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番外編 その2
プロムナード その一
しおりを挟む「いつまでマルタ殿下のそばにいるつもり?」
これほどはっきり言われたのは初めてだと、アーリーは目の前の令嬢をまじまじと見た。
金茶の髪を高く結い上げて、若い令嬢らしい淡い薔薇色のドレスをまとっている。典型的な狐族の貴族の令嬢だ。デュポンテル侯爵家の娘で名前は、カロリーヌ・ド・デマール。
17歳となったマルタの周りをうろちょろするようになった娘の名前は、従者としてすべて覚えているアーリーだ。
マルタは黒獅子として外見だけは立派な美丈夫となった。肩で切りそろえた黒く波打つ髪は星を散らしたように輝き、くっきりとした太い眉に通った鼻筋、情熱的なふっくらとした唇。
少し下がり気味の目尻が、このところぐっと男らしさを増した中で優しげだと、それもまた令嬢達の評判がよい。黒に金の輝きが混じる不思議な色の瞳も。
外見だけと言ったのは、アーリーの目から見れば、いまだ子供っぽいところのある主人だからだ。集まりなどでにこやかに、貴族の令嬢に挨拶したあとに「なぁ、あれ誰だった?」とアーリーに毎度聞く。
さらにはお年頃なのだから派手に遊ばれては困るが少しはご興味を……と令嬢達の名前を教えてさしあげても「まあ、どうでもいいや。アーリーがいつも一緒にいてくれるから」と結局覚えはしないのだ。
そしてアーリーは十八歳。背はひょろひょろと伸びたのだが、横幅は広くはならなかった。美しい女ばかりの狐族の中、珍しい男子で毛色もこれまた珍しい純白だ。まっ白な髪に、赤い瞳、白い肌に赤い唇と表現すると女子のようだが、男子の姿をしていても、知らない者なら男装の麗人と誤解するだろう。
そんなアーリーがマルタの第一の従者として彼の横にいると、黒獅子と白狐の見事な一対として人々にたとえられていることは、実はアーリーも知らない。
しかし近頃、ますます男らしくなったマルタの気を引きたい娘達が焦っていることは知っている。
昔ならば、いくら美しくても男。それも狐族の男の“珍種”なんてと笑い飛ばしただろう。
が、それは過去の話で、この国には誰もが知っている美しい銀狐の男子がいるのだ。そのお方の存在がまた彼女達の気持ちをざわつかせている。
美しい白狐のアーリーが、黒獅子のマルタの横にいつもいることを。
「幼なじみであることで、殿下のご厚意にいつまでも甘えているつもり?
爵位もなにもない、ただの使用人風情のあなたがお茶会や夜会に出てくることに、眉を潜めている方々がいることに気付かないの? いつもいつも、殿下の横にぴったりとくっついて、もうそろそろ身を引くことを考えたら?」
アーリーとて、表舞台であるお茶会や夜会は、マルタが幼かった頃ならばともかく、数年前から遠慮したいとは思っているのだ。しかし、マルタの答えは「アーリーと一緒じゃなきゃ僕は出ないよ」といつも一緒だ。
それに表舞台はともかく、アーリーは従者としてマルタのそばを離れるつもりはなかった。
「あなたがその気ならば、お父様に言ってどこかの騎士団にいれてあげてもいいのよ。そうなれば、あなたも従者ではなく、騎士の称号を得るし、しかるべき騎士の娘を娶るように手配してあげてもいいわ」
ずいぶんとご親切であるが、その騎士団とはきっと荒くれ狼族ばかりの、死亡率の高そうな辺境部隊あたりだろうな……とアーリーは考える。騎士の娘との縁組みだって、自分が死亡してしまえばうやむやになる。
「お断りいたします」
当然即答すれば、令嬢はその細い眉をつり上げた。
「使用人の分際でわたくしに逆らうつもり!?」
「失礼ながら、わたくしはあなたの使用人ではなく、マルタ様の従者であり、ご存じなかったかもしれませんが、前年にマルタ様が騎士の叙任を受けたときに、同じくわたくしもうけております」
アーリーとしてはマルタの従者のままでよかったのだが、マルタがいつものごとく一緒じゃないとヤダと言いだしたからだ。
それに“あの方々”の後押しもあった。
「な、なによ! お情けでもらった騎士の称号なんて! わたくしはデュポンテル侯爵家のカロリーヌよ!」
恥をかかされたとかあっと赤くなり、その怒りをアーリーにぶつけようと、彼女は手に持った扇を振り上げた。
まったく、貴族の令嬢ともあろう娘が暴力をふるうなどと思う。が、実の所、気に入らないと使用人を打擲し、物を投げるわがまま娘など、どこにでもいるものだ。
「騎士の称号は陛下と大公殿下に頂いたものにございます」
陛下とはこの国の金獅子王ロシュフォールのことであり、大公殿下とは国王の参謀にして、この国の実質上の“王妃”であるレティシアのことだ。
男の銀狐である彼は王より、王妃の代わりの称号として大公の位を与えられていた。また、ロシュフォール王とのあいだに、双子のかわいらしい王子をもうけている。父親そっくりの金獅子のランベール殿下と、母親そっくりの銀狐のミシェル殿下だ。
マルタの周りをうろちょろする令嬢達が自分を排除しようとするのは、この美しい銀狐の大公殿下の存在があることはアーリーにはわかっていた。
これはレティシア大公殿下のご懐妊で発覚したのだが、狐族は男子でも妊娠可能な身体らしい。
はたから見れば黒獅子の殿下のそばに白狐の自分が常にいることは、マルタが年頃になるにつれて、彼を狙う令嬢達のいらぬ疑心暗鬼を生んでいるようだ。
馬鹿馬鹿しいとアーリーは思う。
言われなくとも自分は騎士に叙任されたとはいえ、元から平民で、マルタの従者として一生を終えるつもりでいた。
それは幼い日の誓いだ。男子の身でありながら色々な事情で姫として育てられた、泣き虫のマルタを生涯守り支えていくと、幼いアーリーもまたあのときドレス姿であったけれど。
だから、いつかはマルタ様も愛する人を娶って、お子様に恵まれて、自分は従者としてそれを見守っていけたらいいと……。
そこまで考えて胸がツキンと痛んで、あれ? とアーリーは内心で首をかしげた。
そして扇を振り上げた令嬢は振り下ろすことも出来ず固まり「陛下と殿下のご威光を傘にきて! あなたなんて、あの方々の気まぐれ一つで、どこかの流刑地にやられる運命なんだから!」とまあ、支離滅裂な言葉吐いて去って行った。
アーリーはふう……と息をついた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
「また絡まれたようですね」
後宮は大公殿下の私室に呼ばれ、アーリーは「はい」と答えた。目の前の銀色の美しい方は見え透いた嘘やごまかしが嫌いだ。
そもそも人気の無い回廊に本人は呼び出したつもりだろうが、どこに目があるかわからないのが王宮という場所なのだ。噂などあっという間に広がることもわかっているだろうに、あの侯爵令嬢もうかつといえた。
「よくあることなので気にしていません」
アーリーはきっぱりと答えた。別にあの令嬢をかばってはいない。あれほどハッキリではなくとも、遠回しに嫌みを言われたりするのは、昔からちょくちょくあることなので、本当に気にかけてもいない。
サロンで二人、美しい銀狐と白狐の男子が向かい会って座っている。二人ともきっちり両足を揃えて軽く倒して、優雅にカップを口に運ぶ所作は、どれだけ高貴な貴婦人も裸足で逃げ出しそうな典雅さだ。
それを大公殿下付のうさぎ族のメイドのアリエメはうっとりと眺めた。
狐族の女子は美しいが男子はそれ以上に美しいとは、この宮廷では評判だ。なにより金獅子王ロシュフォールが愛して止まない銀狐の大公殿下に、成長して美丈夫になったと評判の黒獅子殿下の従者の白狐アーリーを見れば誰もが思うだろう。
さらにはロシュフォール王とレティシア大公とのあいだに産まれた、銀狐のミシェル殿下は御年七歳。銀の髪にすみれ色の瞳の、見れば誰もが笑顔になるような、それはそれは愛らしい王子だ。
「しかし、最近はさらに多くなっていませんか?」とのレティシアの問いにアーリーは「ええ」とうなずく。そして、少し表情を曇らせて。
「やはり、マルタ様が公爵位を受けられることが発表されたからでしょうか? それはとても喜ばしいことですが」
マルタは元々ボルボン国の王子だ。王家の正統なる血統を示す黒獅子の毛並みがその証である。
その彼は今、サランジェ王国にいてロシュフォール王の庇護を受けている。さらに昨年は騎士の叙任を受けて立派に成人し、今年はこの国の公爵位を受けることになった。
それはこの国の王族として迎え入れられたということだ。
ロシュフォール王やレティシア大公にも可愛がられているマルタの、その公爵夫人となりたい貴族の子女は多いだろう。
そして、常にそばにいるアーリーは目障りなのだ。
アーリーとしてはマルタが公爵位を受けるのは嬉しいことだ。王宮暮らしの領地無しの称号としても、これで彼はロシュフォール王の単なる食客という身分から、王族と同格という地位を得たことになる。
将来的にはロシュフォール王としては、マルタに親衛隊長を任せたいと思っているようだ。軍の花形であるし、おっとりとしたマルタだが、そこは黒獅子だけあって武の面でも心配はない。
そんな話もあるからこそ、ますますマルタの妻になりたいと若い娘達は熱望してるわけだが。
やはり自分は表舞台から身を引くべきではないか? とアーリーは考える。もうマルタはお付きが必要な年頃ではないし、お茶会や夜会などの席では従者は控えの間に詰めているのが普通なのだから。
「マルタ殿下の公爵位に関して、同時にあなたに私から話が一つあるのですが」
レティシアの言葉にアーリーはパチパチと、その白く輝く長いまつげをしばたかせた。
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