな」
「どういうことだ?」

 スープを飲む匙を止めたヴォルドワンに、リシェリードは「あの乳母はいささか美人すぎる」といった。その性格のキツさが顔に出ているとは余分なことか。

「そんな美人の乳母と子供の父親が懇ろになることはよくある話だ」

 つまり、元からお前の愛人候補として、あのカテリーナは送りこまれたのだろう?と切り込めば。

「前の乳母を強引に隠居させる形で、あの若い乳母はトルイ家からおくりこまれてきた」

 トルイ家とは選帝侯家の一つだ。

「乳母に不適格な愛人候補とわかって受け入れたのか?」
「俺が取り合わず、顔も合わせなければすぐに出て行くだろうと思った。他の貴族どもには、そのような小細工をしても無駄だという見せしめにもな」
「それであの子に、長年親しんできた乳母と引き離して、我慢をさせたと?
 お前の関心を得られない上に、お前が子供にも興味がないと見たあの女はどうしたと思う?カイ皇子に散々な暴言を吐き、あげくに理由もなくムチで打っていたのだぞ。それも衣で見えないような場所を選ぶ陰湿さだ」

 たしかに彼女は出て行っただろうが、その前にカイの心や体に残した傷はもっと大きくなっていただろう。
 さすがに顔色を変えたヴォルドワンに「身体の傷は私が治した」と告げれば「ありがとう」と返ってきた。

「出来るならば、カイ皇子の以前の乳母をすぐに呼び戻してほしい」
「わかった。すぐに手配しよう」

 ヴォルドワンがうなずく。その憂いの表情は今の自分との会話だけではないと、リシェリードはわかっていた。
 スープを飲み終えたヴォルドワンに侍女が食器を下げにくる。彼女に目配せをして、ここから先は自分でやるからと暗に告げて、リシェリードは置かれた茶器に茶を注いで、ヴォルドワンに差し出しながら。

「ますます、うるさがたの貴族院の長老達どもとの話しあいが難航しそうだな」

 リシェリードを連れてきて、その日にでも皇妃に迎え入れそうな勢いのヴォルドワンだったが、さすがに帝国の皇帝として、七つの選帝侯家以下の貴族達に反対されては、強引に踏み切ることは出来なかった。
 さらには今回のカイの乳母をクビにした上で、小さな皇子を別宮に引き取ったことで、彼らの警戒はますます強くなるだろう。リシェリードがすでに実質、帝宮の奥で皇妃としてふるまい、さらには皇子を手懐けて、将来は傀儡にしようしているのではないか?と、そこまで勘ぐるのが自身こそ常によからぬことを企んでいる者こそが、考えることだ。

 当然、自分を皇妃にすることをますます強行に反対する意見が出てくるだろう。
 今日、ヴォルドワンの帰りが遅くなったのは、そのための会議が平行線をたどったからだ。
 なぜリシェリードがそのことを知っているのか?といえば、風の精霊に頼めばどんな遠くの会話だって筒抜けだからだ。魔法研究所がある帝国だ。帝宮の会議の間には、当然、防音の結界が張ってあるが、そんなもの、リシェリードの前には関係ない。

「まったく、あなたのような魔道士ばかりなら、帝国の情報は筒抜けだな」

 そのリシェリードが入れた茶のカップを持ち、湯気をあごに受けながら、ヴォルドワンが言う。

「私は“魔法使い”だからな。私のような者は、まずいないさ」

 そう“魔道士”と魔法使いは違う。これを言いだすと長くなるのだが……。

「まあ、せいぜい、欲の皮が突っ張った石頭どもを説得するんだな」

 と人ごとのように、本当にまるきり人ごとなのだが、リシェリードはくすくすと笑う。

「あなたは正式に私の皇妃となりたくないのか?」
「なりたいもなりたくないも、お前がラルランドの国と民を人質に、私にそばにいろと言ったのではないか。だから、私はお前からは離れられない。それだけだ」
「…………」

 むっつり黙りこんだヴォルドワンに、リシェリードは「ま、せいぜい頑張るんだな」と告げたのだった。



   ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇



 翌日。
 昨夜も散々に愛された、けだるい身体を魔力を循環させることで回復させた。本来ならばこんな魔力の無駄使いはせず、二度寝を決めこむところだが、今日からはそうもいかない。

 共に朝食を取るとヴォルドワンに言えば、彼は怪訝な顔を一瞬したが「そうか」と嬉しそうだった。
 別宮の朝食のための食堂には、先客がいた。カイの姿にヴォルドワンはなにも言わずに席につき、リシェリードは涼しい顔で「おはようございます」と挨拶をした。

「おはようございます。あ、父上もおはようございます」

 リシェリードに元気よく返したカイは、次に父親に目を向けておどおどと挨拶した。本来ならば皇帝たる父に真っ先に挨拶すべきだったと、彼は気付いたのだろう。
 ヴォルドワンはそれを咎めることはせず「ああ」とうなずいた。それにカイはほっと息をつく。

 どうにもぎこちない親子の会話だが、今までろくに顔も合わせたことはないのだから、仕方ないといえた。





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