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【11】歓迎されざる王子 その2
しおりを挟む「始祖リシェリードなどと、自分で自分のことをいうのはどうにもくすぐったい」
パレードが終わり、帝宮へとはいった控えの間にて、ヴォルドワンと二人きりになった、リシェリードは猫足の寝椅子に足を投げ出し腰掛けて「はあ」と息をつく。
こちらは立ったままそれを聞いたヴォルドワンは、くすりと笑う。それに「なんだ?」とリシェリードは訊く。
「三百年前もあなたは同じことを言っていた」
「心にも思ってないことを白々しいと?いや、鼓舞をした民をわかっていて、死地へと送るのだから、もっと悪辣であるな」
リシェリードは口の片端をあげて、皮肉に微笑む。
戦争なのだ。一人の死人も出ないなどあり得ない。それがわかっていて、国のために戦えという己の詭弁をリシェリードはわかっていた。
「本当の大罪人というのは、自らが悪などとはけして言わないものだ。それが善行だという顔で人々を導き、自ら死地に追い立てた犠牲者の死さえ尊いと涙を流し、さらに人々を鼓舞する。本当の偽善者であったな、私は」
三百年前、激戦の中にあって目の前の男に、同じように漏らしたことを思い出す。「己の欲望のためにのみ男を籠絡し、悪を楽しみ笑う魔女のほうが、よほど正直ものだ」とも。
すべては国の未来のためと、自らをも騙した。最期の最期で、最愛の恋人であった男さえも。今、この男がこうして狂ったように自分をそばに縛り付けようとするのも、その報いか?とも思う。
もっとも、リシェリードがこの国に大人しくやってきたのは、その感傷的な理由ではないが。
「行くぞ」
「ああ」
やって来た侍従が外側から控えの間の扉を開ける。ヴォルドワンに手を取られて、リシェリードは立ち上がった。
凱旋パレードの時からまた着替えた、今度は毛皮の縁取りがない軽いマントが、ふわりとその片側の肩で揺れた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
帝都ナタシアの帝宮、凱旋式のあとの夜会が開かれる銀水晶の間には、着飾った貴族達が集っていた。貴婦人達は口許を隠した扇の内側でこそこそと噂話に花を咲かせる。
今日の話題の中心は当然、皇帝が連れ帰った“戦利品”のことだ。
「聞きまして?凱旋パレードでの騒動?」
「ええ、暴徒が馬車に石を投げたとか」
「愛国心が過ぎた行為ですわねぇ。でも、それが民の気持ちでもあると陛下と、かの王子もよくおわかりになったでしょう?」
「馬車の中でさぞ震えていらっしゃったでしょうね」
「それが、危険も顧みずかの王子自ら外に出られて、暴徒にむかい諭されたとか。そのお姿に暴徒のみならず群衆も喝采したとお聞きしておりますが」
と女達の噂話に空気を読まない貴族の青年が割り込む。彼は彼女達ににらまれて、すぐにすごすごと離れたが。
もちろん、パレードでの顛末は彼女達とて知っている。知っていて、なお悪く言いたいのだから。
「まあ、民衆というのは愚かなもの。他国の王子でも、王子と名が付けばありがたがってひれ伏しますもの」
「だけどねぇ、あの噂聞きまして?ラルランドの第二王子といえば、あまりよろしくない話ばかり、さらには御容姿が……」
「なにやら、丸々太った白い家畜にそっくりだとか」
白豚王子とは直接言わず、遠回しな言い方がお上品な宮廷作法というべきか、なんともいやらしい。女達はクスクスと笑いあう。
「下々の間では豚は多産と豊穣の証。金色に塗られた像を飾るとか?」
「黄金の豚……まあまあまあ、髪の色だけは見られたものと噂ですから、民はそのご立派なお姿にひれ伏したのかも」
帝国の領土は広く、辺境の噂が帝都に届くのも数ヶ月かかることもある。ましてラルランドは結界の向こうにある閉ざされた地だ。一月前の処刑台での騒乱も当然、帝国の貴族達の耳には入っていない。
彼らが知るのは細々とした交易を続ける商人からの情報だ。だから彼女達が知るリシェリードとは、悪評高い白豚王子そのものだ。
「陛下が、そのご立派な王子を皇妃にとお望みとか?」
「神々が幾ら同性同士の結婚を許しているとはいえ、ありえませんわ」
「我が帝国の玉座に、皇帝陛下と並んで白豚が……なんてねぇ」
「あら、ついに口にしてしまいましたわ。わたくしとしたことが」とわざと口にしたクセに、ほほほ……と一人が笑う。
とまあ、こんな会話があちこちで交わされていたのだ。
しかし、それは皇帝陛下の臨席を知らせる声と、皇帝専用の控えの間の扉が開くと同時に、彼らはあぜんと固まることになる。
黒に近い褐色の髪に深い緑玉の瞳の長身の若き皇帝の姿は、いつ見ても堂々たる威厳と、男の魅力にあふれており、濃紺のマントを翻した正装姿で現れれば、婦人達のみならず、男性達まで思わず見とれたものだ。
しかし、今回、彼らの視線はその横に立つ、ほっそりとした姿にあった。そう、ほっそりだ。白豚王子の姿を密かにあざ笑ってやろうと思っていた人々の思惑は、ここでまず外れた。
そこにはどこからどう見ても、白豚ではなく光輝く白鳥がいた。口に含むと甘そうな蜂蜜色の髪に、蒼天の大きな瞳。小さな卵型の形のよい小さな顔。すっとした鼻筋に花のような赤い唇。
純白に銀糸で草花の刺繍が施されたマント姿の正装もまたよく映える。白ほどこの王子に似合う色はないというか……この後、貴婦人達のドレスはもとより、男性貴族達さえも白の衣装の着用を忌避するようになるのだが。
そして、なにより皇帝専用の控え室の扉から、ヴォルドワンとともに現れたことが、次に彼らに衝撃をあたえた。それはすでにこの王子が皇族当然の扱いを受けていることの証といえたからだ。
なによりこの王子の美しさが、そしてヴォルドワンが、その彼の手を取り、まるで姫君のようにうやうやしく扱っている。そのことに、皇帝が彼を皇妃にと望んでいる。その噂は本当だったのだと、彼らに印象づけた。
ならば未来の皇妃にさっそくお近づきにならなければと、日和見の者達はさっそく、列を成して皇帝とその横に並ぶ王子へと挨拶にはせ参じた。
しかし、それをまた苦々しく見る者達もまたいたのだったが。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
若き皇帝が古参の貴族達に囲まれて、リシェリードと少し離れたときだった。
「“戦利品”だというのに、ずいぶんと堂々としていらっしゃること」
「馬車に石を投げられて歓迎されてないことはおわかりでしょうに」
わざとこちらの耳に入るように、これ見よがしにささやく声がする。さらには「白に銀なんてずいぶん派手なお衣装ですこと」「あの上着の裾のレースの膨らみなんてまるでドレスのよう。王子ですけど、夜の色を売る姫君同然に陛下にこびを売られているのですから、お似合いですけど」と寵姫扱いだ。さらには「ドレスにしては足が丸出しで、たしかに街角の立ち女達の衣装によく似てますわね」と。いや、男の服なんだから裾を引きずるようなドレスには出来ないだろう。あげく、さらには街娼とまでいうか?
ささやきあっているのは、いずれも若い……貴族の娘達だ。彼女達のほうこそ、どこの女優か?と見まごうほど着飾っているが。
こちらに明らかに敵意の視線を向けてひるまないところからして、上位の貴族の娘達なのだろうが、はてさて、若さとは時に無謀なものではある。
もっとも、リシェリードとて十八の若造なのだが、一応前世をくわえると五十年近くの歳月にはなる。そう、大結界を張るために死んだときは三十にはまだなってなかったか。
さて、どうしようか?とリシェリードは考えることもしなかった。
宮廷の作法として身分の下の者が、上の者へと声をかけることは出来ない。
彼女達はそれを逆に利用して、自分の周りでピーチクパーチク、言いたいことを言っているわけだが。
こんな低俗な話を取り合わず無視もしたいが、しかし、なにも反論せずに黙っていれば、負けた、認めたと口さがなく騒ぎたてるのがまた社交界というものだ。
とはいえ、直接話しかければ、彼女達と同じ低俗な舞台にたったことになる。
リシェリードは、自分に従っている老侍従に目配せをした。ヴォルドワンが信頼しているこの老臣は、リシェリードの意図をくんで、彼女達に向かい口を開いた。
「殿下が、あなた方に名乗られることを許すと、おっしゃっておいでです」
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