9 / 38
【9】三百年の後悔
しおりを挟む三百年前。
大結界の儀は北の荒野を見渡すことが出来る、この日のために建てられた塔の上。塔には複雑な魔法陣が組み込まれ、最上階でリシェリードがこれを発動させることで、国全体を二重に覆う結界が作られる。
魔法王リシェリードがその魔力と命をすべて捧げることによって。
塔の最上階まで供を許されたのはヴォルドワンただ一人だった。だが儀式の間へはリシェリードのみが入った。
精緻な魔法紋章が浮き彫りにされた両開きの扉が閉まる。そのほっそりとした背が消えるまでヴォルドワンは見送る。
そして、扉が完全に閉まると、彼は床にあぐらをかいて座り、腰の魔剣をさやごと抜いて、己の前へとおいた。
リシェリードが大魔法を発動すると同時に、彼もまたその命を絶つつもりだった。
魔法王は、自分が亡きあとの次の王を指名し、王位継承の順位をけして違えてはならぬと厳命した。共に国の再興に尽くした者達にも事細かな“遺言”を与えたが、ヴォルドワンにはなにも言わなかった。
昨夜の寝台の中でさえ……。
ただ、塔への供はヴォルドワンしか許さなかった。
それが最愛の人の答えだろうと……。
供に逝くことを“許す”と。
「ヴォー……」
扉の向こうからした声に、閉じていた目をヴォルドワンは開いた。
「死ぬな……」
それは命令ではなく懇願の響きだった。ヴォルドワンは思わず立ち上がり、固く閉ざされた扉へと駆け寄る。
「死ぬな、ここで死ぬことは許さない!」
次の口調は懇願ではなく絶対的な命令だった。魔力が込められた彼の言葉は、耐性のない者ならばそれだけで縛る術となる。
だが、ヴォルドワンにはそれは通じなかった。彼は「なぜだ!リシェリ!」と叫び、石の扉の表面をその拳で叩いた。だが、閉じれば二度と開かぬようにされている扉は、びくともしない。
「あなたを失い。俺にただ生きろというのか?」
「北に向かい“皇帝”となれ。このラルランドを脅かす蛮族達をまとめよ。お前の未来はそこにある」
リシェリードには予知能力があった。それは常に発動するわけではない。その能力も遥か先を見通せるわけではなく、目の前にいる人間の未来がかいま見える程度だと。
それによって得がたい仲間を得、人々に助言してきた彼だが、ヴォルドワンには一切なにか言ったことはなかった。おそらくは自分の魔法を受け付けない体質にあるのだろうと思っていたが。
「出会いの瞬間、私には視えていた。お前は北の巨大な帝国の皇帝となる。……そこには私はいない」
「リシェリ。それでも私はあなたとともに!」
「行け、ヴォー!これは王としての大将軍のお前への最期の命令だ。いや、私の遺言……私の願いだ。生きろ、生きてくれ。私が居なくなっても……お前は……」
「あなたは、残酷な人だ、リシェリ。あなたを失って、なお私に生きろと……あなたの願いを私が拒めるだろうか?
だが、私の心のすべてはここにおいていく。私はきっと、非情な北の皇帝として伝わることになるだろう。あなたを失った私の行く道は、色のない血塗られた荒野だ……」
ふらふらと……彼らしくない足取りでヴォルドワンは塔を下り、北へと向かった。
最後の最後で王を見捨てた裏切りの将軍の名は、こうしてラルランドの歴史から、名前さえ消された。ただ失踪しただけの将軍に人々がどうしてここまで苛烈な憎しみを抱いたのか。それは命を賭して、国を守った英雄王を亡くした悲しみの裏返しだったのかもしれない。
だが、彼らは知らない。
裏切り者の将軍は生きて北の地へと渡り、その褐色の髪が白くなるまでも戦いぬいて、ついには皇帝として北の巨大帝国の初代皇帝の地位についたことを。
生きて皇帝となれ……と、それが魔法王の遺言であったことをだ。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「……私を恨んでいるのか?」
夜中にぽっかりと目が覚めて「水……」とかすれた声でリシェリードがつぶやくと、力強い腕に支えられて、口移しにあたえられた。
こくりと呑み干して、天幕中はあいかわらず付けっぱなしのランプの柔らかな光に照らし出されている、目の前の端正な男の顔を見る。この男に抱かれたことを思い出す。
そして、口からぽろりとこぼれたのがこの言葉だった。彼は「まさか」と笑う。
「後悔ならあるが」
「後悔?」
「あなたをさらって、北の地へと逃げればよかった。北でもなくとも地の果てでも、ラルランドが蛮族の馬蹄に踏みにじられようと知ったことかと……」
「世界の果てで、私とお前だけで幸せにか?私もお前も出来ないから、あそこで別れたんだ」
この男ならばそうすることも出来ただろう。魔法が通じない腕で、リシェリードをがんじがらめにしてどこに連れ去ることも。ラルランドという国が無くなってしまえば、リシェリードとて守るための結界など張る必要もない。
「お前とて、ラルランドは見捨てられないから、私の考えに同意したんだ」
「なぜあなたが!」と最初に大結界の話をしたときに冷静なこの男が珍しくも声をあらげた。幾度も話し合って、それでもこの方法しかないと二人で納得したはずだった。
結局二人とも愛する祖国を見捨てるなど考えれなかった。
「……裏切ったのは私のほうだ」
そうだ。魔法王を大将軍が裏切ったのではない。リシェリードがヴォルドワンを騙したのだ。
「あなたは初めから私の運命がわかっていたと言った。そこには自分はいないと。あなたは、あなたの運命を?」
「当たりもしない場末の占い師だって心得ていることがある。自分で自分の運命は見えない。ただ、お前の未来には私が居なかったというだけだ」
髪を大きな手で撫でられて、男の胸にうつ伏せ、頭をのせて、目を閉じる。再びまどろみの中へと落ちながら。
「お前と私の未来はけして重なっていないことはわかっていた。わかっていて、それでもお前の情熱に……いや、自分の感情に負けた。
なにがなにもかもわかっていらっしゃる魔法王だ聞いてあきれる」
そう、当時人々が自分を讃えた言葉を口にして、リシェリードはくすりと笑う……そして、そのまま睡魔に身をまかせながら。
「それでも、私には後悔はない……あるか」
お前を泣かせたという言葉は、眠りに吸い込まれた。
59
お気に入りに追加
873
あなたにおすすめの小説
急に運命の番と言われても。夜会で永遠の愛を誓われ駆け落ちし、数年後ぽい捨てされた母を持つ平民娘は、氷の騎士の甘い求婚を冷たく拒む。
石河 翠
恋愛
ルビーの花屋に、隣国の氷の騎士ディランが現れた。
雪豹の獣人である彼は番の匂いを追いかけていたらしい。ところが花屋に着いたとたんに、手がかりを失ってしまったというのだ。
一時的に鼻が詰まった人間並みの嗅覚になったディランだが、番が見つかるまでは帰らないと言い張る始末。ルビーは彼の世話をする羽目に。
ルビーと喧嘩をしつつ、人間についての理解を深めていくディラン。
その後嗅覚を取り戻したディランは番の正体に歓喜し、公衆の面前で結婚を申し込むが冷たく拒まれる。ルビーが求婚を断ったのには理由があって……。
愛されることが怖い臆病なヒロインと、彼女のためならすべてを捨てる一途でだだ甘なヒーローの恋物語。
この作品は、他サイトにも投稿しております。
扉絵は写真ACより、チョコラテさまの作品(ID25481643)をお借りしています。

推しの為なら悪役令息になるのは大歓迎です!
こうらい ゆあ
BL
「モブレッド・アテウーマ、貴様との婚約を破棄する!」王太子の宣言で始まった待ちに待った断罪イベント!悪役令息であるモブレッドはこの日を心待ちにしていた。すべては推しである主人公ユレイユの幸せのため!推しの幸せを願い、日夜フラグを必死に回収していくモブレッド。ところが、予想外の展開が待っていて…?
ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?
音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。
役に立たないから出ていけ?
わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます!
さようなら!
5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
何も知らない人間兄は、竜弟の執愛に気付かない
てんつぶ
BL
連峰の最も高い山の上、竜人ばかりの住む村。
その村の長である家で長男として育てられたノアだったが、肌の色や顔立ちも、体つきまで周囲とはまるで違い、華奢で儚げだ。自分はひょっとして拾われた子なのではないかと悩んでいたが、それを口に出すことすら躊躇っていた。
弟のコネハはノアを村の長にするべく奮闘しているが、ノアは竜体にもなれないし、人を癒す力しかもっていない。ひ弱な自分はその器ではないというのに、日々プレッシャーだけが重くのしかかる。
むしろ身体も大きく力も強く、雄々しく美しい弟ならば何の問題もなく長になれる。長男である自分さえいなければ……そんな感情が膨らみながらも、村から出たことのないノアは今日も一人山の麓を眺めていた。
だがある日、両親の会話を聞き、ノアは竜人ですらなく人間だった事を知ってしまう。人間の自分が長になれる訳もなく、またなって良いはずもない。周囲の竜人に人間だとバレてしまっては、家族の立場が悪くなる――そう自分に言い訳をして、ノアは村をこっそり飛び出して、人間の国へと旅立った。探さないでください、そう書置きをした、はずなのに。
人間嫌いの弟が、まさか自分を追って人間の国へ来てしまい――

【完結】赤ちゃんが生まれたら殺されるようです
白崎りか
恋愛
もうすぐ赤ちゃんが生まれる。
ドレスの上から、ふくらんだお腹をなでる。
「はやく出ておいで。私の赤ちゃん」
ある日、アリシアは見てしまう。
夫が、ベッドの上で、メイドと口づけをしているのを!
「どうして、メイドのお腹にも、赤ちゃんがいるの?!」
「赤ちゃんが生まれたら、私は殺されるの?」
夫とメイドは、アリシアの殺害を計画していた。
自分たちの子供を跡継ぎにして、辺境伯家を乗っ取ろうとしているのだ。
ドラゴンの力で、前世の記憶を取り戻したアリシアは、自由を手に入れるために裁判で戦う。
※1話と2話は短編版と内容は同じですが、設定を少し変えています。

モブなのに執着系ヤンデレ美形の友達にいつの間にか、なってしまっていた
マルン円
BL
執着系ヤンデレ美形×鈍感平凡主人公。全4話のサクッと読めるBL短編です(タイトルを変えました)。
主人公は妹がしていた乙女ゲームの世界に転生し、今はロニーとして地味な高校生活を送っている。内気なロニーが気軽に学校で話せる友達は同級生のエドだけで、ロニーとエドはいっしょにいることが多かった。
しかし、ロニーはある日、髪をばっさり切ってイメチェンしたエドを見て、エドがヒロインに執着しまくるメインキャラの一人だったことを思い出す。
平凡な生活を送りたいロニーは、これからヒロインのことを好きになるであろうエドとは距離を置こうと決意する。
タイトルを変えました。
前のタイトルは、「モブなのに、いつのまにかヒロインに執着しまくるキャラの友達になってしまっていた」です。
急に変えてしまい、すみません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる