鬼の名語り

小目出鯛太郎

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よそいき

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 朽木くちきは座布団の上に、ちん、と座って鋼に手を握られていた。


 よいか、これだけは約束だぞと念を押される。
 
 お腹のなかにある種は、鋼の種と答えなければいけない。どこに種があるのか朽木には全くわからないが、これを岩館いわだての種と言ってはいけないのだ。養い親とはいえ親の種を宿してはいけない。この事が露見すれば、もうこの里にはいられなくなる。

 それからな、そう云うわけで、お前の番は外では俺と云うことになっているのだ。嫌かもしれないが、問われたら言えるか?「鋼の番です」と嘘でも言えるか?と聞かれて、朽木は力なくこっくりと頷いた。


 最後に、俺が迎えに行くまで棗婆なつめばば様の部屋から一歩も出てはならぬ、良いな?

 これには先の言いつけより強く頷く事が出来た。迷子になるから出ない、と朽木が言うと、鋼は苦笑いをした。

 
 それから千歳緑の落ち着いた着物を着せられ、白地に一面に銀の花を刺繍をした帯を付けられた。
 鋼が落ち着いた茜色の帯締めを手に取ったが、朽木は自分から赤でなく黒い色が良いと、色の名前はまるでわからないが黒っぽい紐を手に取った。

 朽木は赤い色が嫌いだった。

 鋼が最初に選んだ着物の色も甚三紅じんざもみ、柔らかい紅色で綺麗だったけれど、朽木は首を振って緑が良いと言ったのだ。

「…はがねの色」
 鋼が選んだ色を嫌とは言い辛かったので、そう言って紐を差し出すと、鋼は少し照れ臭そうに帯締めを結んでくれた。ちらりと見える帯揚げの色は薄い薄い若芽の色で、全体的に大人びた落ち着いた装いとなった。


「うーん、朽木はもっと明るい色でも似合うのだがなぁ」

 帯留めは明るい色のでも付けようか、と引き出しごと鋼が持ってきて朽木の前に見せた。

 細かく仕切られたなかに、何で出来ているか分からぬほどきらきらとして、艶々として、小さな物から大きな物までどれもとても美しい物が入っていた。

 象牙、珊瑚、翡翠、青玉サファイア鼈甲べっこうの花や鳥、金細工も銀細工もあるのに、朽木が嬉しそうに手に取ったのは、黄色い丸菊のつまみ細工だった。つまりは布である。


「小さい太陽みたい」
 朽木が帯締めに当てたり手のひらに乗せて喜んでいるのを見て、鋼は頭をかいた。鋼の感覚からすると、今日の着物には浮いて合わぬように見える。何かもっと良い物をつけてやりたい。


「それは、俺が練習で初めて作ったやつだぞ、もっと良いのがあるぞ?」
「鋼が作ったの!?これがいいの、これをつけるの」

 これだけ喜ばれると、取り上げるわけにもいかず、飾りをつけてやると、朽木の身体を抱き上げた。

 今日は歩かずに花園まで飛ぶつもりでいた。
「さ、しっかり掴まって俺が良いと言うまで離してはいけないぞ」
 
 朽木の細い腕がすると伸びて、鋼の肩と首に手がかかる。その頼りない身体を抱えて、彼は花園へと飛んだ。



 
 案内された棗婆なつめばばの前で、朽木は鋼の前に座った時よりもいっそうちん、と背を伸ばして座った。
「さぁ、あちらが棗様だ。朽木に身体の事を教えてくださる先生だ。ご挨拶をして」


 鋼に促されて、朽木はかっくんとお辞儀をした。勢いでそのまま前のめりに転がっていきそうになるのを後ろから鋼がきゅっと捉まえる。

「朽木です、よろしくおねがい、いたします!」



 ぷふぁっ、と吹き出したのは棗だった。

「よろしくねぇ、朽木。いいよ、鋼、その子を楽にさせておやりよ。足を崩させても良いし、寝ないのなら壁にもたれさせても足を投げ出させたりしてもいいよ。そのかわり話の途中に寝たら扇でびしびし叩くからね」

 
 朽木は瞳をぱちぱちとさせ、棗と鋼の顔を覗き見た。足を崩して良いよと言われたがどうしようとお伺いを立てる顔だった。

「習字や縫い物で一時間は正座できるはずなので、その方がしっかりと起きて話を聞けると思います。後で辛そうだったら、もう一度そう言ってやってください」


 棗様のお話を良く聞くのだぞと頭を撫でられて、朽木は「あい」と返事をした。



 鋼が部屋を出て、朽木は棗様と呼ばれる老女の姿の御道具様おどうぐさまと見つめあった。
 
 
「鋼はもっと綺麗な色をあんたに勧めなかったのかい?渋い色だねぇ、せっかく若いんだから華やかな色を着れば良いのに。帯留めだってねぇ、もっと七宝焼や琥珀だの付ければ良いのに。つまみ細工はちょいと子供っぽくないかい?」


「鋼は、綺麗な紅の色の着物を出してくれたけど、緑が良かったの、です。千歳ちとせの緑は、えいえんのみどり。良い色なの、です。…赤嫌い」

 言い切ると、朽木は帯留めの黄色い丸菊に手を当てた。
「これは、鋼がはじめて作ったの、です。鋼のはじめてをもらったからこれでいいの」


 あらまぁそうかい、と棗はにやにやと笑った。決して馬鹿にしたわけではなかった。鋼の鋳潰される前の初めても、鋳潰された後の初めても、別のあやかしのモノになっているだろうから、そういう初々しい初めてがこの若い木のあやかしの掌にあるのは素敵な事に思えたのだ。


「あんたは色が白いから、赤が似合うと思うけれどね。赤い色は嫌いかい?」


「焼かれたから、火の赤はきらい」


 そうかい、そうかいと棗は相槌をうって、この子はどこを焼かれたのかと見つめた。身体の何処かに火傷の痕があるのかもしれない。案外そういう傷痕が、同じく全身を火で焼かれた鋼の気をひいたのかもしれないと棗は勝手に想像をした。

「あんたはいつか歳を経てそういう落ち着いた緑が似合う、木のあやかしになるんだろうねぇ。それまでねぇ鋼の手を離しちゃいけないよ。いや、その後だってね離しちゃいけないよ。帯締めに鋼の色をしているくらいだから大丈夫とは思うけれど、しっかりと結んでおくんだよ」


 木と鋼、もとは違っても焼かれた者同士はね、誰より辛さを分かち合えるはずだからね、いいね、と棗に言われて朽木は分かったような分からないような顔で首を横に傾けた。


「鋼も焼かれたの?」
「聞いてないのかい?」


 朽木が頷くのを見て棗は深い溜息をついた。
「あたし達がね、触れられもしないような熱さで全身を燃されているんだよ。あたしゃね、切られた痛みは分かるけれど、燃された痛みは分からない。あんたはそれがどんなに辛いかわかるはずだよ。だから優しくしておやり。お互いに労りあってね。さぁ、それじゃぁこれから大事なお話をするよ、しゃんとお聞き」


 鋼が燃された以上に大事な話があるのかと朽木は思ったが、棗にびしりと扇を鼻先に突きつけられて、ひゃぃと引き気味に返事をした。
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