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【2】若葉の思い出 その1
しおりを挟む五百年の歴史を誇るレジタニア王国は、一夜にして滅びた。
初代アーサー王が盟友たる湖のアルマティとともに倒した魔王。その邪悪な欠片が宿りし宰相が闇の魔道士としての本性を現し国を乗っ取った。
国王と王妃はなすすべもなく玉座の間で折り重なり殺され、王太子ウーサーのみが王城より逃れた。
しかし、その彼もまた追い詰められていた。
しがみついた馬の首に矢で射貫かれ、馬上より落ちた十歳の王子は、続いて己に向かい放たれた矢を地面に転がりながらかわした。
跳ね起きながら腰の剣を引き抜いて、襲い掛かろうとするゴブリンを一匹切り捨てた。戦斧を振りかざすオーガの太い腕をかいくぐって、胸を一突きして離れる。どうっとオーガの巨体が倒れた。
「ガキのくせにコイツ強いぞ!」
「竜人族の先祖返りだ! 子供だから油断するなと言われただろう!」
そのとおり少年のルビーを溶かした様な赤い髪は逆立ち、その金色の瞳の瞳孔は針のように細くなっていた。少年を囲みながら一歩後ずさったゴブリンとオーガ達は「邪術師!」と後ろに向かい叫んだ。「なんとかしろ!」と。
そのとき邪術師達が呪文の詠唱を完了し、その紫色の魔法陣から、巨大なコカトリスが姿を現した。頭は雄鶏、翼と胴はドラゴン、尾は蛇という凶鳥はその鋼鉄のオーガくちばしとかぎ爪で、そばにいたゴブリンとを引き裂いた。「暴走だ!」と逃げ惑う邪術師達は、長い尾の蛇が次々に噛みついて、その毒液でとかしてしまう。
赤く輝く雄鶏の頭は剣を構える少年を捕らえた。振り下ろされたかぎ爪は、少年が横に振った剣により、すぱんと切り落とされた。
コカトリスの胴はドラゴンだが、その下は二本のニワトリの足だ。一本が切られてぐらりと上体が傾いたが、ムチのようにひるがえった蛇の頭の尾が少年の身体を跳ね飛ばした。地面に転がる身体を体勢を崩しながらの鋼鉄のくちばしが襲う。
これまでか! と少年がそれでも恐れを知らぬ瞳で迫る凶鳥の顔をにらみつけた。
が、それは流星のように飛んだ矢により、吹き飛ばされた。
「え?」
ウーサーがその黄金の瞳を見開き声をあげる間にも、二撃目が蛇の尾の頭を吹き飛ばしていた。三撃目でドラゴンの胴体の心臓を貫き、傾いていた身体がどうっと完全に倒れる。
「コカトリスとまともに戦おうなど、あと五年は早い」
たった三本の矢で、コカトリスを倒した声の主をウーサーは見る。
その手に持つのは銀月の弓。銀色の髪をなびかせた、特徴的な尖った耳のエルフ。こちらを見おろすアクアマリンの瞳にウーサーの唇が動く。
「湖のアルマティ?」
「すべてのエルフは天空に去った。地に残っているエルフの末はもう私だけだ」
「髪の色が肖像画みたいな金色じゃない……」
「私も齢九百歳近くの爺だからな。髪の色だって白くなる」
「……そのわりに、顔は若いまんまだ。皺一つない」
「無限の寿命を持つエルフの容姿は成人後は変わることはない。もっとも私はハーフエルフであるから、その寿命は千年。髪だけは白くなったということだ」
「本当に本当に湖のアルマティ? 始祖王アーサーの話を聞かせてくれ!」
「あとでいくらでも語ってやるが、ひとまずはこの場を離れるぞ。さらなる追っ手が来たならばやっかいだ。王宮から落ち延びたのはお前のみか……」
「……父上も母上もオグルの奴に殺された……城のみんなも俺を守るために……」
逃げることに必死であり、戦闘の高揚、それに伝説に語られる始祖王の盟友たるエルフに出会ったこと。それにはしゃいでいた“フリ”をしていた、王子の金色の瞳がみるみる潤み、泥で汚れた頬に幾筋もの涙がこぼれ落ちていく。
「今は泣け」
その汚れた頬をエルフの白い手が撫でてぬぐう。そして、長身ではあるが細いエルフの腕で、ひょいと少年の身体を抱きあげて、風のように駆け出す。
「父を亡くし、母を亡くし、親しい者達を亡くし、お前は一人残されたのだ。今は存分に嘆いても許される。見ているのはこの森の木々と私ぐらいのものだ」
「う、うああああぁあああぁあ!」
抱きかかえた腕の中で大声で泣き始めたウーサーを抱えて、アルマティは森の中を駆けた。
◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇
十歳にしてはウーサーは賢い子供だった。
父王と母王妃を失いながら、いや、だからこそ、元凶たる闇の魔道士オルグを倒し、国を取りもどすという怒りと正義感に燃えていた。
とはいえ所詮、十歳の子供だ。
王宮を抜け出して頼ったのは、王都に一番近い領地を持つ始祖アーサの血を引くスポウルス公爵領。その城館でウーサーは歓迎を受けた。王子が「父上と母上の敵を討つんだ!」という言葉に、中年の公爵は「殿下の御心まことに尊いと存じます。今宵はゆるりとやすまれて」と領主としての己の寝室を明け渡すほどの歓待ぶりを見せた。
だが、その深夜に城の兵達を引き連れた公爵の急襲を受けた。
「スポウルス! 裏切ったのか!」
「お許しを殿下! 殿下の身柄を引き渡せば、我が領地と領民は安堵されると、オルグ宰相はお約束くださったのです」
そうオルグはレジタニアの宰相だった。というか、オルグという名前の宰相の精神と身体を闇の魔道士が乗っ取ったというべきか。
しかも、それはアルマティが放浪の旅に出て王宮を離れた時期を狙ったものだった。ハーフエルフの時の感覚からすれば、十数年など一瞬ではあるが、人の時からすれば宮廷の内情が入れ替わるのに十分な時だ。
そして宮廷の懐深くまで入りこみ時をかけて陰謀を巡らせた。だから王も王妃もあんなにあっさりと殺され王宮と王都、その周辺は一夜にして乗っ取られたわけだが。
「お前は自分と自分の領地のことしか考えられないのか! 魔族がお前との約束を守るものか!」
激昂し寝台でも抱いたままだった剣を抜き放ち叫ぶウーサーを、傍らの長椅子で寝ていたアルマティは「お前は馬鹿か?」と身をゆるりと起こして、彼がコカトリスと真正面から戦おうとしていた時と同じように冷ややかにいった。
アルマティにもスポウルスは部屋を用意しようとした。が、アルマティは警護のためにウーサーと同室でよい、そこらへんの椅子で寝るといった、アルマティに公爵はいかにも心外で困った顔で「この城館に敵などおりません。湖のアルマティ様を椅子で寝かせるなど……」と渋っていた。
理由は当然、自分とウーサーを引き離したほうが都合がいいからだ。一緒にいて抵抗されたら面倒だと。
とはいえ渋々「仕方ありませんな」と認めたのは、たかが十歳の子供と細いエルフ二人、大勢の兵士達で囲めばどうとでもなると完全にこちらを侮っているのだろうが。
「切り捨てたところで次から次へとやってくる兵士を相手にするつもりか? そこの公爵の首をとったとしても、知らせをうけた魔軍がやってくるぞ」
アルマティの言葉にスポウルスは余裕の微笑みを浮かべる。
「ええ、さすが賢いエルフ殿の言う通り。すでにオルグ殿にはお知らせしてあります。ここで抵抗して無駄に苦しむより、名誉ある死を選ばれほうが……」
「だから逃げるぞ」
「はい?」
スポウルスが間抜けな顔となる。自分には凶悪な魔軍の後ろ立てがあるのだと、胸を張る公爵の言葉など聞かずに、アルマティはいった。自分に向けられている兵士達の槍の穂先など意に介することなく、優雅に立ち上がる。
それと同時に腰のレイピアを抜き放ち、いくつもの槍をスパンと切り捨てていた。さらにはアルマティと王子のいる寝台のあいだに立ちはだかる兵士達の壁も跳び越えていた。このあいだ、瞬き一瞬のことで、このエルフがどうやって動いたのか誰も目に捕らえられなかった。
いや……わかってるのは、ただ一人。
「すごいや! アルマティ! 剣を抜き放ちざま、槍の穂先を切り捨てたうえに、とんぼ返りのひとっ飛びで兵士達の上を跳び越えて、このベッドに着地するなんて! 今度俺もやって……」
「はしゃいでいる場合か逃げるぞ!」
「え? いやだ! 俺はこの裏切り者を成敗……」
「だから、お前は馬鹿だといっているんだ!」
「うわあっ!」
ウーサーの首根っこをつかんで、アルマティは窓から彼を放り投げた。「馬鹿な! ここは三階だぞ!」と公爵が後ろで叫んでいる。
アルマティもそのあとに続いて、窓から飛び降りた。
たしかに天井の高い城館の三階だ。かなりの高さがある。“普通の人間”ならば大けがどころか、ヘタをすれば死ぬだろう。
が、ウーサーはくるりとネコの子のように身体を丸めて回転して、すとんと着地していた。さすが竜人族の先祖返りの身体能力と頑強さだ。それを承知で三階の窓から放り投げたのだが。
アルマティもまたその横にふわりと降り立つ。
「酷いな、投げるなんて」
「少しは頭が冷えたか? 逃げるぞ」
「……わかった!」
不満げながらもアルマティのあとにウーサーもしたがった。
寝室で簡単に自分達を取り押さえられると思ったのだろう。城塞の周りにはなんの警戒なく、彼らは高い壁もまた、あっさりと跳び越えた。
とはいえ、魔軍が城館に駆けつけてくればやっかいなことになる……と、彼らは昼夜を問わず駆けた。
そして、早朝、逃げ込んだ森のなか。たき火をおこし、アルマティが弓で一つ射た鴨を焼く。
「焼けたぞ」
「…………」
こんがり焼けたそれをナイフで裂いた半身を差し出せば、少年はそれにかぶりつきながら。
「裏切り者ののスポウルスから逃げ出すなんて! 始祖アーサーの血を引く公爵でありながら、あいつはオルグに味方して、己の保身のみに走ったんだぞ!」
その叛逆者をそのままに逃げ出したことにウーサーは不満げだ。
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