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【9】繰り返し何度でも恋をする その3
しおりを挟む王宮の離宮のウーサーの隠居所。五十で退位したあと、アルマティと旅に出ては戻りの暮らした場所にて。
そのまま寝台から起き上がることが出来なくなったウーサーは、たった三日で息をひきとった。
死に際まで潔すぎる男だった。
己の死期を悟ったのだろう。最後に目を閉じる前、アルマティに彼は話しかけた。
「あとを追うことはならんぞ」
「するか」
アルマティは短く答えた。エルフと人間では行く場所が違う。というより天上の国など人の子の作った幻想だ。短命の人の魂は花のようにはかなく、それは風に運ばれて消えるのみ。
エルフたちは神々と同じく遠い天空に去った。半分は人間であるハーフエルフのアルマティは地上に残らざるをえなかったが、そのエルフの魂の半分は、死後天空に暮らす母の手によってすくい上げられるはずだった。
だが、アルマティは天空の国にいかないともう決めていた。この最愛を失ったあとにエルフとして半分が天上に暮らしてなんになるのか? 永劫になど……逆に責め苦のようなものだ。
だったらこの半分の人の魂にひきずられるまま、自分も風に吹かれて消えようと思う。
この男の溶けた大地と空に。
「あなたはいつも俺が勝手な男だというが……」
「ああ、たしかに勝手だ。いまも勝手に私の前から消えようとしている。このぬくもりごと」
アルマティは長い間剣を握り、国を守った男の手を握りしめた。大きくて分厚くて、その表面は固い。巌のような手だ。
だけど、その魂のように温かい。
寝込んでたった三日。寝台に横たわるその長身には、すこしも老いの気配はない。むしろ青年から壮年へと歳を経るうちに巨木となるように、分厚くなった鋼のような肉体が、今は力無く横たわっているのが皮肉ともいえた。
いや、これは祝福か?
アルマティの目に、老いてしぼんだ姿ではなく。たとえその頭髪が白くなろうとも、顔に皺が刻まれようとも、精気にあふれた真昼の太陽の姿のまま逝こうとする。
いいや、やっぱりお前は残酷だと……内心で思う。
もうじき八十、まだ八十だ。人は百年生きるといったのはお前ではないか? あと四十年あなたを残していくのは辛いと。
それを二十年も増やして去るのか?
「勝手だ……私を残して去って逝く……」
アルマティの白い頬にはらはらと涙が伝う。それを握られていないもう片方の手を伸ばし、ウーサーがぬぐう。
「それでも、俺はあなたに生きて欲しいと願う。あなたがこれからも幸せであることを願ってやまない」
「本当に、お前は勝手だ……」
お前を失ったあとに、私に幸せなどあるものか……とは口にしなかった。
ウーサーは静かに目を閉じて、その黄金の瞳は二度と開かず、アルマティを見ることはなかった。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
偉大なる英雄王の死を、人々は悲しんだ。譲位して久しいとはいえ、上王様と言われるようになった彼は逆に退位したその気楽さで、市井の人々とも交わり逸話にはことかかない。最後まで王国の太陽であり続けた。
そして、その傍らには美しいハーフエルフが常にいた。
そのハーフエルフもまた人々の前に姿を現すことがなくなった。離宮の奥深くに閉じこもり出て来なくなった彼を、民もそして王宮の人々も案じたが。
千年生きたアルマティにとっては、一年や二年のときの移ろいなど、午睡の夢のようなものだ。うたた寝し、目覚めれば過ぎ去っているほどのひととき。
「湖のアルマティ?」
子供の声にアルマティは閉じていた目を開いた。
離宮の中庭に面したテラス。籐の寝椅子に腰掛けていたアルマティの前に少年が立っていた。
赤い髪でもない。金色の瞳でもない。
茶色の髪に青い空のような瞳をした子供。
顔には覚えがないが、その色には覚えがあった。
「ロランか?」
「僕のこと覚えていてくれたの?」
「ウーサーが名付けたんだ。私もお前が生まれたときに立ち合った」
ウーサーと双子のガレスはまだ健在ではあるが、次代のユリウスに王位をゆずっていた。ロランはその孫だ。ユリウスは政略結婚ではあるが、幼なじみの公爵令嬢とゆっくりと愛を育み結ばれた。その王太子もまた、幼なじみの令嬢を許嫁とし、この孫が生まれた。
その顔はウーサーと出会った十歳の頃よりさらに幼い。歳は分かっている。五歳だ。
こんな宮殿の奥までくるなど、大方、乳母や世話係の目を盗んできたのだろう。まったく、髪の色や瞳の色が違おうが、腕白な血は引き継がれるということか。
ああ……とこちらを見上げる少年を見てアルマティは思う。
魂は風に吹かれて消える。
同じぬくもりは蘇りはしない。
それでも確かに、ここにウーサーが生きた証はある。
「ねぇ、英雄王ウーサーのお話を聞かせて」
そして少年はいつだって“英雄”に憬れるものだ。懐かしい口調でねだった少年にはアルマティは「いいだろう」と銀の弓を手に、その一弦をはじく。
そして、優しい風のような声で歌い始めた。
離宮を訪れる子供の顔は変わった。
ガレスの次の王でユリウスが退位し、次の代へとロランが王太子となって、やはり幼なじみの令嬢と結婚し、子供が産まれたときに離宮から久々に出た。
「湖のアルマティ、あなたからこの子に祝福の名を与えてくれ」
アルマティは微笑み、その子に“エステル”の名を与えた。
エステルは一人で歩けるようになると、たびたびアルマティの元を訪れて、始祖王アーサーや、英雄王ウーサーの話をねだった。
うたた寝の合間合間に、小さな手に揺り動かされて、アルマティは寝椅子から身を起こして、銀の弓を手に歌った。幾度同じ話をきいても飽きることのない、子供のために。
そう、眠っては起きる。
その合間に。
この頃アルマティは眠っていることが多くなった。すでに寿命は千歳に近い。
ハーフエルフとて生き物だ。千歳きっかりに死ぬわけでもない。
それでも己の寿命は感じていた。次の眠りには魂は風にとけるのか……と予感しながら、それでも幸福なまどろみの中におちる。
そう、幸福だ。
ウーサーを失った悲しみは胸の中に常にある。だけどその痛みさえ、今はひどく懐かしい。ハーフエルフの自分にとっては、あれが永遠に目を閉じた日など、ごく最近のことなのに。
悲しみはある。
それでも、懐かしい日々を語る幸福がある。
輝かしいウーサーとの冒険の日々を、破天荒なあれに呆れたことさえ、今は口許に微笑を浮かべてしまう。
寝椅子に横たわり弦をはじく、その歌に耳を傾ける子供をかたわらにアルマティは思う。
お前を失ってまだ悲しい。
でも、それでも、その思い出があるから幸せなのだ。
そして、ふいに目の前が開けた。
自分はけだるい身体を寝椅子に横たえておらず、宙にふわりと浮かんでいた。
「湖のアルマティ、やはりあなたは美しいな」
懐かしい声に振り返る。
赤髪に金色の瞳の姿がそこにある。その顔は青年にも、それから壮年の男にも見えた。
「ウーサー!」
アルマティは広い胸に飛びこんだ。
若くとも若くなくともどうでもいい。
これが自分の愛したぬくもりだ。
「……お前は? 魂は風にのって消えたのでは?」
「あなたを残したまま、俺が消えられると?」
「まったく、どこまでもしつこい男だ」
背に手を回して抱き合い、その温かさにアルマティは目を閉じて……そして。
二人とも風にさらわれるのを感じた。
「アルマティ?」
幼い声が寝椅子に横たわるハーフエルフに呼びかける。長いまつげを伏せたその美しい顔は、本当に美しく、子供は思わず見とれた。
幸福そうに微笑む、その白い横顔を。
「……眠ってしまったの?」
からりと……その白い手から、銀の弓が落ちる。
その弓につけられた、金と銀の飾り紐の先に揺れる赤と青の石もまた、ころり石畳の床に転がり。
そして同時に砕けた。
END
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みんなの感想(7件)
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綺麗な物語ありがとうございます。
好きー
とても感動しました。2人が来世でもずーーっと一緒でいて欲しい。
更新のお知らせ?が届いたので、またまた読み返し朝から涙目でした
( ;∀;)
『繰り返し何度でも恋をする』そして『繰り返し読み何度でも涙する』
いつまでも手元に置いておきたいと思う物語です
志麻先生、ありがとうございました
ありがとうございます。
実は、私は更新した覚えがないんですが、更新になってまして。え?と焦ってまして。読み返してくださりありがとうございます。