楽園をかたどったなら

ジンノケイ

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序章

01

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 ※


 「ヒトの保護及び管理に関する法律」

・研究目的以外での飼育、許可のない販売、生きたままの許可なき運搬を禁ずる。
・研究目的以外での繁殖を禁ずる。
・研究目的以外でヒトに言語を教えることを禁ずる。etc...

 野生個体及び許可のない飼育等を発見した場合、ただちに行政に連絡すること。


 ※



 ◇序章


 早朝から降り出した雨は、ディランがようやく仕事を終えた真夜中まで続いていた。
 街で一番大きな病院の割にはずいぶん貧相なつくりの裏口の扉。半分開いたそこからそっと半端に顔を外に出すと、冷気と雨の雫がディランの白い毛並みに叩きつけてくる。体格の割に小さな耳が勝手にブルっと震えた。
 もう冬が近いな、と。ぼんやりしていたからか。

「いっ……!」

 外に出ようとして出口の上部に派手に頭をぶつけ、悶絶する羽目になる。自分の身長では軽く屈まなければそうなると分かっていたはずなのに。
 幸い周りには誰も——いや、看護師がひとり。「お大事に、マイヤーズ先生」と嘴を抑えクスクス笑って、見事な長い尾羽を揺らして先に出て行った。
 じんじんと響く痛みを堪えつつ、ハイと弱々しい返事をして見送るしかない。
 シロクマ型の獣人ゆえ、他の同僚たちより群を抜いて大きな自身の体躯を自覚していないわけではない。が、何かにつけて気が抜けて、頭やら肘やら膝やらをぶつけて痛い目を見てしまう癖は直らない。昔から。

『大丈夫ですか? ドクター』

 だから。
 懐かしいあの柔らかな声を、こうして度々思い出す羽目になる。
 毎度のことすぎてもはや誰もが苦笑で済ませる中、律儀にいつも真面目に心配してくれていたあの子を。

 黄金の稲穂のように見事な髪。海のように深い青を宿した目。
 つるりとした白磁の肌。
 獣人の自分たちとはまるで違う彼の姿を、声の次にひとつひとつ思い出す。

「……帰ろう」

 延々と思い出に耽り座り込んだままになってしまう前にと、無理やり声に出して立ち上がった。
 傘立てから自分のものを見つけ出し、緩慢に抜き取る。
 冬が近付くといつもこうだ。奥底にしまった忘れられない記憶がとめどなく溢れ出てきて、ディランの思考も足もがっちりと止めてしまう。

 ——いや、そもそも。
 本来なら片時も忘れてはいけないものなのだ。「あの子」のことは、自身が犯した罪の記憶と直結しているのだから。

 それなのに普段は忘れたふりをして、なかったことにして、知らないふりをして。
 「世間一般的な普通の獣人」のふりをして生きている自分が、ディランは何より嫌いだった。



 ◆ ◆ ◆



 かつてこの世界は、「ヒト」と呼ばれる生き物が頂点に君臨していたらしい。
 そして獣人たちの先祖に当たる「動物」たちを支配し苦しめていたという。
 だが、やがて動物たちは「獣人」へと進化していく。ヒトと獣人は何度も何度もぶつかり合い、争いを繰り返すうちにいつしか獣人が優勢になる。同等の知恵とヒトよりも強靭な身体を持つ獣人に敵わなくなったヒトは徐々に衰退し、今のように——絶滅危惧種にも等しい存在となった。
 何の因果か、獣人たちの中には稀にヒトによく似た容姿の「ヒト似獣人」も生まれる。しかし彼らはその外見のせいで長く迫害を受けてきたし、現代においても著しく社会的地位が低い。「ヒトに似ているから」それだけの理由でだ。

 もはやかつて頂点生物だった頃の面影はなく、知性も言葉も失いぼんやりと研究所で飼育されるだけ。
 過去に自分たちの先祖を苦しめていたらしい、珍しい生き物。
 この世界に暮らす獣人にとって、ヒトという生物はそういうものだった。

『ヒトを繁殖させ、不正に売り捌いていたとして◯◯グループの会長が逮捕されました』
「この手のニュース、尽きないな」

 交差点の信号待ち。
 左手に傘を持ち、右手に持った携帯電話でテレビニュースを見ていた垂れ耳のウサギ獣人が、隣の短毛な灰色のイヌ獣人に向けてボヤく。

「そうなあ。ヒトの飼育やら繁殖やらは研究目的以外は犯罪って決まってんのに、なーんでやらかすのかね。ダメって言われるとやりたくなんのかな?」
「子どもじゃないんだぞ。理性働かせろってんだ」

 見たところ二人ともまだ学生のようだが、アルバイト帰りか何かだろうか。傘に隠れて気付かれない程度に横目を向け、悪いと思いながらもディランは彼らの会話を盗み聞きしてしまう。

「そもそもそういう連中、飼育っつってもマトモな飼い方しないだろーにな。なんかホラ……アレしたりコレしたり、神サマ激怒案件なことに使うためだろ?」
「やめろ想像させるな。そんなとこまで僕は興味ない」
「そう? でもあれだな、ヒトって取り締まりめっちゃ厳しいよな。こっそり飼うとかもだけど、言葉教えるのもダメだし」
「元々ヒトは賢いらしいからな。言葉覚えてヒト同士で結託されたら厄介だろ」
「俺まえに特別展示でヒト見たことあるけど、あんなポケーっとした生き物にそこまで知恵あるかねえ? 確かにヒト似獣人マジそっくりとは思ったけど……あっ、もし野良ヒト見つけても生きたままその場から動かすのもダメなんだろ?」
「そう。触れず騒がず、即通報だ。特定外来生物みたいなもんだよ。ていうか野良ヒトなんて都市伝説級の話だぞ。脆弱すぎて野良で生きていけないだろ」
「はーあ。かつての頂点生物サマが哀れなもんだな~。じゃあアレか、【北の楽園】の噂なんてそれこそマジの都市伝説じゃんね」

 どきり、と心臓が跳ねる。
 傘を持つ手が震えてはいないか、側の二人に気付かれてしまうのではと密かに焦った。

「はあ? 【北の楽園】て……お前、そんなくっだらない噂話信じてたのか?」
「いや信じてはないなー。でもさ、獣人とヒトが仲良く暮らしてる楽園がどこかにあるらしい……なんて。フィクションとして面白いじゃん。種族は違っても通じ合える! 的な。俺そーいう感動的なハナシとか好きなんよ」
「……まあ、分からんじゃない。子ども向けとかではよく見るよな。弟たちが見てるアニメにもそういう設定出てくるし」
「それ俺の趣味がガキっぽいって言ってる?」
「いや? 僕も嫌いじゃないからな」

 信号が青に変わった。
 ウサギ獣人の青年はすぐに携帯を閉じ、イヌ獣人の青年も話は終わったとばかりに伸びをして歩き出す。
 当のディランはと言えば、例によってすぐには動くことができず。後ろからフードを被ったカラス獣人に追い越しついでにぶつかられ、舌打ちをされて初めて我に帰った体たらく。
 すみませんと謝る暇もなければ、正直その気も湧いてこない。のろのろと足を動かし、交差点を渡る。ディランの住むアパートメントはもうすぐそこだが、このままではボンヤリと通り過ぎてしまいそうなくらいには心ここに在らずだった。
 傘を叩く雨の音が、少しずつ強くなる。雨はまだまだ止みそうにない。
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