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あさいちばんのあといのじ
しおりを挟む朽木はぱっちりと目を開けた。
視線の先の障子戸に張られた紙色はまだ黒い。まだ太陽が昇っていないから夜なのだ。
障子戸の紙色が白に見えるまで、起きてはいけないと、鋼に言われている。
はやく白くなれ、はやく白くなーれ…朝一番に起きて、昨日の続きを縫って、岩舘に縫物を届けに行くのだと気がはやる。
障子紙が白く見えるやいなや、朽木は飛び起きた。
離れた場所に布団を敷いている鋼の身体を揺り起こす。
「おきて、はがねおきて!縫い物します」
縫い物、縫い物、と鋼の大きな身体に手をつく。
「ん、もう起きたのか…はやいなぁ…」
鋼が棚の上にあげてあった箱から縫い物の一式を取り出す。座布団を置き障子戸を開けて、さぁと促す。
朽木は座布団の上にはいと座ると真剣に取り組み始めた。
二度ほど冷たい水を飲まされたが、居眠りもせず、陽が一番高い所から少し下がったあたりで緑の線は最後まで繋がった。
傍から見れば稚拙な出来である。
だが朽木にとってははじめての自分で作り縫った贈り物だった。気持ちの籠った品だった。
「では、届けてくるぞ。良い子で留守番をしているんだぞ」
と鋼が朽木の手からその布を取り上げた時、朽木はえ、と立ち竦んだ。
一緒に行けるものだとばかり思っていた。手ずから渡せるのだとばかり思っていた。
取り縋ったが、足にかちりと枷を嵌められた。すぐに戻ってくるからと外からも扉に鍵を掛けられる。
開いていたはずの障子戸の方に向かえば、紙と木で出来ているはずの軽い戸は、すん、とも動かず閉ざされていた。
「いっしょにいく」
「いっしょにいくー!!」
朽木は、生まれてはじめて地団太を踏んだ。暴れて畳の上で飛び跳ねた。
その反抗は少々遅すぎて、屋敷の中には誰もおらず、返事を返す者もいなかった。
夕方、障子戸が橙色に染まる頃、鋼は屋敷に帰り、朽木がいるはずの部屋の戸を開けた。
薄暗い部屋に朽木はうつ伏せで髪をぼうぼうにして転がっていた。畳には涙か涎の跡が残っている。
鋼が土産を置いて、朽木の身体を抱き寄せると、いやいやと暴れて頭をぶつけてきた。
鋼にとっては微塵も痛くない小さな可愛い反抗だった。
「岩館は喜んでいたぞ。朽木の縫ったのをぎゅうっと握ってな。もう一つ欲しいようだ」
その言葉を聞いても朽木はまだ怒りがおさまらないのか、頭のてっぺんをぐりぐりと押し付けたきた。
乱れてぼうぼうになった髪をすきながら、鋼は囁いた。
「折角作って持って行っても返しがないと、寂しいだろう?次は朽木が書いた手紙もつけて持って行こう。岩館は字を書けるから牢の中で返事を書いてくれるぞ」
朽木は動きを止めた。
じ、文字、手紙。這ったりさがったり絡まった蔦のような、あのもじゃもじゃ…。
字など習ったこともなく、勿論書いたこともない。
「…字をしらない、かけない」
「書けるとも」
俺が教えるからな、と鋼はよくするように朽木の背をとんとんと叩いた。
「あさいちばんのあといの字を書いてみようか、あい、いわだてのいの字だぞ」
「…い をかく」
朽木は鋼に抱えられたまま、乾いた自分の唇を湿した。
「…す、きとかく」
「あい、より すき が書きたいのか?」
うん、と頷いて朽木はちんと大人しくなった。
鋼が傍らの土産の包みを開き、硯箱を取り出す。
楼閣山水蒔絵硯箱。鋼が花園で仕事の時に使っていたものだが、絵柄が良かった。雪をかぶった岩から湧き出た清水が滝となり春を待つ木々の間に流れゆく姿を金梨地に蒔絵で描いてある。
まるで岩館と朽木の様子を表すようだと鋼は思ったが、朽木は目を輝かせていた。
「明日の朝一番から練習するか…」
朽木が頷く。
金剛の怒りが収まるまで、鋼には会わせてやれないが、その間にたくさん字を覚えて、岩館にたくさん手紙を書いてやろうなと朽木を宥め、何故どうしてと問いかけるにひとつひとつ答ながら夜は静かに過ぎて行った。
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