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棗婆
しおりを挟む「ちょっと、あんたに婆と言われるのはねぇ、あたしゃなんだか我慢がならないよ。あたしのほうがあんたより随分若いんだよ。ああ嫌だ歳を取るって。心まで皺皺になるようで」
小さな座布団の上には御道具様が鎮座していた。
人の手によって作られた物に命が宿った変わり種だ。この小さなお婆は茶道具の棗であった。
あやかしに比べると歳は若いが魂が入る前から念入りに手と気が加わってあやかしより知恵とお作法の経験がある。長らく花園で大事にされて、若いあやかしの花木をびしびしと躾けていた。
ある日珍しい客が来た。鋼だった。顔を知らぬ訳ではないが、茶飲み話をするほど仲が良いわけでもない。話を聞けば若いあやかしに話をして欲しいと云う。
話にも色々あるがどんな話かね?と誘い水を向けると煮えきらぬ様子で口籠る。
「あんたの言うことを聞かない子なんて、この花園にいたかしらねぇ。連れてきてくれりゃちゃぁんと分かるように言うし。聞かなきゃびしっと尻でも叩くけど、誰だい?」
「…花園においている子ではないのだ」
棗はじろじろと鋼を見つめた。
そういえばなんだか目の前の男は若いあやかしを嫁子に貰っただとか攫って来たやらと誰かが言っていたようないないような。
「あれ、もしかして幼妻に新床の所作でも仕込みたいのかい?あんたそういうのは得意だろうに…」
この世の色にも欲にも無縁そうな無骨な顔をして、花園では仕込みもしていた男である。まさかそんな事はあるまいと伺うと、苦い顔をしている。
「新床の所作ではなくな、…あやかしのややごの種の話をだな最初からしてやって欲しいのだ…御探りあたりから生まれるまで」
棗はぶるぶると震えた。御探りというのは、文字通り、指で身体を探っていく。自分の身体の時もあれば相手の身体を探るのも御探りだ。
「ま、まさか鋼あんた、何にも分からない幼子を攫ってきて仕込もうってんじゃないわよね?あたしゃそういうのは嫌だよ」
鋼は渋面のまま答えた。
「誓ってそういうものではない。おそらく小さい頃に十分に気を吸えなかったか、貰えなかった木のあやかしなのだ。素直だが、少し愚かで…いやおろかというより物知らずなのだ。その子に教えてやって欲しいのだ」
何言ってんだい。この唐変木はと棗は少々呆れた。
今まで花園で散々その身体を使って花を仕込んで来ただろうのに、御探りから教えてやってくれとは。鋼に出来ぬ訳がない。
『黒鉄の山に爪立て転がりて小石小石(恋し恋し)と流されてたどり着くのは沼の底』
鋼に抱かれて忘れられず、枕を濡らす花のあやかしの歌まであるのだから。やらぬはずも無いし出来ぬはずが無いのだが…。
「勿論、無料でとは言わぬ」
鋼が、ずいっと取り出した物を見て棗の目は釘付けになった。
「こ、これは…!!」
棗仕服 小花縞幾何紋、しかも三つ組で茶碗と茶杓入れまで揃っている。象牙色の柔らかな生地に愛らしい薄紅の花の間に鮮やかな猩々緋色の小花、金糸の刺繍も眩いばかり。つまりは棗好みの服(布の容れ物)である。
なかなか手に入らぬ、否なかなか所か滅多に手に入らぬ、今直ぐに入手しなければ二度と会えなくてもおかしく無い一品である。
「…ほほほほ、この婆に任せよ」
「…うまくいけばこちらも」
鋼はちらりと見せた。金襴で作られた小さな菓子切入れと、名物裂のような変わり織りの緋色の袱紗。
棗はすでに涎もたらさんばかり前のめりになった。物でつるとはなんと憎い、しかも手に入らぬ物ばかり目の前にぶらさげられては、辛抱堪らぬ!「はよう連れて参られよ、朝でも昼でも夜でも構わぬ、早う連れて参られよ。この婆がしっかりとお話をしてお探りどころか孕腹までの段取りをして差し上げようぞ」
一人は愛欲に一人は物欲に。
欲と云うものは誠に恐ろしく経過も結果も顧みず人もモノもあやかしさえ突き動かすものであった。
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